姫の好感度上昇合戦
「じゃあ、次はこのお茶。香りを当てられたら、一点差し上げますわ」
軽やかな声とともに、セリスティアがティーカップを手に取る。
その向かいに座るアオイとレオニス――二人の青年は、まるで騎士の決闘のごとく、互いを牽制しながら香りを確かめていた。
舞台は、王城の特別室で行われている「外交親善レクリエーション」の一環。
だがその実態は、アオイとレオニスによる《姫の好感度上昇合戦》だった。
「これは……リオーナ産の紅茶ですね。特徴的なスモーキーさがあります」
先に答えたのはレオニス。知性と経験に裏打ちされた、自信ある一言。
「……んー、いや、スモーキーっていうより……これ、焙煎強めのグラン葉じゃないですか? リオーナ産なら、もっと渋みが強いはず」
対するアオイも、独自の観察眼で切り返す。
セリスティアは、静かに微笑む。
「正解は……アオイさん。惜しいですね、レオニス。これは最近輸入された新種のグラン葉ですわ」
レオニスの眉がわずかに動く。それを見て、アオイは少しだけ得意げに笑った。
「ふふ……次はこちら。お菓子の試食ですわ。これは外交官の嗜みでもありますから」
並べられたのは、各国由来の焼き菓子やタルト。その中に一つだけ、特定の国の伝統菓子があるという。
「さて、どれがノイア公国のミルタルトかしら?」
「これは難しいな……」とアオイが呟いたその時、レオニスがスッと一つのタルトを指差す。
「これですね。上面の模様に花弁を模した線が入っているのは、ノイアの伝統手法です」
セリスティアがわずかに驚いたように目を見開いた。
「正解です、さすが……ノイアの文化にも詳しいのですね」
「当然です。姫様の交渉先である以上、最低限の教養ですから」
その当然という物言いに、アオイがむっとした顔になる。
「……でも、最低限の知識ってだけじゃ、相手の心までは掴めないんじゃないですか?」
「では、君は知識もなく心を掴めると? それはただの賭け事だよ、アオイくん」
「ううん、賭けじゃなくて、信じてるだけです。相手とちゃんと向き合えば、分かり合えるって」
「理想論だ」
「うん。でも、理想を語らない外交って、夢がないですよね?」
そんな言い合いの横で、セリスティアはほんの少し、唇を噛み締めていた。
(アオイ……。どうしてあなたの言葉は、こんなにまっすぐで……こんなに――)
「……私、少し風に当たってきますわ」
立ち上がったセリは、庭へと歩いていく。
二人の男は、彼女の背中を同時に見つめていた。
一方は過去を知る幼馴染み。
一方は未来を変えようとする異邦人。
この勝負、いったいどちらが優位に立っているのか――
風が吹き抜ける王城の中庭。
白薔薇の並ぶ石畳を、セリスティアは一人静かに歩いていた。
遠ざかる喧騒。
ティーパーティーの場から離れたことで、ようやく自分の胸にあるざわつきと向き合える気がした。
(……なぜ、あんなに胸がざわついたのかしら)
自問する。
アオイとレオニス。二人の言葉は、それぞれ違う角度から自分に届いていた。
レオニスの語る外交は、知性と戦略に満ちていた。
論理的で安心できる。だが……それ以上ではなかった。
(彼はいつも完璧。でも、完璧が私を安心させるわけじゃない)
一方で――アオイ。
不器用で、言葉の選び方も粗い。けれど、どこまでも真っ直ぐで。
(彼の言葉は……まるで、壁を壊してくる)
「姫様」
背後から、柔らかい声がかかる。
振り返ると、そこにいたのはアオイだった。
「……ついてこないでって言ったはずだけど」
「でも、言ってなかったですよ。話しちゃダメとは」
ふっと笑ってみせるアオイに、セリは思わず目をそらす。
「さっきの……あれは何? 私に勝って満足?」
「……勝ち負けで動いてたら、オレ、最初から負けてますよ」
「なぜ?」
「だって……オレ、セリさんが好きだから」
その一言に、心臓が跳ねる。
唐突すぎる。場違いすぎる。
でも――その声は、冗談ではなかった。
「……何を言って……」
「いや、わかってます。今はまだ、使節と姫だし、立場もある。でも……本気で向き合いたいって、思ってるんです」
セリは言葉を失ったまま、アオイの瞳を見つめる。
そこには、偽りも誇張もなかった。
「外交の道具としてじゃなくて――ちゃんと、あなた自身を見たいんです」
沈黙の中、セリの口がようやく動く。
「……バカ」
「えっ?」
「……どうして、そんな真っ直ぐでいられるのよ。ずるいわ……」
そう呟いたセリの頬が、ほんのりと紅く染まっていた。
その表情を見て、アオイはゆっくりと微笑む。
(この勝負……少しだけ、前に進めたのかもしれない)
その夜、ティーパーティーの余韻は各地に波紋を広げた。
だが――アオイとセリの間に、確かに小さな一歩が刻まれていた。