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半開きのドアの向こう側に

作者: リウクス

 高校二年の夏休み。

 ある日の夜、僕は一歳年下の幼馴染である静居美海しずいみうと、リビングでホラー映画鑑賞をしていた。

 お互いの親が旅行で一日帰って来ないので、暇だから何かしようということになり、美海が「夏だからホラーはどうですか」と提案してきたのがきっかけだ。


 映画本編が終わり、エンドロールが流れ始めると、僕は部屋の電気をつけた。

 部屋が明るくなると同時に、美海は「あっ」と声を漏らした。

 どうしたのかと振り返って見ると、クッションに顔を半分埋めながらソファの隅っこに縮こまっている彼女の姿があった。


「……怖かったんだ」

「別に、怖くないですけど」

「そんなテンプレ返しされても……」


 両足の指先を重ねてもじもじしながら、言い訳を探して美海が口籠る。

 彼女は昔から自尊心が高く、事あるごとに強がる節があるが、弱みを隠し通せたことは一度だってない。


「所詮はB級Jホラーって感じでしたよね。ありきたりな演出ばっかりで、新鮮味に欠ける。寝て起きたら忘れるレベルです」


 そう言いながら声は上擦っているし、ソファの隅に体を寄せすぎて緩めのTシャツが着崩れている。


「……そうか」

「そうです。そういう夕浬ゆうりくんはどうなんですか。随分淡白な表情をされてますけど、心臓バクバクなんじゃないですか」

「……まぁ、それなりに怖かったけど、あんまりインパクトはなかったかな。美海の言う通り、どこかで見た作品の焼き回しって感じ」

「ふ、ふーん。そうなんだ。私と同じですか」

「あ、でもあの演出は良かったよな。ほら、長い廊下のシーンでさ。奥のドアが半開きになってて。カメラが遠いからはっきりとは見えないけど、顔みたいなものが——」

「あーー!!!!!!」


 美海が耳を塞ぎながら必死に叫ぶ。

 よほど思い出したくなかったのか、頭をぶんぶん横に振って忘れようとしている。

 僕はそんなことを気にも留めず、追い討ちをかけていく。


「……それで、主人公が目を細めて見ようとしたら次のカットでは消えててさ。カメラが主人公の方に戻ったと思ったら、背後に笑みを浮かべた女が——」

「あーあーあーあーあーあーチワワチワワチワワポメラニアンポメラニアンポメラニアン!!!!」


 可愛いものを思い浮かべて紛らわせようとしているらしい。

 少なくとも僕に対してはもう誤魔化しようがないのに、似たようなことがあるたびに性懲りも無く強がるのだから不思議だ。

 まぁ、いじり甲斐があっていいのだが。


「……喉乾いたな。なんか飲むか」

「飲みます!」

「怖いと緊張で喉乾くもんな」

「違うもん!」

「敬語忘れてるぞ」

「違いますもん!」

「それは敬語なのか……?」

「もん!」

「鳴き声だろそれは」


 中学二年の頃から、美海は僕と話すときは敬語を使うようになっていた。

 大人っぽくなりたかったからということらしいが、口調が変わっただけで根っこの部分がそのままだから、背伸びしている子どもと相違ない。というか、大人というのは気づいたらなっているものだから、意識してなろうとしていることを僕に伝えている時点で、もうどこか外れてしまっている気がする。


「はぁーーー」


 強張った体の力を抜こうとして、美海が深く息を吸って吐く。


(……油断しているみたいだから、ちょっといたずらしてみるか)


 僕は飲み物を取りに行くと見せかけて、すり足でソファの裏に回り、彼女の背後にそっと忍び寄った。

 そして……。


「わっ!」

「ひゃいーーーーーーーーっす!」


 彼女の小さな肩が思いっきり跳ね上がる。

 語尾に「っす」がついているのは、叫んでいる途中で理性が戻ってきて、中途半端に敬語にしようとしたからだろうか。

 僕を睨みつける彼女の長い黒髪は、心なしか猫みたいに逆立っているように見えた。


「もう!!!やめてください!!!」

「はは、ごめんごめん」


 僕はしばらくクッションで何度も体の側面を叩かれ続けた。


 それから落ち着いて、オレンジジュースを二人分、グラスに注いで持って行くと、彼女はそれを一気に飲み干した。


「……ぷはぁ」


 彼女が一息つくと、僕もソファに座った。

 すると「もっと近くに座れ」と言わんばかりに、座面を手のひらで叩くので、僕は彼女の体温が感じられる距離まで近寄った。


「……もう平気?」

「平気じゃないかも……です」

「一人で帰って寝られるか?」

「ば、馬鹿にしないでください。流石にそれくらいは——」

「……半開きのドア」

「あーーー!!!」


 「忘れようとしてたのに!」と美海は僕の肩をぽかぽかと殴りつけた。


「今日はもう一人じゃ寝られません……」


 クッションに顔を埋めながら、弱々しい声で彼女はそう呟いた。


「じゃあ、僕と寝るか?」

「は、はあ!? 何言ってるんですかこのえっち夕浬くんは!!」

「いや……一緒のベッドで寝るんじゃなくて、同じ部屋で寝るってだけだけど……」

「わかってますよ! それくらい!」


 美海は何を狼狽えているのか、顔を真っ赤にして、僕の手からオレンジジュースを強奪して、これまた一気に飲み干した。


「……年頃の男女が夜中に二人っきりだなんて……ふ、不健全です!」

「でも、一人じゃ寝られないんだろ」

「そ、そうですけど!」

「何も変なことをするわけじゃあるまいし、寝顔なら今まで何回も見たし、見られたし、今更困ることなんて何もないだろ」

「で、でも……」


 「うーん」と唸りながら彼女は頭を悩ませる。

 もちろん、僕だって、男女が夜に一緒に寝るのはいかがなものなのか、という常識的な部分は理解しているつもりだ。僕自身、美海のことを異性として意識している部分がないといえば嘘になる。とはいえ、明確に“そういう”シチュエーションにならない限り、僕たちは兄妹か親友のような関係なのだ。今更ロマンチックなハプニングには至らない。


 美海はひとしきり唸った後、何かを諦めたようにため息をついて、口を開いた。


「寝ます……一緒に。怖がらせた責任、取ってください」


 しおらしく口をもごもごさせながらそう言った彼女は、僕の袖をぎゅっと掴んでいた。

 ほんのりとシャンプーの甘い香りがする。


「……風呂入った後でよかったな。流石に風呂は一緒に入れないからな」

「え……水着を着れば問題ないんじゃないですか」

「いやアウトだろ……なんで一緒に寝るのはダメで風呂はいいんだよ……」

「お風呂は健全な場なので」

「……風呂でそういうことになるあれもあるだろ」

「そうなんですか?」

「……そうなんだよ」


 美海は想像以上にピュアだったらしい。


◇◇◇


「ねぇ、まだ起きてますか」

「起きてるよ。っていうか、なんでベッドがあるのに二人とも床に布団敷いて寝てるんだよ……」

「だって……高低差があると近くにいてくれてる感じがなくて怖いですし……」


 美海は一緒に寝ることに対してあれだけ抵抗感を示していたにも関わらず、僕たちは狭い部屋に布団を二枚敷いて、そこそこ至近距離で横になっている。

 すると——


「……おい」


 美海が何食わぬ顔で布団から手を伸ばして僕の腕を掴んできた。


「なんですか」

「なんですかもこうですかもないよ。手を離せ」

「嫌です」


 ぐっと僕の腕を握る力が強くなり、絶対離してやらないという固い意志のようなものを感じた。


「そんなに怖くなるならホラー映画観ようなんて言わなきゃよかったのに」

「だって……だって、想像してた感じと違ったんですもん……」

「想像してたのってどんなだよ」

「なんていうか、もっとこう……フィクションっぽいというか……共感できないようなホラーかと思ってて……」

「つまり?」

「えっと……もしもサバンナでライオンに襲われた経験をしても、家でゴロゴロしてるときにライオンが襲ってくるかもって思わないですよね」

「だな」

「つまり、幽霊だって同じで、何か大層な呪いだか事件だかがあって、特定の条件下におかれた人にしか危害が加えられないものだと思ってたんですよ」


 確かに、大抵のホラー映画に登場する怪異ってそういうものだし、今夜観た映画だって設定的には例外ではない。

 ただ、設定というよりかは見せ方が……なんというか、基本的に既視感のあるチープな演出ではあるものの、ところどころ、実生活でもあったようなと感じさせられるような、妙な質感があった。


「夕浬くんもわかりますよね。なんか、こう、“いる気がする”って感じの絶妙なシーンがあったというか……」

「廊下のやつ?」

「そう、あの半開きのドアに……って思い出させないでくださいよ!」

「自分で言ったんだろ……」


 僕の左腕に美海の爪が食い込む。

 痛い。


「でも、その“いる気がする”って感覚は、腑に落ちた感じがするよ。はっきりと出てくるより、“気がする”方が意識するから実感湧くんだよな」

「そう、それ! ただ襲われるよりも、襲われる気がするって方が不安になりますよね! 目の端に見えた気がするとか、物音がした気がするとか、想像の余地があるから、そこに何者かがいるかいないかとか、自分の身に危険が迫っているかいないかとか、全部自分の意識次第で現実だと思っちゃうんです!」

「急に早口だな」


 漠然と頭の中に抱えていたものを吐き出して、共有することで安心したいのかもしれない。


「夕浬くんだって、そういう経験ないですか。ここの家、人がいない部屋のドアは全部開きっぱなしになってますし。通り過ぎるときに部屋の中に何か人影っぽいものが視界の隅に見えたりとか……」

「あー、言われてみればあるかもな。もしかしてと思って見てみると何もないんだけどな」

「でしょー?」


 僕は幽霊やそれに類似するものに対して、ある程度耐性はある方だ。だが、人間としての本能で、ぼんやりとした何かに不安を覚えることはある。もしかしたら、と。


「今日の映画はそんな感じで“気がする”って思わせる演出がちょっと巧かったんですよね……」


 考えていたことを整理して冷静になったのか、美海の僕の腕を握る力がふっと軽くなった。


「……そうだな。僕は特別怖かったと感じたわけではなかったけど、共感性の高い作品だなとは思った。ただ、端的に言えば大抵の不安は全部気のせいだってメッセージだとも捉えられるし、そう考えると怖くなくなってくるんじゃないか?」

「確かに……。……いや、あの映画は気のせいだと思わせて結局幽霊出ちゃってるじゃないですか」

「あ、そうか」

「もう」


 美海がため息を吐く。


「まぁ、幽霊が出たら、その時はその時でいいんじゃないか。気がするだけの漠然とした不安に対処法なんてないんだし。悪いことが起きたらその時考えればいいよ」

「…………そうですね。とりあえず今夜はそういうスタンスでいることにします。もう眠くなってきましたし……」


 僕たちは二人同時にあくびをした。


「じゃあ、僕も寝るから。怖くなってもこっちの布団入ってくるなよ」

「……入りませんよ」

「どうだかな」


 僕がそう言ってしばらくすると、聞こえてくるのは衣擦れの音と、時計の針が進む音だけになった。



 隣に美海がいるからなのか、妙に神経が鋭くなって、耳に入ってくる音全てが確かな質量を持って伝わってくるような気がした。


「……ねえ」

「…………寝ろよ」

「……なんかうるさい気がします」

「…………わかるけどさ」

「…………やっぱり夕浬くんはベッドで寝てください」

「…………そうだな」


 ……多分、すんなりと合意したのは、お互い同じ感情を抱いている気がしたからだ。

 美海も僕も、うるさく感じたのはきっと部屋の音だけじゃない。

 そして、それが気のせいかそうでないかは、実際に確かめてみるまでわからない。


「なあ」

「……なんですか。静かにしてほしかったんじゃないですか」

「…………いや、ホラー映画の主人公は勇敢だと思ってさ」

「……そう、ですね……?」



 ——結局、僕は半開きのドアの向こう側を覗くことができなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

よろしければ評価等よろしくお願いいたします。

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