08. 公爵令嬢からの呼び出し
……ああ、きっとお咎めを受けるのだわ。フェリクス殿下と昼食をご一緒したことなどがマルグリット様のお耳に入ったのね……。
これはお茶会という名の呼び出しに違いないと心の中で結論を出しながら、授業を終えた午後、私は学園の廊下を歩いている。
向かう先は、お茶会の場所として指定された生徒会長室だ。
主催者である筆頭公爵家のご令嬢マルグリット様は私と同い年の学園3年生、そして生徒会長を務められている。
王族に継ぐ高い身分をお持ちのマルグリット様は、私にとって遥か遠くの存在のお方だ。
もちろん今まで話したこともない。
不意打ちで接することになったフェリクス殿下の場合と違って、こうして正式に招待状を頂きお会いするとなると否応なく緊張感が増す。
お咎めを受けるであろうことが分かっているのだから尚更だ。
……マルグリット様はフェリクス殿下の実質のご婚約者だものね。フェリクス殿下とは何でもないとしっかりご説明して誤解を解かなければ……!
私は自分を奮い立たせ、意気込みながら、到着した生徒会長室の扉をノックした。
すぐに中から扉が開けられ、この前教室に招待状を持って来た女性が私を中へ案内してくれる。
初めて足を踏み入れた生徒会長室は、思った以上に広々しており、執務に必要な机や本棚のほか、応接用のテーブルやソファーも完備されている。
応接用のテーブルの上にはティーセットや様々なお菓子がすでに並べられていた。
そしてソファーにはゆったりと優雅に一人の女性が腰掛けている。
その女性こそ、筆頭公爵のご令嬢マルグリット・フェルベルネ様だ。
よく手入れされたウェーブの豊かな髪、気品溢れる美しい顔立ち、豊満な胸とキュッとくびれた腰が目を引くスタイルの良さ――どこから見ても完璧な佇まいだ。
同い年とは思えない余裕と落ち着き、大人びた雰囲気がある。
高貴な女性とはこうあるべきという見本のような方だ。
そんなマルグリット様を目の前にして、緊張から鼓動が早くなる。
これから何を言われるのか想像するだけで身震いしそうだ。
「よく来てくださったわね。どうぞこちらにお掛けになって?」
艶のある声が私に掛けられ、それに応じて言われるがままに私はソファーに腰を下ろす。
テーブル越しに向かい合うと、上級貴族らしく悠然と構えたマルグリット様は私を見て柔らかく微笑んだ。
……うわぁ、素敵……!
思わず目を奪われ、同性なのに不思議と胸がドキドキしてくる。
それくらい一瞬で相手を引きつける雰囲気のある方なのだ。
「突然お呼び立てしてごめんなさいね。でもあなたとはどうしても一度直接お話させてもらいたかったの」
「いえ、大丈夫です……!」
「それなら良かったわ。せっかくのお茶会ですもの、お菓子も色々なものを取り寄せたのよ。お口に合うと良いのだけれど。遠慮なさらずに召し上がってね」
マルグリット様がそう話す間に先程案内してくれた女性が香り高い紅茶をティーカップに注いでくれる。
どうやらこの女性はマルグリット様のメイドのようだ。
「ありがとう、もういいわ。ここからはシェイラ嬢と二人きりでお話したいから席を外してくれるかしら」
紅茶を淹れ終わったタイミングで、マルグリット様はメイドに退室の指示を出す。
それを受け、メイドは私たちへ一礼すると生徒会長室から出て行ってしまった。
これでこの場にはマルグリット様と私、二人だけだ。
……いよいよ本題というわけね。
私は思わずゴクリと生唾を飲む。
クラスの令嬢達からは色々と言われ慣れているが、マルグリット様はその令嬢達とは明らかに一線を画す存在だ。
そんな方からの一言はやはりどうしても身構えてしまう。
「お察しかもしれないけれど、今日はね、先日あなたのクラスへあなたを訪ねて来た人のことでお話をしたいと思ってお呼びしたの」
その一言を耳にして「やはり」という感想を抱く。
次に続く言葉はきっと「フェリクス殿下とはどういう関係なのかしら?」に違いない。
私は誤解を解くために予め整理しておいた説明を頭の中に思い浮かべながら、マルグリット様からの次の言葉を待った。
だが、ここで予想外のことが起きる。
「リオネルとはどういう関係なのかしら?」
なんとマルグリット様が実際に口にした言葉は私の思っていたものと全く違っていたのだ。
……え? リオネル様?
今のは聞き間違いだろうかと一瞬自分の耳を疑う。
「……あの、今、リオネル様とおっしゃいました?」
「ええ、そうよ」
念のため確認してみてたが、リオネル様で合っていると即座に肯定されてしまった。
……一体どういうこと!?
思いもよらない展開に私は頭の中が真っ白になり、軽く混乱してしまう。
「えっと、あの、マルグリット様のお話というのはフェリクス殿下のことではないのですか……?」
「フェリクス? あんな男のことはどうでもいいのよ。それよりわたくしはリオネルとあなたの関係を伺いたいわ。なぜリオネルがあなたを訪ねたのかしら? そのあたりを詳しくお聞かせいただける?」
実質の婚約者なのだからフェリクス殿下のことが気になるのではないかと思って尋ねれば、マルグリット様は鼻で笑い、フェリクス殿下のことは歯牙にも掛けない様子だ。
むしろ先程までの悠然さはどこへやら、捲し立てるように立て続けに疑問を投げかけてくる。
……べ、別人みたいなんですが……!
「早くお答えになって」と言わんばかりに身を乗り出してくるマルグリット様に呆気に取られ気圧されつつ、私はとりあえずこれまでの経緯を包み隠さず素直にすべて白状した。
最後まで口を挟まず聞いていたマルグリット様は、話を聞き終えると、胸のつかえが取れたようにほぉと安堵のため息を漏らす。
「つまり、リオネルはただフェリクスに振り回されているだけなのね。あなたを訪ねたのもただの代理だった、と。なぁんだ、心配して損しちゃったわ」
こちらが本来の姿なのか、最初の印象と違ってマルグリット様はとても開けっぴろげな性格のようだ。
心配ごとが解消されたことも手伝って、かなり砕けた口調になっている。
「あなたも災難ね。フェリクスなんかに興味を持たれちゃって。あの男、本当に胡散臭いものね。無敵王子とか言われてチヤホヤされているけれど、みんな騙されているわよ」
実質の婚約者であるはずのフェリクス殿下に対しても信じられないくらい辛辣な評価を口にする。
……でも初めてこの状況を災難だって誰かに分かってもらえたわ……! それにマルグリット様のおっしゃる通りよ。確かにフェリクス殿下は顔良し、頭良し、性格良しってすべてが完璧って言われているけれど、性格は少々問題ありよね? 笑いながらなんでも軽くあしらうんだもの……!
思いがけず共感して、私はマルグリット様の言葉に黙ってウンウンと首を縦に振った。
そんな私の様子を見て、何か思うところがあったのかマルグリット様は頬に手を当て、困ったように私を見つめる。
「まあ、でもフェリクスの気持ちも分からなくはないわ。あの男はあれでも王太子だし、見目も良いから、有象無象の女性が集まっちゃうのよね。そんな女性達から色仕掛けされたり、女の武器を全面に出して迫られるのが嫌だってよく嘆いているもの。その点、あなたってそうじゃないでしょう? だから興味を持たれたのよ」
「……それだけの理由でフェリクス殿下が私に興味を持たれるでしょうか?」
「持つわよ。わたくしには分かるわ。だってわたくしもあの男と似たような立場だもの。……リオネルもそうだったから。リオネルは公爵令嬢だからといってわたくしを特別扱いしないの。誰に対しても同じ態度なのよ」
もうここまでくるといくら察しの悪い私でも分かる。
マルグリット様はリオネル様に特別な好意を持っているのだろう。
……まさか公爵令嬢であるマルグリット様が伯爵子息のリオネル様に恋心を抱いているなんて思いもよらなかったわ。上級貴族と中級貴族という身分差があるもの、大変そうよね。それにリオネル様は実質の婚約者であるフェリクス殿下の側近でもあるし。……ん?
そこまで考えて私ははたと一度思考を止める。
今まで聞き流していたが、マルグリット様のこれまでの発言はどう考えてもフェリクス殿下を実質の婚約者だと認識しているものではない。
「あの、つかぬことをお伺いしてもよろしいですか?」
「なぁに? なんでも聞いてちょうだい?」
「先程から”あの男”と何度もおっしゃっているフェリクス殿下は、マルグリット様の実質のご婚約者でいらっしゃいますよね……?」
「ああ、そのことね。フフフッ」
その問いになぜかマルグリット様は悪戯が成功したかのように楽しそうに笑う。
そして二人の結婚は暗黙の了解だと思い込んでいる貴族達が聞いたら目を剥くであろう事実をあっさり打ち明けてくれた。
「実はね、わたくしとフェリクスはお互いにお互いのことを”絶対にない相手”だと思っているの。幼少期から家同士が近しい関係のただの腐れ縁なのよ」
「腐れ縁、なのですか?」
「ええ。だけれど、年回り的にも身分的にも最適な相手だし、周囲からはお似合いと見られているのも分かっているわ。だからわざと噂を否定せずに婚約を匂わせているの。婚約者筆頭と思われているうちは、わたくしにもフェリクスにも婚約者はあてがわれないでしょう? お互いにとってその方が都合が良いのよ」
マルグリット様はたとえ政略結婚だとしても「あの男だけはお断りよ」と実に嫌そうに顔を顰めている。
どうやらその言葉に嘘はなさそうだ。
「あの男に比べてリオネルといったら、とても真面目で誠実なの。ちょっと女心に鈍くて堅物すぎるところはあるけれど、そこもまたいいのよねぇ。ね、あなたもそう思うでしょう?」
「え? あ、はい。そうですね、二度お会いしましたがとても紳士的な方だと思いました」
「そうでしょ、そうでしょ。あなたってとっても見る目があって話の分かる方ね! 気に入ったわ! わたくしたちお友達になりましょう?」
驚きの事実の暴露で口が滑らかになったマルグリット様は、続けて想い人のリオネル様について語り出した。
止める手立てもなく、私は話に合わせて相槌をうつ。
すると大したことを言ってないにも関わらず、なぜか気に入られてしまった。
……ええっ!? なんでこんな展開になっているの!? フェリクス殿下といい、マルグリット様といい、圧倒的に高い身分の方って思考回路がよく分からないわ。
突然降りかかってきた筆頭公爵家のご令嬢からのお友達打診に私はどうしていいものか判断に迷い口ごもる。
ちょうどその時だ。
「お待ちくださいませ……!」
廊下の方からメイドの焦った声が聞こえたかと思うと、ノックもなく唐突に生徒会長室の扉が開け放たれた。
その場に現れたのはフェリクス殿下だ。
断りもなく中へ入ってきて、チラリと一瞬だけ私に視線を送ったのち、マルグリット様に鋭い眼差しを向ける。
対するマルグリットも好戦的な顔つきになっていて、二人の間には火花が散っていた。
「あら? ノックもせずに入ってくるなんて、なんて無作法なのかしら。王太子殿下にも呆れたものね」
「そちらこそ、生徒会と王族の会議をキャンセルしたかと思えば、なんでお茶会をしてるのかな? しかも僕に断りもなく勝手にシェイラを呼びつけるなんて」
「おかしなことを言うのね。彼女はあなたとは無関係なのだから、わたくしがお誘いするのは自由でしょう? それにわたくし達、お友達になったんですもの。そうでしょう、シェイラ?」
……この空気の中、私に話を振るの……!?
高貴なお二人の言い合いに私を巻き込むのは勘弁して欲しいと心の中で叫びながら、私はとりあえず曖昧な微笑みで切り抜けようと試みる。
私が明確に答えないでいると、マルグリット様はさらに言葉を重ねた。
「わたくしはこう見えても情に厚いの。お友達のためであれば全力を尽くすわ。この面倒な男からも守ってあげるわよ?」
「……!! マルグリット様のおっしゃる通りです。私たちはお友達になりました!」
それはフェリクス殿下から距離を取りたい私にとって願ってもない申し出だった。
一瞬で迷いは吹き飛び、即座にこの言葉に私は飛びつく。
「ほらね? ということで、わたくしはお友達と二人、水入らずでお茶会を楽しんでいるの。シェイラもあなたのことはお呼びでないわ。だから邪魔者はここから出て行ってくれるかしら?」
「くっ……」
マルグリット様はシッシッと虫を追い払うような仕草で、苦虫を噛み潰したような顔をしているフェリクス殿下をあっという間に部屋から追い出してしまった。
……す、すごい! あのフェリクス殿下をこうも簡単にあしらってしまうなんて!
「さぁ、シェイラ。予定外の乱入者がいたけれど、気を取り直してお茶会を楽しみましょう?」
「はい、マルグリット様……!!」
こうして私は、対フェリクス殿下において最強に頼りになるお友達を思いがけず手に入れたのだった。