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06. 周囲の反応

「さあさあ、お嬢様。お支度が終わりましたよ。いってらっしゃいませ!」


「はぁ。教室に行きたくないわ……」


学園内にある寮の自室で、私は朝から盛大にため息を吐いた。


せっかく髪をきれいに整えてもらったというのに、化粧台の鏡に映る私の顔はどんよりしている。


鏡越しにメイドのエバと目が合うと、エバは聞き分けの悪い子を前に困ったような眼差しを私に向けてきた。


「お嬢様、そうは言っても今日はテストがあるから休めないと仰っていたじゃないですか」


「そう、そうなのよ。でもこれから起こるだろうことを考えると気が滅入って……」


「もっとシャキッとしてくださいませ。何を懸念されているのか知りませんけど、天国のオリミナ様が今のお嬢様の姿をご覧になったらきっとお嘆きになりますよ」


「はぁい……」


エバは祖母と同年代の年嵩のメイドで、母が子爵家へ嫁入りする時に実家から連れて来た唯一の人物だ。


私も生まれた時から面倒を見てもらっているので、こんなふうに言われてしまうと頭が上がらない。


渋々鏡台の椅子から立ち上がり、私は教室へ持っていく物の確認を始める。


その合間もため息はとめどなく吐き出された。


私がこんなにも憂鬱になっているのは、昨日起こったフェリクス殿下の教室への来訪が原因だ。


あの昼食の後、実は私は午後の授業を休んだ。


教室へ戻れば、フェリクス殿下の登場で興奮冷めやらぬ令嬢達の質問攻めに遭うことが明白だったからだ。


日を跨げば少しは落ち着くはずと淡い期待を抱き、まっすぐ寮へ戻って来たのだった。


貴族の子息子女のみが通う王立学園の寮は、すべて個室となっている。


だからあの後から今朝まで、メイドのエバ以外とはまだ誰も顔を合わせていない。


 ……でも一日経ったとはいえ、絶対に色々言われるわよね。きっと針のむしろだわ……。


はぁと再度大きなため息を繰り出すと、私はエバに見送られ寮を後にした。


◇◇◇


「来たわ、シェイラ様よ!」


案の定、私が教室へ一歩足を踏み入れると、その場に一瞬の静寂が訪れ、次の瞬間にはワッと令嬢達が群がって来た。


「ねえ、なんで昨日王太子殿下がいらしたの?」

「シェイラ様はフェリクス殿下とどういうご関係?」

「次はフェリクス殿下を狙っているわけ? 身の程知らずにも程があるわよ」


次々に投げかけられる質問、邪推、批判。


婚約破棄の噂は一気に上書きされ、王太子殿下の話題に塗り変わっている。


今や誰もが婚約破棄のことなど忘れ去ってしまったようだ。


 ……確かに婚約破棄のことなどみんなの記憶から消え去って欲しいと願ったけれど、これは違うわ。穏やかさのカケラもないもの……!


目の前の令嬢達に、愛想笑いを浮かべながらのらりくらりと対応していた私は心の中で盛大に嘆く。


「皆さん、シェイラ様を問い詰めるのはおやめになって。どうぞ落ち着きましょう?」


ちょうどその時、群がる令嬢達の輪に一際高い声が割って入った。


堂々たる態度で周囲を諌めたその主は、このクラスで一番身分の高い侯爵令嬢のカトリーヌ様だった。


カトリーヌ様はチラリと私に視線を送った後、令嬢達に向かって言い聞かせるように話す。


「少し考えれば分かるでしょう? あの聡明な王太子殿下が子爵令嬢ごときを相手になさるはずがないって。ただご用事があっただけよ」


うふふと笑いながらカトリーヌ様は実に自信たっぷりに悠々と語っている。


その言葉の節々には私への蔑みが滲んでいた。


だけど、当の本人である私は全然気にしていない。


フェリクス殿下との関係を変に邪推されたくない今、むしろこうしてあり得ないと否定してくれて助かる。


「わたくしには王太子殿下が訪ねて来られた理由に心当たりがあるの。ギルバート様がシェイラ様に愛想を尽かしてわたくしへ心変わりされた時にね、実は揉め事にならないようにと王太子殿下がご配慮して婚約破棄の証人になってくださったのよ。おそらくギルバート様への未練からシェイラ様がご不満にでも思っていらして揉め事になりそうなのではないかしら。それを対処するために王太子殿下はわざわざいらっしゃったのだと思うわ。つまりわたくしとギルバート様のためなのよ」


「まあ! そうでしたの⁉︎」

「それで王太子殿下が来られたのですね!」

「納得ですわ」


本当は全く違う――というか何が目的でフェリクス殿下が来たのか未だに不明だが、なるほど一理あると思ってしまう内容だった。


周囲の令嬢達も納得顔になってきている。


「それにね、王太子殿下がシェイラ様を相手になさるなんて万が一にもあり得ないのよ。皆さんも知っているでしょう? あの方のことを」


「そうでしたわ! 王太子殿下にはあの方がいらっしゃいますわね」

「ええ、正式にご婚約はされていなくとも、実質のご婚約者ですものね」

「フェリクス殿下とあの方はすべてにおいてお似合いですもの!」


このカトリーヌ様の一言で熱が冷めたように一気に令嬢達の興奮が鎮静化した。


私を囲んでいた令嬢達は、一人、また一人と輪から抜けていき、私はようやく解放される。


「うふふ。ですので、勘違いしないことね。身の程にあったお相手をお探しになった方がよろしくてよ?」


最後にカトリーヌ様は私に視線を留め、馬鹿にしたように嘲笑いながらそう告げると、自分の席へ戻って行った。


その場に取り残された私は思いがけない展開に少々呆気に取られつつも、ホッと胸を撫で下ろす。


 ……良かった。どうなることかと思ったけれど、カトリーヌ様のおかげでもうこれ以上、王太子殿下のことで私に何か言ってくる人はいなさそうね。


おそらくカトリーヌ様としては私を貶めたかったのだろうが、私にとっては救いの神だった。


婚約破棄もカトリーヌ様のおかげだし、本当にありがたい限りである。


 ……フェリクス殿下が教室に来る心配もないし、これで一安心ね。それにカトリーヌ様の言う通り、フェリクス殿下にはあの方がいらっしゃるんだもの。


そう思い、私はあの方の姿を思い浮かべる。


あの方とは、父親に宰相を持つこの国の筆頭公爵家のご令嬢マルグリッド様のことだ。


遠目に見かけたことがあるだけだが、落ち着いた雰囲気のとてもお美しい方だった。


現在生徒会長を務められており、この学園で誰よりも身分の高いご令嬢だ。


そしてマルグリット様こそがフェリクス殿下の婚約者候補の筆頭なのだ。


身分も、家柄も、年齢もすべてがお似合いのお二人であるため、貴族達の中ではお二人の結婚は暗黙の了解となっている。


 ……これまでのフェリクス殿下の言動は不可解この上ないけれど、マルグリット様がいらっしゃるのだから、これ以上私があれこれ考えるのはきっと杞憂ね。


そんなふうに現状を楽観視し、私は自席へと腰掛ける。


だが、この現状認識は甘かったらしい。


私がそれを思い知ったのは、それから数週間後のことだ。


すっかり噂も消え去り、穏やかな日常が戻って来たと思っていた最中。


また教室へ招かざる来訪者がやって来た。


もちろんフェリクス殿下ではない。


では誰かと言えば、先日一度お会いしたリオネル様だった。


そう、言わずと知れたフェリクス殿下の側近だ。


リオネル様がフェリクス殿下の側近であることは周知の事実であるため、リオネル様が私を呼んでいるとなれば、それをフェリクス殿下に結び付けるのは至極当然の思考回路である。


これによりまたしても教室内がザワザワと騒めき出し、注目を浴びてしまった。


 ……確かに約束通り本人は来てないけれど、フェリクス殿下の側近として知られている人が来たら同じだわ……!


やや申し訳なさそうな顔をするリオネル様を前に、私は頭を抱えるしかなかった。


さすがにちょっと文句が言いたくなって、リオネル様に連れて行かれた王族専用の部屋でフェリクス殿下に会った時、私は丁寧な口調を維持しながらも精一杯の抗議をした。


だというのに……


「ふふ、ごめんね。でもシェイラとの約束は守ったよ?」


楽しそうにニコニコ笑ったフェリクス殿下に軽くかわされてしまう。


全く響いていない上に、「そんなことよりコレ」と言ってなぜかセイゲル共和国のガラス細工の品物を贈られた。


窓際に吊るすことで太陽光を反射させ、虹色の光を生み出すサンキャッチャーというものらしい。


水の雫のようなガラスが複数連なっていて、吊るしていなくてもとても綺麗だ。


エーデワルド王国では見たことがない品物だった。


 ……セイゲル共和国の珍しい品物を戴けるのは嬉しいけれど、このような物を私に? 婚約者のような存在のマルグリット様が気分を害されなければいいのだけど、大丈夫なのかしら……?


私が心配することではないのだが、少々気になってしまう。


それにこうして何度も呼び出され、さらには贈り物までもらい、ようやく私はどうやら自分がフェリクス殿下に好意を持たれているようだと気づき始めた。


興味の対象というより、異性として好意を向けられているように感じたのだ。


 ……本気でどうしよう。ギルバート様以上に高貴な方なのに。身の丈に合った穏やかな生活からどんどん遠ざかっていくわ……。


フェリクス殿下との面会を終え、この先を思い描いてどうすべきか私は苦悩した。


どのようにしてフェリクス殿下から距離を置くかを頭の中でぐるぐる考える。


そんな私のもとに、またしても招かざる来訪者はやって来た。


今度はフェリクス殿下でも、リオネル様でもない。


面識のない一人の女性だった。


20代半ばに見えるため、おそらく生徒ではないと思われる。


その女性は私へ一通の手紙を差し出した。


受け取って中身に目を通すと、それはある方からのお茶会の招待状だった。


ある方――公爵令嬢のマルグリット様だ。


そう、私はフェリクス殿下の婚約者候補筆頭であり、実質の婚約者であるマルグリット様からついに呼び出しを受けてしまったのだった。

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