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05. 王太子様の来訪

あの庭で王太子殿下と出くわしてから数週間が経った。


あれから一度もあの庭には行っていない。


そのせいで、教室での居心地の悪さから逃げ出すこともできないでいる。


婚約破棄による令嬢たちからのくちさがない噂や批判は依然として続いているのだ。


よく飽きずに話題にできるものだと逆に関心してしまうが、どうやら私が捨てられたのが相当良い気味だったらしい。


令嬢たちの私に対する妬みはかなり根深そうだ。


カトリーヌ様がギルバート様との仲睦まじい出来事を自慢げに教室内で話しているのも拍車をかけていると思う。


ギルバート様の話になれば関連して自然と私との婚約破棄に話の矛先が向くからだ。


婚約破棄のことなどみんなの記憶から消え去り、早く心穏やかな日々が訪れて欲しいと私は願うばかりだった。


そしてその願いの一部分についてはある日突然叶ことになる。


予想を超えた形で。



◇◇◇


「ここって三年のAクラスだよね? シェイラ嬢はいるかな?」


それは本当に何の前触れもない不意打ちの出来事だった。


昼食の時間を迎えた教室に突然王太子殿下がやって来たのだ。


教室の入り口近くにいた令嬢を呼び止め、私の所在を尋ねたことで、瞬く間に辺りは騒然となる。


ここにいるはずのない人物がいるのだから当然だ。


しかも私たちの学年は王太子殿下と在学期間が重なっていないので、夜会で遠目に姿を見たことはあっても、ほとんどの人がこんなに間近で目にするのは初めてだった。


思わず息を呑むほどの美貌と圧倒的な存在感を放つ王太子殿下を前にして、誰もが魅せられている。


ある者はその場に固まり、ある者は顔を真っ赤にして瞳を潤ませ、ある者は興奮に黄色い声を上げた。


教室の奥の方にいた私は、入り口付近がなにやら騒がしいなと思い視線を向け、その時になってようやくそこに王太子殿下がいることに気がついた。


そして同時に「王太子殿下があなたを呼んでいる」と呼びに来た令嬢がいたことにより、来訪の目的が私であることを知る。


驚いて入り口を二度見すれば、王太子殿下と目が合った。


すると王太子殿下はにこっと笑って、私に向かって手まで振ってくる。


それによってその場にいた全員の視線が一瞬にして私に集まってしまった。


無駄に注目されて居た堪れない。


呼ばれているからには行かなければならないが、嫌でたまらなかった。


逃げ出したくなる気持ちを必死で抑え、私は渋々その場から立ち上がり入り口へと向かう。


全身にみんなの視線が突き刺さった。


 ……あの庭にさえ行かなければもう二度と王太子殿下と接触するようなことはないと思っていたのに……。確かにあの時「またね」とは言われたけれど、まさかこんな形になるなんて。なんで王太子殿下は私に構ってくるのかしら……?


王太子殿下の狙いが全く分からない。


ますます苦手になりそうだと内心思いながら、私は王太子殿下の目の前まで辿り着いた。


「……お待たせいたしました。どのようなご用件でしょうか?」


「用件らしい用件は特にないんだけど、少し話せないかなと思って。一緒に昼食でもどう?」


王太子殿下はごく当たり前に軽い感じで食事に誘ってくる。


こんなに人目があるところで、こんなふうに王族が一貴族令嬢を誘ってしまって大丈夫なのだろうか。


にわかに心配になるが、これ以上ここで王太子殿下と言葉を交わすところを衆目に晒されるのは耐え難かった。


それなら昼食でもなんでもいいから、ここから一刻も早く立ち去りたい。


「…………分かりました」


「本当? それは嬉しいな。じゃあちょうどいい場所があるからそちらへ移動しようか」


「はい」


王太子殿下が入り口から廊下へ歩き出し、私もその後ろに続く。


廊下でもすれ違う人々から好奇の視線を投げかけられ、走り出したい気分に駆られた。


つい速足になってしまい、行き先も知らないのに思わず王太子殿下の腕を引っ張りたくなった。


到着した場所は初めて入る部屋だった。


王太子殿下によると王立学園内にある王族専用の部屋だという。


王族が学園を訪れた時に自由に使って良いことになっているそうだ。


「昼食は準備してあるから中へどうぞ」


そう言って微笑みながら、王太子殿下自らが扉を開けて、先に私を室内へ通してくれる。


流れるような自然なエスコートだ。


そのそつがない仕草に王太子殿下の優秀さを感じる。


「お待ちしておりました、フェリクス様。そしてようこそアイゼヘルム子爵令嬢」


部屋の中に入ると、そこには一人の男性がいて、私の姿を目に留めるなり、私にまで恭しく声を掛けてくれた。


王太子殿下の側近で伯爵家嫡男のリオネル様というらしい。


夜会などでもお会いしたことがなく、私は面識がなかったので改めて彼と挨拶を交わす。


それにしても部屋の中へ目を向けると、テーブルの上にはすでに食事が並べられていて、準備がばっちりな状態だ。


その様子から察するに、王太子殿下は最初から私を昼食を誘うつもりだったように見受けられる。


 ……それなら教室に来ずとも、せめて手紙で誘うなどもう少し目立たない形にして欲しかったわ。


そんな感想が浮かぶも、よく考えればその方法だと私は断っていた可能性が高い。


衆人環境で断りづらかったからこそ、今私はこの場にいるのだろう。


 ……もしかしてそれも予め考慮して、わざわざ教室まで来られたのかしら? ううん、まさかね。きっと気のせいだわ。これは王太子殿下のただの気まぐれよね……!


もし計算されていたのだとしたらと考えると身震いする。


そこまで王太子殿下に興味を持たれる理由が分からない。


独り言の盗み聞きだけでは説明がつかないように思う。


 ……厄介な事になったけれど、無難に昼食をご一緒して穏便に終わらせるしかないわ!


「じゃあ頂こうか。好きなだけ食べてね」


テーブルを挟んで向かい合わせに座った私たちは、王太子殿下のその一声により、食事を始める。


サンドウィッチとスープが中心のメニューだ。


王族が召し上がる食事を口にする機会なんて二度とないだろうから、この際遠慮なく賞味させてもらうことにした私は、次々に色んなサンドウィッチを味わう。


高級な食材を使っているからか、料理人の腕が良いからなのか、どれもこれも頬っぺたが落ちそうなくらい美味しい。


特にこのローストビーフがメインとなったサンドウィッチが最高だ。


クリームチーズとレタスとの組み合わせが絶妙でいくつでも食べられそうだった。


あまりの美味しさに、目の前に王太子殿下がいたことを私は半ば忘れ去っていた。


「……ふっ、ふふふ」


それを思い出したのは、耐えかねたような忍び笑いが鼓膜を震わせたからだ。


ぱっと顔を上げて目の前を見れば、王太子殿下が喉の奥で押し殺すように笑っていた。


「あの……?」


「いや、ごめんごめん。ちょっと面白くて。君は本当にローストビーフが好きなんだね」


「え? あ、はい。とても美味しいですので」


「そう、気に入ってもらえたようで良かった。……ふふっ」


普通に食事をしていただけなのに、どこに面白い要素があったのだろうか。


王太子殿下の笑いのツボが謎すぎる。


やっぱりこの王太子殿下はよく分からない。


「そういえば前から聞きたかったんだけど、君はなんでセイゲル語を勉強しようと思ったの? 貴族令嬢では珍しいよね」


「それは……」


一通り笑い終わった王太子殿下は、息を整えるために水を一口飲むと、話題を切り替え今度は割と真面目な質問を投げかけてきた。


その問いに一瞬言葉が詰まる。


亡き母にまつわることは親しくもない王太子殿下に話したくないと思ったからだ。


「……その、たまたまセイゲル語の参考書を手にする機会がありまして。それで特にこれといった理由はないのですが、なんとなく面白そうかなと思い、軽い気持ちで始めました」


結局、母の夢や遺品であることには言及せずに答えた。


でも嘘はついていない。


なんとなく始めたというのは事実だ。


「へぇ、そうなんだ。軽い気持ちで始めたにしては続いたんだね。僕はセイゲル共和国に留学するにあたって勉強したんだけど、結構大変だったな。文法が全く違うから文章を組み立てるのが難しいからね」


「分かります。私もそこは苦戦しました」


「やっぱり。セイゲル語学習者ならみんな同じ壁を感じるのかもね」


「あの、セイゲル共和国は商業国家として有名ですが、やはり珍しいものが多いのですか? 留学されていかがでしたか?」


語学で同じ苦労を経験したという多少の親近感を感じたこともあり、その流れで私はつい自分から王太子殿下に質問を口にしていた。


亡き母の夢がセイゲル共和国へ買い付けに行きたいというものだったゆえに、どのような物があるのか興味があったのだ。


「珍しいものは多かったよ。例えば海産物とかね。我が国は内陸部の国だから海がないけど、セイゲル共和国は大きな港があるから船を見るだけでも物珍しさは感じられるかな。あとガラス細工なんかも素晴らしかったよ」


話を少し聞くだけで、エーデワルド王国とは全く違う雰囲気の国であることが窺い知れる。


 ……お母様は、この海上での交易で栄える商業国家に行ってみたかったのね。確かに商人にとってはとても刺激的な国のようだわ。


実際に訪れたことがある人から話が聞けるのは貴重な機会だった。


母が抱いた夢への理解が深まり、なんだか嬉しくなった私はどうやら無意識に少し微笑んでいたらしい。


「……君が笑ってるところ初めて見たかも」


そうポツリと王太子殿下が漏らしたことで、マジマジと顔を覗き込まれていたことに気がつき、私はハッとして顔を引き締める。


「失礼いたしました」


「なんで謝るの? むしろもっと見せて欲しいんだけどな」


意味不明なことを述べられたので、私は無理やりニコリと笑って見せた。


だが、どうやらそれではお気に召さなかったらしい。


「まあ、今日のところはいいや」


諦めたようにそう短く述べた王太子殿下は突然話を変え、次にこんなことを言い始めた。


「ところでこうして一緒に食事をしたことだし、仲良くなったということで今後は君のことを名前で呼んでいいかな? もちろん僕のことも名前で呼んでくれて構わないよ」


仲良くなったつもりはないのですが……と心の中で思わずツッコミを入れてしまった。


それに王太子殿下を名前で呼ぶだなんて、周囲からあらぬ誤解をされそうで絶対に嫌だ。


「えっと……」


「いいよね、シェイラ? 僕のこともフェリクスと呼んで欲しいな」


口籠もっていたらいつの間にか許可を出した形になってしまっており、王太子殿下の形の良い唇が私の名前を紡ぐ。


 ……これ、他の令嬢たちに聞かれたら、絶対にまた嫉妬をされてしまうわ。


無敵王子として名高い別格の存在に、親しげに名前を呼び捨てにされるのだ。


下手したら国中の女性から殺意を抱かれても不思議ではない。


「あの、王太子殿下。一つお願いがあるのですが」


「なにかな? 名前で呼んでくれたら聞くよ?」


「……………フェリクス殿下。……お願いですから、本日のように教室へ来られるのは控えて頂けませんか? 騒ぎになりますし、人の目もありますので」


「分かった。シェイラが名前を呼んでくれたのに免じて約束するよ」


そう言ってフェリクス殿下は満足そうにニコリと笑った。



こうして私はなんとか無事に昼食を終え、王太子殿下の名前を口にすることと引き換えに教室への来訪を阻止することに成功したのであった。


だが、それが何の意味もない無駄な抵抗であることを私はまだ知らない。

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