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01. 亡き母の教え

「シェイラ、あなたは必ず身の丈に合った結婚をして幸せになってね。身分違いの結婚は不幸なだけだわ。絶対私のようになってはダメよ?」



亡き母は、物心ついた頃から私に何度も何度もこの言葉を繰り返し言い聞かせた。


まるで絵本の読み聞かせのように母の口から紡がれる言葉。


幼い頃はその意味がよく分からなかった。


だけど、成長と共に母の境遇を知るにつれ、それは母の経験をもとに語られる深い教訓なのだと私は理解した。


母はとても美しい人だった。


繊細で儚げな雰囲気のある美貌を持ち、微笑む姿は少女のような可憐さで世の男性を魅了する。


その魅力に心を奪われた男性の一人が私の父である若き日のアイゼヘルム子爵だ。


父はお忍びで訪れた城下町の店先で看板娘だった母に一目惚れし、なんとしても自分の妻にしたいと婚姻を申し込んだ。


二人はそのまま結婚が決まり、母はアイゼヘルム子爵夫人となる。


政略結婚が多い貴族において、これほど望まれて妻に迎えられるというのは、一見するととてもロマンティックな馴れ初めだ。


だが、これはそう単純なものではない。


実は母にはこの時結婚を約束した恋人が他にいたのだ。


それなら父からの申し込みは断れば良かったのにと思うだろうが、断れなかったのだ。


いや、断る選択肢がなかった。


なぜなら母は平民で、父は貴族だったからだ。


母の実家は比較的裕福な商家ではあったものの、平民は平民であり、貴族からの要望を無碍に拒否する力はなかった。


それに娘の気持ちを抜きにして考えれば、商売の観点からは、婚姻をキッカケに子爵家と縁ができるという価値があった。


断る選択肢がない上に価値のある婚姻は受け入れざるを得ず、母は恋人との約束を果たせず、子爵家へ嫁ぐことになったのだ。


愛する恋人と別れて失意の中子爵夫人となった母を待ち受けていたのは、過酷な日々だった。


というのも、父は母を溺愛していたが、子爵家の中では発言力が弱かったからだ。


家を仕切っていたのは父の母――つまり私の祖母だったのだ。


父は子爵家当主ではあるものの、次男であり、もともと爵位を継ぐ予定はなかったため、家のことはサッパリという実情だった。


不慮の事故で本来家を継ぐはずだった長男が亡くなり、代わりに当主となった父を、前子爵夫人の祖母が実質の当主として支えていたのだ。


子爵家に嫁入りした元平民の母は、この祖母にそれはそれは厳しく教育され、さらには後継となる男児を産めとプレッシャーをかけられる日々を過ごした。


ただ、態度や言葉が多少キツイ部分はあるものの、祖母が完全な悪者というわけではない。


祖母は祖母で姑として、当主代行として、矜持を待ってその責務を果たしたに過ぎないのだ。


「身分違いの家に嫁ぐと常識が違いすぎて覚えることばかり。本当に本当に大変なの。シェイラにはそんな苦労をして欲しくないわ。身の丈に合った生活が一番よ」


経験に裏付けされた実感のこもった母の言葉の数々は、私の心の奥深くに浸透していく。


幼い頃から幾度となく言い聞かせられていた上に、実際に母の苦労を間近で見ていれば、それも当然のことだった。


だから、母が亡くなった年に行われた15歳のデビュタントの後に祖母と父から告げられた台詞を耳にした時には絶句してしまった。


◇◇◇


「お聞きなさい。あのバッケルン公爵家からシェイラに婚約打診が来たわ。ご子息のギルバート様がシェイラを見初めてくださったのですって。なんて光栄なことかしら! 我がアイゼヘルム子爵家が公爵家と縁続きになれるなんて!」


「母上の申される通りだ。あちらにはすでに快諾の返答をしてある。すぐにでも正式に婚約が整うだろう」


ここエーデワルド王国では、貴族の子女は15歳になると正式に社交界デビューとなり、お披露目となる舞踏会デビュタントが開催される。


それがつい先日の出来事だ。


私も例外なく出席した。


あまり華々しい場所は好きではないが、こればっかりは貴族の決まりみたいなものなので拒否できない。


この日を迎える少し前に母を亡くしたばかりだったため、とてもじゃないが舞踏会を楽しむ気分ではなく、ただ義務的に参加したのだ。


話し掛けてくる人々を愛想笑いであしらい、なんだかんだと理由を付けてダンスを避け、ほとんど壁の花に徹していた。


それなのにこんな婚約話が舞い込んでくるなんて想定外も想定外。


しかも相手は公爵子息だという。


身分違いも甚だしい。


王族を頂点とし、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵の順番で爵位は並んでおり、身分もそれに準じて高くなる。


公爵、侯爵は上級貴族と位置付けられ、中でも公爵家は王家の血が混じる由緒正しき家柄であり、王国内に四家しかない高貴な存在だ。


普通は下級貴族である子爵家とは縁を結ばない。


あり得ない婚姻打診だった。


 ……確かにギルバート様とは少しだけ言葉を交わした記憶はあるけれど、挨拶程度だったのに。見初められる……? なんで……?


「わたくしも最初は驚いたわ。まさか公爵家から申し出を頂けるなんて。ギルバート様がシェイラに一目惚れなさったそうよ」


「母上、我が娘はオリミナ譲りの美貌ですから。ギルバート殿から見初められるのも不思議ではありません。私がオリミナを一目見て、今すぐ手に入れたいと思ったのと同じ衝動でしょう。実に気持ちが分かります」


「あの時のあなたには本当に困らされたわ。平民の娘を妻にしたいだなんて言い出して。認めてくれなければ家を出ると騒ぎ出すのだから。家の存続のために渋々許可を出したけれど、本当に頭が痛かったわよ」


「それくらいオリミナと結婚したかったのですよ」


「結局、我が家の後継となる男児を産んではくれなかったけれど、公爵家の子息に見初められる娘を産んだことだけは功績だわね」


突然舞い込んできた予想外の婚約者打診に言葉を失っている私をよそに、祖母と父は二人で会話を繰り広げる。


そのやりとりから、どうやら私は母と全く同じ道を辿ろうとしていることが察せられた。


つまり、父が母に一目惚れして平民の娘を子爵夫人にしたように、私も公爵家という身の丈に合わない相手との結婚をすることになりそうだということだ。


 ……自分のように苦労して欲しくないと、お母様があれほど私に忠告してくれていたのに。公爵家に嫁ぐなんて絶対に嫌だわ。


ただ、どんなに拒否したくとも、それはもう手遅れだ。


父が先程言っていた。


すでに先方へ快諾の返答をした、と。



「来月から入学する王立学園では婚約者として過ごし、シェイラが18歳になって卒業した後に結婚という予定だそうよ」


「ギルバート殿はシェイラの一つ年上だから、二年も共に婚約者として王立学園で過ごせるというわけだ。仲良くしなさい」


すでに結婚までの具体的な計画も経っているようである。


エーデワルド王国では、15〜18歳の貴族の子息子女は、王都にある王立学園に三年間通うことになる。


18歳での卒業とともに成人と見做されるのだが、それまでに学園で貴族として必要な教養を学び、人脈を築くのだ。


同時に妙齢の男女が集うこの学園での日々は絶好の伴侶探しの場でもある。


だが、デビュタント直後――学園が始まる前の婚約は、対象から外されることとなる。


売約済みを意味するのだ。


 ……こうなったら、卒業までの学園生活の中でギルバート様の心が他の令嬢に向くように立ち回るしかないわね。


公爵家との婚約を、立場が下である子爵家から破棄することは不可能だ。


身の丈に合わない結婚を避けるためには、ギルバート様の方から婚約破棄を申し出でもらう必要があると私は結論付けたのだった。



そしてあの決意の日から二年が経った。


私は17歳、王立学園二年の終わりを迎えており、もうすぐ最終学年だ。


婚約者であるギルバート様は18歳、まもなく卒業して、王宮勤めの予定となっている。


つまり、私たちの結婚まで残すところ後一年というわけだ。


この二年、ギルバート様の婚約者として日々を王立学園で過ごしてきたが、それはそれは大変な日々だった。


子爵令嬢が公爵家に嫁ぐというのは異例の玉の輿であり、令嬢達の羨望の(まと)だ。


しかもギルバート様はその身分と見目の良さから社交界の人気者。


それゆえ、令嬢からの嫉妬が凄まじい。


特に私より身分の高い令嬢はこの婚約を妬んでおり、目の敵にされた。


私の存在自体が不愉快なようだ。


嫌味を言われたり、細々と嫌がらせを受けたり、まだ結婚したわけではないのに、婚約だけでこの事態だった。


 ……お母様の教えが身に沁みるわ。きっと結婚すれば今以上に苦労の連続のはず。身分違いの結婚は不幸になるだけね。絶対に回避しなければ……!


ますます私は亡き母の教えに深く共感し、ギルバート様の心を他に向けるべく奮闘した。


具体的には、ギルバート様と一緒にいる時は口数を少なくして、無口な女を演じた。


加えて、恋人らしい触れ合いも何かと理由をつけてやんわりと避け続けた。


なぜならギルバート様が愛嬌のある女性が好みであり、尚且つ恋人としての触れ合いを望んでいると知っていたからだ。


もともと私の容姿だけで婚約を決めた人だ。


外見を最も重視しているのは自明のこと。


だが、全く中身を気にしないということはないと思う。


母の時は否応なくすぐに結婚だったものの、幸いにも私には婚約という結婚までの猶予期間がある。


だからこそ、この期間で「この女は容姿だけで中身がなくつまらない女だ」と思わせたかった。


結果から言うと、この策は狙い通り上手くいった。


次第に私と過ごす時間が減っていき、ギルバート様は自分に群がる他の令嬢との時間が増えていった。


その中でも私をなにかと敵視してくる侯爵令嬢のカトリーヌ様と親密な様子だった。


カトリーヌ様は笑顔が素敵な明るい性格の令嬢だ。


無口な私と違って会話が弾む上に、男女の触れ合いも許してもらえるとなれば、ギルバート様の心が傾いていくのも自然な流れだった。


そうして、ようやく、ようやくだ。


「シェイラ、君との婚約は破棄させてもらう。容姿だけしか取り柄のない君は、次期公爵である俺には相応しくない」


今、私は念願の婚約破棄をギルバート様から告げられている。


他の生徒が寄りつかず落ち着くため、私が普段一人で過ごす場所として愛用している学園内の庭で、二人が熱い抱擁と口づけを交わしているのを目撃し、その流れでギルバート様から婚約破棄を口にしたのだ。


他の令嬢に心変わりされ、婚約破棄を申し渡されているという不名誉な場面だというのに、私の心は歓喜に沸いていた。


 ……二年、実に長かったわ……! この瞬間を待ち望んでいたのよ……!!


喜びから今にも踊り出したい気分ではあったが、それを表には決して出してはいけない。


あくまでも公爵令息様からの突然の婚約破棄に衝撃を受け、悲しみに暮れる私を演じなければならない。


最初からこれを狙っていたと露呈しないように。


「……ええ、分かっております。お二人の邪魔をするつもりはありません。私は身を引き、ギルバート様との婚約破棄を受け入れます」


私はこれでもかというくらい悲しげな表情を作り、言葉を絞り出すように述べる。


きっとさぞ傷心の令嬢に見えることだろう。


自分で自分の演技に心の中で称賛を贈りつつ、私はその場からさっさと去ろうと一歩を踏み出そうとした。


その時だった。


「その婚約破棄、バッケルン公爵家とアイゼヘルム子爵家が後から揉めないように僕が証人になってあげるよ」


背後から耳触りの良い声が聞こえてきて、その場に予想外の人物が現れる。


驚いて振り返れば、そこに立っていたのはフェリクス王太子殿下だった。


私より三歳年上である王太子殿下とは、学園の在籍期間が重なっていない。


でもその存在自体はもちろん知っている。


類稀なる美しい容姿、的確に物事を判断する聡明さ、人当たりが良い温和な性格、剣の腕も一流だという強さ。


欠点らしい欠点がなく、「無敵王子」と名高いからだ。


 ……そんな王太子殿下がなぜここに? もう卒業して生徒でもないはずなのに?


同じ疑問を感じたのであろう。


「お、王太子殿下……⁉︎」


「なぜこちらに……⁉︎」


ギルバート様とカトリーヌ様も先程までの勝ち誇った表情から一転、驚きを顔に宿しながら王太子殿下に問いかけている。


「悪いね。偶然通りかかり先程の会話を耳にしてしまって、つい口を挟んでしまったんだ。なにしろ当事者だけで口頭で確認した婚約破棄は揉め事の種になりがちだからね。第三者として王族である僕が証人になってあげようかと思って。どうかな?」


王太子殿下はそう説明すると人好きのする笑顔を私たちに向けた。


もちろん王族からの善意の申し出を断れる立場の者などこの場にはいない。


それに下級貴族で立場の一番弱い私にとっては、非常にありがたい話ではある。


これであとからこの婚約破棄によって子爵家が不利になるということはないだろう。


「じゃあ、改めて整理するね。バッケルン公爵子息ギルバートは、今日この時をもってアイゼヘルム子爵令嬢のシェイラ嬢との婚約は破棄し、ストラーテン侯爵令嬢のカトリーヌ嬢を新たな婚約者に望むということで間違いないかな?」


突然の出来事になんと返答していいか分からず誰しもが呆気に取られて無言を貫く中、それを無言の肯定と捉えた王太子殿下はどんどん話を進めていく。


当事者であるはずの私たちは、軽やかにその場の空気を支配する王太子殿下のペースに乗せられ、ただコクリと頷いたのだった。

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