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〈閑話〉気に食わない女(Sideカトリーヌ)

 ……せっかくあの女からギルバート様を奪ったのにめちゃくちゃよッ!!


夜会から侯爵邸の自室に帰って来ると、わたくしは怒りに任せて手に持っていたクラッチバッグを床に投げつけた。


弾みで留め口が外れ、中に入っていた口紅や香水、ハンカチが散らばり出す。


「カトリーヌ様!? どうなされたのですか!?」


目を丸くしたメイドのジェマが慌てて床に散らばった物を拾い出した。


その様子を見下ろしながらわたくしは思う。


 ……子爵令嬢ごときはジェマのように侯爵令嬢であるわたくしに見下ろされているべき立場なのよ。なのに、あの女ときたらッ!


ふつふつと怒りが込み上げてきて、わたくしは目に入ったものをまた投げつけた。


わたくしがこのように荒れているのには理由がある。


それは夜会で耳にした屈辱的な話のせいだ。


◇◇◇


今夜わたくしが出席したのは、最近領地の経営が黒字続きで資金に余裕がある某伯爵家が主催した夜会だった。


侯爵令嬢であるわたくしにとっては伯爵家など格下だ。


けれどその資金力は侮れないとあって、我がストラーテン侯爵家は友好的な関係を維持する方針であることもあり招待を受けた。


もちろんパートナーは婚約者のギルバート様だ。


バッケルン公爵の嫡男という身分とその麗しい見た目から社交界で女性達から絶対的な人気を誇るギルバート様にエスコートしてもらうのは実に気分がいい。


女性達からの羨望の視線を一身に集められる。


羨ましそうにわたくしを見つめる女性達に囲まれる中、ギルバート様の視線を独占するのはわたくしただ一人。


ギルバート様はわたくししか目に入らないというように甘い眼差しで愛を囁き、人目がない時には熱い口づけをしてくれた。


あの女――シェイラ・アイゼヘルムからギルバート様の婚約者の地位を奪ってからというものの、熱愛を繰り広げるわたくし達は夜会に出席するたびに話題の中心だった。


だというのに、一体いつから潮目が変わったというのだろうか。


最初はギルバート様のわたくしへの態度が少し素っ気ないものになった。


恋愛結婚をしているお父様とお母様を身近に見ていたわたくしは、たとえ愛し合っていようともいつまでも熱々ぶりが続くわけではないという現実を知っている。


だからギルバート様の態度にも特に大きな違和感を抱かなかった。


まだ婚約したばかりのため多少早くはあるけれど、少し気持ちが落ち着いたのかしら、と思った程度だった。


なにしろ婚約者のいたギルバート様にわたくしが積極的に迫り、ギルバート様の心を激しく燃え上がらせたのだから。


激しさが穏やかさになったと思えば、おかしなことはない。


ただ、次第にギルバート様はあの女とわたくしを比べるような発言を度々するようになった。


「シェイラは◯◯だった」

「シェイラなら◯◯してくれる」

「シェイラだったら◯◯しない」


口を開けば、シェイラ、シェイラ、シェイラ!


あんな格下の女と比べられるだけでも業腹だというのに。


なにかとあの女と比較してくるギルバート様に腹が立ち、わたくしの方もだんだんとギルバート様から心が離れていく。


それに比例してわたくし達の関係はギクシャクし出してしまった。


そんな頃に出席したのが今夜の夜会だった。


久しぶりにギルバート様と共に夜会に出席したのだけど、以前とは周囲から向けられる視線が変わっていた。


以前のような羨望の眼差しは一切ない。


感じ取ったのは憐れむような視線だ。


なぜ侯爵令嬢であるわたくしがこのような視線を向けられなければならないのかと苛立つ。


その理由が分かったのは、ギルバート様から離れてお手洗いへ行った時だ。


「カトリーヌ様をご覧になった?」


「ええ、もちろん。憐れなお方よね。せっかく略奪してギルバート様のご婚約者になったのに、ギルバート様はシェイラ様とよりを戻したいと口にされているのでしょう?」


「そうらしいわ。シェイラ様への未練がたっぷりなんですって。婚約破棄したことをひどく後悔なさっているみたいよ。社交界ではもう誰でも知っている噂になっているわ」


「手に入れた婚約者の気持ちを繋ぎ止められないなんて、カトリーヌ様はきっと魅力に欠けるお方なのね。結局シェイラ様に負けたようなものだわ」


クスクスと馬鹿にするように笑いながら、わたくしのことを女性達が話しているのを偶然耳にしてしまった。


その内容に愕然としてしまう。


こんな噂が社交界で知れ渡っているなんて、わたくしの立場がない。


このわたくしが嘲笑されるなんてあってはならないことであり、とても許容できるものではない。


周囲に向けてあの女への未練を口にしているというギルバート様にも腹が立つ。


「そういえば、シェイラ様といえばあの噂はお聞きになりました?」


「あの噂? いいえ、知らないわ。ぜひ聞かせてくださらない?」


「実はシェイラ様は最近フェリクス殿下と二人きりで会う仲になっておられるそうなの。先日ナチュールパークでお二人がデートしているのを見たという方がいるのよ」


「まあ! フェリクス殿下と!? フェリクス殿下はてっきりマルグリット様とご結婚されるものとばかり思っていたわ」


「ええ、私も同じでしたわ。でもシェイラ様はギルバート様に続き、フェリクス殿下のお心まで掴んでしまわれたみたいなの」


「さすがですわね。ギルバート様と婚約を破棄をされた時にはせっかくの玉の輿を逃すなんて運のない方だと思いましたけれど、さらにその上をいく相手に見初められるなんて。カトリーヌ様はさぞお悔しいでしょうね」


またしてもクスクス笑う女性達は、わたくしが話を聞いていることに気付きもせずに、しばらくしてその場を去っていった。


 ……なによ、なによ、なによッ!


わたくしの怒りは最後に耳にした話により、ますます増幅する。


今の話が本当なのであれば、あの女はギルバート様に続き、身の程知らずにもフェリクス殿下に色目を使っているという。


 ……許せない。子爵令嬢ごときのくせに! ちょっと美人だからって調子に乗るんじゃないわよッ!


無敵王子と名高いフェリクス殿下は、社交界ではギルバート様の比ではないほどに人気のある至高の存在だ。


身分が高いことは言うに及ばず、圧倒的な容姿、頭の回転の速さ、教養深さ、人当たりの良い性格、すべての要素が女性の心を鷲掴みにする。


女性達にとってギルバート様が身近な憧れだとしたら、フェリクス殿下は決して手の届かない崇拝すべき憧れという感じだ。 


王族だからということもあるが、なにより大きいのはマルグリット様という絶対的な婚約者候補がいたという点が大きい。


マルグリット様は、筆頭公爵家の令嬢で、容姿も申し分なく、さらにはフェリクス殿下とは幼い頃からの親交があるという、誰もが認めざるを得ない方だ。


そんな方が婚約者候補として長年君臨していたからこそ、誰も本気ではアプローチしなかったし、できなかったのだ。


 ……それなのに、あの女ときたらッ! マルグリット様を気にする必要がないのなら、わたくしだって本気でフェリクス殿下を手に入れにいくわ!


フェリクス殿下にはわたくしの方が断然相応しい。


あんな顔だけで中身のない女よりも、あらゆる面でわたくしは優れている。


ギルバート様だってあの女から奪えたのだ。


わたくしがひとたび本気になれば、フェリクス殿下だってその気になってくださるに違いない。


 ……うふふ。フェリクス殿下が構ってくださっているからってあの女がいい気になっているのももう終わりよ! またわたくしがその幸運を奪ってあげるわッ!


そうとなれば、さっそくフェリクス殿下とお近づきになる方法を探らなければ。


確か侯爵家以上の上級貴族のみで懇親を深める夜会が近々予定されていたはずだ。


王族も出席すると聞いている。

 

 ……わたくしの魅力をフェリクス殿下へお披露目する絶好の機会だわ。誰よりも美しく着飾って、可愛らしくアプローチしなくってはね。


もうギルバート様のことなんてどうでもいい。


恥ずかしげもなくあの女への未練を口にする男のことなど興味のカケラもない。


今のわたくしの意識は完全にフェリクス殿下に向いていた。


 ……公爵家との婚約破棄を家格が下の我が家から申し出るのは難しいけれど、何も心配することはないわ。フェリクス殿下のお心を手に入れたら、ギルバート様との婚約解消を命令してもらえばいいだけね!


その時には、きっとあの女とギルバート様は悔しさに顔を歪めるはずだ。


フェリクス殿下に寄り添って二人を見下ろす自分の姿を想像するだけで気分が高揚してくる。


同時にフェリクス殿下にエスコートされながら夜会に出席し、周囲からの羨望を浴びる姿も脳裏に浮かべる。


未だかつて感じたことのないような最高の優越感が待っていることは確実であり、今から期待に胸が膨らむ。


 ……フェリクス殿下を虜にすれば、またわたくしは社交界で注目の的になるわね。今から楽しみだわ!



「ふふふっ」


「……カトリーヌ様?」


すでに怒りの感情は消え失せ、今やわたくしは未来へ想いを馳せて笑いが止まらない。


床に散らばったものを拾い終わったジェマはそんなわたくしを不思議そうな顔をして見上げていた。


「ジェマ、あなたにも王太子妃付きのメイドという名誉ある立場が近い将来待っているわよ。光栄に思いなさい。ただし、そのためにもわたくしに協力しなさいね?」


非常に気分が良くなったわたくしは満面の笑みで未来の予定をジェマに語ってあげた。


せっかく親切に教えてあげたというのに、愚鈍なメイドは喜ぶのではなく、目を点にして呆気に取られた顔をしたのであった。


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