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15. 城下町デート②

果てしなく長く感じたナチュールパークの散策もようやく終焉だ。


歩道から公園出口に到達した私たちは、そのまま東の城下町へと足を踏み入れる。  


そこでフェリクス様は約束通りに手を解放してくれた。


「シェイラはマクシム商店の店舗に行くのは初めてなんだよね? 僕は何度か訪ねたことがあるけど、セイゲルの珍しい品が多くてなかなか楽しめると思うよ」


「そうなんですね……」


ここまでの道のりですっかり魂を削られた私は、弱々しい声で相槌をうつ。


気を張りすぎていて疲れたのだ。


改めて思ったのは、今まで私が仕掛けていたことはすべて瞬間的なことだったからなんとかなったのだという事実だ。


その瞬間だけ恥ずかしさを麻痺させて思い切りだけでいけていた。


だが、ある一定時間続くとなると話は全く別だった。


他ならぬ今の手繋ぎで深く実感した次第だ。


 ……私には色仕掛けは向いていないわね。もうこの手段で嫌われようとするのは諦めることにするわ……。


これほど長い時間お互いの手が触れていたのに、フェリクス様は嫌な顔一つしなかった。


この時点でこの色仕掛け作戦は無駄だろうと悟ってしまったのだ。


「着いたよ。ここがマクシム商会」


フェリクス様の声で私は思考の波から意識を戻し、目の前の立派な建物に視線を向ける。


東の城下町の中でも一等地である大通り沿いにマクシム商会は店舗を構えていた。


一階と二階が店舗、三階より上が事務所や住居になっているそうだ。


フェリクス様の来訪は予め伝達がいっていたようで、門番は私たちの姿に気づくと、すぐに商会長を呼び出してくれた。


非常に迅速な対応だ。


まもなくして現れたのは、三十代半ばくらいに見える眼鏡をかけた知的な雰囲気の男性だった。


フェリクス様とはよく知る仲のようで二人は親しげに言葉を交わしている。


「実は学園でセイゲル語の授業を立ち上げる準備をしていてね。それに関連して、今日はセイゲル共和国への理解を深めるためにマクシム商会を視察させてもらおうという趣旨なんだ」


「左様でございますか。フェリクス殿下に我が商会に御足労頂き光栄に存じます。今の時間帯は他の客を入れておりませんので、自由にご視察ください。商品への質問などは私が承りますのでご遠慮なくお申し付け頂ければと思います」


「ありがとう。わざわざ貸切にしてもらって悪いね。ああ、それと今日はこちらのシェイラ・アイゼヘルム子爵令嬢も一緒なんだ。彼女もセイゲル語の授業の件で協力してくれている。……シェイラ、紹介するよ。彼はこのマクシム商会の商会長であるアイザック・マクシム男爵だよ」


フェリクス様からの紹介を受け、私は会釈しながら商会長へ挨拶をする。


商会長も商人らしい柔和な笑みを向けてきた。


だが、私と目が合った瞬間、突然商会長の顔から表情がごっそり抜け落ちる。


真顔になった商会長は、お客様向けの笑顔を保つことが困難なほど何かに衝撃を受けている様子だった。


それが私の顔を見たことがキッカケであったことは明らかだ。


「あの……?」


「………これは失礼いたしました。フェリクス殿下から只今ご紹介に預かりましたアイザック・マクシムです。アイゼヘルム子爵令嬢におかれましても、何かご用命があればなんなりと私にお声掛けください」


「シェイラ・アイゼヘルムです。お世話になりますがよろしくお願いいたします」


「「………………」」


商会長は動揺を押し隠して私に対しても丁寧に言葉をかけてくれる。


お互いに自己紹介を交わし合ったところで、私たちの間には再び沈黙が流れた。


お互いにお互いの顔を見つめながら、口を閉ざしたからだ。


 ……そう、この人なのね。


私はここまでの商会長の反応で、何も言われずとも、彼の正体に勘づいてしまった。


この人こそ、亡き母の元恋人であり、結婚を約束していた相手に違いない。


商家の跡取りだと聞いているし、二人で買い付けに行くことを夢見ていたセイゲル共和国の品をこの商会が扱っているという点からも明らかだ。


極め付けは商会長が私の顔を見て反応したこと、それこそが一番の確証だった。


なにしろ私は亡き母の顔と似ているのだから。


「「………………」」


商会長と私の間には、きっと私たちにしか分かり得ないであろう独特な空気が流れる。


「この人が母の元恋人なのね」、「この子がオリミナの娘か」という感傷に近い感情を双方が抱き、意味もなくついついお互いに目を向けてしまうのだ。



「では、さっそく一階から拝見させてもらおうか。行こう、シェイラ」


その空気をぶった斬ったのは、声に若干の不機嫌さを滲ませたフェリクス様だった。


ハッと今の状況を思い出して、私は我に返る。


それは商会長も同じだったらしく、その場は何事もなかったかのように元通りの空気に瞬く間に戻り、フェリクス様と私は予定通り視察を開始させた。


◇◇◇


「わぁ、素敵ですね。一口にガラス細工と言っても色々なものがあるのですね」


店舗内を見て回り始めてからの私は、陳列されている数々のガラス細工に目が釘付けになった。


グラスや花瓶、キャンドルホルダーなどの装飾品を始め、動物や草花の形をした置物、そしてネックレスやイヤリングなど装身具まである。


色も様々あり、目移りしてしまう品揃えだ。


さすが「セイゲルの品物を買うならマクシム商会」という地位をエーデワルド王国内で確立している商会である。


「なにかアイゼヘルム子爵令嬢の気になられるものはございましたか?」


店内を見て回る私に穏やかな眼差しを私に向けてきた商会長は、まるで子供を優しく見守る父親のようだ。


親愛の情を宿すその瞳を見て、彼にとっては元恋人の娘である私は娘みたいなものなのだろうと感じる。


かく言う私も、初対面にも関わらず商会長には親しみを抱いており、心を許している自覚があった。


「どれも素敵で、どれも気になります。これだけの品を仕入れるのは大変ではありませんか?」


「おっしゃる通り、当初は困難でしたが、独自の仕入れルートを築けましたので今では安定的に仕入れられるようになりました。私も定期的にあちらの国へ訪れておりまして、最新の品々をご提供できていると自信を持っております」


「素晴らしい営業努力ですね」


商会の取り組みを教えてもらいながら、改めて並べられたガラス細工に目を向けると、本来ならばセイゲル共和国でしか手に入らないものをこうして自国で購入できる環境を作ってくれたセイゲル商会には頭が下がる思いだ。


ありがたいことだなぁと身に染みて感じる中、ふと店内の隅の方に置かれたガラス細工に目に入った。


「あ、これ……」


「サンキャッチャーですね。窓際に飾ると太陽の光を受けてキラキラと輝き非常に美しいですよ。当店一押しの品ではあるのですが、特に春夏がおすすめのため、今は少し隅の方に陳列しているのです。気になられますか?」


「あ、いえ。実はある方に頂いて学園寮の自室にすでに飾っているんです。季節問わず、部屋が華やぐのでとても気に入っています」


部屋の様子を思い浮かべながら答えつつ、私は少し離れたところを見て回っているフェリクス様にチラリと視線を向けた。


いきなり贈り物を頂いたあの時はただただ戸惑ったのだが、今やそれも懐かしく感じるから不思議だ。


なんだかんだサンキャッチャーを大切にしている私がいる。


 ……それにしても、視察を始めてからなんだかフェリクス様の機嫌が急降下している気がするのだけれど、気のせいかしら?


この商会に来るまでは、あれほど楽しげに私を散々翻弄していたというのに、今はそれが嘘だったかのように真面目な顔をしてフェリクス様はセイゲルの品々を眺めている。


視察なのだから当然と言えば当然なのだが、落差が激しく調子が狂ってしまいそうだ。



「……なるほど。そういうことでしたか」


その時私の目線を追ってフェリクス様の方を見ていた商会長がふと何かをつぶやいた気がした。


だけどフェリクス様へ意識が向いていた私の耳には届いていなかったのだった。



◇◇◇


「マクシム男爵、今日は視察に協力してくれて助かったよ。ありがとう。僕たちはこれで失礼するよ」


「お忙しい中ありがとうございました」


「とんでもございません。ぜひお二方ともまた当商会へお越しください」


しばしの視察を終え、フェリクス様と私は商会長へお礼を述べると、商会の前に到着していた馬車へと乗り込んだ。


馬車の中で二人きりとなった私たちは、移動の時間を利用して打合せをすることになった。


忘れないうちに今日の視察を受けて意見を交わし合う。


その結果、エーデワルド王国では珍しくても、セイゲル共和国では一般的に普及している品については授業の際に教養の一部として教えた方が良いだろうという話になった。


「視察をしなければその視点は持てなかっただろうから、良い機会だったね」


そう言って打合せを締め括ったフェリクス様は、そこからふいと視線を私から外して窓の外を無言で眺め出した。


何か特定のものを見るわけではなく、なんとはなしに風景に目を向けている様子だ。


「「………………」」


必然的にフェリクス様と私しかいない馬車の車内には沈黙が訪れる。


ガタゴトと車輪が動く音だけがやけに大きく辺りに響いた。


 ……やっぱり気のせいではなかったみたいだわ。なんだかご機嫌が優れない感じよね……?


視察をしている時にも薄々感じていたことが、今のこの状況によって確信に変わる。


というのも、往路の時も、ナチュールパークを散策している時も、フェリクス様は饒舌だった。


今日に限らず、私の知るフェリクス様はいつもにこやかな笑顔で楽しげに話す人だ。


 ……だけど、視察の頃から様子がおかしい気がするのよね。先程の打合せ中も明らかな作り笑いという感じで笑顔に固さが窺えたもの。


もしかしてこれまで私が仕掛けてきたことがここに来て効果を発揮し始めたのだろうか。


今になってジワジワと効いてきて、フェリクス様は私に不快感を抱き始めたのかもしれない。


それは自身の望む平穏のために嫌われなければならない私にとって願ってもない展開と言える。


 ……でも、なんだかこれは……。


ハッキリ言ってものすごくモヤモヤする。


上手くこの感情を言葉にできないが、どうにもこの沈黙が耐えられないし、このまま放っておけない。


だから私はつい問いかけてしまった。


「フェリクス様、何か気に障るようなことでもあったのですか? 先程からいつもとご様子が違うようですが……」


静かな車内に私の声が響く。


車輪の音や外の声も混じり合っているはずなのに、やけに私の声だけが大きく聞こえた。


フェリクス様は私から問い掛けられるのは意外だったのか、少し目を見開いた。


「……そう? いつもと変わりないと思うよ?」


「いえ、なんだか先程から笑い方がおかしいです。無理して作っているような感じに見えます」


「……参ったなぁ。シェイラに見抜かれるなんてね」


「視察を始めた辺りからご様子がいつもと違うようでしたけど、何かありましたか?」


「ああ、うん。……まあ、ちょっと気になることがあったというか」


フェリクス様にしては珍しく、なんだか歯切れが悪い。


言いたくないようなら無理に聞き出すつもりはなかったため、それ以上は尋ねず、私はただ小さく首を傾げた。


「あ――…、もうこの際だから聞いてしまおうかな。あのさ、シェイラ。一つ聞きたいことがあるんだけど」


「私にですか?」


「そう、シェイラに。……マルクス男爵とシェイラってどういう関係なの?」


「えっ!? 商会長との関係、ですか?」


思いもよらない角度の質問に私は鳩が豆鉄砲を食ったようになる。


なぜ今この問いが飛び出したのか理解できない。


驚きで目をパチパチさせている私に、フェリクス様は質問の背景を補足するように言葉を足す。


「二人はさ、今日が初対面だったよね? なのに顔を合わせた途端、二人の間にはただならぬ空気が流れていたよ。しかもシェイラはマクシム男爵に妙に心を許している感じだったしね」


 ……第三者から見ても私と商会長の様子は違和感を覚えるものだったのね。


「何度も見つめ合ってたよね」と言われ、否定できなかった。


マクシム男爵のことを話そうと思えば、亡き母の存在に触れざるを得ないが、どうしようかと私は心の中で葛藤する。


元平民だった母の個人的な話など、この国の頂点である王族に聞かせるようなものではないと思う。


でもこのまま商会長との関係を誤解され続けるのもなんだか憚られた。


「まず申し上げておきますが、商会長とはフェリクス様が思われているような関係ではありません……!」


「でも明らかに様子がおかしかったよね? ただの初対面の相手だと言い切るには無理があるくらいに」


「……その質問にお答えするためには、かなり個人的な身の上話をする必要があります。とても王族の方にお話するようなお話ではないのですが……」


「そんなこと気にしなくていいよ。僕は聞かせて欲しいな」


こうもはっきり聞きたいと言われてしまえば話すしかないだろう。


私は軽く一度息を吐き出すと、母が父と結婚することになった経緯(いきさつ)や、商会長が母の元恋人であることなどを一気に打ち明けた。


「――なので、商会長は一目見て私が母の娘であることに気が付いたのだと思います。その反応で私も話に聞いていた母の元恋人が商会長なのだと分かったんです」


「なるほど。それであの時食い入るように見つめ合っていたんだね」


フェリクス様はひどく納得したらしく深く頷いている。


どうやら変な誤解はされなくて済みそうだ。


「これは僕の推測だけど、もしかしてシェイラがセイゲル語を学んでいたのも、お母上が関係していたりする?」


頭の回転が早いフェリクス様は、今の話だけで私がセイゲル語を学んだ動機にまで思い至ったらしい。


以前にもセイゲル語を勉強している理由を尋ねられたが、その際は親しくもない王族の方に話したくなくて誤魔化した。


でも今はもはや隠す必要もないだろう。


「はい、その通りです。セイゲル語の参考書は母の遺品なんです。母は恋人だった商会長といつかセイゲル共和国に買い付けに行くのが夢だったと聞きました。そのためにセイゲル語を学んでいたらしいのですが、私の場合はそういった具体的な目的はなく、なんとなく軽い気持ちで始めました。……強いて言えば、遺品を通して亡き母を悼みたかった、それが理由かもしれません」


「シェイラ……」


どうやら自分で思っている以上に、私は話しながら哀しげな表情をしてしまっていたらしい。


フェリクス様が気遣わしげな顔をして私を見ている。


こんなつもりではなかったのにと、なんだか居た堪れない気持ちになって、私はそっとフェリクス様から視線を外した。


だが次の瞬間、その視界は広い胸板によって塞がれてしまい何も見えなくなる。


突然席を立ち上がって隣に座ってきたフェリクス様が私の顔を胸に押し付けるようにして抱きしめてきたからだ。


「………!! あ、あの……!」


いきなりの抱擁に心臓が飛び出しそうになる。


急速に心拍数が速くなり、体がかあっと燃えるような恥ずかしさが襲ってきた。


なのにその一方で、包まれるような温かさに不思議と心が落ち着くような感じもする。


「……フェリクス様、あの、私は大丈夫ですから。もう母が亡くなって何年も経っていますし、慰めて頂く必要はありません……!」


たぶんフェリクス様は私が悲痛な顔をしていたから同情して慰めてくれているのだろう。


そう思った私は、大丈夫である旨を告げながらフェリクス様の胸を手で軽く押して離れようとした。


しかしそれを拒むように、私を抱きしめるフェリクス様の腕にさらに力がこもる。


「別に慰めてないよ? これはただ僕がしたいことをしてるだけ。シェイラを抱きしめたいだけだから」


軽い口調でそんな言葉を口にするフェリクス様の腕はとても優しかった。


だからつい心を許してしまったのかもしれない。


私はなぜかそれ以上フェリクス様を振り払うことができず、そのまましばらくの間フェリクス様の腕の中に身を預けてしまったのだった。

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