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10. 嫌われ作戦始動

「全然知らなかったわ。シェイラがセイゲル語に精通しているだなんて。教えてくれればよかったのに。お友達なのに寂しいわ。なんだかあの男に負けたみたいな気分で悔しいもの」


「すみません。積極的に自分からひけらかすことでもないですし、今までは特に言う必要性も披露する場もなかったので。フェリクス殿下がご存知なのは偶然の賜物なのです」


「ふぅん、偶然ねぇ……?」


学園会議を終えたマルグリット様と私は、場所を生徒会長室へ移してお茶をしている。


ティーカップに口をつけるや否やマルグリット様が真っ先に切り出したのは、やはり先程の会議の内容についてだった。


「正式な協力依頼となってしまった以上、シェイラがあの厄介な男と顔を合わせる機会は増えるでしょうね。守ってあげると言っておいてごめんなさいね。でも打合せなどがあれば出来るだけわたくしも同席するようにするわ」


「そうして頂けると助かります。その、王太子殿下という雲の上のような存在の方と二人になるのは私のような下級貴族には荷が重いですので……」


「ええ、シェイラの心情は重々理解しているつもりよ」


荷が重いと濁して言葉にしたが、実際は関わり合いたくない。


慈悲に溢れる微笑みを顔に浮かべたマルグリット様は、そんな私の内なる声まで言わずとも察してくれたようだった。


――コンコンコン


ちょうどそんな話をしている時、私たちのいる生徒会長の扉をノックする音が部屋に響いた。


キャシーが取次のため応対へ向かい、しばらくするとこちらへ戻ってくる。


告げられたのはフェリクス殿下が先程の会議の件でお見えになっているという報告だった。


「言ってるそばからさっそく来たわね。でも今ならわたくしもいるしちょうど良いわ。キャシー、お通しして」


マルグリット様の指示を受け、キャシーが再び扉へ向かう。


そしてフェリクス殿下とリオネル様を伴って室内へと戻って来た。


「やあ、先程ぶり。シェイラとは例の件で話し合いをしたかったのに、会議後に僕と学園長が話し込んでいる間にマルグリットと共にさっさと部屋へ戻ってしまうなんて寂しいじゃないか」


現れて早々、フェリクス殿下は少し拗ねたような表情を浮かべて、私たちへの不満を口にした。


あのまま会議の場に留まっていたら捕まってしまっていたらしい。


だが、こうして生徒会長室までフェリクス殿下自らが足を運んでいる時点で、今日の私には逃げ場はなかったと言える。


その点、マルグリット様の言う通り、彼女がいてくれる今の状況が最善であったのは間違いない。


「あら、殿下。今日可決されたばかりの案件について話し合いだなんた性急ではございませんこと? シェイラだって少しは自身の考えをまとめる時間が必要ですわ」


「善は急げと言うじゃないか。何かを始めようと思ったら、すぐに行動する方が良いと思うんだよね。僕もそう頻繁には学園に来れないし、貴重な機会は無駄にはしたくないから。多忙な生徒会長なら僕の気持ちも分かるだろう?」


「まあ、立派なお心掛けですこと! さすがは殿下ですわね。でしたら、わたくしもその話し合いに同席させて頂きますわ。構いませんわよね?」


フェリクス殿下の言葉を皮切りに、マルグリット様がそれに応酬する形で二人の舌戦がたちまち始まる。


丁寧な言葉遣いと穏やかな笑顔で言葉が交わされているゆえに、一見非常に和やかな会話に聞こえるから不思議だ。


その実体は双方嫌味と皮肉を織り交ぜた、火花が散るような苛烈な言い合いである。


ここに割って入る勇気も気概も全くない私は、黙って成り行きを見守るのみだ。


 ……相変わらずすごい応酬だわ。でもこの話の流れなら、マルグリット様も同席になりそうね。良かった……!


早々にほっと安堵に胸を撫で下ろした私だったが、次の瞬間、その流れが一変する。


フェリクス殿下が一旦口をつぐみ、チラリと背後に控える自身の側近を一瞥(いちべつ)した後に、マルグリット様に向かってにフッと笑ったのだ。


「できればマルグリットには別件の話し合いをお願いしたいんだけどな。……リオネルがマルグリットに聞きたいことがあるそうだよ?」


「リ、リオネルが私に……?」


「そう。現役の生徒会長であり、公爵令嬢でもあるマルグリットが最適なんだってさ。ね、リオネル?」


あ、これは良くない流れかも……と私は瞬時に察する。


マルグリット様に先程までの勢いはなくなり、今やフェリクス殿下を通り越してその後ろにいるリオネル様に意識が完全に向いていた。


「はい。お忙しい中恐縮ですが、差し支えなければぜひマルグリット様のお話をお伺いしたく……」


「そういうことなら喜んで。わたくしで役に立てるのなら何でも聞いてちょうだい」


「では別室を押さえておりますので、そちらへ」


「ええ、分かったわ!」


リオネル様が直接言葉を発したことで、マルグリット様は陥落。


嬉々として、リオネル様の言葉に釣られて、生徒会長室を出て行ってしまったのだ。


もちろん専属メイドであるキャシーも伴って。


これによりその場に残されたのは、にこやかな笑顔のフェリクス殿下と困惑顔の私の二人だけとなってしまった。


「さて、ようやく厄介者がいなくなったね」


マルグリット様がいなくなると、上機嫌なフェリクス殿下は先程まで部屋の主が座っていたソファーに腰掛けた。


向かい合う形になり、視線を向けられる。


非常に居心地が悪い。


「これからシェイラと定期的に会えると思うと嬉しいなぁ。この学園のより良い未来のために、協力よろしくね」


「……私でお役に立てるのでしたら光栄です」


“学園の未来”という立派な建前を持ち出されれば、私もこう答えざるを得ない。


本音は気が重くてたまらないが、にこりと笑顔を作るだけの分別くらいはある。


 ……はぁ。これからどうしようかしら。


ただ、今後のことを思い描くと苦悩は止められない。


関わらなくてはいけなくなってしまった以上、どうしたらフェリクス殿下の興味や好意を私から逸らせるかが近々の課題だ。


表面上は平然を装いながらフェリクス殿下と言葉を交わしつつも、私は必死に考えを巡らせる。


でもいくら熟思しても、残念ながらこれと言って良い解決策は思い浮かばない。


私の足りない頭では無理かと諦めようとしたまさにその時、天啓のようにふとある言葉が頭に舞い降りて来た。



――「あの男はあれでも王太子だし、見目も良いから、有象無象の女性が集まっちゃうのよね。そんな女性達から色仕掛けされたり、女の武器を全面に出して迫られるのが嫌だってよく嘆いているもの。その点、あなたってそうじゃないでしょう? だから興味を持たれたのよ」



初めて話した時に、マルグリット様が言っていた台詞だ。


 ……これだわ! そうよ、フェリクス殿下の嫌う女になればいいんだわ!


それはものすごく名案に思えた。


考えてみればギルバート様の時もそうだった。


彼に中身のないつまらない女だと思われるために、無口で触れ合いを避ける女を演じたのだ。


結果的にそれは大成功で、ギルバート様はカトリーヌ様に心変わりし、無事に婚約破棄を成し得たのだから。


 ……今回は明確にフェリクス殿下の嫌いなタイプも分かっているのだから、きっとギルバート様の時よりも成功率は高いはずよ! 身分の高い男性と関わって平穏な生活を脅かされるのを断固阻止するためにやるしかないわね……!


希望を見つけ出し、目の前が開けた心地だ。


先程までの憂鬱が嘘のように消え去り、気分が軽くなるのを感じながら、私はさっそくこの策を実行に移すことにした。


「――ということで、まずはシェイラがセイゲル語を習得した時の学習プロセスを教えて欲しいんだ。それを基にどういう授業構成が良いか考えてみよう。次の打合せの時までに思い出しておいてもらえるかな?」


「はい、分かりました。……そんなことよりフェリクス様。今日のフェリクス様はいつにも増して麗しくていらっしゃいますね。お召し物もとてもお似合いです。フェリクス様の綺麗な髪の色が映えると思います!」


「……ん? そう? ありがとう」


フェリクス様は一瞬だけ虚をつかれた表情になり、すぐさまいつも通りのにこやかな顔に戻ると、不思議そうに自身の服を見下ろした。


多少の反応があったということは、繰り出した初手はそこそこ効果があったと見ていいだろう。


私が実践した初手は、三つのことだ。


一つ、真面目な話を遮ること。


二つ、馴れ馴れしくフェリクス様と呼ぶこと。


三つ、相手の容姿を褒めること。


夜会で男性に迫る令嬢の言動を真似してみた次第だ。


「前から常々思っていたのですが、本当にフェリクス様の美貌は圧倒的ですね。輝く金色の髪も、深い青色の瞳も、とてもお美しいです。フェリクス様がいらっしゃるだけで場が華やぎます」


追い討ちをかけるように私は次なる褒め言葉を口にした。


自分で言っていて恥ずかしくなるが、これも平穏な生活のためと割り切る。


加えて、渾身の力を振り絞り、可愛く上目遣いをしてフェリクス様のことをじっと見つめてみた。


 ……積極的に迫る令嬢が上目遣いで男性を見つめている場面は何度も目にしたわ。きっとフェリクス様の嫌いなタイプのはずよね。


先程のように反応があるはずだと期待して、私はフェリクス様を見つめ続ける。


嫌そうな顔でもしてくれたらとても嬉しい。


「シェイラが僕の容姿を褒めてくれるなんて珍しいね。でも嬉しいな」


だが、返ってきたのは期待したものとは違う反応だった。


フェリクス様は笑顔のままで、私の目を見つめ返してくるのだ。


「シェイラこそ人並外れた美貌だよね。銀色の髪と水色の瞳だから色彩が全体的に淡くて、儚げな美しさがあると思うよ。以前シェイラがあの庭にいたのを見て、思わず森の妖精かと勘違いしてしまったくらいだしね」


しかも、あろうことか褒め返してくる。


 ……森の妖精って……! さすがに褒め過ぎよ。言われるこちらが恥ずかしくなってくるわ。


だが、フェリクス様の滑らかな語り口はこれだけでは止まらない。


「それにシェイラは容姿だけでなく、内面も魅力的だと思うよ。見た目に反して意外と頑固だし、意志が強いし、時折計算高いよね。そういうところも好きだなぁ」


 ……えっ、内面まで……っ!? 頑固とか計算高いとか色々見抜かれてしまっている気がするわ。しかも、す、好きって……!?


こちらから仕掛けたはずなのに、思わぬ返り討ちにあった気分だ。


グッと言葉に詰まった私だったが、これで止まるわけにはいかない。


上目遣いで見つめる手が効かないようであれば、次を繰り出すまでだ。


「フェリクス様からお褒め頂けるなんて嬉しいです。……あら? フェリクス様、ここに何か付いているみたいですよ?」


さも今気付いたという風を装って、私はフェリクス様に近寄り、彼の肩に触れてゴミを取るフリをする。


そう、ボディタッチだ。


こういう手も令嬢が夜会で実行しているのを何度か目にした。


わざと躓いて男性につかまったり、男性が取ろうとしている飲み物のグラスを同時に取って手に触れたり、他にも様々な場面を目撃したことがある。


今回はその一つ。


ゴミが付いていると言って相手に触れるという作戦だ。


王族に触れるなんて畏れ多いが、嫌われるためにはこの際手段を選んでいられない。


不敬だと不快に感じてもらえれば大成功だ。


 ……さすがに不用意に触れられるのは気に障るはずよね。


「不敬だ!」と手を振り払われるのを期待しながら、ゴミを取るにしては長い時間、フェリクス様の肩に触れる。


鍛えられた身体が服の上からでも感じられ、男性に触れることに免疫のない私は、実は内心ドキドキして穏やかではいられない。


一瞬にも永遠にも感じられる時間だ。


そしてそれはフェリクス様の次の動きによって終焉を迎える。


「わざわざ取ってくれてありがとう」


笑顔を崩すことなく私にお礼を述べたフェリクス様は、何を思ったのか肩に触れていた私の手に突然自身の手を重ねた。


「………!!」


手の甲に温かな体温を感じ、ビクリと私の身体が跳ねる。


フェリクス様の大きな手はまるで私の手を包み込むようだ。


自分から仕掛けたというのにまたしても予想外の事が起き、私は動揺して目を泳がせた。


その様子を楽しげに見つめるフェリクス様の姿が視界に入る。


 ……どうして、なんで笑顔のままなの……!? 全然効いていないみたいなんだけど……! これはいけないわね。次よ、次!


次なる手を打とう思ったが、そこで私の動きははたと止まってしまう。


なぜなら具体的に次が思い浮かばなかったからだ。


 ……女を全面に出して迫るって他にどうすればいいのかしら? 色仕掛けもサッパリ分からないわ……。


夜会で見かけた程度の手段しかを思いつかない私の知識の底がついた瞬間だった。


なぜかこの部屋で二人きりになった時以上に機嫌が増しているフェリクス様を前にして、今日のところは万策が尽きてしまい、不本意ながら私は項垂れるしかなかった。

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