第4話:◆わたしがリリスになった日◆
わたしが、■■■だったころの思い出はひどく曖昧で、碌に覚えていないけど、はっきりと思い出せることがある。ううん、脳裏にこびりついて何度も夢に出てくるのだ。
■■■ではなくなったあの日の悪夢は、今もわたしを苦しめる。
『君が■■■なのかい?』
お父さんもお母さんもいなくなって、森でずっと一人で暮らしていたわたしのところに、人が来た。
わたしを嫌う、殺したがっている村の人とはどこか違う、男の人。
お父さんとお母さん以外の人と話をしたことなくて、でも、お父さんもお母さんすらもいなくなったから話し方が、声の出し方が分からなくて、わたしはただ無言で頷く。
『お父さんとお母さんは?』
ほら、村の人は知っているはずのことを聞いてくる。やっぱりこの男の人は違う。
『ぅ……ぁ、あ』
言葉にすらならない鳴き声をわたしはあげる。どうやら自分の親が亡くなってしまったことすら、わたしは伝えられないらしい。
『……そう、か』
何がそうなのかわたしには分からなかったけれど、男の人は納得したように頷く。
そして、何か貼り付けたようなのっぺりとした笑顔をわたしに向けて手を差し出した。
『弱い自分が憎い。村の人が憎い。……全てが憎い。もし全てを変えるだけの力があったら君はどうする?』
悪魔の囁きというのがこの世に存在すると言うのならまさにこの瞬間だったとわたしは思う。
だけど、彼のその微笑みを見てもわたしは自分の意思を伝えられない。
『私だったら何をしてでも手に入れる。これは戦いだ。大丈夫、正義は我々にある。聖戦だ』
彼の首に下げられたロザリアが熱風で揺れる。この森はこんなに熱いところだっただろうか?
熱さで思考がうまく回らないけど、嫌に、目の前の景色ははっきりと脳裏に焼き付いていく。
『さぁ、一緒にいこう』
そして、伝えられないまま、わたしは彼の手を握ってしまった。
『契約成立だ。■■■、君は今、この瞬間死に、新しく生まれ変わる』
彼は離さないとでも言うかのように強くわたしの手を握りしめる。痛い。痛くて、泣きそう。
『ああ! なんて、めでたい! 今、この瞬間、嫌われ者は死に、人々を導き、好かれ、敬われる尊き存在が生まれた! 門出だ! ―だから、この村を焼き払ってしまおう』
彼の後ろでゆらりと赤が大きく踊った。わたしは気づく。焼け付くようなこの熱さは気のせいではなかったと。同時にパチパチと聞こえる拍手とは違う嫌な崩れる音。鼻につく焦げた匂い。
緑がかき消される。
誰かの声がかき消される。
柔らかな木々の匂いがかき消される。
わたしの、■■■の思い出がかき消される。
『そうだ……貴女様には新しい名前が必要ですね』
先ほどとは違う、畏怖と尊敬と狂信の目であなたはわたしを見つめる。
『名前は……うん、リリス。リリスだ』
空っぽになったわたしという存在に名前が付く。
名前が付いて別の何かが今この瞬間できあがる。
『さあ、リリス様、この間違いだらけの世界をあるべき姿に正していきましょう!』
もう、戻ることは赦されない。
この日が最初で最後の日になった。あなたが、神父様が、わたしを人として接してくれた。
そして、■■■︎は死に、リリスが生まれた。