第9話:喧嘩を売る気はなかった
天界の神は真の意味で我らを救うことはできない。
天使は天界の神の哀れな傀儡に過ぎない。
真に我らに救済の手を差し伸べることができるのは下界の、我らの地の神、リリス様のみである。
リリス教。
ネズミがロサたちに潰してほしいと頼んだ宗教は神が直接人々を救済しているらしい。
そして、その神は、宗教名のとおりリリスと名乗っている。
本当にこのリリスという存在が神なのか怪しいところではあるが、翼のはえた天使も存在しているこの世の中だ。神がいてもおかしくはない。
しかし、問題なのはその神の存在が本当かどうかではないらしい。
『今、現存する宗教に相対できるそれっぽい名分を掲げた宗教が力をつけている。その事実があるだけで危険なんすよ』
だから、若い芽は早いうちに摘んでしまおう。
それが真実であるかどうかよりも、危険因子であるものは削除すべき。平和を望むのであるならより一層。
アルストロメリアを奉じる天界神教が現れた時も創世神教との間で大きな宗教戦争が起きたこともあった。その傷跡が現在にまで残ったせいでロサやネズミたちのような居場所のない子どもたちが犠牲者となった。二度と自分たちと同じ思いをした子どもを増やしたくないネズミとしてはこの事態を見過ごしたくないのである。
『リリス教をぶっ潰したあとのフォローは『緋色の翼』に任せてくださいっす。宗教がなくなれば信者も名目上は信者ではなくなるのでこちらで対応できるっす』
『姐さんは自分が正しいと思うやり方でやってくださいっす。大丈夫、姐さんは正しい選択をできる人っすから』
そんなネズミの言葉をロサは思い出す。
正直、面倒ごとにはなりそうだから関与したくはなかったが、子どもが少しでも関わると聞いてしまった以上、無視は出来なかった。
では、潰すとしてどうする?
そう思考の海に沈んでいたら馬車が大きく揺れて思わず顔を上げた。
すると馬車で森を抜けた先、塀で断絶された教会が姿を現していた。
塀越しからでも見える白亜の鐘塔は綺麗ながらも歴史を感じさせるものでロサは違和感を覚える。
「なぁ、聞いてた話だともっと最近にできた宗教じゃなかったのか?」
リリス教の本拠地と言われた教会にこうして訪れてみたがどうも話が違う。
塀で囲まれていて全容を把握できないが、数年で創られたとは思えないほど大きい。
教会とはいえ、規模は農村……いや、それ以上の人々が暮らしていてもおかしくはなさそうだ。
「……というより、この教会は創世神教のものだぞ」
「は?」
ロサの疑問にライラックは答える。いや、答えたというより謎を深めただけにはなるが。
「私は幼い頃にここにきたことがある」
「……どういうことだ?」
「家の業務の一環でな。まあ、私は兄妹と一緒に散策などでほとんど遊んでいただけだがな」
懐かし気にライラックは頬を緩める。ロサは少し驚いた。ライラックはロサと出会った時点では屋敷からは出られない生活をおくっていたため、意外だったのだ。どうやら彼女も幼少期は行動を制限されることなく、のびのびと遊んでいた時期があったらしい。
「隠し通路が見つかったと思ったら侵入者用の仕掛けの毒矢が飛んできたり……と、なかなか面白い教会だったからよく覚えている」
「いや、危険すぎるし、のびのびと遊びすぎだろ」
子どもらしからぬ遊びにロサは頭を抱える。
ライラックは幼いころから変わらずどこか変わっていたようだ。
「……ということは、じゃあ、この教会は買い取っただかなんかして創世神教からリリス教のものにしたってことか」
「そのようだな。私が来た時は外壁は蔦で覆われて手入れをされていなかった。あの教会は本当はこんなに美しい見た目をしていたのか」
徐々に近づいていく教会を眺めながらライラックは感心する。
しかし、どうしたものか。ロサは頭を捻らせた。
懸念するのは、もしかしたらライラックが幼い頃に訪れた時にいた人物がまだいるかもしれないということだ。今回、この教会には信徒になる体で侵入する予定だった。だが、ライラックの素性がバレたらそううまくはいかない。むしろ警戒されてしまう。
「いや、ロサが心配することはないと思うぞ」
そんなロサの心境に気付いたのかライラックは余裕ありげに笑う。
「さっきも言ったように訪れたのは私が幼い時だ。あの時と比べたら見た目も随分と違う。気づく者も少ないだろう。それに、」
あ、悪い顔をしている。ロサは口元をひきつらせた。
「レイヴン家に喧嘩を売って痛い目を見た奴らは、私たちに不利益なことをしない」
たぶん、だ。ライラックたちが幼い頃、その教会を訪れた時、一家総出で大暴れしたのだろう。どんな風に大暴れしたかはロサは知る由もないが、逆らえないレベルのトラウマで間違いない。
「だからレイヴン家に喧嘩を売る奴はそうそういない」
悪名高い証拠なのだからそんな自慢げに語らないでほしい。ロサは聞けば聞くほどライラックの出身であるレイヴン家がやばい奴らの集団だと思い始めてきた。
「ま、私はレイヴン家に喧嘩を売る覚悟でロサについていったがな」
あたしは喧嘩を売る気はなかったけどな。
ロサのぼやきはライラックには届くはずもなかった。




