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雒陽蘭台秘史  作者: 檀 瑠里
建平元年
3/4

ー3

漢 京師・長安


 未央宮びおうきゅう

高祖劉邦は楚王・項羽を破り天下を統一すると、秦の都があった咸陽の対岸、黄河の支流・渭水(いすい)南側の地に漢王朝の新たな都を築き、長安と名づけた。長安は庶民が生活する区域や市場などが徐々に整備されていき、第2代・恵帝の時代になると周りを囲むように城壁が築かれ、都城としての体裁が整っていった。

 その城壁で囲まれた長安城の南西に、壮麗な未央宮(びおうきゅう)(そび)え立っている。

未央宮は、漢高祖7年(紀元前200年)2月から時の丞相(じょうしょう)蕭何(しょうか)が主導し造営が始められた、周囲28里(およそ8,800メートル)にも及ぶ、数々の宮殿や建物を擁す皇帝のための宮殿である。

 計画途中で規模を知った高祖劉邦があまりの巨大さに驚愕し、これは民の怨嗟を買いかねない、と建設に難色を示したほどであった。

 それに対し、丞相・蕭何は落ち着き払って、

「いま中途半端なものを作れば、後に増築したり新たに建築したりせねばならなくなるでしょう。そのようなことになれば陛下の意思と反し、それこそ長期間にわたる賦役によって民と国庫を断続的に疲弊させてしまうと思われませんか」

と答えたという。

 その蕭何の意見に高祖が納得したことから建設は続行され、それから2年という長い歳月を経て、未央宮は当初の計画の如く、四海の全てを家とする皇帝にふさわしい居住所として完成した。

 そしてそれから(のち)、建平元年の今日(こんにち)に至るまで、全ての欲と権謀術数を静かに飲み込みながら、漢王朝の象徴の一つとして泰然と存在している。


 その宮殿内、許された官吏のみが足を踏み入れることができる内朝の中央、金馬門で隔てられた区域の北側に建てられた天禄麒麟閣(てんろくきりんかく)、通称・天禄閣の片隅で、夜明け前の空を見上げた一人が首を傾げながら声を挙げた。

「うーん、やはり気のせいではないような」

若い男の呟きに、ほぼ徹夜で校正をしていた目を瞬かせながら、口髭に白いものが混じった男が応じた。

「どうしたのかね? 」

「卯の刻(午前5時)を過ぎた頃から気になっていたのですが、昨晩から随分と牛宿の星々の輝きが一段と増しているような気がしまして…。特に、あれ…河鼓大星が」

若い男の指差す方向を、首を伸ばしたり目を眇めたりしながらしばらくの間眺めていた男が頷いた。

「確かにあれは河鼓大星であるな。冬は夜明けに見える星だが、これだけ明るくなってきているというのにまだ輝いているというのは記憶にないな。・・・先ほどそろそろ食時(朝食)の頃合いだと知らせがあったから、辰の刻(午後7時)を少し越したぐらいであろう。珍しいこともあるものだ」

「それにあの、牽牛の近くに何やら日の出前から見え出した星があるように思えまして」

「どれどれ…。我にはよく見えんが、日の出前に出てきたというのならば箒星(ほうきぼし)かもしれんな。しばらくの間、観察するように心がけよう」

「あと、あそこの星も輝きが常に比べて明かに増しているように思えませんか」

「あの方角だと…女宿の十二国…周、にあたる星のようだな」

劉河内太守(りゅうかだいたいしゅ)が光禄大夫として今も宮中にいらっしゃったならば、意見をお伺いしたい事象ですね。天文には全てが現れる、というのを持論にしてられましたし、きっと何か興味深いお話を聞かせてくれたでしょうに」

子駿(ししゅん)殿か…。いや、陛下のお名前を(はばか)って名前を(しゅう)(あざな)穎叔(えいしゅく)と改められたのであったな。どうも言い慣れん。」

穎叔、穎叔、と夜空を眺めたまま口の中で呪い(まじな)を唱えるように繰り返した。

避諱(ひき)、という意味では陛下の(いみな)と同字ではないのに変える事例をあまり聞いたことがないのですが、よくあることなのですか?音が同じであるから、とおっしゃっておいででしたが…」

避諱(ひき)とは、皇帝の(いみな)すなわち本名を呼んだり書いたりすることは非常な無礼と考えられていたので、それを避けるために同じ字が使われている地名や人名を改めることをいう。今年になって河内太守として長安を去った劉歆は、1年前に即位した第13代皇帝の名前を劉欣の「欣」の文字と「歆」の発音が同じであることから改名したのである。

「まあ、音を避ける例が今までなかったわけではない。だが、河内太守の場合の理由はあくまでも表向きであるから、な」

「表向き、とおっしゃいますと?」

「……今年、河内太守は御尊父、劉向(りゅうこう)殿を亡くされた。劉向どのは宗室のご出身であられたが、直言の士であったことも災いしてあまり宮中では重じられなかったのは知っているだろう。……お役目も、中壘校尉止まりでいらっしゃった。」

「ええ。五鳳年間に(あざな)されてすぐに宣帝陛下に仕えられたと聞いていましたから、かれこれ50年近くですよね…。長くお勤めになられたことを考えれば、確かに」

「高祖陛下の異母弟でいらっしゃる、楚王劉交どのの玄孫であると思えば余計に、な」

すると、若い方の男は伺うような目つきで周りを見渡し二人の他に誰もいないことを確認すると、そっと相手に身を寄せて歯で声を噛み殺すようにして話しかけた。

「本当ですね。…ですがここだけの話、劉向殿は成帝陛下の後宮から恨みを買ったのも大きかったって言いますよね。相手の許氏も随分後になって廃后の憂き目にあってますからまあ、劉向どのに理があったのではないかと言われてますけど」

つられるように相手の男もさらに小声になり、答えた。

「ああ、『洪範五行伝論』のことを言っているのだな。何しろあの時は日食など天変地異が続いたから、後宮に問題があると思うことでみな気を楽にしようとした向きがあったのも事実だ」

「ははあ。でも日食を見て『後宮に問題あり』、というなど私には少々乱暴な説に思われるのですが。それに、劉向殿は王太皇太后とも揉めたんですよね。王氏が重用されることをよろしく思っていなかったから、『列女伝』で前帝陛下を諌めようとしたっていう話も聞きました。後宮に対して全方面での戦いを挑んでいらっしゃった感じがします」

「うむ」

「それにしても、女性の恨みは買わぬにこしたことはない、ということは星に書かれてないんですかね」

「それが書かれておれば、苦労などせんよ。…劉河内太守としても、春に劉向殿がお亡くなりになられてもそれに打ちひしがれず、お父上と編纂された蔵書目録である『七略』を陛下に奏上されたまではよかったのだ。だが、今文学者たちと対立したのがまずかった。昨年即位されたばかりの今上陛下はまだ歳若く、宮中を把握されてきっておられないから、あちらもこちらも敵に回すわけにはいかないのは当然だ。今上陛下は王氏をよく思っておられぬようだから、今文学者たちとの争いさえなければ、おそらく河内太守を重用されたであろうに……」

運命と時流が合わない方なのだ、と徐々に白んでいく夜空を見ながら呟いた。

「まあ、あれやこれやで河内太守本人も鬱屈された思いを抱えていらした故に心の支えが必要となったのであろうな。方士や道士やらをやたらと邸に呼び寄せておられたのだが、その一人にいわれたのだそうだ、『どうやらお名前に問題があるようです』と。『歆の字に〈欠〉がある。全てがうまく行っているご家庭にあえて〈欠〉けを作ることは好ましい。だが、ご父君が望まれた栄達を叶えられなかった、すなわち既に〈欠〉けがある状態であるのに子供の名前に欠をつけるのは問題であった』と」

「はあ、でもそれは落ち込んでいる方にあまりにもひどい言種のような気がしますね…」

「まあな。だから、『秀』の字を使うように勧められた時に飛びついた。これを名にすれば、願いが叶う、と言われて縋らぬ者はおらんだろう」

「それで実際に『秀』と改名されたのですか? え、本当ですか? …でももしそうだとしたら、河内太守の願い事とは一体何なのですか? 太守の俸禄って2千石ですよ? 私の俸禄から考えたら、羨ましい限りなんですが」

「さあ、そこまでは聞いていないが」

そう言って神経質そうに口髭を撫で、一度開いた口をまた閉じた。

−−お父上のみならず、自らも政争に敗れ中央から半ば追放されるように出されてしまっているから、中央での再度の活躍を願っておられるのかもしれんがね。それにしてもあまり欲張られていなければ、良いのだが。

と心の中で呟きながら。


時は建平元年12月甲子(6日)の朝。

 朝日が未央宮全体を照らし始め、二人の男たちの呟きと彼らが気づいたいくつかの星々の異常とまでも言える輝きを、ゆっくりと静かに飲み込んでいった。

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