隠されているアイデンティティ
超常的なことが起こりすぎたせいか、その日の授業は全く身が入らなかった。いつもは黒板に書かれていることをノートにとるぐらいはしているんだが、なぜか授業終わってノートに書かれていたのは不死者とアマニの相関図。
「ん? それなぁに?」
「うぉっ⁉ 西原か……急に話しかけるな」
いつの間に背後に回り込んでいたんだ。
「んっ」
あまりに支離滅裂なことが書かれているからか西原は一瞬言葉を詰まらせた。
俺の肩越しからノートを興味深そうに見つめて不思議そうに首をかしげている。俺も逆の立場だったら首をかしげると思う。
「アマニ? アマニって何者なの? 日本人じゃないよね?」
「ちょ……見ないで! 自分でも書いたことに後悔しているんだから!」
事実でも事実でなかろうと授業中にこんな突拍子のない設定を書いていることが異様に恥ずかしい。
中学二年生はとっくの昔に過ぎ去ったんだ。
上半身でノートを覆い隠すが西原はそんなに興味をそそられたのかしつこくせがんでくる。
「よいではないかよいではないかー!」
「うわぁああ! やめて、俺の恥ずかしいところを見ないでぇ!」
隙間からノートの端をつまみ無理やり引っ張り出そうとしてくる。なにがお前をそこまで駆り立てるんだ⁉ 本物の黒歴史ノートがそんなに珍しいのか⁉
少し力任せだが仕方ない。
「とぉっ!」
伏せていた身体を瞬時に起こすと荷物を高速でカバンに詰めた。
「じゃ! 俺はもう帰る!」
「ちょっと鬼柳! 帰るならそのノートを置いていきなさい!」
栄誉帰宅部員の俺が本気で帰れば誰も追いつけない。
さっと廊下を駆け抜け下駄箱に靴に履き替え校門をくぐり――
「遅いよ」
すれ違いざまにアマニに耳をつままれ拘束される。
「イタタタタタ!」
千切れる! 耳が千切れちゃう!
「さっそくだけど明日からいろいろ手伝ってもらうからね」
アマニはそのままの状態で歩き出した。
「まず耳を解放しろ! 意外に取れやすいんだぞ!」
アマニの拘束から解放された耳を摩りながら、
「学校到着したらいきなりいなくなって……どこでなにしていたんだよ」
ごく当たり前の質問を投げかけた。
「鬼柳君を襲った“不死者もどき”がまだこの街に潜んでいないかを調査していたのよ。彼らについては何一つ手掛かりをつかむことがなかったけど」
俺が授業を受けている最中、アマニもちゃんと仕事しているんだな。
俺だってまたあんな痛い目に合いたくない。癌も敵も早期発見が危険から遠ざけるためには必要なことだ。
でもそれなら一言ぐらいあってもいいんじゃないのか?
「彼らもバカじゃないからそう簡単に尻尾を掴むことは難しい。これは長期戦になりそうだね鬼柳君」
やる気を見せているが、俺としては短期決戦で終わらせてほしい。
「相手の組織の規模も人数も不明なうえに全員がダーストなんて言う不死者もどきとか、改めると勝ち目ないな」
「戦う前から負けること前提なところは省みなさい。あなたが選んだ道だよ」
死ぬ間際にアマニから残酷な二択をされたことはもちろん覚えている。普通に死ぬか茨の道で生き残るかという二択だ。
その選択で迷わずアマニに生き残ることを縋ったんだ。
「それに後悔はない。ただなにをさせられるのかを具体的に聞かされていないから不安なだけだ」
不死者が存在し、そいつらと死神のアマニが敵対していることは分かった。
だがそれだけだ。俺に関する情報は何一つ聞かされていない。
「少しだけでいいから手伝ってもらいたいだけだよ。鬼柳君には拒否権はないんだけどね」
それはおおよそ理解できている。
俺がここで生きている時点で断るということはありえない。
「――彼らを倒すためには鬼柳君がとてもとても必要なんだよ」
「俺が……?」
相手は中途半端でも不死者。方や俺はただの高校生。
一対一の勝負だって勝ち目がない。命がけの特攻をしても相手は不死、そんな覚悟も鼻で笑いやり過ごすに決まっている。なぜ俺が不死者を倒すのに必要なんだ。
「もちろん鬼柳君が戦うわけじゃないから安心して。犬死にするだけだから」
ホッとはしたんだけど、もっとこう……歯に衣着せてくれないか? 俺にだって男のプライドはあるんだぞ?
「鬼柳君は不死者に襲われたにもかかわらず、生き残った。これは組織からしてみればとんでもないことなの。彼らは異形とも呼べる生命力からその身体に多大な人体実験を重ねて人とは別の生物になり果てている」
「え……不死なだけで人間なんだろ?」
「人間だよ。ただ不死もどきで人の理解を超えている人間」
アマニは五指を伸ばし手刀を俺の腹部に軽く押し付けてきた。
まるで昨日の出来事のように。
「いくら死なない、死ににくいからってただの人がこんな突き指しちゃうような攻撃で人のお腹を刺せないでしょ」
マンガやアニメではよく見るが、こんなこと現実の人間がどんなに鍛えても無理に決まっている。
あの時は実際に刺されて錯乱していたが、今になって考えてみればあれは不死とかではなく普通に不可能でしかない。
今更、俺とアマニの相手がとんでもない化け物たちだと思い知らされた。
「どんな能力が与えられているか……想像もできないから対策もできないんだよね。…………ほんと、不死者って厄介」
毛先をクルクルと指に巻き付ける仕草は女子高生のようだ。
「はーもうやめやめ。今日はもうクタクタだよぉ。お母様のお夕飯を食べてゆっくりしたい」
「ん?」
「今日の気分はお肉かな。疲れているときのお肉ってなんであんなにおいしいんだろうね」
「あの~」
「……今日も我が家にお泊りなされるんですか?」
「今日もじゃなくて今日から長い間お世話になる予定」
「なんやて」
つい関西弁で聞き返してしまった。
「一緒にいたほうがいつ不死者に襲われても対処できるでしょ? それに私もおいしいご飯と温かいお布団が提供される。誰も不幸にならない方法」
「なるほどぉアマニってあったま良い~なんていうと思ったか⁉」
急に見知らぬ女子を家に住まわせてみろ! ご近所さんから隠し子疑惑持たれてもおかしくないぞ!
「絶対にそれだけは認めん! 断固阻止!」
今回ばかりは俺の意志は固い。あの母親にジャーマンスープレックスされても譲るわけにはいかない。
「それなら――私が仮住まいしている家に、住む?」
家あるんだ……。
「不死者から身を守るためには二人で行動する。これは決定事項だからね、鬼柳君が自分の家が嫌なら私の家に住むしかないよ」
「どっちみち同居することは決定事項なのか⁉ そこまでしなくてもいいんじゃないの――」
「不死者に常識はないよ。鬼柳君だけじゃなくご家族にも危険が及ぶことだってある」
……俺が甘かった。
人を殺してもなんとも思わない連中が、無関係の人間に被害が及ぶのを躊躇うはずがない。そもそも俺だって無関係だったのに襲われたんだ。
いくらアマニでも多くの人間を一度に守り抜くことはできない。
「誰かが死んでからでは遅いよ……それは鬼柳君が一番分かっているんじゃない?」
「……ああそうだな」
危険な目に合うのは俺だけでいい。元よりも昨日死ぬはずだった命だ、この命でほかの命が脅かされるのだけはあってはならない。
その日俺は、家を出る決意をした。