2-24 マンドラゴラ③
◇
詩ノ崎がルルの持っていたアタッシュケースをもらうと、片手でロックを開ける。
百八十度に開かれた中には、剝き出しのガントレットが四つ、黒いスポンジに押し込まれていた。そのうち詩ノ崎が手に取ったのは、紅色に染まった右腕だけのガントレットだ。薬指と小指から手首にかけて濃い色をしている。
「えっ、これ使えるんですか!?」
声を挙げたのは、一目見た時から希乃には使えるとは思いもしなかったからだった。
派手な赤と前腕のシルバーのカラーリングに紛れて点在している、金属を蝕む錆。着脱する大きな腕の穴からつなぐところもなく伸びているコード。
目に見えての整備不良だ。ただ、詩ノ崎の選ぶ手つきは全く逡巡していなかった。
「希乃、ルル、俺の代わりにこれ着けんの手伝ってくれ」
「は、はい」
「でも、つけ方が……」
「それは教える、一分で終わらせるぞ」
金属は他エリアから採れ、地球にはない技術が使われた、正に現代におけるオーパーツと言ってもいい。詩ノ崎から持たされたガントレットは希乃には片腕では持てないほど重い。
詩ノ崎が左腕に着けているガントレットは希乃でも装着できるが、これはつけられたところで動かすことができなさそうだ。
希乃がそんな感想を抱いたところで、詩ノ崎が取り出したガントレットの下から、分厚い防火手袋を出してきた。
「なんで、手ぶくろ……?」
「防火手袋っつって、これをつけてないと危ないから……ちっ」
防火手袋をつけるだけで苦戦している詩ノ崎。左腕のガントレットを装着したままでは、防火手袋を中々掴めずにいた。
ルルが気を遣わせて、防火手袋の端を摘まんで腕の半分まで引っ張った。
「すまん」
「ガントレット外さないんですか?」
「こんな状況で武装解除はできねえし、そもそも外れねえんだ。たぶん、あの二回で逝かれたな」
ひとたまりもない威力希乃がゾッと背筋に悪寒を走らせる。その間にも、詩ノ崎が「これも持ってろ」と、ルルに持たせたのは電動ドライバー。
ルルが使い方を模索している中、希乃が詩ノ崎のやって欲しいことが理解できた。
「ガントレットのネジを閉めてくれ」
希乃が急いで穴を詩ノ崎の防火手袋をつけた右腕に向け、そのまま嵌めた。手袋は火を防ぐだけあって厚い、それでもまだガントレットと腕には隙間がある。
「ルルは腕を抑えてて、私がネジを閉めるから」
希乃の珍しい指示にコクリと頷いたルルが電動ドライバーを手渡す。
ルルはそもそも使い方を知らないようだった。希乃もこんな無骨な工具を使ったこともなかったが、ベガのおかげでいくらか時間の猶予はあるはずだ。
「……いきます」
希乃の引いたトリガーで空気を切り裂く音が鳴り響いた。
◇
ベガが使う“エヌマニ”。儀式を執り行う賢者にのみ相伝されるエリア1の秘術とされている。
“ズィムナ”と呼ばれる自身の宿った神力を使うことで、視線の先に半透明の壁を作り出すことができる。
その壁は奇しくも、文化が遅れていると思われている遠い他エリアで量産されているガラスと同種だった。
違うのは相手に破ろうとつけられたヒビを直せる修復力と、即座に新しいものを作る即行性。
ただものにするにはそれ相応の時間がいる。二か月前から始めたルルはようやく作り出せるようになっても、小さく、薄く、設置できる範囲も短い。銃弾を一発、ギリギリ至近距離で防げるか怪しい程度の厚さと強度しかない。
ベガも例に漏れず、完全にものにするには長寿の輝人からしても永い修練の旅をしなければならなかった。
「ひとまず、もう動かないでいただきたいですね」
ベガが告げるともに、エヌマニの片手で手印を組む。
マンドラゴラの上げた足に合わせ足元に半透明の壁を作ると躓き、受け身を取れる腕を出すこともなく上半身から倒れた。
マンドラゴラが這いつくばる背にさらに追い打ちに半透明の壁を作る。起き上がろうと膝をつこうとしても、ベガが直立することを許さない。
「植物は動かないのが一番です」
マンドラゴラが負けじと背中を覆えるほどある半透明の壁に身体を押しつける。
半透明の壁は、音を立てるたびにひびが入っている。マンドラゴラが勢いをつけて割ろうと身体を離す度に、出来たひびは傍から直っていく。
マンドラゴラの回復力よりも上回る、エヌマニの修復力。
「ここからですね」
頭上ばかりにいっていた腕の目玉がグルンと術者であるベガに向ける。
接近ができないマンドラゴラが残された攻撃手段は一つだけだ。
脅威とされた右腕の攻撃を封じられて、左腕の先をベガに向けて根を伸ばす。
詩ノ崎との最初の交戦と変わらぬ攻撃に、ベガの対処はエヌマニで受けることで変わらない。合わせて最小の壁を作り、受け止める。
他の異人と比べて暗がりが見えにくい輝人であろうと、単調な四本の根では容易に捌けられる。
「(このまま時間稼ぎをすれば)……っ!」
一本の根がベガの視界の外へ伸びていく。
真正面からの三本を対処していたベガがエヌマニで出した不透明の壁を横腹に複数作れば、別の方向に伸ばしていた根がうち一枚にぶつかった。
「と……たしかに早いですね」
ベガがもう一本、次の攻撃に備えるためにいっぱいに入っていたペットボトルの聖水を飲み干した。
根を戻しきってマンドラゴラが繰り出したのはまとまった四本ではなく、全方位からの攻撃。縦横無尽に根が天井、床、壁、柱とあらゆるものお構いなしに削り、穴をあけながら、バラバラの角度から根の槍が襲ってくる。
対して半透明の壁も数に合わせて細かくなっても根の先端をピンポイントで弾いていく。
そのギリギリさに、やりとりが視界に入ってしまった希乃には息をつく暇もなかった。
ベガは淡々と根を変わらず捌き続ける。マンドラゴラを地面に跪かせて動きを止める片手間にできる程度、まだベガには精神的に余裕があった。
そのベガの余裕を崩したのは上からだった。
最初は塵、次には天井の瓦礫が敵味方関係なく、地下鉄のホームにいる全員に降り注ぐ。
「きゃっ!」
「ちっ、くそっ」
ネジ締めを中断し、希乃とルルに降る瓦礫を詩ノ崎が傷んだ左腕だけで粉砕していく。
一方のベガはその場から動かなければいけない。その場で防御をすることができても、詩ノ崎のようにぶつかったものを砕く術ではないのだ。エヌマニを頭上に傘のように張ることで時間を稼ぎつつ、一回きりの瓦礫の雨が降り終わった場所へ移動する。
エヌマニを頭上に張れたのはマンドラゴラの根が瓦礫の雨で一時止まってくれたおかげでもあった。
(視線が切れる……!)
だが、拘束されるために使われたエヌマニが、今の瓦礫で視線が遮られたことで解かれてしまった。
崩落が収まったときには瓦礫の山と配線がむき出しになった電光掲示板の上にベガが立っていた。
近かった天井が取り払われて吹き抜けになった地下鉄駅のホームは、頼りにしていた天井の非常灯も落とされて、ベガの視界はさらに心許なくなる。
「どこだ?」
どこかで崩れた瓦礫の音が反響する。
マンドラゴラの居場所の辺りが着いても、見えてなければ正確な場所にエヌマニは張れない。
「ベガさん! 右!」
希乃の声で張ったエヌマニで間一髪、根を防いだ。そして、マンドラゴラが標的に向かって歩みを進めている。
急襲でもベガには動揺はない。なにより希乃は無事ということだけで、心は平静を保てる。
やっとマンドラゴラび姿が見えたときには、横ぶりの右腕が届く距離にあった。ベガが透明の壁を重ねて展開する。
マーネをKOさせたマンドラゴラの右腕は一枚目の半透明の壁を砕き、勢いがなくなっても二枚を押し切って、三枚目で完全に止まった。
ベガはその腕が止まった瞬間を見逃さなかった。
引こうとした腕の両側をすかさずエヌマニで挟み込み、マンドラゴラの右腕を固定させたのだ。
マンドラゴラが右腕の拘束に一瞬硬直したが、すぐさま左腕の根の攻撃が再開する。
ベガのエヌマニの防御を掻い潜ろうとするマンドラゴラ。正面からはもちろんとのこと、横にある柱を陰にして根っこを伸ばしたが、これも全てベガが弾く。根がどこから来ようがベガの余裕は変わらない。
だが、そのマンドラゴラの攻勢の間に、抑えていた右腕が半透明の壁を割ろうとしていた。
「どうってことはない」
わかると否や、ベガがすかさず距離を取る。さっきまで身体があった空間を削り取るように右腕が通過していった。
仕切り直しになる。ベガが次の攻撃に備えようとしたところだった。
マンドゴラのこちらの注目がなくなった気がした。
右腕に付いた目がベガの右にずれている。身体に巻き付いた幹でその方向は見えているはずもないのに。
「!!」
マンドラゴラが向ける視線を追えば辛うじて見える希乃の姿。弱視の輝人でさらに、明かりがなくなったこのホームでは本来全く見えないはずだった。
この視線を外した間に、巨腕の右腕をベガに振るいつつ、四本の根を持つ左腕はベガの背後で柱の陰にいる希乃たちに差し向ける。
希乃に向けられた左腕の根は当然ベガが防ぐ。自身に向けられた右腕の攻撃も当たる寸前でエヌマニが間に合った。
何度目の拮抗だろうか。しかしもう後ろに下がれない以上、自身の防御を気張り続けなければならず、かと言って希乃たちへの防御も抜いてしまうのは論外。
涼しい顔をしながらもベガの鼻からたらりと赤い血液が真下に落ちる。
ベガが出血するまで気張っているその戦況は、希乃と一緒に守られているルルの目には劣勢まで追い込まれていると見えた。
「やばい、よ。ベガが、ベガが」
ルルの焦りが、既にネジ締めを再開している希乃にも伝播する。
濡れて冷え切った希乃の身体に熱が戻り、額に汗をジワりと掻いてしまう中、ついに最後のネジが締められた。
「やった! あとどこですか!?」
「コードを刺してくれ!」
どこにも繋がっていないコードが一本、確かにガントレットから伸びている。
いかにも電気を通しそうな銀色の棒だったが、紅色のガントレットに差し込むような穴などない。
「どこにですか!?」
「腕に直接刺せ! どこにでもいい!」
「腕……」
刺さなければならない部位は短いコードからして上腕。どれだけ偉丈夫な大男でも、普通の人間と変わらず薄いゴムのような皮膚で覆われている。その皮膚を破らせる自傷行為は、他人よりは血を多く見ている希乃でも思考を鈍くさせる。
希乃が躊躇っていると、詩ノ崎が急に立ち上がった。ともに電極が引っ張られ、希乃の手元から離れる。
「にゃろっ!」
そしてマンドラゴラを背にして線路側に左腕を突き出したかと思えば、希乃目掛けて伸びてきた根を掴んでいた。
「うそっ」
ベガのエヌマニは破られていない。マンドラゴラの根が半透明の壁と柱を避け、ベガのエヌマニが及ばないところにまで通してきたのだ。
希乃は這い這いになりながらも、腕を伸ばす。振れている電極を一回空振り、今度こそで金属部分を掴んで握りしめた。
生物のようなマンドラゴラの適応。詩ノ崎は根が戻らないよう掴み続けていて動けない。
希乃にはもう躊躇することは許されない。
意を決した、そのときだった。
「ノノ!」
「え?」
ルルの警告と共に、エヌマニから逃れた根が陰にしていた柱の根本を大きく削り取り、詩ノ崎の膝下へするりと。
目掛けてきたのは膝がついたままの希乃の頭、振り向けば眉間の高さ。
この一撃でも希乃は死に至ることはなければ、傷もつくことはない。それでも、希乃は反射で目をつぶってしまった。
しかし、想像していた痛みはやって来ない。
恐る恐る目を開ければ小さな影が間に入っていた。
「ルル!」
「……ぅ……あ……」
希乃が叫んでも、ルルはこちらに目線を向けることもできない。
ルルが受けて止められているのは、エヌマニのおかげだ。それも自分の張ることができる精いっぱいの小さな透明の壁。
ベガの練度には遠く及ばず、比べれば大きさも厚さも付け焼刃もの。亀裂が入ると瞬く間に広がっていく様は踏まれた薄氷のようだった。
だが、この勇姿で希乃が醒めないわけがない。
片手を着いて前のめりに立ち上がると、持っていた電極を自分の出来うる力の限りに同じく耐えしのいでいる詩ノ崎の二の腕に突き刺す。
希乃の手に伝わってくる感触は無機物のように堅い。だが、皮膚を突き破って肉に電極が刺さってくれた。
そして、詩ノ崎が叫ぶ。
「駆動しろ!〈爪紅〉!」
右腕につけたガントレットが詩ノ崎に呼応する。
またボチボチ更新していきます。
この章はあと数話で締めではありますが。




