2‐21 足掻け、藻掻け
「だ、だれ!?」
栢が本気で目を見開く。希乃を突こうとしていた銛の先端は未知の敵に向けていた。
「いえ、ただ忠実なる主様の使徒ですが?」
「使徒……?きゃはは!」
唐突なことだ、訳も分からず栢がベガの言葉を咀嚼せず派手に笑う。
「ののちんもモノ好きー! 主様なんてもっともなことやっちゃって!」
「笑うところではないですよ」
「だってマジで主様呼びとか、恥ずいじゃん!」
濡れて目ざとくなった栢の目は希乃を捉える。
気が緩んだとみて這おうと身体を動かした希乃だったが、そんな小細工では出し抜けるわけもなく、栢は銛先を今までにない速さで落とされた。
「やらせるわけがないですよ」
輝人の秘術のエヌマニ。作られた透明の壁で、銛の先はまたしても希乃の前にして止まる。
希乃は焦って足を滑らせながらも窮地から抜け出せた。
「ちょい、さっきからこれなんなのさ! 邪魔すんなし!」
「しますよ、考えればわかるでしょう」
ベガの呆れ顔に栢の顔から笑顔が引きつる。キリキリと押し付ける銛は力を緩めずエヌマニと拮抗を続けていた。
だが、栢を見下ろすベガが突然ため息をする。
「そういうとこですよ」
「?」
「なんで私がここで希乃だけを守っているのかわかりませんか?」
栢がはっとして銛を構える。ベガの背後からドタドタと重い足音が近づいていることにようやく気がついたのだ。
仲間がまだいるとわかったが、その足音は急に途絶える。
同時にベガは横へ道を開ければ、険しい顔をした詩ノ崎が宙にいた。跳躍した詩ノ崎が一階分の階段を踊り場すらもすっ飛ばして、栢にめがけて迫っていた。
両手にはガントレットがすで装備され、鉄拳が振り下ろされようとしている。
栢は詩ノ崎に気づくのが遅れたとはいえ、栢の身体は水でドーピングされている。避ける隙も与えてもらえない奇襲でも銛を斜めに立てて、足に前後にして力を入れる。
銛で受ける準備は万全だった。
「はぇ」
しかし、銛は真っ二つに折れた。
栢の気の抜けた声が出たときには、掌底は右胸に入り、骨がないかのようにさらに深く押される。
一撃で肋骨が砕け、さらに衝撃はドーピングされても踏ん張り切れず体が後方に吹っ飛ばされる。
詩ノ崎の掌底は昨日のオオタカに繰り出した平手とは比にならないものだった。
「加減は、勘弁してくれよ」
壁にクレーターを作った栢の体に呟くと、カバンを抱えた希乃の姿を見つめる。
「ここにいるのは予想外だったぞ、希乃」
「なんで……私、詩ノ崎さんに連絡してないんですけど」
後ろで無言の睨みを利かすオオタカ。希乃は身をすくませて理由を聞くが、詩ノ崎が左腕だけガントレットを外して柱に手をついていたマーネに寄り添う。
「希乃じゃなくてマーネを追ってたんだ。この馬鹿がコッケスを単独で追跡しやがったんだからな」
「コッケス……」
「栢の名前だ。マーネは財団に依頼されて追ってたんだ」
「……依頼には見えなかったんですけど」
「ほんとだ、世話が焼けるぞ、まったく……、派手にやられたもんだな」
自分の服を破ってマーネの傷が開いたままの腹部に押し付けるが、マーネがジタバタと抵抗し始めた。
「それならやんな! セクハラー!」
「うるせえ、ジッとしてろ! 傷口は抑えてやるから塞ぐことに集中してねえと獣人だろうと出血多量で死ぬぞ」
二人だけなのにガヤガヤと騒がしい。希乃とベガが顔を見合わせる。
詩ノ崎がやってきたのには希乃からしても驚いたが、希乃がらみ以外には首を突っ込まないベガが来たことにも意表を突かれた。
どうやってベガが希乃の危険を知ってここまで来たのか。
疑問は遅れてやってきた人物で氷解した。
「ベガ、カイ……、速い……」
ルルが自分の身体よりも重そうなキャリーバッグを持ち、ヨタヨタと危なっかしい足取りで降りてきた。
「ルルも一緒に来たんですか!?」
「……ノノ!」
キャリーケースを持って降りてきたルルに希乃は抱擁する。
「ノノ、危なかったから、心配だった」
どういう経緯まではわからなかったが、ルルが察してここまで来たらしい。
そしてベガがそれに首肯する。
「マーネさんだけでしたら私も来てませんよ、ルルがいてこそでしたね」
「走行中に飛び出したのはヒヤッとしたが助かったよ、危なかったってことだったんだろ」
「いえ、主様なら大丈夫……ですよね? 出過ぎたマネでしたか」
詩ノ崎の言う通り希乃のためならばベガは無茶する。
ベガが心配そうに希乃を見るが、希乃からしてみれば輝人には行きづらい暗い地下を進んでまで来てくれた救世主そのものだ。
「ベガさんのおかげでケガが少なく済みました。ありがとうございます」
「主様に呼ばれればどこまでも」
ベガが恭しく跪くところに希乃は「頭なんて下げないでください」とあたふたする。
そんな中、詩ノ崎がマーネの血が止まった身体を見て、ふーと安堵の息を吐いた。
「帰ったら薬を塗らんといけねえがこれでいいな。あとは動けるだろ」
「ふん! 別に頼んでもいないし」
マーネは顔を白くさせつつも、詩ノ崎の助けも払いのけて自力で立ち上がった。
穴が開いてしまうほどの重傷でもほとんど塞がりかけていたみたいで、希乃の思ったよりも早く止血の処置が終わった。
「言いたいことは山ほどあるが、次はあいつだ」
そっぽ向くマーネから詩ノ崎は視線を移す。
栢は項垂れたままピクリとも動かない。注意深く観察する詩ノ崎が左手にガントレットをつけ直して油断なく栢に近づこうとすると、マーネが待ったをかけた。
「栢をどうする気?」
「どうするって、財団に突き出す以外ねえだろ」
「違うでしょ! これはあたしと栢の話で」
「ここで終わらせていい話じゃねえよ、ここまでされたらな……あと、オオタカお前もだ」
「くっ……」
翼も使えず線路から這い出てきたオオタカが苦い顔をする。
痛めつけられて右わき腹を抑えてはいるが、外傷は傷だらけのマーネと比べれば微々たるもの。そして身内でもないから、怪我人であっても遠慮がない。
「まだ重要なこと隠しやがって。同族に狙われるほどのものとは思わなかったぞ」
「中身、知ってたんですか?」
「中身? いや、ペンダントが狙われるものかと思っていたが……、まさかよ、密輸してたとかじゃねえよな?」
「あっ」
思わず希乃が口を滑らせたことで、詩ノ崎が勘づいた。居心地の悪くなった希乃に対するオオタカの視線も厳しくなる。
「希乃、貴様……!」
「動くな、どうせあとから知ることだ」
オオタカの動きだしは詩ノ崎の視線で牽制される。
詩ノ崎の額に見せる青筋が、事の重大さを物語っている。
「だいたいどういう了見だ? うちの従業員ここまで大事に巻き込みやがって。希乃に傷でもつけたら落とし前どうつけんだ?」
オオタカに怒りの矛先を向ける詩ノ崎の前に、希乃がオオタカの反論の前に庇った。
「待ってください、オオタカさんは私がわがままを言ったからなんです。オオタカさんは元から私を連れてくつもりは……」
……パラ。
ホームにいる全員の視線が一斉に同じ方向を向く。
ユラリと亡霊かのように前傾姿勢で栢が立っていた。口から吐き出した血を垂らす痛々しい姿でも、その手に武器は手放さず、目には暗い闘争心がまだくすぶっていた。
「なんだ、まだやるのか? さっきので勝負はあっただろ」
「…………」
ひたすらに無言の栢は、詩ノ崎に走り近寄る。ただ、左手に握っているのは折れて距離の優位を失った銛だ。
「カイ!」
「わかってる、殺しはしない」
突き刺そうと襲い掛かる銛を詩ノ崎が右手で軽くあしらうと、すぐさま掌底が栢の鳩尾の位置にまっすぐ突き出される。
栢はまたも吹っ飛ばされるも、滞空の時間は短く、両足で踏ん張って着地する。
「ん?」
一撃目よりもかなり手加減をしていた。
それでも常人なら悶絶はするであろう良いところに入った感触。それでも栢は詩ノ崎に襲い掛かる。
「流石にタフだな、浮人は」
銛での突きはドーピングがまだ効いていて依然として速い。だが、詩ノ崎は最小限の動きだけで躱しきり、カウンターでまたも鳩尾に掌底を当てた。
そのたびに栢は立ち上がり、詩ノ崎は変わらず力を加減しつつも吹き飛ばし続ける。
躱す、掌底、躱す、掌底、あしらう、掌底……。
いたぶられては立ち上がる栢(友達)にマーネが堪えきれなくなった。
「もうやめてよ!!」
「それはこいつの態度次第だ」
水でドーピングされた身体でも詩ノ崎には一切当てることができず、次第にぬるくなっていく攻撃はもはや訓練されていない素人のものと同然になっている。
ドーピングが切れてきて弱っているのも確か、それも同じ鳩尾に掌底が刺さり浮人のタフさと言えど限界は見えていた。
「……もうそれぐらいにしとけ」
軽くあしらうだけで開けた栢の身体に叩きこんだ掌底に、栢が合わせて右手で庇う。
だが、ガードできるまでもなく右手は詩ノ崎の手によって潰れ、一撃目と同様の栢の身体に与えた。
栢は後ろには飛ばず、その場で項垂れて詩ノ崎の掌底を突いた腕に倒れ込んだ。
マーネの要望通り、誰も死なず事態は沈静化されたかのよう見えた。
「……なんだ?」
詩ノ崎が不穏な言葉を発したのは栢が笑っていたからだ。
さっきまで苦しそうな顔から一転、赤い歯をにたりと見せた笑いで詩ノ崎の背中に悪寒を走らせた直後だった。
栢の覆いかぶさる身体から詩ノ崎の右腕の上を緑の蔦が絡まりだした。
詩ノ崎が倒れ込んでいた栢を突き飛ばすと、蔦はひしゃげて使い物がなくなった栢の右手からだった。穴ができるほどめりこみ、割れた鉱石が発生源となっている。
割れて粉々になった黒色の砂と水らしき液体が流れるとともに、隙間から蔦が急速に絡みつき、ガントレットが覆われていない右腕の肘先までにも届きそうになるまで伸びていく。
そして、太くなっていくその蔦は詩ノ崎のガントレットから嫌な音を鳴らし始めた。
「っ!」
詩ノ崎はすぐさま右腕のガントレットを外し、その場を跳んで希乃とルルの前まで退いた。結果、絡まったままの空のガントレットだけが蔦の圧力で潰れて不出来な球状に変形する。
瞬時に着脱できるガントレットでなければ、右腕ごと潰されていただろう。
「くそ、持ってかれたか」
その光景はホームで見ていた全員が唖然とするものだった。
栢の右手から伸びる蔦は植物の性質らしく、太さはもはや幹となって植えられた栢の全身に絡まっていく。「うががが」と生物らしい声はすれど顔と頭は見えなくなり、むき出しになったのは耳と隙間から飛んでいる髪だけとなった。
栢が金属塊になったガントレットのように無残に潰されることはなければ、血も流すわけでもない。無血で息のあった生物に寄生する瞬間のようだった。
「なんですか……? 栢さんが、食べられて……」
希乃が信じられないという様子で、口を覆う。一方の詩ノ崎は変わっていく栢を注視しつつオオタカに声を荒げた。
「オオタカ! お前一体何を持ち込み……」
叱責する詩ノ崎の前に、マーネがオオタカに飛び掛かる。負傷したと思えない速さで、本気の目をしてオオタカの首を掴む。
「栢を……栢を元に戻せよ!」
口調も忘れて息を荒くさせるマーネ。一方のオオタカはマーネの過剰な行動も受け入れ、次の発言には諦めが入っているような口ぶりだった。
「できるならそれは偉業ってやつだぜ。あれを近所の獣人が見たことがないとは言うまい」
「だったら、持ってきたあんたを殺す、今、ここで!」
「よせ、マーネ」
詩ノ崎がマーネの腕を掴む。肩で息をするマーネの爪の伸びた指が、オオタカの首筋で止まった。
「オオタカ、お前が密輸したあれはなんだ?」
種から育つあれは確かに植物だが、もはや寄生する生き物のような挙動だ。
ピクリとも根を張ったように動かなくなった栢が逆に不気味さが際立つ。
マーネが乱暴に離すと、オオタカは持ち込んだ張本人であるのにも関わらず、忌々し気に遠目に見た。
「“マンドラゴラ”……こっちではエイリアン殺しに使われるエリア8の植物だ」




