2‐17 友達の定義
◇
詩ノ崎から依頼がマーネに回ってきたのは一か月前。
「なにこれ?」
手渡しされた五枚の紙、マーネがネイルされた爪でめくればすべて顔写真付きの異人の調査書だった。
「依頼だ、一枚目の奴の尾行を頼まれた」
「あっそ、ガンバ」
「いや、それはお前がやってくれ」
「……は、はぁぁぁぁ!?!」
心の底から嫌がり喚くマーネに詩ノ崎の悪びれる様子もなく頼む。それも詩ノ崎が安請け合いで受諾したあとだった。
「そんなん陰キャの九十九にでもやらせばイイじゃん! なんであたしがやんないといけないのさ!」
「そこを頼むよ、財団からの依頼は簡単には断れねえんだ……、もちろんタダじゃねえよ」
「当たり前だし!……ちなみに! 全体のギャラは?」
詩ノ崎が金額を言うとマーネの目の色が変わる。
変わり身の早いマーネだったが、結局はマーネの天倉の仕事を減らす要望ことと、報酬の分け前を七対三にすることで手を打った。もちろん、大きい方がマーネだ。
財団が依頼したのはある人物の一ヶ月間の尾行。人員不足で財団職員が付けられない日に、マーネが一人で仕事に当たる。
このときのマーネは簡単な仕事だと高を括っていた。獣人にとって周囲から気配を断つのはお手の物で、天倉の給料よりも高時給の短期バイトだと浮かれて仕事についた。
ただこの依頼、マーネにとっての誤算が三つあった。
一つ目はすぐに来た、眠ってしまいそうなほど暇だったのだ。監視の時間は時々昼間もあったが、寝静まる夜から明け方までの時間がほとんどだった。体よく使われ、生活リズムが崩れていくのが天倉に戻った時のだるさで自覚する。
暇とは言いつつ、夜に動きがなかったわけではない。尾行のターゲットは決まって真夜中に出かけて寂れたビルの地下に入っては、きっかり一時間建物から出て、家に戻る。それを数日に一回のペースでターゲットは通っていた。
ここで二つ目だ。
依頼者への定期連絡で建物に入っていることを報告すると、
『中に潜入し、動向を探れ』
単純明快な指令を出された。マーネは異を唱えようとするも、相手の声も聞かず電話は切られた。
仕方ないと理解はしたくはないが、依頼を受けた以上義理は果たさなければマーネとしてのプライドがあった。内心では詩ノ崎の落とし前の内容を考えながら、ターゲットが日課の地下へ行ったのを見送って、マーネも時間を置いて後をついていく。
急な段差の階段を下った先にはアルミ製のドア、開ければあるのはバーに似せた酒場だった。
壁紙が剥がれてコンクリートの壁が見えていたり、テーブルやイスに統一感がなかったり、マスターの背後で整頓された酒瓶を差し引いても見栄えはひどい仕上がりだ。
急造したような店装だったが、それよりもマーネが気に入らないのは客層だった。
(客、全員異人じゃん)
顔に力を入れないよう、ここは開き直ってカウンターに座るマーネ。ターゲットは一つ席を開けて隣、尾行をして初めて顔の表情が見える距離にまで近づいている。
マーネはいつも尾行しているときと同じで、ドレスコードの欠片もない薄い黒のパーカーに太ももの見えるデニムのショートパンツ。キャップで顔の印象は与えないようにしつつ、常連らしくマスターに振舞う。
「ご注文は?」
「ジントニック」
とりあえず知っているカクテルの名前を口にすると、マスターは銀のシェイカーを使って作り始めた。お酒を入れる水音を聞きながらもう一度、今度は首を動かさず後ろのテーブル席の客を周辺視野で見た。
ターゲットと一緒に渡された四枚の調査書は、ターゲットに接触する可能性のある人物だ。顔だけでも覚えさせられたが、どの顔もここにはいない。
それよりもここのお客は人相が悪く、悪事の一つや二つを軽くやってしまっていそうな異人にも見える。
漏れ出ているオーラに良くないものを感じてすぐに目線を戻して何でもないように居住まいを直した。
背後で放っている危険な香りにマーネはだんだんこの依頼が馬鹿馬鹿しく思えた。
(めんどくさ! つか、もう出ていいよね)
ターゲットがバーに入ったこと報告すれば、あとは丸投げでいいはずだ。飽きが来ていた尾行ももしかしたら終わらせられるし、報酬も前倒しでくれる。
そんな考えが頭の中を独占しようとしたとき、目の前のカウンターにカクテルが静かに置かれた。
「おまたせしました、ジントニックです」
(……まあ、いいよね)
夜通しでの尾行でご無沙汰だったアルコール。三角グラスに満たされたジントニックを一口つけると、マーネはターゲットを盗み見た。
詩ノ崎から事前にもらった資料には当然目を通していても、一言一句覚えているわけではない。浮人以外で記憶しているのは、一か月と少し前にエリア5の内情で移ってきたこと。
ザックリとした情報でも、間近に平静なターゲットの顔を見ればある程度の感情が読み取れた。
覚えがあった……、表情から時々覗かせているのは恨みの籠った火だ。
何に執着しているのか、遠くから見ず知らずの要注意人物として接していれば、マーネはなんとも思わなかっただろう。
しかし、良くない。自分と同い年である彼女がその身をその炎をくべる薪として動こうとしているのは、見るに堪えない。
だからマーネは……、
「ねえ、あんたさぁ」
声をかけてしまった。
これが三つ目の誤算だった。
……
…………
………………
丘柵――砂洋駅から一駅分離れた異海跡地にマーネは濡れながらもあっという間にたどり着いた。気づかれない程度に獣人の瞬発力を使ったのは言うまでもない。
「地下……ね」
地下鉄のホームに続く出入口は天井が崩れて潰れていた。辛うじて小柄な人間が入れる隙間は残ってはいるものの、出るものは出ているマーネの体ではどこかつっかえてしまうだろう。
マーネは耳を隠すためのキャップをお尻のポケットに突っ込むと、軽く上に身体を伸ばす。
そして隙間をこじ開けて広げる……のではなく、獣人の持っている柔軟な身体でぬるりと天井だった瓦礫との空間に入りこんだ。
マーネとしては衣服の汚れは気になるし、瓦礫に引っかかって裂かれてしまった。もう着られなくなってしまって悔しくはあるが、追っている相手のことを考えれば惜しくはなかった。
「ふぅ……」
下へ続く階段に着地すると、服の水気を絞り出し、体のあちこちについた土埃を払ってキャップをかぶり直す。
スマホのライトで照らせばまだ地下鉄の丘柵駅は崩壊しておらず、改札口までの通路が残っていた。
すると、スマホはまた詩ノ崎からの着信で震え始めた。
「ふん、どうせルルであたしの場所わかるっしょ」
うんざりしたマーネは着信音が鳴らないよう機内モードにして、機能しなくなった改札を通り抜けた。
人が通う地下鉄は使わなければ無音の世界のはずだ。なのに、マーネが向かう下に続く階段からは、カツン、カツンと何かが衝突する音が聞こえる。
もしかしたらとは思っていた、万に一つでも間違いであってほしいと。マーネ自身がスクラプトラの力を身を持って理解していても、だ。
だが、階段を下れば下るほど、ルルのスクラプトラとしての能力に間違いはないという証明が音を立てて近づいてくる。
二階分の階段を下って、最下層の両側に聳える柱が並ぶ地下鉄のホーム。見晴らしの良い、ホーム端の階段からでもボンヤリと点いた非常灯が暗さを際立たせる。
……スマホが照らす先では、棒で何やら地面を突く背中が、見たくなくても見えてしまった。
「……なんで……なんで開かないの」
小さなぼやきが、この一ヶ月聞き続けた声質ではっきり聞こえる距離まで近づけば、もう人違いではない。
「もうやめなよ、栢」
マーネの声に栢から返事は返ってこない。
ゆらっと首を捻って振り返り、光源を持つマーネを見て栢の目が笑った。
「マネちん……やっぱあーしのことつけてたんだぁ」
栢が地面から廃墟のホーム落ちてそうな小石のようなものを悠長に拾い上げて、フラフラとしながら、上目遣いで栢もマーネを見た。
「……気づいてたの?」
「いちおーは信じてたんだけどね、ほら、会った時のバえなバー、覚えてる?」
「……?」
唐突に出されたお店にマーネは眉間に皺を寄せる。
「知ってる? あそこ、潰されちゃった。財団にバレちゃって、みんな捕まっちゃった。あーしはたまたまマネちんと遊んでたから居合わせてなかったけどね」
「運が良かったってことでよくね、あたしのおかげで栢が助かったってことじゃん」
「違うよね、密告したのマネちんっしょ」
「……」
あのバーは財団や財閥から認可を得ていないお店、つまり違法だ。栢がいたことを伏せつつ、経過連絡でさり気なく報告すれば財団職員が飛んでくるのがわかっていた。
栢を悪に染めるところから切り離すためだったとはいえ、マーネとしては口が裂けても言いたくはなかった。
「だからさ、きっとマネちんはあーしだけを助けてくれたんだって思ったんだけど……、きゃははははは!」
栢がこらえきれず虚しく笑う。無言のマーネからもう自分の中で結論を付けてしまったようだった。
「あーしら、ずっともだったのにザンネンだなー」
「そんなの……、こっちも同じだし!」
マーネが悲痛に叫ぶ。
「あたしは栢がなにやるか聞かない、けど栢はほんとに馬鹿なことやらないってあたし信じてるし!」
栢が手を取ってくれるとマーネが腕を伸ばす。
だが、栢の瞳は少しも揺るがない。瞳は怪しい光を持ち、マーネの挙動をただ見ている。
「そう言ってもー、ヤバいところ見られちゃってるしー」
後ろに棒のようなものを隠しているつもりだが、頭から飛び出すほど長い。
フラフラと身体を揺らしながら、転がっている石をヒールのついたサンダルで線路へ向かって蹴とばした。
「このこと録音とかしてない? 誰にも言ってない? あーしがここに来てるって相談してない?」
「し、してるわけないでしょ、あたしはあんたのこと信じてんだから!」
「あはは! うれぴ」
マーネを警戒する栢の目が笑う。いつも傍らで見てきた笑顔だと、マーネも強張っていた全身の筋肉が少し緩む。
その瞬間、棒の先端がマーネの目の前に迫っていた。
「ちょ……!」
獣人の反射で大げさに身体を動かす。栢が片手で握る棒がマーネの二の腕をかすめて、先端がマーネの体を通り過ぎていた。
マーネは通過した棒の中腹を掴み、栢との引っ張り合いに持ち込んだ。
「待ってよ! あたし栢に危害を加えるつもりなんて、これっぽっちも……!」
「知てんよ、マネちん。マネちんはツンケンしてても友達には優しいもん。あーしみたいなナゾなよそ者にもさ……、それならさ」
栢が急に力を緩めて、マーネの身体が前に傾く。瞬時に栢が力を入れ直してマーネが振りほどけば、バランスを崩しかけたマーネは手を離し後ろに一歩、二歩と後ずさりした。
栢が握っていたのは何もついていない棒ではなく、三つの波が起き上がっているかえしがついた黒い銛。
満面の笑みで、ぬらりとした赤い液体で光らせた銛先をマーネに向ける。
「黙って死んでくれるっしょ? だって友達なんだしさ!」




