2-16 来たるべき日
◇
希乃が飛ぶ一時間前、しとしとと降り続ける長雨の中で詩ノ崎は喫茶店のベルを鳴らした。
セピアの色合いが強い古風な店内で、明るい髪色で垂れるツインテールがすぐに目についた。
呼び出したのは白森財閥の令嬢、白森香織。
ソファー席に相席すると、香織は詩ノ崎に目も合わせずに言った。
「場所を勝手に変えておいて相手より遅れて来るなんて、いいご身分だこと」
「悪かったなお嬢、入用でな」
今の天倉の店内は午前中丸々使っても、見せられるほど片付いていない。
香織との情報交換がいつもの天倉じゃないのは、そこを財閥の人間である香織に突っ込まれて、異人が暴れたという話に繋がるのを避けるためだ。
香織に悪びれることなく詩ノ崎は水を出した店員にアイスコーヒーを頼むと、香織が頬杖をついた。
「それって予告もなく休業したことと関係があるのかしら?」
「……そうだな、店のレイアウトをな」
「あらそう」
誤魔化した詩ノ崎を見透かしたような目をする香織。ただそれ以上は踏み込まず、席の隣に置かれたビジネスバッグから糸で留められた茶封筒を取り出した。
「はいこれ、頼まれたの」
香織は茶封筒を詩ノ崎に渡すと、目の前で詩ノ崎は開けて中身を拝借する。
昨日のオオタカに見せた紙束よりはるかに少ない枚数、書かれているのは先々月の静関公園火災での押収物ついてだ。先日まで行われた大規模な調査で、二か月前よりも記載が増えている。
詩ノ崎もオオタカと同様の可能性を見ていた。
オオタカが調べても見つからなかったなら、財閥側が隠しているのも十分あり得る。
早速、目を通す詩ノ崎に、香織は邪魔するがごとく雑談を吹っかけてくる。
「そういえば前に財団が来たのでしょう、進捗はどう?」
「今更だな、今日で終わる話だ」
「ふうん、それだけかかってるってことは、さぞ掴み難い尻尾かしら」
「そうだな、掴む尻尾もないだけかもしれないがな」
構わず詩ノ崎は一枚また一枚と、時間を使って文字とカラーの写真に目を通してページをめくる。
「少しは怪しいとは思わないわけ、財団の依頼よ」
「知らねえよ、今のとこ何もねえみたいだし、こっちはこっちで夜に使える時間は生憎持ってねえんだ」
香織が怪しんだ目で詩ノ崎を見た。
「誰に行かせてるの?」
「マーネだが?」
「……あの仔も災難ね、同情するわ」
どこで嗅ぎつけたか、財団の依頼を知っている香織が目を瞑って軽く頭を抱える仕草をする。
そんな仕草は詩ノ崎の目に入らず、隣に頼んだアイスコーヒーが置かれても目も暮れない。
だが黙々と進めていたページが遂に最後の一ページとなった。
詩ノ崎の欲しいもの、燃えた残骸となっただろう他エリアのペンダントが押収された記載はでてこなかった。
「……ここは禁煙よ」
香織の声で煙草とライターの入ったポケットに触れた手を止める。
詩ノ崎は額を中指でトントンと叩くと、書類を最初のページに直して、入っていた茶封筒に戻した。
「静関公園の調査、終わったのか」
「ええ、ひとまずね。公園の修復作業が当分かかりそうだし、何より費用が嵩むわ。一体どこに請求すればいいのかしらね」
「おいおい、俺は違うだろ」
「知ってるわよ、貴方たちを責めることなんてすると思うの?」
「……さぁな」
詩ノ崎の反応に、フフフと莞爾として笑う香織。
詩ノ崎はアイスコーヒーにフレッシュミルクとガムシロップを加えると、ストローでぐるりと混ぜた。
「これだけ時間をかけたんだ、ここでは書けねえようなものが見つかったんだろ」
香織がパチパチと長いまつげを動かすと、詩ノ崎に流し目で視線を向ける。
「なに? 珍しく気になることでも?」
「……やっぱりあるのか?」
「さてどうだったかしらね、毎日異人が起こした問題の山積みで似たようなことが多すぎてね」
「覚えてねえってか」
ここから先はただではない、とのことだ。
とぼけるふりをする香織はここでも頼んでいた紅茶に口をつけると、詩ノ崎はため息を一つ吐いてから両手をあげる。お手上げだったし、何をさせたいのか見当がすぐについた。
「どうせ九十九が呼ばれたことと何か関係あんだろ。わかったよ、そこんとこ協力してやるから」
お手上げ状態の詩ノ崎に香織は笑みを深くする。
「前に資料みせた戦車、覚えてるかしら?」
「確か、対氷人のやつだったな」
二か月前の報告書にも記載されていたが、それは現場にいた詩ノ崎の目にもわかったことだ。
詩ノ崎がアイスコーヒーを口につけると、頷いた香織がさらりと言い放った。
「ここだけの話ね、燃えた戦車から異海物が見つかったの」
「ゴボッ!」
とんでもない発言に詩ノ崎はむせる。
地球に棲む生き物をいられなくさせる異海化、その原因となるものが異海物と呼ばれている。
該当するのはほとんどが植物だ。他エリアだろうが見境なく自分の植生を広げ、地球に棲む生き物に影響を及ぼしてきた。
植物が動物さながらの防衛本能で生き物を追い払うか、繁殖するための養分として取り込むか……。
エリア3の技術では深く根を張る前に破壊するしか、異海物を取り除く手段はない。繁殖してしまえば広がらないよう抑えるのが手一杯だった。
「お、おい……それは悠長にしてる場合じゃねえだろ」
一歩間違えれば、自分の手で静関公園一帯を異海化させることになっていたとは。
脳裏に異海化した荒れ地の光景を浮かび、詩ノ崎の左腕に鳥肌が立つ。
それでも香織はティーカップを持つ姿にどこか余裕があった。
「安心しなさい、危惧してることは起こらないから。無事に異研に送られて今頃あっちは浮かれて研究中よ」
「なにかもまだわかってないのか?」
「死人には口がないもの、仕方ないわ」
昏睡状態の奴次第ってことだろうが、目覚めるのはいつになるのか。
香織が物憂げに息を吐く。
「こっちだって疑問は尽きないのよ、私たちが対峙したのはエリア6の氷人、けど回収したのはなぜかエリア4の異海物だし……、そこのところどうなのかしら?」
「どうやって手に入れたかってことか?」
「それもよ……できるならそれを使って何をしようとしていたかが重要ね」
詩ノ崎が知らん顔をして首を振る。
「俺に聞くな、今のあっちの詳しい事情なんて天倉に回ってくるわけないだろ」
「あら、そんな謙遜して」
からかう口調の香織にたじたじになって、詩ノ崎は味わい損ねたアイスコーヒーを飲み直した。
「ほかにはねえのか……回収したものは」
「……? ないわよ、危険性が高かったのがそれだけだもの」
「そうか」
詩ノ崎のあからさまな反応に、香織は訝しげにこちらを見たあと、ティーカップに残った紅茶を飲みほして席を立った。
詩ノ崎が誘ったお茶会はこれでお開きらしい。
「何を探しているか知らないけど、精々頑張ることね。あと、近々また行くからもてなす準備をすることね」
「前もって連絡してくれればな」
詩ノ崎が読み終わった資料を戻して帰り支度をした香織が、傘立てのある高級感漂わせる黒い傘を手に取った。
テーブルに残されたのは空のティーカップと、香織が頼んだ紅茶二杯分の伝票。
「俺が払うのか」
「呼び出したんだから当然でしょ?」
喫茶店を出た詩ノ崎は傘を差してひそかに落胆した。
ルルを追って希乃を攫おうとした奴らと、オオタカの遭った盗難は無関係の可能性が大きくなってしまったのだ。
こうなってくると他の異人グループどころか人間の窃盗もあり得て、可能性は際限なく広がる。
異海物の回収の話は、そこに至るまでに作った財閥の令嬢の貸しで得たのに今のところ役に立たない。
財閥の協議に呼び出された九十九は、明日には帰ってくる。白森財閥の令嬢である香織が来る前に、どんな話か事前に聞けそうだ。
(全く面倒なことを引き受けてしまった……)
増えた頭痛の種でゆっくりしている詩ノ崎の足取りは、天倉には向かわず、河川敷を歩いている。橋が近くなるとすぐ横の土手を滑り降りた。
今も降る長雨で増水した河をまたぐ橋の下。そこにルルとベガがいた。ルルは膝に手をついて俯き、ベガはなにやら真剣な顔をしていた。
そんな輝人の二人に近づく。
「よう、帰るぞルル」
ルルは詩ノ崎に重たく顔を上げる。額には雨粒よりも大きい、大粒の汗が頬を伝って顎に溜まっていた。
「まだ、早い……けど?」
「人に見られねえて言っても、これ以上増水すると危ないからな……ベガもウチに来るか? 聖水渡すついでに茶なら出すぞ」
「主様は?」
ベガは内容について考える前に反射で主様、もとい希乃がいるかどうか聞き返す。詩ノ崎としては予測の範疇だ。
「どうだろうな、もともと今日はバイト休みだからな。……でも希乃だったら来てるかもしれないよな?」
「……うん」
ルルに少し元気が出たようで声は喜色ばんでいて、これにベガも笑って頷いた。
「それなら行くよ、ルルの修行の成果も話さないとね」
その時、詩ノ崎のポケットでスマホが鳴った。
震えていたのはプライベート用のスマホではなく、天倉が休業でも持ち歩いている仕事用のスマホ。
そして、画面には依頼をこなしているはずのマーネからだった。
「はい、もしもし」
『カイ、まずいことになった!』
発せられるきな臭いマーネの第一声に詩ノ崎は顔を顰める。
『見失った! あたしのことに気がついてたかもしれない! どしよ!』
独断専行のマーネが焦っている。仕事以外のことで詩ノ崎に連絡するくらいの予想外のことだったのだ。
「一回落ち着け、このこと財団に連絡は?」
『してない!』
「ならまず先方にも連絡してそこから……」
『ここで連絡なんてしたらあいつ殺されちゃうじゃん! そんなの絶対にヤだよ!』
電話越しで駄々をこねるマーネに、詩ノ崎がことの事態に焦る。それでもマーネに悟らせないよう、一言目で発したときと同じような平静な声を保つ。
この間に詩ノ崎の傍にいる、いまいち聞く気のなかった二人もこちらに興味を持って聞き耳を立て始めた。
「今どこにいる?」
『駅よ、駅! サナダ駅!』
(……最悪だ!)
人通りが多くて、交通の便がいくつも通っている中心街だ。地下鉄、電車もあれば、バスやタクシー、裏をかいてまだそこら辺でうろついているかもしれない。
撒かれてどこへ行ったのか、闇雲に探しては見つけることは不可能だ。
「俺もすぐそっちに行く、逃げた場所に心当たりはあるか?」
『知らないわよ! 家にも一度行ったけど出てくれないし、窓から覗いてもいなかったから多分行ってないわ』
テンパったマーネの言い分。気がついて詩ノ崎の顔から血の気が下に落ちていくのが感じられた。
「行った……? おい、それは何時間前のことを言ってんだ」
『ほんの一時間前よ、やっぱりいなかったから撒かれたサナダ駅に戻ったの』
そんなのもう追跡は無理だろう。詩ノ崎は文句の言葉を探したが、そんなことをしている場合ではない。
思い当たる場所を一度だけ目を通した資料を思い出して模索する。
ただ、探し始める時間が遅すぎた。
ここから見つけ出すなんて、こんなのどうしようも……。
「誰か、人探し?」
スピーカーにしていなくても聞こえていたルルが詩ノ崎のTシャツの裾を引っ張ってきた。
関係のないルルに詩ノ崎がもごもごもと口を濁す。
「いや、まあそうだが……」
『ちょっと、そこにルルがいんの!?』
ルルの存在にマーネが受話器から出てきそうなほど食いつきにルルが体を退かせる。
こちらの反応がわからないマーネはスピーカーにしなくても大声で呼びかける。
『なら、お願い! 前みたいに居場所を探ってよ!』
「え、あのなんのことか、ぜんぜん……」
「……それはな」
事情を呑み込めていないルルに詩ノ崎が大雑把にマーネにした依頼の話をすると、横で聞いていたベガが理解して頷いて理解した。
「浮人ですか……それはルルの条件に合うのですか?」
『え? なんのことよ!』
「スクラプトラには条件がありますよ。ルルがどのようなものかはわかりませんが、当てはまらないと考えても……」
『そんなの困るんだけど!!』
ベガの淡々とした喋りにマーネが大声で喚き散らす。
だが、ルルが「あの……」とか細い声で詩ノ崎の注意を引いた。
「その人なら、わかる」
『まじ!! どこよ!』
「えっと……」
深呼吸を一つ置いてルルが瞑目する。
「……マーネちょっと待ってろ」
このタイミングで詩ノ崎がマイクの部分を指で塞いだ。
スピーカーからはマーネのキーキーした声で詩ノ崎の文句を言っている。
すぐにでも向かいたいマーネにはまだ聞かせられない。なにせ詩ノ崎としてはマーネと合流してから向かうことを徹底したいのだ。
雨音が強まる中でルルが探り当てたのか、瞑目しながら口が微かに動き出す。
「動いてる……、たぶん地下……、向かってるのは……、あ、前に、希乃と行ったところ?」
「おいおい、まさかよ、また丘柵じゃねえだろうな」
詩ノ崎は因縁が残るあの場所を嫌がるが、無情にも場所を知っているルルが否定する。
「たぶん……追いかけられたとこだし、でも地下は行ったことない」
「ルル、その地下とやらは何を?」
「地図があれば……」
ベガの質問に答えるため、ルルが操作慣れしていない自分のスマホを使って地図を表示した。
「ここの下に、いる。さっきまでちょっとずつ下に下ってて、今はこの場所で止まってる」
真上は建物と道路の間、ビルの地下よりも深く、中途半端なところに留まっているようだ。
ピンときた詩ノ崎が先に答えを出した。
「もしかしたら地下鉄か?」
不意に口に出した詩ノ崎にベガが「あー、なるほど」と同意した。
まだ地下が埋まっていないなら、これ以上に見つからず人目につかない場所はないだろう。
場所がわかった詩ノ崎がマイクから指を離して、耳に当てた。
「マーネ、そのまま砂洋駅に……」
スピーカーから返ってくるのはツーツーと電話を切れた音だ。
スマホのマイクを塞いでいたのに今の会話の内容を聞かれていた。
甘くは見てなかった。しかし、五感が鋭い獣人の聴覚が詩ノ崎の想像よりも高かったのだ。
「くそ、マーネの奴」
つっぱしるつもりか、詩ノ崎が舌打ちをしてスマホの電源を切った。
独走するマーネを放っておくことはできない。何か大事をやらかす前に止めに入らなければ。
加えて、ターゲットがここに来てマーネを撒くという行動を起こしたのも気にかかる。依頼の終わる今日まで怪しい行動を聞いていなかっただけに余計に、だ。
すぐに切り替えた詩ノ崎はルルを見た。
「すまんが今車を持ってくる、もう少しここで待ってくれ。ベガ今日はもう上がってもいいな?」
「ルルも、いくの?」
「ああ、マーネを追うのに力を貸してくれ」
不安そうな目をしていたルルだったが、唇を強く結んでコクコクと頷いた。
「悪いなベガ、さっきの話はなしだ」
「それは構わないよ、大変なところみたいだしね」
ベガは少し寂しそうにも見える顔で答えた。おそらくは今日は希乃と会えないからだろう。
希乃とは一切関係のなさそうなことには首を突っ込まないスタンス。加勢はしないベガに詩ノ崎も期待はしていなかった。
「すぐ戻ってくるからな」
傘を開き、詩ノ崎は橋の下を出る。
長雨はまだ止まず、広がる雲の厚さはさらに増していた。




