2-10 その細胞に宿る
詩ノ崎が持ってきたものは二本の試験管とビーカー、スポイト、二種類の色付き薬瓶……箱に収められた器具の数々に希乃がクスッと笑った。
「なんだか学校の実験をするみたいですね」
「それより地味でつまらんとは思うけどな、とりあえずこれ」
詩ノ崎が最初に取り出したのは白い綿棒、希乃となぜかルルにも一本ずつ。
「カルネの内側の頬から皮膚を採取してくれないか? あと、ルルのも」
「……ルルも?」
「使うからな、悪用はしねえよ」
「それくらい、わかってる、よ」
ルルが綿棒を口の中でこしょこしょと擦りつけている間に、希乃はカルネを起こさないよう静かに三階に向った。
詩ノ崎は箱から薬瓶や試験管を並べていくが、ルルは綿棒を咥えながら物珍しさに、特に深緑色の薬瓶に目を輝かせる。
「みどりだ……これって3の?」
「いいや2だ、あそこは遺伝子の研究進んでるからな」
エリア2の遺伝子研究は、どこのエリアよりも先に着眼し、研究の積み重ねが圧倒的に多いおかげでどこよりも進んでいる。
だがその研究は結果は秘匿され、加えて人も品の流れも遅い。
そんな研究に使われる薬品が、なぜかリビングに並べられている。
オオタカがルルがさっきまで見ている前で深緑色の薬瓶を手に取った。
「エリア3じゃ使わないのによくこんなものがあったな、どの薬品も本物じゃないか。一体どこで入手したんだ?」
「こう見えてもリサイクルショップだからな……、あとあまり触るなよ、俺のじゃねえからな」
希少性を知っていたオオタカと、もう一方の褐色の薬瓶を持っていたルルが忠告通り大人しく瓶を下した。
詩ノ崎は慎重な手つきで黒の水性ペンで点を試験管の口の付近につけて試験管立てに戻すと、ルルの咥えている綿棒を指した。
「ルルその綿棒いいか?」
ルルが咥えていた綿棒が渡されると何も描いていない方の試験管の中に投げ込んだ。
そこに綿棒を持った希乃が三階から戻ってきた。
「お待たせしました」
「ありがとう、それじゃ一本こっちの試験管に入れてくれ」
「こうですか?」
希乃がぬらりと唾液が纏った綿棒を今度は点が付いた空の試験管に突っ込んだ。
綿棒が丸ごと入った試験管が二本。これで希乃の役割は終わりではない、次に詩ノ崎は赤のゴムが付いたガラススポイトを手渡す。
「学校の実験で使ったことあるだろ、これ使ってこの薬を一つずつ入れてくれ」
「わ、私がやるんですか?」
「そうだ、俺は残念ながらできねえからな、代わりにやってくれ」
「私も得意じゃないですけど……わかりました」
希乃は「えっと」と呟きながら、詩ノ崎の指示通り、褐色の薬瓶から綿棒入りの試験管へ入れる。
得意ではないとは言いつつも、薬品が通るスポイトの中には一つの水滴もなく、決められた量をきっちり入れられたということを示していた。
「そういえば、これは何を調べるんですか? オオタカさんも知ってるんですよね」
言われた工程を終えた希乃は疑問を呈しながら次の詩ノ崎の指示のもと、使ったスポイトを空いたビーカーに突っ込み、薬品に浸された綿棒で液体を軽くかき回して同じビーカーに捨てる。
試験管には綿棒分の嵩が減ったサラサラした無色透明の液体ががほぼ同じ水面の高さになっている。
片手間に聞かれた質問にオオタカは「まぁな」と説明する気が微塵もない返事を返すが、詩ノ崎がわからない希乃とルルに答える。
「今からこの液体に色を付ける、その色でどこの人間かを調べるんだ」
「へぇ……もしかしてph測定みたいなことですか」
希乃は最近習っていたみたいで話が早い。
「まあ、そんなもんだ」
感嘆な声を挙げた希乃と、わからずポカンとするルル。
詩ノ崎は細胞を溶かした液体とはまた別、指示薬が入った深緑色の薬瓶を回して希乃に見せる。シミのついた紙ラベルには馴染みのない化学式が一本線時々二本線で連なっている。
「当たり前ですけど、フェノールフタレイン指示薬とはまた違うんですね」
「学校で使うような薬品よりも強力だからな垂らさないように。ルルのやってみればわかるぞ」
希乃から初めて聞いたであろう単語「ふえ……のーる」とたどたどしく呟いていたルルがハッとした。なぜか自分も実験されようとしていたことに気づいたようだ。
「え……ルルのは、必要なの?」
「この薬品が本物かどうか調べるための証明だ、同じ奴がいればよかったけど剛人に一番近いのはルルだからな」
エリアが近ければその人間の遺伝子は近いものになるらしい。
理系でも文系でもない詩ノ崎にはその手の話は門外漢だが、使われている薬品の持ち主はよく嬉々として話していた。
そして、今目の前で行おうとしている検査もメカニズムこそよく知らないが、やり方だけは知識として詩ノ崎は頭に入れていた。
この検査のあとでいちゃもんはつけられたくはない。だからここで輝人であるルルの結果を基準にすることで、カルネがエリア1・2の人間であることを証明しようとしているのだ。
詩ノ崎がオオタカに視線をやると、ニヤリと笑う。
「ああ、確かにそうだな。薬品が本物か見極めるにはちょうどいいじゃないか」
「だそうだ、希乃頼む」
「は、はい」
希乃がスポイトで吸い上げた液体は大雨で増水した河川の水を思わせるようで、それがスポイトの球体部分に溜まっていく。
「うわぁ……」
操作する希乃は汚そうに見る指示薬をルルの細胞に注ぐ。
泥色が無色の液体に溶け込む流れが見えると、瞬く間にその色に染まる。そこから遅れて試験管の端から泥色が緑色が混ざっていった。
最終的に濃い緑色で変化が完全に止まると、これにはオオタカも納得する。
「問題はないようだな」
「ああ、エリア1の人間に近ければ近いほど緑色になる、カルネのも入れたら同じ色に染まるはずだ」
これで残っているのはもう一つの試験管、カルネの細胞が溶けたものだ。
希乃が持っていた手に冷や汗をかいて、スポイトを持ち替える。
「これってどうなったらダメなんですか?」
「薬品を完全に分解する状態、つまり透明になることだ。見ることはねえけどな」
「いいや俺の目は正しい、どんな小細工をしていてもこれは覆らない」
「それは今からわかることだ……希乃やってくれ」
希乃は口を結んで頷くと、指示薬をスポイトで吸い上げて試験管の壁に近づけた。
一回目と同じ動作、壁を伝って加速のついた指示薬が細胞の溶けた溶媒に流れ込んだ。
すると液体は濁ったまま色が移り変わる、対照としたルルよりも薄い緑色だが液体に色が付いた。
……透明にはならなかった。
「これではっきりしたな」
詩ノ崎が勝利宣言をしたのは反応が完全に止まってから。試験管の中は泥色が混じっていない緑色のままで、カルネの無実は証明されたのだ。
一方で、結果が望むものに行かなかったオオタカは行き場のない拳を自分の膝に叩きつけた。
「んなわけあるか! そこのひよっこの細胞を使ってるだろ!」
「ひ、ひよこ?」
不正を疑われて指を指された希乃がオオタカの不思議な言い回しに首を傾げる。
剣幕で押し通そうとするオオタカに希乃はもうビビっていない。証明された以上、オオタカの感覚に信用はなく、その諦めの悪さに詩ノ崎の心も余計に冷めていく。
「希乃の出身は3だ、この検査をやったところで当てにはならねえだろ」
「なら薬品が……」
「往生際が悪いな。それでもお前はラーフか?」
「な……」
オオタカは言葉を失った。
プライドが高いオオタカを黙らせるには充分過ぎる威力だった。
ここまで見ていたルルが耐え切れずに、隣の希乃の袖を引き耳打ちする。
「ルル奥の世界のこと、よくわからないけど、ラーフってなんだろう?」
希乃は腰をかがめて、静寂の邪魔しないよう声を潜める。
「わかんないけど、たぶん種族のことじゃないかな? どこの異人かわかんないけど」
「ルルも異人、たくさん見たけど、輝人しかわからないよ。あの人は違う」
「私もそう思う。たぶん獣人……しかないかな、変身できるとしても浮人はちょっと違うだろうし……」
「……おい、聞こえてるぞ」
ひそひそと話す二人をオオタカが咎める。
だが、これ以上は当たることはなく顔を顰めるばかりだ。
「長の提案に乗ったのは俺の、意思だ……俺が、間違っていた……!」
まるで自分に言って聞かせるようだ、ゆっくりと頭をギリギリと下げて顔は見えなくなる。
見下ろす詩ノ崎は無慈悲に告げた。
「それは起きたカルネにも言ってくれ、あとは店の修繕費と補填諸々の請求……希乃からはないか?」
希乃は「あ、そうか」と傷つけられたことを忘れていたことを口にすると、頭を下げ続けるオオタカを視界に入れると頷いた。
「私は大丈夫です、ケガはないですし」
「だとよ、これで手打ちだ。いいな?」
「……心に刻んどく、長よ」
その言葉を言ってからもオオタカは頭を下げ続ける。詩ノ崎には彼がどんな顔をしているか想像に難くはなかった。




