2-9 無実の証明
◇
「まだ痛むか?」
リビングに入ってきた詩ノ崎に、床に座っていた希乃はぶつけた頭を触りながら軽く頭を下げる。
「大しては……。それより、カルネさんは?」
自分より他人の心配をする希乃に、詩ノ崎は頭をかいた。
「寝てるよ。擦り傷だけで大したケガじゃねえよ」
「そうですか……、私、思いっきり突き飛ばしちゃって」
「気に病む必要はねえよ、突き倒してくれなかったら擦り傷だけじゃ済んでねえし。カルネも気にしないだろうから……ほら」
まだ作ったばかりの麦茶とコップを持ってくると、詩ノ崎が希乃に左向かい、バルコニーに繋がる窓の前にあぐらを掻いた。
希乃は「ありがとうございます」と、詩ノ崎が注いだ麦茶を両手でもらうと隣に視線がいった。
ソファーではオオタカが寝かされている。破れたスカジャンは脱がされ、タンクトップ一枚の姿。詩ノ崎がつけた傷は、詩ノ崎自らが適切な処置をして大事には至っていない。
「今日中に目を覚ましますかね?」
「知らん、手加減はしたぞ」
気絶させても骨折はなし、力はこれでも抑えた方だ。
首や額に包帯がまかれ、腫れた頬にはガーゼをつけられて軽傷とも言い難くはあるが。
希乃と詩ノ崎は同時に麦茶をあおると、二人そろってふっと息が漏れる。
怪我人の手当てだけでもう夕方だ。
カルネを寝かせたあとに、今しがた店の施錠と簡単な設備点検をしてきたばかりだが、まだ手つかず荒らされた店内の片付けに加えて、詩ノ崎には当事者からの事実確認が残っていた。
「いきなり聞くが……、なにがあった?」
「さあ、私も急だったんで何がなんだか……、ただわかるのはカルネさんを見た瞬間に驚いてまして」
「またあいつ失礼な態度でもとったでもなく、か?」
「はい、特には。入店してから何も話していなかったはずです」
希乃のはっきりした主張に詩ノ崎は顔を曇らせて、オオタカをゆっくり流し眼で見た。
カルネとオオタカのエリア同士の交流は詩ノ崎の覚えではないに等しかったはずだ。面識を作っていたと仮定すると、会えるのはここエリア3だけ。さらにカルネはほとんど天倉から外に出ようとはしないから、他人と顔を合わせられるのは店番のときに限られる。
オオタカの接客は、一度目はマーネが、二度目は詩ノ崎と希乃が対応している。
となると、カルネ自身に面識はないだろう。
(2と5は険悪ではないはずだし……何かあったかな)
最近の他エリアの情勢を思い起こしている詩ノ崎に、希乃が打って変わって曖昧な口調で問いかけてきた。
「あの、私が捕まったときに言われたんですけど……」
「なんだ?」
「関係あるかわからないんですけど、カルネさんのことをたしか……“宇宙人”? って言ってました」
「“ウチュウジン”?」
眉を顰める詩ノ崎に希乃は気まずそうにうなずく。
「変ですよね、だって異人が言うんですよ。何も知らない人が言うんならわかるんですけど」
「……」
宇宙人はいる、いない。巷でたびたび起こされる論争だが、現実どちらも正解ではない。
宇宙なんてものは世界が辻褄合わせのためについたでっち上げであり、壁紙のようなところからやってくる者なんて誰一人として来るはずがない。
知っている側の希乃が困惑するのもわかる。この単語を何も知らない一般人ならいざ知らず、存在を隠すための異人が口にしたのだ。
だが、希乃の証言はさらに深く関わっている詩ノ崎からしてみれば正しくはなかった。
「正確にはこいつが言ったのは“ウチュウジン”じゃなくてよ、“エイリアン”だったんじゃねえか?」
「……! はいそれです!」
希乃の肯定に詩ノ崎はますます顔を曇らせて、ついに眉間を叩いた。
(今説明するか……いや、しかしな)
ここで言っても何も変わらないし、希乃の……いや、エリア3の運がよっぽど悪くない限りは今の仕事で使うことはないだろう。
ただ、希乃の知識に間違いがある。詩ノ崎は冷静を装って訂正する。
「希乃一つ間違ってるがな、“ウチュウジン”っていうのはいないが“エイリアン”は実際にいるぞ」
「……? え、何が違うんですか? “宇宙人”と“エイリアン”ってただ日本語か英語の違いじゃないんですか?」
「全然違うな。まずオオタカが起きたらそこから……」
詩ノ崎が言葉を切って希乃ではなく明後日の方向に顔を上げた。
希乃も不意に釣られて見ると、玄関に繋がるドアから背の低い誰かがこちらの様子を伺っていた。
「何もねえから入ってこいよ、ルル」
おめかししたルルが静かにリビングのドアを開けた。
下の荒らされた様子を見たのだろう、手には液体の入った小さなペットボトルをきつく握りしめ、表情は緊迫で張りつめていた。
「ノノ……」
ルルは座っている希乃に抱きつく。ぱっちりしたその目は涙が落ちそうなほど潤んでいた。
希乃は困り顔で受け止めものの、笑いながら黒髪の頭をなでる。
「あーごめんね、連絡くらいすればよかったよね」
「よかった、無事で……。お店ぐちゃぐちゃで何かあったって……、でもノノとシノザキはリビングにいるし……、でも捕まってるかもしれないし……」
「うんうん、確かに怖かったよね。色々あってちょっと連絡つけるの忘れてた」
「あとでマーネと……ついで九十九にも連絡いれないとか。最低一週間はお店開けられねえだろうしな」
またやることが思い出してしまった詩ノ崎は腕を組んでため息を漏らした。
表のリサイクルショップは売り場を閉めつつ買取だけを行えばいいだろう。詩ノ崎が様子を見た限りでは売り場以外は設備も商品も無事だ。査定なら調べられるネット環境と預かった品物を汚さない場所さえあればなんとかなる。
そうなると、稼ぎは一つのみ、裏の配達と店頭の受け渡しに頼るほかない。
売り場の荒れ具合を共有している希乃も仕方ないという風に頷く。
「やっぱりそうですよね、どうしようもないです」
「一体な、何が起こった……ひぃぃぃ!」
今更ルルが近くで寝ていたオオタカに気づいて、困惑して希乃の背の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ、詩ノ崎さんが気絶させたから」
「……誰?」
眠っているとわかってルルは顔を覗かせる。そろりと希乃の背後からソファーの傍まで。知らない人ではあるが、案外怖がっている様子もなく、遂には包帯がまかれていない手の甲に刺激が感じないだろうほどそっと触れた。
「ここで暴れたお客だ、下をめちゃくちゃにした挙句、希乃とカルネまで襲いやがった」
この詩ノ崎の説明でルルは総毛立って、触れていた手を隠した。
すると、オオタカが低く呻き声をあげた。目を細く開け、首をゆっくりと傍らにいたルルがいる方に動かす。
「ひっ!!」
目が合ったルルは喉を引きつらせまた希乃の後ろに、今度は顔も覗かせず姿を見せないように隠れる。
代わりに詩ノ崎が希乃の前に立った。
「目は覚めたか、オオタカ」
オオタカは自分の手をぼんやりと眺めて、上半身をのっそりと起こした。自分の体を見回し、包帯がまかれた額にも手をやりると、辛そうにしながらも詩ノ崎を睨みつけた。
「どういうつもりだ?」
「うちの店で暴れられた挙句に死んでもらっても困るからな……、だがこれ以上下手なことすれば怪我どころじゃ済まさねえからよ、大人しくしてもらおうか」
詩ノ崎の忠告に、オオタカが変身してもいないのに鳥らしく嘴を鳴らす。
「なら聞こうか、長はどういうつもりであれを匿っているのか、な」
「匿ったりなんかしてねえよ、うちで働てるだけだ」
「……あれが何かわかっていて入れたということだな?」
オオタカの手が震えていた。その反応には見覚えがあるのだろう、背後にいる希乃は空気を察して面を食らっている。
それでも詩ノ崎は毅然としていた。
「当然だ、だがいち客のお前には関係のねえことだろ」
オオタカが憤怒の形相で詩ノ崎の胸倉を掴む。
怪我をしたばかりにも関わらず、詩ノ崎の顔を自分に力任せに引き寄せて怒鳴った。
「大ありだ、馬鹿野郎! あれは紛れもなく害虫だぞ! こっちがどれだけの想いで戦ってきたと思っている! 貴様、長のくせにそこまで」
「だから大人しくしろよ」
詩ノ崎が掴むオオタカの手首を握って、力技で胸倉から手を離させた。
「わかってんのか、お前がやったことは立派な殺人と強盗未遂だ。財閥に突き出せばどうなるか、口に出さないとわからねえわけじゃねえよな」
「どの口が言ってる!」
まだ口答えするオオタカの腕を詩ノ崎は体の外側に回す。オオタカは関節とは逆に捻られたことで大きく呻いた。
「下の状況とカメラの映像がある、証拠がこっちにはあるんだ。その点、お前はなんだ? 直感というやつか?」
「証拠なら……ある! 俺の目がそう言っている!」
痛みに負けず一歩も引き下がらないオオタカが息を荒くしている。
その表情を詩ノ崎は冷ややかな目で見たあと、掴んだ腕をソファーに落とすように離した。
「勘違いしているようだがな、あいつは生まれも育ちもエリア2だ、お前が想像しているものとは別物だぞ」
「それこそ証拠というものがないだろ」
オオタカが腕を押さえて、詩ノ崎を見上げる。まだ眼光の鋭さは弱まっていない。
「財閥お墨付きの調査用紙を見せたら納得してくれるのか?」
「……ダメだ、偽造かもしれないだろ」
「そんな……そんなの横暴です」
財閥とグルかもしれない、その発言には後ろで行く末を見守っていた希乃も絶句する。オオタカはどうしてもカルネを敵として見做したく、頑なに認めない。
オオタカが希乃に何か言いかけようとしたとき、詩ノ崎がそれを遮った。
「なら今この場で証明して見せればどうだ? これではっきり証明できれば納得して……こっちの言う通りにしてくれるな?」
わだかまりをなくすための詩ノ崎の提案、白黒つけるこれでノーと言ったならば……。
オオタカはたっぷり間を空けて、やっと不服そうな返事が返ってきた。
「……ああ、できるものならな」
「わかった、持ってくるから待ってろ……また手を出したら問答無用で突き出すからな」
険しいような悲しいような、複雑な感情を渦巻かせた希乃と、完全に怖気づいてしまったルルを置いて詩ノ崎は席を離れる。
希乃の気持ちもわかる、詩ノ崎も拳一つ食らわせたいところだが、傷つけられたカルネの名誉のためだ。
感情は心の奥底に、詩ノ崎は明かりもつけず階段を下った。




