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ノノノ越界奇譚  作者: 雨枝蒼
【スフィア編】
37/56

2-8 スフィアの翼

「やっば……」


 危機感のない呟きをするカルネだが、逃げようにも足を動かせていない。

 翼の風に乗せてオオタカの殺意がカルネの体を強張らせていた。

 そして、それは気を抜いていた希乃も同じだった。


(何しようとしてるの!?)


 姿を変えられるのはエリア7の獣人(ビースト)と、エリア5の浮人(スフィア)

 だが獣人ビーストは爪や牙を強化したりしてここまで変わらないし、浮人スフィアはある条件を満たさない限りは変形できない。希乃が仕事で見て聞いたものと全く違うのだ。

 知っている異人の中で当てはまらないのならば、どこの異人か……、希乃は初めて邂逅する異人を恐れた。

 腕は翼に、足は(あしゆび)に。四肢が鳥類のそれに変形し、急転直下に緊張感が増す。

 ――目を逸らせば確実にやられる。

 希乃は向かい風で目を閉じそうにもなっても、冷や汗をかきながら細目で出方を伺う。そして、相手は姿勢を変えて天井付近まで飛んだ。


(……来る!)


 希乃は力いっぱい両手を横に突き出した。


「カルネさん!!」


 咄嗟の希乃の反応にカルネは受け身を取れずにカウンターの下に倒れ込む。同時に、カルネのさっきまでいた場所に閉じた三本の趾が飛んできた。

 カウンターの上スレスレ、心臓めがけた飛び蹴り。

 カルネを押し出した希乃が身代わりとなり、趾が肩に突き刺さる。加速し、希乃は後ろのバックヤードに繋がる廊下の床に転がった。


「うぐっ!」


 後頭部から落ち、勢い余って身体を引きずる。例のごとく、希乃に裂傷や挫傷ができなくとも、鈍い痛みは少しも軽減されていない。

 悶絶する希乃を、翼を腕に戻して着地したオオタカは趾で胸を踏みつけ見下ろす。

 首からはさっきまでなかった金銀のネックレスが垂れ下がっていた。


「てめぇ、こいつはどういうつもりだ! なぜエリア3(ここ)()()()()()がいる!!」


「……うぇ、……が」


「さっさと答えろ!!」


 オオタカの唾が飛ばす激昂に希乃は口をパクパクと声を出せず動かす。ただでさえ鈍痛でままならないのに、圧迫されてうまく息も吸えない。質問の意図も、それに対する思考もできず、趾を退けようと鱗に覆われた足首を弱々しい握力で掴むのがせめてもの抵抗だった。


「……うぅ」


 カウンターから低い呻き声。それにイスを引きずる音が続いて、オオタカは怒りで歪んだ表情のままカウンターに向いた。カルネのものである足が入口の陰から出ていた。

 追い詰めた希乃の胸からあっさり離すと、オオタカはすぐさま身を反転する。ターゲットが明らかに希乃からカルネに変わった。

 翼を広げられない廊下を駆けオオタカは直角に曲がるためにスピードを緩める。


「死ね! 害虫が!」


 腕から再び変形した翼を大きく広げて、今度こそは外さんと趾を突き刺そうとカルネに向けた。

 廊下から希乃には腕を起こすどころか悲鳴すらも……、ただこれから起こるであろうことを眺めることしかできない。

 その時、横の階段から飛び出した影が廊下に着地した。


「何してんだ、ゴラ」


 大きな手がオオタカの頭を掴み、カウンターに叩きつけた。


 ◇


 思わぬ横槍にオオタカは何が起こったのか理解するのに時間が必要だった。

 抑揚のない声が聞こえたときには、自分の頭は掴まれていた。叩きつけられたカウンターが割れて床に到達しても尚、力は緩まらない。

 エリア3にいれば逃れることのできない重力、それと似た絶対的な力が今もオオタカの頭を押さえつけている。


「落とし前きっちりつけてもらうぞ、お客様」


「……!」


 慌ててオオタカが無傷の翼で振り払うと、押さえつけていた手から解放された。

 敬語のなくなった声と押さえつけていた手の主はここの長、詩ノ崎。約束通り、オオタカを待っていたのであれば駆けつけて当然だった。

 天倉と事を構えるつもりはなかった。けど、ここで不慮の出会いをした危険な気配がする少年を殺しておきたい。

 彼が身動きをとれない今のうちに、たとえ情報を引き出したかった相手だったしても。


(もうすこし勉強しておけばよかったか……!)


 情報を取引してくれたアドバイザー曰く、元は戦闘職で今となっては珍しい他のエリアに行ったことのある猛者らしい。それは査定を頼んだ初対面のときから薄々察していた。このまま地上で戦えばあっけなく組み伏せられる。

 そもそも聞いていた話と今まで会ってきた人たちとは一線を画す。膂力がエリア2の剛人(ギガント)ほどではないにしても、鍛えた浮人(スフィア)よりも強いのは明らか。どうしても説明がつかないのだ。


(くそが! 俺は誇り高き“ラーフ”だぞ! こんなところで……、こんなところでやられるわけにはいかない!)


 浮人(スフィア)がやり合うにはここは窮屈過ぎる。自由に飛び回り、得意な高所から有利を取らなければ。

 だからまずは狭い屋内を出る。広い空が見える場所へ、荷物を持って。

 オオタカは詩ノ崎と向かい合ったまま、翼で大きく羽ばたかせて後ろへ下がった。彼らを向かい風で進行を妨害しながら、転がったアタッシュケースの真下に。

 趾で掴もうと地上に近づくところで詩ノ崎が迫った。


「来るか……!」


 向かい風を押し返し猛進する詩ノ崎。

 オオタカは迎え撃たず、突進を避けるため急上昇する。通り過ぎて背を向けた瞬間に隙ができるはずだ。


(このまま狙い通りに……!)


 オオタカは目を大きく見開いた。

 上昇に合わせて走り幅跳びのアスリートのように詩ノ崎が跳び、飛んでいるオオタカに飛び掛かった。

 店内のつくりで天井は住宅より高くはあるが、助走で前へ行く方向があっても天井に頭を突っ込んでしまいかねない跳躍。


獣人(ビースト)かよっ……!」


 眼前まで迫る詩ノ崎は頭を掴もうと右の手のひらを見せてくる。

 その手はもはや恐怖の対象。

 オオタカは反射に身をまかせ壁際の右ではなく、商品棚が並ぶ左に身を翻した。

 詩ノ崎の掴もうとした手は空を切り、オオタカの目の前を通過しながら重い体が落ちていく。

 一回のアクション、空を飛べない人間にはそれしかできない。それをオオタカは詩ノ崎に使い切らせた。


「急いだな!」


 予想外で内心驚きはしたが、地面のない空中なら翼をもつオオタカにとってわけない。

 オオタカはすぐにアタッシュケースの元へ、詩ノ崎と逆方向に進行しようと開いた体をもとに……。


「……かっ!?」


 なぜかオオタカも詩ノ崎と同じ方向に向かう。確かに回避したはずだった。

 なのに離れたい詩ノ崎の方へ、首が引っ張られる。

 飛ぼうとしても首が絞まり、骨が折れるどころか切断されかねない。エリア3の法則(重力)に従って詩ノ崎の後を追って墜ちていく。


「歯ぁ、食いしばれよ」


 詩ノ崎が両足着地した同時に、墜ちていく途中のオオタカの頬にビンタがとんだ。

 無事だった商品棚をなぎ倒し、自分の血で赤茶色っぽくなったオオタカの羽根を店内に散らして、壁際の商品棚でようやく止まった。


「一体なにが……」


 翼から戻り切っていない腕で体を起こそうにも、さっき頭を押さえつけていた力が今度は全身にきているようで立ち上がれない。

 意識も消えようする中、ゆっくりと目の前まで詩ノ崎が近づく。右手にはさっきまで自分の首に下げていたはずのネックレスが握られていて、部品が飛んでばっつりと千切れてしまっていた。


「お客様にはすべて償ってもらうからな」


 詩ノ崎の宣告を合図に、オオタカは意識を手放した。


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