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ノノノ越界奇譚  作者: 雨枝蒼
【スフィア編】
36/56

2-7 早朝

お正月は終わってますが、今年もよろしくお願いします

 *

 カチカチ、キュルキュル。

 早朝の天倉のリビングで響くのはボルトを締める音だ。

 太い右腕が覆われたガントレット。左手に持った軸が細いマイナスドライバーで、露わになった指側面に並ぶボルトをミリ単位で細かく回す。

 横にしていた右手を少し上げるといつもの仕草で指を使った動作確認すると、また膝の上に置き、ボルトの固さを調節する。

 それを詩ノ崎は目が覚めてから繰り返していた。


(さっきよりはいい感じだな)


 拳の形を作っても指の違和感は調整する前ほど動かしづらくはない。

 今度は指先を伸ばして手刀の形に。詩ノ崎からすればこっちが本命、だがあっという間に赤く光るともに指の間から煙が伸びた。


「うおっ」


 押し殺していた声を思わず出してしまった。手刀を解除すれば収まったもののまたかと、ため息とともに項垂れる。


(やっぱ、あいつがいねぇとダメか……)


 詩ノ崎は他エリアの遠征で物の目利きには自信があり、武器の手入れで現状維持くらいならできていた。

 だが、手入れを怠ったこのガントレットは戦場から遠ざかったこの五年で錆びついている。交換できるパーツのストックこそあるが、それを調整し修理できる人が不在だ。いつ呼び戻しに応じてくれるかわからない中、今は詩ノ崎が見様見真似でやるしかなかった。


 ……こつ、こつ、こつ。


 熱したガントレットを冷ますため振っていると、背後にある階段から誰かがゆっくりとした足取りで下りてきた。

 まだ朝と呼べないこの時間、振り返ってみれば正体はスウェットを着たカルネだった。


「まだ起きてたのか?」


「いいや、今起きたばっかり」


 瞬きの少ないカルネの目をジッと見てから、詩ノ崎はガントレットを外すためにきつく締めた六角ボルトを回すため向き直る。


「嘘言ってないでお前は早く寝ろ、明日店番だっただろ」


「夕方でしょ? あと半日あるから平気」


 冷蔵庫の白い明かりが暗い台所から伸びると、カルネは清涼飲料入ったペットボトルとガラス瓶を取り出して、そのうちのガラス瓶の栓を開ける。

 一口あおったカルネが詩ノ崎の背中に言った。


「昨日か一昨日も整備やってなかった?」


「あれはまた別のだ、順番に見てるけど、これも使わずに終わってくれればそれでいい」


「ふぅん……」


 また一口、喉を潤すために飲み込む。テーブルの上に並ぶ部品が増えたり減ったりするのを眺めてまた一口、傾けた瓶を戻せば容器の中で液体がはねた。


「そういえばさ、あのマーネ(わがまま姫)のサボりちょっとひどいんじゃない」


「……一昨日なら入ってたぞ」


「一日だけじゃん、週二どころか週一でシフトが薄い昼間の二時間だけ入って働いてるって言えんの」


「風呂場に行ってこい、鏡ならあるぞ」


 詩ノ崎が持ち替えたドライバーでカルネとは反対方向を指した。これにカルネが拗ねているのは振り返らなくても詩ノ崎にはわかった。


「大目に見てくれよ頼むから、あいつも他の仕事やってくれてんだ」


「……それってどんな?」


「言えんな、それともマーネになんか用でもあったか?」


 詩ノ崎は纏っていた金属の塊が外れると、さらに下に着けていた防火手袋を脱いだ。


「別に。ただ最近顔合わせてないし何してんのかなって。……いないなら寝る」


「出勤忘れるなよ、あとゴミの日だからあるなら出しとけよ」


 カルネは持っていたボトルを指に挟ませて三階に消えた。詩ノ崎の念押しにも知らん顔だった。


「……もうそろそろか」


 詩ノ崎はカルネの姿が見えなくなったことを確認すると、立ち上がって台所に入った。

 戸棚からはシリアル、冷蔵庫から牛乳と、希乃が作り置きしてくれた刻みネギとニンジンが入った卵焼き。簡単な朝食すらもまともに作れない詩ノ崎にとっては栄養バランスを整えられるありがたい手料理だ。

 タッパーに詰められたそれを小皿に分けたとき、誰もいないはずのリビングでバルコニーに繋がる窓が開いた。


「おかえり」


「ただんまー、ああー疲れたー」


 目立たない服装をしたマーネがリビングに踏み入れた。その足取りは弱弱しく、体は左右にふらふら揺れている。

 窓も閉めずソファーに身を投げたマーネに、詩ノ崎は案じて声をかける。


「朝食食べるか?」


「……いい食欲ないし、誰かさんのせいで」


「そうか」


 詩ノ崎は牛乳をどんぶりに入ったシリアルが浸すまで注ぐと冷蔵庫にしまった。

 すると、マーネが仰向けに寝返って吹き抜けの天井を見上げる。


「ねぇ、あと何日これやればいいの?」


「契約ではあと三日だ」


「三日…………、あと少し……」


 返事というより自分に言い聞かせるようにマーネは呟く。

 滅多にみせないマーネの弱った姿、受けている仕事の影響は当然として、寝不足に加えて違うところで精神がやられていると詩ノ崎の目には見受けられた。

 だから言わずにはいられなかった。


「これは余計なお世話だと思うが……、いらん情を抱くなよ、自分の身を滅ぼすことになんぞ」


 ここで口をつくのが詩ノ崎の役目だ、きつくても言わなければ。

 だが、マーネは弱っていても、大きく鼻で笑ってみせた。


「ハッ、なにそれ経験者は語るってやつ?」


「…………」


「余計なお世話だっつーの……」


 やがてマーネから言葉はなく、代わりに出てくるのは寝息だけ。

 リビングで眠るマーネに毛布かけた詩ノ崎はしばらくその寝顔を見つめた。

 口をつけられなかったシリアルが牛乳を吸ってふやけていた。



 ◇



「……それでさー寝不足なんだよね」


 今朝の出来事を一通り話したカルネは、みっともなくあくびで大口を開ける。

 もうすぐオオタカと対面するせいで希乃は緊張の面持ちだったが、平常運転のカルネの話を聞いたおかげで少しほぐれそうではある。

 制服から着替えたばかりの希乃が真面目に答えた。


「それはカルネさんが悪いんじゃ……」


「言っても僕、ホームページ更新したりとかしてるんだよ、それくらい聞いてもいいじゃん。皆寄ってたかって仲間外れにしてさ」


「私も知りたいですよ、こないだのマーネさんぐったりしましたし。けど、盗み聞きは良くないです」


「リビングで話す時点で聞いてくださいって言ってるもんだと僕は思うけどね」


 自分を正当化しようとするカルネに希乃は呆れて苦笑いで返す。

 マーネ不在の今日も同じくシフトが薄い。よって普段表に出ないカルネを使わなければならない。未だに眠気が抜けずにカウンターに突っ伏しているが、働く意欲はあるらしい。


「それで今日は何すればいいんだっけ?」


「買取がくればお願いします、私は誰もいない間に服の補充しないと……、あといつになるかはオオタカさんって人が来たら詩ノ崎さんに知らせないといけませんね」


「……誰それ?」


「わからないならノートに目を通してください」


 希乃は書類立てから厚みが増した連絡用の大学ノートを渡すと、カルネはパラパラとページをめくる。


「人足りないし、このまま客来なければいいなー」


「カルネさんはあと一時間もないですからもう一息ですよ」


 カルネは突っ伏した姿勢のままノートを読み、希乃はタブレットを起動させる。

 客が来ないこの時間に各々が作業の確認している中、予告通りにあの男が入店のベルを鳴らした。


「よお、来たぜ」


 オオタカは前回と同じグラサンにスカジャンとサンダル、そして査定物の入ったアタッシュケース二つを両手に引っ提げていた。


「いらっしゃいませー、お待ちしておりました」


 希乃はお辞儀するが笑顔がいつもより固い。だが、オオタカは気にも留めていないようで、店内を横目で見てから商品棚の列を抜けてカウンターに近づこうとした。


「長はいるだろうな、今日は返答を聞きに来……た…………」


 歩み寄るオオタカの足がピタリと急に止める。

 カウンターの一点を見据えていて、希乃はぎょっとする。


「……? あのどうし……」


 丈夫なアタッシュケースが、オオタカの手から天倉の床へ落下した。

 不揃いな大きい音にノートを眺めていたカルネがここでようやく目線だけ上げて、オオタカと目が合ってすぐに顔ごと上げた。

 他人に触らせないほど大切にしていたものを落としたはずなのにオオタカはゆっくり指を指す。


「……おい、それはなんだ?」


「それ……?」


 震える指先は明らかに()()()()指し示していた。

 希乃はオオタカとカルネ、二人を交互に見てから座ったままのカルネに耳打ちした。


「カルネさん、知り合いだったんですか?」


「違うけど……、ちょっとまずいかも」


 直接は知らないらしいが、カルネには心当たりがあるようでこめかみを引きつらせている。

 そして、この会話がオオタカの神経を尖らせたらしい。


「聞こえなかったか……、そいつはなんだと言ってるんだ!!」


 鼓膜を激しく震わす怒号とともに、オオタカのスカジャンの袖が内側から破られる。

 力みによる筋肉の膨張ではなく、腕が希乃の身長より大きいものへ。獣人(ビースト)のマーネのような小さな変化ではない、異人――浮人(ラーフ)のシルエットが変わる。

 オオタカの胴体が商品棚を押しのけて宙に浮いたところで、ようやく希乃はそれが何かわかった。


「なにっ! 羽!?」


 その様を見ているだけの希乃とカルネは戦慄する。

 翼を広げた猛禽類からかけていたサングラスが落ちれば獰猛な目がよく見える。睨みつける目の奥は暗い炎を燻らせていた。


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