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ノノノ越界奇譚  作者: 雨枝蒼
【スフィア編】
32/56

2-3 二つのアタッシュケース

「ありがとうございましたー!」


 ブリキの置物と知らない国のタペストリーを買っていったお客を見送り、希乃は商品棚で隠れてしまった窓を隙間から外を見る。一日曇天が続いて時間の感覚は鈍くなっているが、もう店先の照明をつけてもいい暗さだった。

 それでもまだ件のお客は来ていない。


「一体どんな人なんだろう」


 レジに四つに折れた千円札をしまいながら希乃は想像力を働かせるものの、マーネから伝えられた情報はゼロに等しい。マーネの言葉から察すれば、気に入らなかった人なのだろう。

 電話をしていた詩ノ崎に聞いても「知らん」と一人ごちり、傍にいたルルは難しい顔をしていた。

 姿も名前も知らないお客、マーネは見ればわかると言っていたが、そこまで特徴的なのだろうか?


「ノノー、次何すればいい?」


 ルルが夏物の洋服コーナーの陳列棚からカウンターの前までやってきた。

 言葉を口ごもることが少なるどころか、児童文学を音読できるところまでたった二か月。天倉の通常業務も手際よくこなすようにもなった。

 硬貨の仕組みを知らなかった頃の彼女を知らなければ、生まれをエリア3とごまかせられる。それほど覚えの良さには目を見張るものがある。

 そんな成長するルルが遠くへ行く、我が子が離れていくような感覚を覚えながら希乃はタブレット操作をしてルルに言った。


「それなら今日買い取った商品に値札つけてほしいかな、カルネが作業台の上に置きっぱなししてるみたいだから」


「わかった、いってくる」


 やる気が漲る様子のルルは小走りにバックヤードへ去っていった。


「さて、私は……」


 タブレットには今日の詩ノ崎の指示、接客と買い取りである通常業務の優先はもちろんだが、進めてほしい仕事が簡潔に書きこまれている。

 夕方のシフトは二人、今の今まで希乃は品物の査定についていた。

 詩ノ崎は「来たら起こしてくれ」と休憩に入っている。本当ならば退勤の時間であったが、致し方ないものだ。

 希乃は項目を作業中に変換し、値札を貼り付けるラベラーを持ってカウンターを留守にしようとしたところで入店のベルが鳴った。


「いらっしゃいませー」


 顔を上げ笑顔で迎える。希乃の中に基本はしみ込んでいる。

 そして、心の中で呟いた。


(あ……、絶対この人だ)


 暗幕と呼べるほどのサングラスをかけた男だ。

 詩ノ崎といい勝負の体格にはスタジャン、左胸に捕食者の威厳が保たれる鷹が刺繍され、太い首にかけられた銀の装飾がなされた金のネックレスがさらに対象を威圧する。

 ただ、ゆったりしたジーンズの下、雨の中の足労であるのに濡れた素足のサンダルにだらしなさが残っている。

 そして、査定のお客だとわかったのは両手に一つずつ持っているまだ傷がないアタッシュケースだった。もともと筋肉質な両手と上腕をさらに大きく膨張させていた。


「いらっしゃいませ、お売りいただけるものですか?」


 動揺を見せられず希乃は丁寧に言い直した。

 男はカウンター上に査定物であろうアタッシュケースも置かず物理的に希乃を見下ろす。


「そうだ、今日の午後にも来たのだが……、まさかいないわけじゃないだろうな」


 サングラスの奥から瞳をギロリと覗かせるが、希乃を怯ませるまでに至らない。


「上にいらっしゃいます、ただいまお呼びいたしますので少々お待ちください」


 自分でも面食らわなかったのは驚いたが、慣れればそんなものなのだろう。

 リビングで休息をとっているであろう詩ノ崎に知らせるため、事務室を通ろうとしたが無人であるはずの会議室から会話が聞こえた。天倉の正面入り口ではなく直接二階の玄関から出入りできる人は少ない。

 希乃は扉の前で誰がいるか聞き耳を立てた。


「だから、僕らの出る幕じゃないでしょ。ただでさえ依頼を受けて人員が足りないのに、こっちはもうどうでもよくなっちゃった?」


「まだ疎かになってるわけじゃねぇだろ、なんとか回ってるし、もうすぐで三人は帰ってくる」


「このまま僕がいなくなってもいいってこと?」


「心にもねぇことを。それにここで恩を作れば情報が手に入るかもしれねぇ、これはチャンスだろ」


「うーん、そんなに上手くいくかなー」


 休憩中のはずの詩ノ崎と、休みのはずの九十九の会話だった。

 重要そうな話だったが、希乃は軽くノックをすると構わず会議室のドアを開けた。会話中だった二人が入ってきた希乃に注目する。


「詩ノ崎さん、例のお客さんが来ました」


「ああようやくか」


 詩ノ崎は吸っていた煙草を灰皿に押し付けてゆっくり立ち上がった。このやりとりだけで九十九がニヤリと口角を吊り上げる。


「……何? 面白そうな匂いがするね」


「やめてくれ、お前来るとまた失礼が増える」


「失礼が増える、って?」


 九十九が少し笑っている間に詩ノ崎はスタスタと足早に会議室を出ようとした。


「さっきの話一応考えてといてくれよ、九十九」


「前向きに検討しとくよ」


 相変わらずにこやかなままの九十九に希乃は軽く会釈すると軽く手を振り返してきた。

 ドアを閉めて見えなくなったところで詩ノ崎は一つ息を吐く。


「待たせたな」


 希乃が首肯すると詩ノ崎が先に一階に続く階段を降りた。

 店内では依然としてほかのお客が入っておらず、待たされる男性客は店の壁際を見ていた。

 並んでいるのはチェーンベルトの時計や、金銀のアクセサリー。ショーケースに入ったそれらは店内に棚に置かれた商品とは一線を画し、天倉の中でも高価なのだ。

 そのガラスの向こうにある光物を眺めていた男は、希乃の前にいる男を見るとすぐさま向き直った。


「お前がここの(おさ)か」


「お待たせして申し訳ありません。店長の詩ノ崎です」


「名前はいらない、それよりも早々にこの中に入っているものを査定してほしい」


 アタッシュケースが二つ積まれる。軽く置かれたと思っていたアタッシュケースは木製のカウンターを軋ませた。


「かしこまりました、それではこちら番号札になりますので……」


「ダメだ」


「……え」


 声を出した希乃が目を見開いた。

 男は詩ノ崎の言葉を遮り、あまつさえ希乃が作業する鑑定室へ一足先に運んでおこうとアタッシュケースに手をかけようとすると、アタッシュケースの面を上から押さえつけたのだ。

 詩ノ崎が取り出した番号札を手元に引いて問い返した。


「ダメ、と言いますと」


「この査定、俺の目の前でやってもらう」


 天倉の査定は品物をバックヤードの倉庫に持ち込み作業テーブルで行われる。

 何せ天倉は手狭で、時期のせいで展示できない商品をしまう倉庫に加えて、多く場所をとる異人用の保管庫を設置していればそうなる。

 より多くの商品をお客に手にとってもらおうとすれば、カウンターのスペースを削るしかなかった。

 ……本来ならば、鑑定士の役目。横の鑑定室を使えば良いが、勝手に使うことは許されていなかった。


「それほどこの中には高価なものが?」


 詩ノ崎は表情を変えずにアタッシュケースに腕を伸ばすが、またしても男はアタッシュケースを遠ざける。


「それはこの条件を了承しないと言えないな。それとも高価なものじゃないといけないかな、ううん? 随分とお高くとまっているじゃないか」


 希乃はどう対応しようかと詩ノ崎の顔を盗み見た。その表情は意に介しおらず、無表情を貫いていた。そこに男はアタッシュケースに手をかけて畳みかける。


「そもそも俺はおかしなこと言っていない。万が一俺のものに何かあったらたまったもんじゃない、しーっかり目の届く位置にないと不安になるのは普通のことだろう。すり替えられる可能性もないきにしもないしな」


 半笑いを大げさに見せる仕草に、希乃は心の中にあることを呟いた。


「まさか、私たちが泥棒をすると」


 強烈な不信に反応した希乃へ男はサングラスの奥から高圧的な視線を向けた。


「そうだ」


「……っ!」


「お前たちのことは俺たちの味方とは聞いている。だが、俺がこの目で見たわけじゃない、俺は自分の目で見たことしか信じていない」


 なるほど、確かにこれはマーネが嫌がるはずだ。

 希乃が眉を傾ける男の曲げない要求にここまで黙っていた詩ノ崎は一つ頷いた。


「わかりました」


 男も希乃も、詩ノ崎の了承の一言に顔を向ける。


「二階の会議室を使いましょう。そこで査定を行います。ただいま用意しますので、もう少しお待ちください」


「……ふん、話がわかるじゃないか。ああ待ってやるさ、ただ早めにな」


 納得して満足げな男に一礼した詩ノ崎が廊下の奥に消えようとしたところで、「希乃」と手招きして階段の狭い踊り場に呼び出す。


「怖いお客だろうに、よくあんな啖呵切れるな」


「うっ……、すみません、ついカッとなって」


「希乃にしては珍しいことだが、次からはやめろよ。あれじゃクレームを入れられても仕方ねぇ」


「……はい」


 反省したように希乃の声がしぼむ。

 だが、詩ノ崎が呼んだのはそのことだけではなかった、心底面倒くさそうに顔に手を当てる。


「とりあえず会議室をきれいにしよう。その前に一つ手伝ってほしい」


「はい」


 詩ノ崎の先ほどの接客のときより真剣な顔、希乃はどんなことか身を固くした。


「九十九を追い出すのを手伝ってくれ」


「は……、え……、あー」


 希乃の全身の力が一瞬だけ抜ける。接客していて確かに忘れていた存在。

 もしかしたら、あの接客よりも面倒くさいのではないかとも思えた。



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