2-2 友達
遅くなりました
「えー、今日も?」
「うん、ごめんね」
希乃は悲しげな笑いをして片手で縦に切る。「気にしないで、また月曜ね」と手を振った友達は少し残念そうにして教室から出ていった。
けれど、これもしょうがない。
希乃は気まずさを感じさせないよう間を作ってから玄関に向かう。下駄箱の下段に置かれたローファーに履き替えるとカバンから取り出した水色の折り畳み傘のカバーを外す。
正午を過ぎてから降り始めた雨は、予報では日付けを跨ぐまで続くだとか。
それでも傘を差した希乃は登校の時に使う地下鉄に続く階段前を素通りし、タイミングよくバス停に停まった天倉の最寄り駅まで行くバスも見逃した。
天気が悪いのにも関わらず歩くことを選択したのに他意はない。邪魔な風はないし、勢いが移り変わり一時的でも弱まってくれたのだ。希乃のゆったりとした散歩を自然が許してくれたみたいだった。
「この時間はまだ配達の時間かな」
信号待ちにチャットグループに貼られたシフト表を確かめると、詩ノ崎とルルは配達、マーネは一人で店番だった。希乃はそのマーネと代わって店仕舞いまでになっている。
平日の昼に一人で回すのはそこまで苦ではない。いざとなれば上階で暇を貪っているカルネが手伝ってくれるのだから。
それに、心配するようなことは起こらないとお店のデータで予測されていた。
(今日は雨だしなおさらだよね……あっ)
信号が青に切り替わったことに気づいた希乃は慌てて小走りに横断歩道を渡る。ここの信号機は赤の時間は長く、青は短い。携帯を片手に持ったまま折り畳み傘は風の抵抗を少し受けながらも一息で行く。
「わっ!」
希乃がちょうど足を踏み入れたのは横断歩道前に溜まっていた水たまりだった。
走ることに夢中になって気づけなかった間抜けなミスだった。
「うわー……、やっちゃった」
弱々しく歩きながら希乃は項垂れた。靴底ほどの浅さしかない水たまりはローファーと靴下にじわじわ浸食し、後ろを振り向いてスカートを見れば、出来立ての水シミがキッチリ残っていた。
「こんなことならバスで行った方がよかったかな」
それでも少し笑った。
学校から天倉までバスの停留所八つ分は決して近くはないが、傘を時々回しながら、流行歌を口ずさみながら楽しそうに歩く。
そして、出勤の十五分前になって天倉の玄関を開けた。
「お疲れ様でーす」
「おつー」
カウンターで突っ伏しながら笑っていたマーネが肘をつきながら手を挙げる。お客が店内にいて、しかも接客中の女の二人組を前にしてもお構いなしにこの気の抜けきった返事。だが、そのカウンターにいたお客はこっちを向いた。知り合いだったのだ。
近くにいた黒髪のツインテールは元気よく、もう一人の金髪のポニーテールはぶっきらぼうに挨拶した。
「ノノちゃんだ! 学校おっつかれー!」
「……よっす」
「飯島さん、渋谷さんもお久しぶりです」
希乃の……、ではなくマーネの友達。
希乃はバックヤードに入ろうと夏物セールを敢行する棚を抜けてカウンターに歩み寄る。すると、元気な飯島栢は髪色と同じ真っ黒なウレタンマスクからはみ出すほどの笑みで話しかけた。
「外雨だったんでしょ! スカート濡れてる!」
「水たまりの水がはねただけで、今のところはそこまで降ってないですよ」
「えー、もっと降ってほしいのにー、ほら雨の時ってめっちゃテンションぶち上がんじゃん! ノノちゃんもそう思わない?」
「それはちょっと……」
「こら」
曖昧な受け答えをしている希乃に、カウンターに寄りかかっている渋谷和奏が咥えている棒つきキャンディを出してから横から口を出した。
「困ってるしょ? 少しはブレーキを覚えな」
「だって静かな女の子はモテないよ?」
「余計なお世話だっつーの」
和奏が静かに拳を振りあげるが、ハッとしてそこからゆっくりと下した。「危ない、危ない……ここでやったらまた……」と物騒なことを呟いているが、希乃はそこは聞かぬふりをした。
するとカウンターでうつらうつらしていたマーネが顔を上げた。よくよく見れば顔色がよくないことに希乃は気がついた。
「うーんそうだよ、栢ー。ノノ行かせてやって、そんで早くあたしと代わって」
「……! すぐに行ってきます!」
察した急いで二階の更衣室に向かう希乃。
体調が悪いのか、いつも快活なマーネには似合わなくテンションが低くく、うるさくない。
早く変わってあげなければと、制服の上からエプロンをつけて五分前どころか十分前にタイムカード切った。
「おまたせしました、あとは任せて下さい!」
「うん、たのんだー」
マーネはのっそりと立ち上がり生活スペースの二階に登っていった。
(これで休んでくれるかな……)
しかしだ、カウンター前の友達二人。さっき会計が終わって帰るであろうはずだが、一向に立ち去ろうとせず携帯をいじっている。
「あの……、誰かと待ち合わせですか?」
希乃の疑問にすぐに答えたのは栢だった。
「そりゃ、待ち合わせなんて一人しかないっしょ!」
背後から階段を降りてくる音、気だるげにしながらもマーネが早々に着替えて戻ってきた。
「おまたせー、はよいこー」
「いえーい、いこー!」
「……あれ? マーネさん、体調が悪いんじゃ」
希乃は二人を連れてどこかへ行こうとするマーネに声をかけると首を横に振った。
「いやー確かに寝不足だよ、けど遊びとはまた別、早く代わってくれてあんがとね」
早とちりだったと希乃は苦笑いした。まぁしょうがない、いつものことだと。
ふと、マーネが「あー」と足を止めて天井を見上げだした。苦悶の表情でマーネは何度も希乃の目を合わせると、やっと口を重々しく開いた。
「……夕方に査定の客がくるから、めんどかったら……、ていうか断っといてよ」
「いや、それルール的にダメでは……」
「あー! あれでしょ、マーネが最後にがん飛ばしたあいつ!」
「こら、余計な事ゆうな」
口をはさんだ栢に和奏が小声で制止するも、内容的に接客はもっといけないものだった。これは来たら謝罪しなければいけないものじゃ……、希乃は恐る恐るマーネに尋ねた。
「それで、お客さんの名前は……?」
「しらね」
「そんな……」
恐ろしい所業に身震いする希乃をよそに、やらかしたマーネはカウンターに引き返して肩をポンと叩いた。
「教えなかった客が悪いから気にすんな! あと姿を見たらわかるから! よろしく!」
清々しく丸投げしたマーネは勢いよく小ぶりの雨が降る外に飛び出していった。すぐに「やべっ」と短く発せられるとドアのすりガラスに映る影が駐車場とは反対方向に走っていく。
そのあとを置いて行かれた栢、和奏の順に追う。
「ほら、ワッカも行こっ!」
「……」
栢が先行して出ていこうとするが、またしてもドアのすりガラスに影が映る。今度は小さく頭までしか映っていない。
勢いよく出ようとした栢はその相手に案の定ぶつかった。
「いたっ」
「お、ごめんな、お嬢ちゃん立てる?」
栢が入り口前で黒いシュシュをつけた手を誰かに差し伸べる。
その相手が配達を終えたルルで、怖がりながらも初対面であろう人の手をとったことに希乃は少なからず驚いた。
「……ありがとう、ございます」
「じゃ、私急いでるから!」
傘も差さずに駆け出した栢とは対照的に、和奏は事前に持ってきていたビニール傘を傘立てから取ると、栢のせいで汚れてしまったルルの小さな手を自分のハンカチで拭いた。
「ごめんな、飴食べるか?」
「あ、ありがとう……」
「それじゃ、当理さんも気をつけて」
「は、はい」
またしてもキャンディーをもらったルルが店に入るとドアは優しく閉ざされた。二人はそれぞれ違うことで呆然するが、すぐに正面のドアから詩ノ崎が顔を出した。
「今のは?」
「お、お疲れ様です、マーネさんの友達ですよ」
「あいつの……」
「会ったことないんですか?」
「……ない、知らなかった」
なぜか困惑する詩ノ崎に、希乃はどこにおかしなことがあるか首をひねる。
そして詩ノ崎はすでに見えなくなったマーネの方向をただ顔を顰めて眺めていた。




