1-3 令嬢の押しつけ
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詩ノ崎は希乃と二階で別れると、会議室に入った。
楕円テーブルとキャスター付きの椅子、窓にはブラインドが下げられただけで特別なものなど何もない。壁紙に合わせて備品の色も揃えているだけ見栄えは良い方だ。ただ一室に三対一で座っているメンツが多様でめまいがする。
中でも上座で紅茶を飲んでいる、白森香織が異彩を放つ。
ブロンドの髪を赤と黒のリボンでツインテールにまとめ、黒を基調としたクラシックワンピース。ゴスロリを着こなしている彼女は、異人を監視・管理する財閥のご令嬢だ。顔見知りであり長い付き合いだ、入室したばかりの詩ノ崎にはわかる。無表情でいるあれは噴火直前の兆候である。
対して彼女の後ろに立って控えている従者は品のあるスーツにえんじ色のネクタイに我関せずと落ち着いている。主人の香織と比べれば服装は特に目立たないが、逆に銀の髪色を目立たせる。
あとは会ったこともない香織の隣で背を丸めて座る子ども。
格好が二人と対照的にみすぼらしく、目深にかぶった麻のフードと手入れされていない黒髪で表情が見えない。そもそも人間か異人かも判別がつきにくいが、隣の令嬢のことだ、おそらく後者だろう。
そして下座に座るのは――――、
「やっと来てくれた」
詩ノ崎の方に振り返った拍子に腰まで届く艶な黒髪はふわりと舞う。
天倉の従業員であり古巣の同僚でもある、九十九智実。微かに笑っている口とつり目のせいで狐に化かされているような気がしてくるし、実際手を焼かせる厄介な人間だ。
そんな九十九にまずは片手で合掌する。
「すまねぇな、二時間も相手させて」
「いやいやー、面白いもの見れたし楽しかったよ」
「そんな訳ないでしょ! こっちは最悪な時間だったわ!」
香織が開口一番に裂帛した声を挙げる。紅茶のカップをソーサーに音を立てて置いたところから心が乱れているのがわかる。
「しょうがないだろ、こっちは大事な仕事だ、仕事」
「さっき下で騒いでいたくせに、この私を待たせてなんてどうかしてるわ」
「事前に連絡もしねぇお嬢が悪いだろ」
香織が詩ノ崎の言い分に鼻を鳴らす。
「必要ないでしょ、私には関係がないことだもの。それに連絡ならそこの気色悪いロン毛に頼んだわよ、早く呼び戻せって。そしたらなんて言ったと思う? 『今は仕事中だし連絡するのは悪いよ。代わりに僕が話聞いてあげるから』、とか馴れ馴れしく。馬鹿にするんじゃないわよ!」
「そうヒステリックになるなよ、お嬢……。そんで九十九、お前はお前でさっさと連絡しろ、まったくどいつもこいつも」
白森財閥は表向きでは建築と不動産の大手だ。おかげで異人に住む場所の提供を可能とし、代価に異人が持つ技術を提供してもらい、さらに応用して大きな富を得てきた。それゆえに、来訪すれば恭しくもてなさねばどうなるかわかったものではない。
しかも目の前にいるのがその令嬢でこの性格なのだから、詩ノ崎にとっては些細なことでも迷惑をかけたくないし、怒らせたくもない。
これ以上拗らせないよう、詩ノ崎は何も言わず空いた席に着いた。
「それで用件は?」
沸々とくるイライラを抑えつつ手短に聞く。異人関係の取引であることはわかりきっていた。
「隣の異人をここで預かって欲しいの」
香織の右隣の子どもを指さすと、詩ノ崎と九十九は表情を変えず視線だけを向けた。詩ノ崎はチラリと光が吸い込まれそうな真っ黒い目と合ったがすぐに逸らされる。
取引、というより依頼を受けるかは、まずは素性を聞こうとしたところで先に口を開いたのは九十九だった。
「ねえ、香織ちゃんさ」
「その呼び方やめて」
すぐに反応した苦情を九十九は冷静に受け流す。
「ここは何のお店か知っているでしょ?」
「ええ、一般人のお古を買い取って異人に売っている零細企業だったかしら、つまんない商売してるわね」
表情を曇らす詩ノ崎だが、九十九は笑みを一層深くする。
「まあ、間違ってないよ。なら、わかるでしょ? うちは託児所でないってことくらい」
「異人を三人も住まわせてるのによく言うわね。一人増えようが大して変わりないのに」
「確かにそうだね」
「おい」
いきなり香織に同調してきた九十九。今まで黙っていた詩ノ崎がその不意打ちに思わず突っ込みを入れる。
「けれど身元がわからないんじゃあねぇー?」
九十九の発言に小さな体がぴくりと動く。
「そうもいかないのよね」
紅茶が半分まで入ったカップを一口だけ飲んで、後ろに控える従者から受け取った一枚の紙をみせる。
「この依頼は白森財閥としてじゃなくて当主の白森英一郎、直々の依頼よ。ここで断るのは天倉としてはよろしくないじゃなくて?」
「ふぅん、あの御当主様から」
相槌を打っても九十九は笑顔を崩さない。
ガラスのテーブルに置かれた紙、依頼書には堅苦しい文章が綴られていた。詩ノ崎は自分の方へたぐり寄せて、向こうにいる香織を見ずに淡々と確認する。
「依頼、ということは報酬が出ると言うことだな」
「そうね、一日単位で」
「報酬は衣服と食費の分と別か?」
「別途で前払いの分に含まれているわ」
「期間は? 一週間から延びることは?」
「ある、けど延びたら当然その分報酬は上乗せするわ」
「こっちに財閥の人間をつけたりは?」
「誰もつかないし訪問もないわ、……他には?」
「あとは……」
顎に手を当てて考えるそぶりを見せてから、紙面から目を離す。
「天倉を選んだ理由は?」
「白森財閥以外に異人の扱いをよくわかっている人と言ったらこの辺りだと貴方達だけ、依頼が来るのは当然でしょ?」
「……そりゃあくまで戦闘に関してだけだ」
すかさず訂正をする。サボるわ、勤務態度が悪いわで毎日雇い主を振り回す異人ばかりなのに扱いが上手いなど言えるはずもなかった。
依頼書を読んだ限り、天倉としてはおいしい。報酬は申し分がなく、来たばかりの異人に付くはずの監視がこっちに向かない。異人と言っても特殊じゃなければ、香織の言う通り一人増えようがそこまで痛くはないのだ。
ただ、腑に落ちないことが服に跳ねたシミみたいに小さく残っていて気持ち悪い。
そして、やはり財閥お墨付きでも正体不明なやつを入れられないのは九十九と同意見だ。今度は預かるという子どもらしき異人に体を向き直る。
「おい、顔見せてくれないか」
最初はオドオドとしていたが、香織の方に一度見てからゆっくりとボロボロのフードを外した。
露わになった顔に九十九は「へぇ」と声を上げる。
「俺はここの店主の詩ノ崎快だ。名前は?」
「ひな……」
「ひな?」
「……ひな……ぴり……う、る」
「ヒナピリウル、ね。出身はどこだ?」
「……」
弱々しく指を一本。怯えているようで目も合わせてくれない。
顔が怖いことを差し引いても、話し慣れていない様子のヒナピリウルに益々詩ノ崎の疑念が深まる。
香織に視線を送ったが、察したのか瞑目してゆっくり首を横に振った。コミュニケーションをとれないのはあっちも同じらしい。
詩ノ崎は唸りながら少考したが、ゆっくり打ち解ければどうにかなるだろうと結論づけた。
「お嬢、この依頼は受ける。ヒナピリウル、一週間だけだがよろしくな」
「まぁそうでしょうね」
「ふぅん、受けるんだ。なんだか訳ありっぽいのにね」
殴りたくなるようなニヤついた表情で茶々を入れてくる九十九に、詩ノ崎が睨み付ける視線で返す。
「悪いが、九十九は空き部屋あるはずだから案内してくれ」
「空き部屋ってどっちの?」
「階段を出て一番左の部屋、俺の隣だ。あと服を適当に合うやつ取り繕っておいてくれ」
「……なるほどね、わかったよ。おいでヒナチャン」
手招きをしながら初対面の相手に敬称で呼ぶ九十九。街道に出れば胡散臭い人に見えなくもない。ヒナピリウルはこれに戸惑うが意を決したように一緒に会議室を出て行った。
無事迎えられたところを見届けると、後ろの従者に「お代わりお願い」と空のティーカップを渡した。
詩ノ崎も一安心して後ろの戸棚から透明な灰皿を取り出す。
「お客様がいるのによく堂々と吸えるわね」
「いきなり吸わなかっただけいいだろ」
空調を全開に設定してから煙草に火をつけた。
緊張感から解放された煙草の味は格別だ。冷たい視線を送られようとも、詩ノ崎は面倒事の楔から解放された心地に浸れている。
香織も新しい紅茶が来たようで、ありがとうとお礼を言うのを見てから詩ノ崎が疑問を呈する。
「それで、本当のところどうなんだ」
「本当のところって?」
「とぼけるのも大概にしろよ、腹芸とか面倒なことはしたくねぇんだよ」
「別にそんなつもりないわよ」
優越感からなのか、微笑みながら紅茶を優雅に飲む彼女は煙草の煙さえなければ様になる。
もうちょっと内面をどうにかすればと何回思ったことか。
「まあ、いいや。調書とかないか、名前と出身しかわからんからな」
「ああ、ジョージ」
そういやそんな名前だったな、と心の中で留めておきながら、従者が鞄から取り出した調書を受け取った。
しかし、書かれている内容に詩ノ崎は絶句した。
載っているのは名前、出身エリアの数字のみ。しかも印刷された整った文字はなく、癖が残る香織の手書きだ。
「おい、さっき本人が言ってたのと変わらねぇじゃねぇか」
「だからさっきジェスチャーしたじゃない、聞いても無駄だって」
「それでもよこりゃあ……。最低でも外周か内縁かだけかは答えてくれよ、“輝人”なら尚更よ」
人間の世界群は八つに分けられる。どこが偉い、どこが優秀だとかはなく番号で割り振られている。
区分するための境界線は曖昧ではあるが、基準は住んでいる人間の特徴とエリアの環境だ。
ヒナピリウルが出身とされるエリア1の人間“輝人”の最たる特徴は、生きられる年齢が違うことだろう。エリア1はずっと太陽が上空に居座り続ける、ほとんど白夜が続く環境。一定の周期にやってくる夜の数で年齢が決まるが、地域によって数え方が違うせいでややこしいのだ。
まさかここまでヒナピリウルが秘匿していると思っていなかった詩ノ崎はまたしても頭を抱える。
「なら、ここに来た経緯は? それならわかんだろ」
「……報告だと、三日前に定期便運搬船の貨物室に乗り込んでいたわ。見つかったときには衰弱状態だったから目が覚めてくれるまで大変だったわ」
「……それだけか?」
「それだけ」
煙を吐いたあと、煙草を持ったまま皺の寄った眉間を叩く詩ノ崎。
「密航者か……、入り込んだのはエリア1か」
「どうかしら。エリア2に補給で寄っているし、そのときに見張りの目をかいくぐって乗り込んだ可能性もあるんじゃないかしら」
「輝人がエリア2にいるなんて現実的じゃないだろ」
「……ゼロじゃないってことよ、警備がしっかりしているエリア1で入り込んだとは考えにくいもの」
「どこからどう乗り込んだかは本人に聞くしかないけど……」
煙草を吸うため一度言葉を切る。黙秘、という言葉が続くのは互いに理解している。
そこからしばらく議論したが、一向に話は進まなかった。結局は服装と見つかった状態からして偶々見つからずに乗り込んだと詩ノ崎は仮定した。香織は釈然としなかったが、ヒナピリウルと神のみしか知らないのならば推測の域を出ない。
「もういい、あと大事なのは乗り込んでエリア3まで来た理由だ」
「それは私たちも知りたいところね、また調書書かないといけないから」
「……これも、黙秘か」
調書の理由欄が空白だったことからわかってはいたが、聞かずにはいられなかった。
しかし、その一言は余計だった。
「それならついでに、理由も聞いてきてちょうだい」
「は?」
急な追加の依頼に詩ノ崎は戸惑う。情報を聞き出そうとしたら、代わりに聞いて来いと命令されるとは。
心を開かせるにはそれなりの信頼関係が必要だ。ましてや、入国管理をする財閥にも口を割らなかった相手だ、無理矢理ではきっと吐いてはくれない。
一週間でやれる可能性が低いと詩ノ崎は判断した。けれど、香織が無慈悲な通告をする。
「やっとかないと報酬はださないように、私が進言しといてあげるから精々励みなさい」
「鬼かよ、ちくしょう」
すでに三本目の煙草の長さがフィルターまで迫っている。灰皿に跡を残すように強く押しつけたあと、調書を眺めながら背もたれに深くもたれ掛かった。
「当主からの依頼だから信用したが……、まったく厄介な」
「それはこっちの台詞よ。危険性がないのにこんな面倒なところに依頼をしなくても、密航者ならとる方法は一つだけよ。なのに、うちのお父様ったら……」
続きを言わなくても詩ノ崎には白森家当主の考えがわかった。
異人を入国させるかの基準は国によって違う。日本の場合、財団を組織する四つの財閥のうち一つ以上から承認されていなければいけない。それ以外は密航者として強制送還される。そして、もし承認した異人が地球に害を成した場合、それを承認した財閥が責任を取らされる。
けれど白森家当主は甘い考えの持ち主だ。まだ子どもであろうヒナピリウルを密航者として処理するのをためらったのだろう。
秘匿にするためにデータに残さず、財団にも通さない当主個人での依頼。
天倉ならば断らないとわかっていたなと詩ノ崎は心の中で舌打ちをする。
「というよりこれ、うちに依頼する必要がないよな?」
「お生憎様、そっちとは違ってわたしたちは忙しいの。零細企業と違って」
「さいですか」
香織のあおりを軽く流して、詩ノ崎はヒナピリウルの調書をライターの火で燃やした。灰皿の吸い殻に積もっていくのを二人は見守ると、詩ノ崎は長い息を吐く。
「わかったよ。期限までにやっとく、だから報酬の準備しとけ」
「はいはい、これで成立ね」
香織がにやりと笑う。
人手不足に、経営に、職務怠慢に、依頼に。この依頼が神からの救いかも知れないが、解決のハードルは高い。考えれば考えるほど頭が痛くなる詩ノ崎はまた新しく煙草に火をつけた。