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ノノノ越界奇譚  作者: 雨枝蒼
【グローリア編】
29/56

1-エピローグ 

 *


 午前七時、約束の時間。

 天倉のリビングにバルコニーからの朝日が入り込む。

 香織がなぜか我が物顔で入り込み、さらには従者に作らせたトーストとベーコンスクランブルエッグの軽い朝食を取っていた。

 一騒動が終わって日付が変わる前に帰ってきたのはマーネと九十九、ヒナピリウル。そして、遅刻してきたのは……。


「おーい、戻ったぞ」


「やっと来た……」


 玄関に繋がるドアから顔を出した詩ノ崎に、待っていた面々は絶句した。

 乾ききっていない服と髪に、脇に抱える血染めのレインコート。そして、おんぶされている希乃は安定した背中で眠ってた。


「ルル、ベッド借りてもいいか?」


「う、うん!」


「あたし着替えとってくる」


 まだものが乏しいヒナピリウルの部屋に希乃を寝かせ、あとのことは女性二人に任せて廊下に出た。

 詩ノ崎も一旦着替えようと自室へ戻ろうとしたところで、階段近くの部屋から眠そうなカルネが顔を出す。


「……今日休みってことでいい?」


「そうしたいが、配達が……」


「車壊れてんじゃん」


 沈黙する店主、詩ノ崎。開いた口が塞がらず、天を仰ぐ。

 そうだ、車は河川敷の橋の下に不法投棄しているようなものだ。後始末が大変なのは今回も同じだったがスケールが大きい。昨日から嵩む従業員の疲労と出費。易々と眠らせるどころか、今日は開店すらもできないのは必至だった。


「とりあえず、SNSとメールで告知しておくよ」


「……ああ、頼む」


 カルネがドアを閉めた後から着替える間も、しなければいけないことが頭の中で止めどなく巡り、いつもと違ってスッキリしない。

 リビングに降りて、テーブルに置いてあるもので本当の原因に気がついた。


「一服してからでいいか?」


 トーストをかじる香織が 「行って良し」 と顎をしゃくる。

 サンダルに履き替えてバルコニーに出た詩ノ崎は朝日を浴びながら深呼吸。

 新鮮な空気を肺に取り込み、次に煙草の煙を吸い込んだ。


 ――――まぁ、どうにかなるか。


 リアリストの考え方が性に合う詩ノ崎には楽観的な考えは好きにはなれないが、今は一息。

 一条の煙を青空に向けて吐いた。



 ―――――



 希乃を救出してもうすぐで一週間が経とうとしていたある日、会議室の椅子に深く腰掛ける詩ノ崎はおくびにも出さないが疲れ切っていた。それは目の前で平然と座る香織とて同じだろう。


「大変そうだな」


「……本当よ、自分の時間なんて吹っ飛んだもの。気が休まらないわ」


 香織が従者の煎れたルイボスティーに口を付けて、テーブルに並べられた紙束に目をやる。

 カッチリまとめられたファイルもあれば、既に二人のサインされた正式な書面、ミミズが張ったような文字の羅列のものもある。

 だが、先に聞いてきたのはあの日仕事で帰る時間になっても寝込んでいた彼女のことだ。


「念のため聞くけど、希乃は大丈夫?」


「ああ、ピンピンしてるよ」


「それじゃあ精神面は? もしかして、今日も働かせてないでしょうね」


「そっちもだ。今日は春休み最終日だからな、気分転換がてら朝早くから出かけていった」


「そう、羨ましいことね」


「……やっぱりお嬢も、希乃に対しては過保護だな」


 詩ノ崎の指摘に香織が軽く鼻を鳴らす。その玉のような頬は少し赤い。


「友人として心配するのは当然のことでしょ、直接会ってるわけじゃないし。時間が少しでもあればいいけど、いつになったら元気な姿を見られるのやら」


 茶色く透き通るカップの底を覗いてから飲み干して、「おかわり」と従者に要求する。


「言っとくよ、お嬢が遊びたがってるって」


「それだけはやめなさい、訴えるわよ」


 ニヒルに笑う詩ノ崎を奥手な香織が窘めると、従者がソーサーと一緒にテーブルに陶器の音を微かに鳴らして載せた。取り繕うために白い湯気が上るルイボスティーを一口飲んで、


「さ、用件を終わらせましょう。最初は静関公園に関してね」


 わざとらしく話をまじめな方向へ舵を切る。

 日付と静関公園火災と書かれた黒のファイルがガラスのテーブルを重々しく滑らせて、詩ノ崎の前に置かれた。


「知ってるとは思うけど、あそこで火事が起こったの。被害は総面積の約半分が焼失、特に記念碑周りの燃え方がひどくてね、警察と私たちは不審火として調査中……。と一般開示はこんなところね、死傷者も民家への延焼もなかったのが不幸中の幸いってとこかしら」


「結構燃えたのな」


 詩ノ崎は事件ファイルのページを一ページずつめくりながら返事をする。

 載っているのは詩ノ崎が救出で駆けた原っぱの写真、記述。どれも変わり果ていて、思い出したくない事ばかりをフラッシュバックさせる。


「そこ」


 急に対面の香織が指を指したのは崩れた記念碑と黒焦げになった機体の一部の写真だった。


「私たちが追っていた武装異人集団が乗っていたのだけど、ほとんど外に放り出されて遺体で発見されたわ。人質も焼死したと見てるけど焼けちゃえば見分けもつかないし、生存者の目が覚めるまで待つしかないわけ」


「ん? 誰か生きてたのか」


「ええ()()()()、全身大やけどの意識不明だけどね」


 香織が勝手にページをすっ飛ばし、今度は担架に拘束された異人が数枚写っていた。


「発見場所は戦車の中、操縦席かしらね。これで生きてるなんてゴキブリみたいな生命力してるわ。戦車も火災のせいで損傷がひどいし、何があったのか原因不明……、研究所もお手上げよ」


 名前が記載されていたが、前回見た写真とは大きく違う。皮膚がただれ、口は歯茎をむき出しにもなっているのに息が辛うじてあるのは奇跡的な状態ではないだろうか。


「なぁ、見つかったのはこの()()()()()()()てので間違いねぇのか?」


「ええ、写真の骨格と一致したわ」


「……そうか」


 他のページをめくってもどれも凄惨な遺体の状態ばかりだ。これ以上探しても無駄であり、心残りのその後のことなど知れない。

 見るのが嫌になった詩ノ崎はめくるのをやめて深く座る。


「逃がしたあげく被害がでかくて、しかも手がかりものぞみ薄か」


「あらそんなわけないでしょ、逃走者もいたわよ、これも一人だけ」


 香織がファイルを中央に引き寄せて目印の付箋を辿る。両者ともにファイルの記述のみの箇所を黙読する。


『戦車のあった林の方向からの逃走者を一名確認した。応戦するも東に流れる静関川に飛び込み、その後見失う。特徴は人間より体格が一回り大きく、顔はフードを深く被っていたため不明。応戦することはなかったが、武装異人集団のものを身につけていたことから武装異人の仲間として調査は継続』


「……」


「……」


「……誰だろうな」


「ええ、誰でしょうね」


 不意に顔を上げた瞬間に二人の口元が緩む。二人の間の空気が弛緩したのは、言わずとも互いの秘密を共有しているからだ。


「あんた達全員は事件の時間帯は天倉で閉店作業、けど快は車で事故を起こして対応していた。それは私がいたから保障できる、そういうことね」


「そうだな、火災のことは俺らは知らねぇし、俺らのことではねぇ、な」


「はい、天倉にはこの件とは無関係としてこの話は終わり、情報感謝するわ」


 香織がパタンとファイルを閉じた風圧で一枚の紙がテーブルから離れてヒラヒラと舞った。詩ノ崎は、香織が従者にファイルを仕舞うよう手渡している間に拾い上げる。

 所謂、履歴書だ。整合性を合わせた生年月日と埋まっていない経歴欄、エリア3に住む理由――――書かれているのはほとんど平仮名とカタカナ交じりで読みづらいときたものだ。小学生低学年程度からの読み書きを勉強して、一週間なら頑張ったほうではあるが。

 そして、唯一丁寧に漢字で書かれたその名前は。


「――――姫河(ひめかわ)ルル」


「快にしてはいいネーミングじゃないかしら。私は好きよ、名前だけは」


「んや、考えたのは希乃だ」


 たった一枚のA4用紙は決定権を持つ香織に渡された。

 この書類によって正式に異人であるルルがこの地に定住することが許される。戸籍の原本が白森財閥を通して作られることになるだろう。


「あとは依頼の報酬ね。本来の七日間に二日追加して九日間分。いつもの口座に振り込んどくから確認しときなさい」


「ああ、助かるよ」


 ようやく入った正規の報酬。しかし悲しいかな、天倉の修繕と襲撃の際に傷ものとなった車の修理のせいで、ほとんど手元には残らない。マーネを焚きつけたボーナスの話もなくなって、今日から出勤のマーネはまたずる休み。天倉で唯一目立つ骨折はまだ治りきっていないなら、大目に見るべきか悩みどころだ。

 いや、問題だった人員を一人確保できただけ、まだ良しとすべきなのか。

 詩ノ崎の減った頭痛の種がまた増えたような気がして、自然と煙草の箱とライターが入った灰皿を引き寄せていた。


「私ほどではないにしろ、快も大変ね」


「……別にそれほどでもないよ」


 相当な深刻な顔つきをしていたのだろう、高飛車な香織に心配されるほどなら納得だった。



 *



 春和景明。あのとき配達したときと同じ空は晴れ晴れとしいて、駅前の人は事件前とは変わらず行き交っている。

 ひび割れた道路の補修も早々に完了し一見、騒動が落ち着いたようだが、度々通行するパトカーが散見される。おそらくは財団も協力して見回りが行われているのだろう。

 しかし、あれもこれも市民が安全に様々な目的を果たしているのは財団の尽力あってこそで、出かけている希乃とルルもそれを享受している仲間だ。

 ルルにとっては見慣れない街を今度は遠慮もなしに散歩し、休憩がてらテラスの三色パラソルが日陰となるベンチに座った。

 二人の手には前回買えなかったソフトクリームが握られている。


「あまい、おいしい……!」


「でしょ!」


 たったスプーンにすくわれた一口でルルを虜にして、夢中で口に運んでいく。最近の彼女は見せなかった表情が次々と出てきて、来たばかりの頃のどこか怖がる暗い表情から豊かになったものだ。

 希乃もそれに釣られて表情が緩む。


「ここにも、おいしいものいっぱいあって、おなかがいくつあっても、足りない」


「また来ればいいよ、何か食べたいものあったら言って付き合うから」


「……うん!」


「因みに、今のところ食べたものの中で一番美味しかったの何?」


「うーんと、ぽてとさらだ」


「詩ノ崎さんが出したの?」


「いや、その……ののが作ってくれたの」


 そういえばと、一週間前に作って持っていったのはそれだ。最近の天倉の仕事はバタバタしていてご飯を作るどころではなかったが、ルルは美味しく食べてくれたみたいだった。


「ノノのやさしいあじがして。また作って、ほしい」


「……! うん、もちろん、今度も渾身のを作るから楽しみにしてて」


 ルルの要望に応えるしかあるまい。

 こうして次の約束が障害もなく結ばれることは希乃にとっても喜ばしい。


「良かったなぁ、やっぱり」


「……?」


 小声で呟いたはずが、ルルは小首を傾げた。


「いや、ルルがここに住めるようになって、お出かけまで出来るようになったからさ。これで帰ることになったらどうしようかって思って」


 希乃はサクサクと音を立ててコーン部分まで食べて、包まっていた紙を丸める。


「のののためにのこったの」


「ん? 私?」


「ルルはののをこんども守るためにいるの、だから、ののにはあんしんしてほしいの」


「ルル……、私に言うにはまだ早いよ、ほら口についてる」


「むー」


 笑いながらその口に端に白いクリームをハンカチで拭いてあげた。希乃にご執心なベガさんみたいなことを言うと見栄が半分、もう半分は省みず駆けつけサソリにも立ち向かった事実。

 やはりここに来る異人は人間にはない特別な何かを持ち、なかなかもって侮れない。


「それで、次はどこ行きたい?」


「あの、絵をみれるところって、ある?」


「絵ね……」


 ラバーケースに入った携帯に検索をかければ、無難なのは美術館だろう。一週間の勉強の中でも特に興味を持ち、今もずっと維持されているのは絵に関してだけだ。


「ちょっと歩くから、路面電車で乗っていこうか」


「ろめん、でんしゃ」


「道路を走る電車のこと、これはこれで景色も楽しめるし楽だよ」


 食べ終わったルルと手をつなぎ、気ままな散歩が再スタートを切った。

 希乃の平穏な時間はまだしばらく続きそうだ。


エピローグまで読んでいただきありがとうございました


次の章は8月、遅くとも9月に投稿予定

気長に待っていただければ嬉しいです

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