1-24 ”裏”
*
希乃はひどく後悔した。詩ノ崎と電話の九十九の制止を振り切ったあげく、捕まってしまうとは情けない。ここまでのポカをやらかして天倉の皆に迷惑をかけた自分にがっかりする。
勝手なことをした言い訳をすると、ただ足を引っ張りたくなかったのだ。
詩ノ崎はいつも銃や長物を一切使えない。唯一持つ拳だけで戦い抜いてきた。
だが、車から見た詩ノ崎は防戦一方であり、希乃がいる車から離れないように何度も見てきた姿からは無理をしているようだった。
だから疑ってしまったのだ、詩ノ崎さんは私を守っているせいで全力が出せないのではと。
(詩ノ崎さんに言って自分は出来てないでどうするんだろ)
今まで守られることしかなかった自分が、守ることが如何に大変かを先の逃亡で知ってしまった。反抗心が芽生えて、いざ実践してみればこれだ。
上腕と胸の周りを金属の拘束具が食い込み、起き上がるときに力むくらいには重量もある。
倒された座席で殴られ、蹴られ、脱出せんと足掻いてもただの徒労に終わってしまう。
(今どこだろうか)
特に暴力がひどかった男にうつ伏せに押さえつけられながら眼球だけで車窓を覗いてもアングルが悪い。ぼんやりした暖色だけが周期的に後ろへ流れていく。
ただ目はダメでも、音は耳に届く。
(……花火?)
遠くの崩壊音は耳を素通りして全身の骨に響く。それも一発どころではない。
「……検問だ、少し飛ばすぞ」
運転手が後ろの確認もせずにアクセルを踏みつけて、逆らおうとする力が希乃にも降りかかる。
エンジンの悲鳴が上がる中、破裂音は近づき、別のエンジンの音も加わる。
「何ぼさっとしてる迎撃しろ!」
レインコートの誰かがキツく命令した。
けれど、すぐには行かず代わりに何かがコツンと座席に落ちて、偶然希乃の目の前に転がる。
それは変色し過ぎてセピア色となったサイコロだった。上の面は黒い点が六つ並んでいるが、溜息がしたから多分出目が悪いのだろう、サイコロをつまむと無言でバックドアを開けた。
突風で流れてくるは火薬の匂い。
「くそっ、ここで撃てば良いものを」
「ほっとけ! お前らはここから迎撃しろ」
外は日本と思えないほどひどく荒れている。カーチェイスの激しさを増し、波に弄ばれる船のような揺れが乗っている全員に襲う。
希乃からは悲鳴は出さず揺れに耐え忍び、気づけば左右の揺れとは違う上下の揺れがやって来た。
「おい、閉めろ!」
運転手が叫ぶと揺れどころではなく、体に来たのは浮遊感だ。窓の景色が斜め下へとありえない方に流れ、慌てて見渡せば乗員は何かに掴まっている。
しかし掴まるものがないし、掴まることができない希乃。バックドアへ滑り出す前に暴力を振るった男がさらに窒息しかけるほど座席に踏みつけられた。
実際には希乃が窒息死することはないが、苦しい時間が現実より長く感じ、次には車から投げ出された。
「ふぐっ……!」
肺に溜まっている二酸化炭素が漏れ出る。
起き上がる力は出ず、目から入ってくる光がチカチカと処理が出来ず、頬に無機質な冷たさを感じるのみ。
「立て」
拘束具を二人がかりで持たされ無理矢理立たせられた。
力が入っていない女子高生でもなかなかに重い。鞭として脛に思いっきり蹴りが入る。
天倉の仕事をしてときには触手に絡まれ、ときには爆発を受け、ひどいときには喰われて腹の中に捕らわれもしたが、ここまでの扱いは希乃の許容量を十二分に超えていた。
「こいつか?」
知らぬ間に希乃の目と鼻の先に顔が近づく。
焦点が定まり出すと神経質そうな声の持ち主はレインコートのフードを被っていなかった。代わりに顎から鼻にかけて覆う黒のマスクが、はっきりとした目元と一つ結をした赤色のロン毛を強調させる。
その顔には見覚えがあった。車で見せられた写真のうちの一枚に写っていたとおぼろげながら認識した。
「はい、数値からみて間違いありません」
「顔が違うが?」
「いえ、それは……」
掴んでいた男の腕にナイフが突き立てられる。赤い血は出ていないが、刃先が反対側に貫通していた。
暴力的なシーンで希乃の止まっていた頭が正常に働き始める。
「まさか偽物をつかませれたわけではないだろうな!」
「いえ!こいつが例のスクラプトラよりも数値が高かったのです!」
もう一人の部下らしき男が背筋を伸ばして答えると、上司は興味深そうに目を細める。
「ほう、あれよりもか……」
「ただいまぁ、戻りましたよぉ。まさか置いてくなんてないですよねぇ」
背後で聞き覚えがある声が聞こえて見れば、立っていたのはずぶ濡れになった鉄仮面だった。
「ふん、時間内に来なければ置いてくのは当たり前のことだろう」
「そんな冗談言わないでくださいよぉ、ジェイさん。こうして仕事をこなしたんですからぁ。……ところでぇ、同業者さんはどこにぃ?」
「……おい」
ジェイが部下にひとにらみすると、また命が惜しく一生懸命しゃべり出す。
「迎撃の際に車を飛び出した後、戻ってきませんでした! おそらくまだ戦闘中か死亡したかとみられます!」
「だそうだ、残念だったな」
「あぁ、いい話が聞けそうなお人だったのになぁ」
双方とても悲しんでいるようには聞こえない無情な例文だ。
転がって悶絶する大男を無視して、ジェイは扉の前でボタンらしきものを押した。
「どこに連れて行く気ですか?」
希乃の問いには誰も答えない。罵倒もなく、ジェイは小型のエレベーターで扉が閉まる最後まで目を合わせることもなかった。
見張りの二人も愚痴を吐きながらどこかへ行っても、鉄仮面だけは希乃に近づく。
「ちょっと見てみませんか?」
子どものように無邪気な鉄仮面が誘導したのは頭一つ分の大きさの窓、汚い灰色の粉塵が舞っていてとてもじゃないが景観は最悪だった。
しかし、それは一瞬だ。外が白い光に包まれたあとはビルの森から切り替わっていて、
「……きれい」
先に簡潔な感想が出てしまうほどのただ蒼い水面と空が広がる世界だった。
*
『標的が消失! 繰り返します、標的が消失!……』
「……どういうことだ?」
トランシーバーからのがさついた声は慌ただしく、目の当たりにした隊長は何が起こったのかわからず当惑している。聞いている限りでも大きな乗り物、というより他エリアの戦車を見失うなんてことはあり得ないだろう。
疑問を口にした詩ノ崎だが、同じく車に揺られながら聞き耳を立てている四人も答えられない。助手席で広々と座る九十九も珍しく真剣に眉をひそめている。
「あっちで瞬間移動でも開発したのかな」
「それやられたら追いつくどころの話じゃねえぞ」
荒唐無稽だが他エリアではあり得なくもない話で、詩ノ崎は顔を覆う。
これにすぐさま反応したのは、この車の持ち主である奥本飛翔だった。
「そんなことはない! 例えワープされても僕の愛車は希乃さんを連れ去った邪知暴虐なる軍団を絶対に逃さないぞ!」
運転席でハンドル握りしめて声高々に意気込んだ。
詩ノ崎が電話して頼んだらなんと二つ返事だった。その相手にうるさいと言ったら負けだと詩ノ崎が黙ったが、マーネは知ったこっちゃないと押さえが効かず運転席のヘッドにつかみかかる。
「うっさいわね! たださえぎゅうぎゅうで不快なのに!」
「おいおい! 揺らすな! 希乃さんを助けるまでこっちは死ねないのだ!」
「あーもう、通信聞こえないでしょ!」
「……まーねも、……」
隣で騒ぐマーネに眉を寄せるヒナピリウルも言うようになった。香織の依頼以上に重要人物の文句でそのマーネが舌打ちして静かになる。
「ルル、希乃はどうなってるかわかるか?」
ヒナピリウルが瞼の裏を見ながら、指を空中で数回だけ動かす。
「あの……、動いてます、ずっとうえに」
「ちょっと上ってどこよ、てか瞬間移動してもわかるって強くね」
信じ切っているマーネだが、ブンブンとヒナピリウルは首を横に振る。
「たぶん、みえなくなっているんだけだと、……おもいます、いどうが、いつもみているのと、おなじなので」
乗っている機体に積まれた機能には悩むが、居場所に関しては逃げようが隠れようがヒナピリウルが見失うこととは無縁だった。
「まだ追った方が良さそうだね、ルルちゃん移動先このままで大丈夫?」
九十九の声に、ヒナピリウルは目を閉じながら首肯する。
「だってさ」
「わかったよ! この奥本飛翔にっ! 任せなさい!!」
言葉の勢いそのままに信号が変わるギリギリを大きくハンドル切って右折、後方から喧しくクラクションを鳴らされた。天倉から短いの距離だけでもう三回目だ。
ヒナピリウルが思わず目を開けてたまらず振り返る。
「ひっ、またっ」
「だーかーら!静かに曲がれっての!」
シートベルトをしていないヒナピリウルが遠心力で吹っ飛ぶくらいだ。とても丁寧とは言えない走りに、後部座席のに座るマーネが抗議するも、
「すまない、まだ初心者なんでね」
わびることなく快活に笑う奥本。
ずっとこの調子で辟易するし、マーネも無駄なエネルギーを使って運転席に向かって罵声を飛ばし続ける。
これでは体力温存の意味がない、詩ノ崎は顔をしかめて溜息を漏らしていると、
「あっ……」
隣でヒナピリウルが声をあげた。
「どうした?」
「ののが、こっちにむかって、る」
「は? ちょ、奥本、車停めてくれ」
慣れていないきついブレーキがかかっても誰も文句は言わず、後部座席のヒナピリウルに注目する。
「さっきまでうえに、むかってたのに、いつのまにかみぎしたに、きてるの」
「どこかわかるか?」
詩ノ崎が携帯から地図アプリを開いて、ヒナピリウルが薄目で見る。
「……ここ」
縮小された地図、赤い点目指してヒナピリウルの指が建物と道路を無視して動く。
詩ノ崎は車の窓を開けて顔を出すがそれらしいものは五感でも感じ取れず、見上げても狭い空には星も輝かないほどに暗い。
それどころか、
「あ、とおり、すぎた」
見逃さないようにしても敵は姿も影も現われず、どうやってか詩ノ崎達をすり抜けていった。
窓を閉めて眉をひそめている詩ノ崎に、反応をしっかり追えていたはずのヒナピリウルも何度も左右に首を傾げる。
「なにか、いた?」
「いや、上も見たが何も通らなかった」
「ちな、今ノノはどこ?」
「……ここ」
今度は川にかかる橋を指す。
「飛翔、さっきとは逆方向だ。追うぞ」
「はいよ!」
奥本が頷くと急発進し、ギュルギュルとタイヤの摩擦音を鳴らして車の少ない反対車線を走らせた。
「なんだか、おそくなってってる? まだくるまより、はやいけど。ずっとみぎうえで、ふらふらしてる」
方角がわからず右や上と言ってるヒナピリウルに、九十九はフロントガラス越しに明かりで輝く橋を注意深く見ながら聞いた。
「これってルルちゃんの超能力が違うってことはないの?」
「ないわ、スクラプトラに間違いなんて絶対に」
ヒナピリウルを否定しばかりだったマーネが急に味方し始めた。九十九は驚きを隠せず興味深そうに呟く。
「……随分と買ってるんだね」
「別に……、ここで疑ったらどーしようもないでしょ」
「ふーん、それだったら残る可能性は……」
九十九が顎に手を当てて考える素振りをみせる。
「これはこのままどこに行けば良いんだ?」
カーナビがない車で初心者の奥本が肘掛けにある携帯の地図アプリをチラ見しながら運転にのぞんでいる。
「このまま川に沿って真っ直ぐ運転してくれ、で良いんだよな?」
こくこくとヒナピリウルが頷く。
戦車の動きは、体感で奥本の車よりも若干速いくらいだとヒナピリウルは言うが、見通しが良い河川敷からでは未だに戦車とやらは見えない。先のステルスを使っていても音や振動までは隠せないし、建物を突っ切って進むには説明がつかないのだ。
「これ裏を通ってるんじゃない?」
「「「……え」」」
唐突な九十九の推測に奥本以外が声を重ねた。
「裏だったら表と場所が同じことだし、ルルちゃんの反応があるのに見えないってことにもなるだろ」
「おいおい、裏と自由に行き来できるってのは……」
「うん、良くはないね」
「まじ、どっか開発したの? そんなの一方的にここが被害にあうだけじゃん」
「まてまて、その裏とは何だ?」
一人だけ事情が読めていない一般人の奥本が、会話を遮って声を大にする。
「地球の裏側のことだよ、異人がやって来る世界って言えばわかりやすいかな」
「ほう、よくある別次元か」
「そうそう」
感想はそれだけかと、劇的な反応はない奥本に九十九が肯定する。
「じゃあなんだ? 希乃の救出だけでも大変なのに制御装置の破壊もしなきゃならねぇのか。誘拐だけのために戦車に取り付けるものじゃねぇだろ」
「あくまで推測だけどね」
しかし残念なことに辻褄が合ってしまう。
慌てずに詩ノ崎は考えを巡らせている間に、マーネは焦ったように身を乗り出す。
「それだったらどうやって助けに行くの? あたしらそんなとこ行けないっしょ」
「あはは、ないよ。裏に行ったらどんなものでも腐食がひどいから長い時間……、そうだね十五分も潜ってられないだろうね」
消失したという連絡の時間はわからないが、九十九の言う時間は迫っている。
そのとき、唐突な空気の振動が車越しからでも伝わった。
今日の更新は終了
次話は明後日の22時辺り更新になります




