1-19 恩
*
煙から抜けた先には炎上している車体に赤ランプが点る車から駆けつける人達と、遠巻きに現場を見ている群衆。
人が多くて賑やかなはずなのに、街の華やかさはどこへ行ったのか。
(……逃げたせいで……)
ヒナピリウルに向けられているようにも見える視線があまりに多い。
似ているのだ、ヒナピリウルが過ごしてきたエリア1での状況と。
ヒナピリウルの能力は低いと言われ続けた、だから他人よりも研鑽して、時には断食脱水をして、体力と精神を鍛えた。
しかし、ヒナピリウルは主から選ばれてしまった。能力を上げて、成績も実を結び始めた直後のことだった。
騙されたと言われ、嫉妬で後ろ指を指され、選ばれたこと利用され、そして遂には還されそうになった。
だから、逃げた。賢者を不意打ちで気絶させ、逃げて、逃げて、逃げて、他エリアに向かう貿易船に乗り込んだ。
この爆発の元凶だとまた後ろ指をさされても仕方がないのだ。
手をつないでいる希乃にも聞こえないように、ヒナピリウルは掠れながらも呟く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
希乃に手を引かれながら目を瞑る。
怖くてしかたがないもの、みたくないもの、全て、全て、全て、視界から追い出す。
「ルル、着いたよ」
優しい希乃の呼びかけで目を開ける。
ベガと呼ばれる男が案内してくれたのは駅を挟んで現場とは逆サイドの花屋だった。看板の文字はまだ読めない、しかし形がカクカクしている規律のある図形だ。
少し安心感がある気がするのは、ヒナピリウルがいた外周はエリア1でも自然豊かで、見慣れた生きている緑が圧倒的に少なかった都会で見られたからだろう。
ベガは店内に入ると思いきや素通りして、裏手に回ってまた何かを口ずさんだ。さっきのものとは呪文は長い。
「このまま上がってください、問題はないので」
通されたのはただの更衣室だ。天倉の簡易的で安いレースカーテンで覆われたものではなく、ロッカーが並ぶしっかりとした部屋。
「少しお待ちください、主様は無傷でしょうがルルさんがもしかしたら……」
そうだ、見てる場合じゃない。
こんな状況でもヒナピリウルは出て行こうとしたベガに待ったをかける。
「まって! ののは、さっきかばって……」
「聖ちゃん! 大丈夫だっ……た……」
お店の奥からやってきたのはエプロン姿の優しそうな女性。まさか女の子二人を連れてくるとは思わないはずだ。
飛び込むように入ってきてから数秒は考える時間が必要だった。
「ど、どうしたの、これ!」
「それが駅前で交通事故が近くで発生したみたいです。また派手みたいでしばらくうるさくなりそうですよ」
「えっ……いや、この子達は!? 怪我してるじゃない!」
「はい、この方達は……」
「お騒がせしてすみません。希乃と言います、隣にいるはルルです」
正面に向き合って希乃は、焼けた背中を見せないように羽織っているシャツを押えて店員と思しき女性に頭を下げた。ヒナピリウルも慌ててそれに倣う。
「ご丁寧にどうもって言いたいのだけど……、うちより病院に行った方が良いじゃないの? 手当てをするなんてうちじゃとても出来ないし」
「それは大丈夫ですよ」
言いにくそうにしている店員に、ベガが希乃の代わりに答えた。
「希乃さんはお労しいことにボロボロではありますが掠り傷一つありませんし、ルルさんも希乃さんが迅速に動いたおかげでなんかなんとかなってます。心配するほどのものはないですよ」
ベガの会話にヒナピリウルは改めて目を逸らさずに希乃の格好を見ると、全身煤と土埃だらけだった。
対して自分自身には目立ったものは何もない、悪い空気を少し吸ったくらいのものだろう。
本当に希乃が咄嗟にかばったおかげだった。
「ただルルさんなんですが、わたくしと同じ体質なんですよ」
「嘘!? あんまりいないんでしょ」
「えぇ、ですからもし怪我があればわたくしの塗り薬をお貸ししようと思いまして」
「それなら、まぁ」
何か言いたそうにしている女性店員。そして、諦めたように首を振った。
「わかった、聖ちゃんが責任もって看てね」
「「ありがとうございます」」
寛大な女性店員に希乃は軽く、ベガは恭しく頭を下げる。
「あと、希乃さんもルルさんも何かあったら呼んでね、すぐに戻るから」
そう慈愛に満ちた表情で言い残すと更衣室を静かに出て行った。
扉が閉まってしばらくすると、希乃は膝から崩れ落ちた。それにベガが慌てて駆け寄る。
「主様」
「……大丈夫、緊張が解けたみたいで」
たはは、と力なく笑う希乃に、ヒナピリウルは俯き視界が涙でにじむ。
自分が跡地に行こうと言わなければ希乃が大けがに繋がることはなかった。
ヒナピリウルが泣いていることに気がついた希乃が急いで立ち上がる。
「あぁ、ごめん、大丈夫だから! 私はなんともないから」
「……でも、せなかが」
「だから、怪我なんてないですよルル」
ヒナピリウルから敬称を取っ払ったベガは「失礼します」と、自分のシャツを希乃からそっと外す。
見ていたヒナピリウルは数回激しく瞬きをした。
「な、なんで……」
下に着ていた服からインナーまで黒く汚い円状に焦げ、守っていた肌をむき出しにしている。だが火傷が痕も残っていなかったのだ。
耳と全身に残っている、ヒナピリウルにとって経験したことがない振動と熱。爆発の炎は確実に希乃の背中を炙っていたはずだ。
試しにヒナピリウルが背中をぺたぺたと触っても、希乃が身体をよじらせるだけで綺麗で凹凸が少ないただの背中。見せかけでもない。これにはヒナピリウルは混乱した。
それを尻目にベガは本人でもないのに満足そうに頷く。
「流石です、やはりあのくらいでは主様に傷をつけることはないですね」
「……あの、くらい?」
何が起こったかわからない程の爆発をあのくらい……。ヒナピリウルにはベガが軽く形容したことに鳥肌が立つ。
希乃の行動はヒナピリウルの目にも天倉の中で一番動き慣れていなくて、内面でも大人しい人だったが、まさかこんな……。
(ば、ばけもの……)
得たいのしれない存在からヒナピリウルは後ずさりする。自責からきた涙も引っ込んだ。
希乃は今度は腕にかけていたボロボロになったウィンドブレーカーを羽織る。
「心配させてごめんね」
ヒナピリウルに向けた顔は少し困ったようだったがいつもの笑顔でもあった。
「ルルは痛いところとかない? ベガさんが薬持ってるから今すぐに塗ること出来るけど」
「……な、ない、まもってくれた、おかげで」
「そっかー、よかったー」
一番痛い思いをしたはずなのに、自分のことよりヒナピリウルの怪我を心配したことに心の中で怖がったことに恥ずかしくなった。
「その……、ありがとう、のの」
初めてだった。ヒナピリウルはお礼を口にした。
「いいのいいの、体が頑丈なのが取り柄だから」
頑丈どころじゃない。ヒナピリウルは突っ込みたかったが口が裂けても言えなかった。
お礼を口にしただけで元気になった希乃は、今度は後ろに控えていたベガに腰曲げた。
「すみません、実は配達の品なんですけど……」
「ええ、聖水ですね。あれは換えがいくらでもききますから心配しないでください」
「そうですか……、でもあれがないと秘術使えなくなるんじゃ」
「ははは、あの程度の奴らなら聖水がなくても遅れをとりませんよ。それよりも主様とルルが無事であることを喜ぶべきです」
取るに足らないことだと言うベガに、希乃はまだ申し訳そうにしている。
「あと、ごめんなさい。ベガさんの電話を借りてもいいですか、実はなくしてしまって」
「わたくしので良ければ、お安いご用です」
快くベガは希乃に携帯を渡した。連絡する先はもちろん上司である詩ノ崎だろう。
「ありがとうございます。ちょっと席外しますね」
「え、あ……」
すぐに希乃は更衣室を出ていってしまった。残ったのはヒナピリウルとベガ、輝人の二人。
希乃との知り合いで助けてもらったとは言ってもまだベガへの不信感はぬぐえない。彼が希乃の前に現着したときにはもうヒナピリウルのことを知っていたのだ。
自分を知っていることが途轍もなく怖かった。
「さて、わたくしの自己紹介がまだでしたね」
ヒナピリウルが立ち尽くしているとベガから切り出した。微笑んでいる姿は肌のきめ細かい白さから聖人を彷彿とさせるものの、敬語がどこか間に壁を作り突き放すようなものでもあった。
「改めてわたくしはベガと言います、ここでは妻夫木聖という名前ですが、いかようにも呼んでください」
「……ルル、です」
用心して希乃が決めてくれた偽名をいうヒナピリウル。
「そんなに畏まらないでください。別に貴方のことを取って食おうなんてことはないですよ、ただ貴方とお話をしたいだけです」
「はぁ……」
「詩ノ崎から聞いていますが、まあなんとも……」
口を隠しつつもベガの目は笑っている。
けれどこれでヒナピリウルは少し安心した。自分のことは詩ノ崎から聞いたのなら、そこまで深くは知らないはずだ。
「それにしてもよくここまで逃げられましたね」
「は、まあ、ののの、おかげ、で」
「いえ、そこではなく」
「……?」
「よく“還元”から逃れられたと言う意味ですよ」
ベガがさらっと口にしたが、ヒナピリウルが聞きたくない言葉に心がざわつき、体から血の気が引いていく。ヒナピリウルは目の前が真っ暗になりながら声を震わせた。
「な、なぜ……」
「なぜって、おかしなこと言いますね。わたくしはこう見えて賢者ですよ? 修練を行って、各地を巡りますから風習ぐらいは把握して当然ですよ」
「そん、な……、賢者様は、いつもそばに、くらしていて」
「それは外周の者だからですよ。中心の風習では布教とエヌマニの修行のために旅をしないといけませんから」
ヒナピリウルは愕然として力が抜けて床に座り込んだ。
エリア1の賢者の職務は罪人の捕縛と、その審判だ。賢者個人で裁量が決まっていても、教義に基づかれていて差はほとんどない、統一された組織。
そんな権力がある組織の祭事から逃げ出したヒナピリウルは、賢者から追われて然るべきだった。
ここまで命がけで逃げたのに結局は……。
悲観し、そして遂には二人きりにしたことの意味に勝手に邪推してしまう始末だった。
「その、賢者様が、ここにいるのは」
壁越しにいるはずの希乃を寂しそうに見やると、無意味と思いつつヒナピリウルは口を開いたのだった。
「ああ、ただの布教のためだったのですよ」
「……え?」
跳ね上がるように顔をベガに向ける。
「布教です。決して貴方を探しにというわけではないですよ。言ったでしょう、取って食おうとするわけではないと」
またしてもベガは口を押さえながら目を細める。
「あとですね、主が変わったのですよ」
「え、そ、そんなことが、できるの、ですか。だって……」
にわかには信じられないことでヒナピリウルは強ばる。それまで信じていたものを捨てたことのつまりは、
「ええ、切り替えたのですよ。当理希乃様に」
賢者という安泰な役職を捨てたのにも関わらず一層に笑みを深めるベガ。さっきまでの笑顔に狂気が混在している。
「だからもう家、ここではエリア1と言いますか。もう関係がないことなのですよ」
「すてて、こうかいは、ないの」
「ないですね」
ベガはキッパリと言い切った。
「あそこにはこれと言った思い入れはありませんし、寧ろ新しい生活を始められて清々したくらいです。案外サッパリしたものですよ」
ベガが嘘を言っている顔ではなく穏やかだ。ヒナピリウルには信じられなかった。
それなら自分もと考えが過ぎったが、ベガの顔付きが瞬き一つで変わる。
「全ては主様である希乃様が示してくれたことですよ。見ましたかあの完璧な姿を! 全ての害あるものを絶ち、慈悲の心も持っている! 家にいる主よりもよっぽど神々しい!! そんな方に仕えないなど無礼だと思いませんか!!!」
早口でまくしたてるベガは気づけばヒナピリウルの目線にまで合わせきている。その瞳には光がなく、否応も言わせぬ圧力があって、ヒナピリウルは目を離そうにも離せなかった。
しかし、賛同できる部分があるのは確かだった。現にさっきの爆発に怪我がなかったのは身を挺した希乃のおかげなのだから。
「そうだけ、ど。主になるまでの、ものはあるの?」
「愚問ですね」
踵を返して今度の目線は壁に向けている。奇しくも邪推したときにヒナピリウルが希乃に向けた方向と同じだった。
「私を守るために命がけ行動してくださったのですよ、この恩は一生をかけても返さねばなりません」
「一生……」
希乃の顔を思い浮かべながらその言葉を反芻させる。長い時を生きる輝人にとって重い言葉だ。
口調は和らいではいても重みは変わらない。ヒナピリウルから軽い気持ちが消え失せる。
「もし、ここに住もうと思うならそれ相応の覚悟をしてください。臆病も結構ですが、主様に対しての不敬は私が許しませんから」
「……はい」
「でもルル、貴方は私の数少ない同郷です。平穏に過ごすというならどうか新たな主様として希乃様をよろしくお願いするよ」
何度かわからないベガが笑顔を作ったが、今度のものは何も壁が感じさせない綺麗なものだった。
ヒナピリウルは手を胸に当てて、軽く拳を握った。
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