1-15 跡地にて
「なに、この人たち」
自然と身構えた希乃はヒナピリウルを自分の背後に隠した。
雲が見当らない空の下で厚そうなレインコートを着ている大人が五人。ご丁寧にフードまで被って顔は見えにくい。
どう見ても道を尋ねるような風貌ではないが、様子を見るために希乃は声を発する。
「あのー、何かごようでしょうか?」
「……」
無言でジリジリと扇状に広がって二人に近づいてくる。
レインコート集団の背後の道路に移動に使ったと思われるスモークガラスがついた白のワンボックス、天倉が使っているものと同じ車種。
相手に完全に囲まれないよう、距離を一定に保たせてゆっくり退いていく。
目の前は塞がれたのならば、逃げ道は後ろしかない。
「走って!」
「!!」
真っ暗な道が続くアーケード前まで下がると、ヒナピリウルの手を引いてその道を全力疾走した。おしゃれな石レンガは浮き沈みして不安定でも希乃は転ばないよう気合いで走り続ける。
だが、いくら不意をつけられても子どもの運動能力ではいずれ追いつかれる。
「こっち!」
希乃は適当な小道を曲がる。アーケード街より寂れてはいるものの不思議と草木に浸食されておらず、余計な装飾がない分こっちの道の方が走りやすい。
「どこに、むかってるの」
「わかないけどっ、とにかくっ、撒かないとっ」
追手の視界を外すために片っ端から道を曲がり続け、跡地の奥に潜っていく。
体育の授業よりも長距離を走り続けた末、ビルの影から太陽の光がかろうじて届く細道を振り返れば、追手の姿は見えなくなっていた。
希乃は酸素を多く取り入れようと大きく動く肺を宥めようと、屋根付きアーケードの居酒屋通りの錆びたシャッターに手をつく。
「あれ、何なんだろう」
「さぁ……」
俯いている希乃が頑張って顔を上げれば、ヒナピリウルはケロッとしていて走った後とは思えない息遣いだった。
「疲れてないの、結構、走ったよね」
「いや……」
希乃よりも痩せ細っているヒナピリウルが首を横に振っているのを見るに、これが異人の運動能力差だろうと得心した。
ヒナピリウルの手をつないだままだったのに、難なく足はもつれず希乃のスピードに追えていた。さらに思い返せば、天倉に来た初日に二階から飛び降りて逃げ出したときも土地を知る三人に対して撒いている。
マーネのような獣人の驚異的な身体能力とまではいかなくても、基礎体力が標準的で普通に暮らしている希乃とは違うのだ。
「追ってきたのが、輝人か獣人だったら、危なかった……」
このことで少し希乃の心にほんの少し余裕が出来た。
追手がどこの異人か、はたまたただの人間か。まだ判別がつかないが、運動能力が同じならまだ逃げ切れる可能性は残っている。
問題はどう天倉と連絡をつけるかだ。
仕事用のスマホはどうやったのか吹っ飛ばされて回収も出来ていない。
もう一台の希乃個人のスマホは財布とともに更衣室のロッカーに預けていて手元にない。
通信が難しいなら、残る方法は天倉まで直接行くことしか……。
「ルル、もうちょっと走って……、ルル!」
「えっ?」
希乃が顔を上げたそこには、ぼーとしていたヒナピリウルと、さっきまで追っていた、それも五人の中で一際大柄な出で立ちの人影だった。
ヒナピリウルは希乃の叫びで走り出そうとしたが、すでに遅い。
レインコートの人物はヒナピリウルの細い右手首を掴み、乱暴に引き寄せる。
「はなしてっ」
白いキャップを落としても精一杯に逆らうヒナピリウルだが、見た目に違わない腕力で抵抗は意味を成していない。
希乃はただ見ているわけはない。逃げ出さず、怯まずレインコートの人物に突っ込む。
「はなせ!!」
背負っていた一升瓶入りのリュックを降ろし、フードで覆われた頭部めがけて、遠心力を加えて強打する。硬いもの同士が衝突した手応えが痺れの残る右手に響く。
これでレインコートの人物が手を離して欲しかった。
しかし、でかい身体を仰け反るだけに留まってしまい、それどころかその体勢で片腕を真っ直ぐ希乃へ伸ばしにくる。
力だけでなく動きも速い。希乃は咄嗟にリュックを盾にしてバックステップをしても、中身が空に近いリュックの底を鷲づかみされた。
「ちょっ!」
綱引きの綱ように配達の重さに耐えることができたリュックは縦長に延び、さらに希乃も引っ張られる。
相手は今のところ一人、仲間がさらに来てしまえば希乃達はあっさり捕まるのは確実。そうなる前にヒナピリウルを解放して、奥に走って撒かないとならない。
ならと、希乃はリュックの頭頂部のチャックをわずかに開けた。
取り出したるは配達物の一升瓶、落下しそうなところで飲み口を握り、リュックからは手を離した。
一升瓶を割らないよう希乃が大きく尻餅をつくと、すぐにアルミの蓋を開けようとするが、痺れる右手はまだ本領を発揮してくれない。
「ちょ、滑る!」
同じ反動を受けたはずのレインコートの人物は倒れていない。目の端で見ていた希乃は時間が稼げいていないと持ち手を切り変える。
太ももに一升瓶を挟み、左手で捻ることでカチッとアルミが折れる音が手の中でした。
希乃が蓋を回す間に、レインコートの人物が希乃の武器となっていたリュックを後ろに投げ、一升瓶のことなど警戒もせず再度掴みかかろうと距離を詰めにくる。
しかし、それは希乃にとっては喜ばしい行動だった。
「えい!!」
下から上に、一升瓶の中身を自分にもかかる勢いに振り上げる。飛び散り弧を描く液体はレインコートの撥水を無視して染みこみ、フードの奥に引きこもる顔にも吸い込まれるようにしてかかった。
曇りガラスでできた一升瓶の中身、湧き水のように濁りのない透明度を持つ液体は清酒なんて生優しい物ではない。希乃が届け先の常連客から聞いた、あるいはそれ以上の劇物だった。
「ア゙ッ!!」
突然の呻きは野太く、ヒナピリウルを離し、その手でレインコートをむしり取った。
保温性が高いインナーに、文字が刻まれたドッグタグをぶら下げているが、初めて見せた男の素顔は苦悶の表情であり、断末魔をあげながら転がりのたうち回る。
液体の正体を知らなければ水を浴びただけと不思議に思うはずだが、解放されたヒナピリウルはそれを眺めていた、それも戦々恐々と。
「行こう!」
希乃は中身が半分になった一升瓶を道に投げ捨てて、片方の濡れていない手でヒナピリウルの手をつないで再び逃げる。
男の断末魔に釣られて仲間が追ってくる前に走らなければという一心で、希乃とヒナピリウルはさらに奥へ無人の街を駆けた。




