1-14 散歩の終わり
散歩のペースを上げて歩くこと二十分、無人街のアーケードが二人を出迎えた。
廃ビル群に近づくほど歩く人も道路を走る車も目に見えて少なくなり、乾燥したような活気のない風が顔に吹き付ける。その鳥肌が立つ冷たさに希乃は腕にかけていたウィンドブレーカーを着た。
なんだか寂しいところだ。希乃は車窓から見る度に必ずそう思っていたが、間近に見てもやはりその感想に相違はなかった。
「くらすぎて、みえない……」
ヒナピリウルは周りを見るのをやめて、建物の影で薄暗くなった石畳の商店街らしき大通りに目を細める。
「……どんなところだったの? ここって」
アイスのときよりも心を躍らせているヒナピリウル。
希乃は幼い頃の情景を頭の中から引き出すが、訪れた回数が乏しく特徴を捉えるのに難航した。
結局、一言しか表せられない。
「普通の街だったかな」
「そ、それ、だけ?」
「ごめんね、最後に来たの小学生の頃だから思い出が少ないんだ」
左を向けば階段が潰れた地下鉄ホームへの入り口、右を見れば背の高い陸橋が砂洋駅から廃墟の中へ貫いている。ここに設置された駅は今やもう誰も使われず捨てられたのだ。
希乃が覚えている限りではここも少し前まで、希乃達が降り立った駅前となんら変わらない普通の街であった。もし放置されたビル群がまだ使われていたのなら砂洋駅よりも賑わっていたまであっただろう。それくらいには発達していた。
「確か私が小六くらいだったかな、そこに住む人を退避させるって話になったのが」
まさに青天の霹靂だった。まだ小学生の希乃であっても、おかしな話というのはなんとなく掴めた。連日報道され、都市に戻ろうとした人たちの混乱や抗議デモの映像は記憶の隅で微かに引っかかっている。
「しばらく立ち入り禁止になって、最近……二年前だったかな? ここを天倉と財団の人は“跡地”って呼んでるんだけど、解禁になったの。車は通れないし住めなくなったけどね、あくまで中を見るだけなら大丈夫ってこと」
ここを管理している財団は建物自体には入ることを禁じているものの鉄柵などの遮るものは置かれていない。聞いた話だと未だにカメラを持った廃墟マニアらしき人や、果ては他国の身なりが良さそうな人達がまだ来ているらしい。
「ルルは何で行きたいと思ったの?」
自然な流れでヒナピリウルに尋ねたが、希乃はまたやってしまったと焦って付け加える。
「いや、答えたくないないなら良いんだけど……」
「みたこと、なかったから、なんだけど……、へん、かな」
答えたヒナピリウルは顔を俯かせて身体をモジモジと動かしていた。前髪から覗く小綺麗になった顔から耳まで赤くなっている。
「いやいやいやいや、そんなことない、そんなことないよ!」
こんなにも分かりやすく出るヒナピリウルに、険悪になるかと身構えていた希乃は思わず身振り手振りを激しく否定する。
「そうだよね、うん、やっぱり興味あるものだよね。知ってる輝人もそうだったって言ってたし、うん」
「えっ、いる、の?」
ヒナピリウルは足を急に止めて、希乃と微妙に距離が出来てしまう。
「……うん、何が?」
「その……、輝人がここに……」
「いるよ? うちの近くだったら何人かいるけど、異人で比べると少ないかな」
希乃はなんともなしに素直に答えた。
出身地が嫌いでも知らない土地に同郷の人がいる、それは安心できることではないかと。
けれど、ヒナピリウルは怯える色を見せている。
「……あわないことは、できる?」
「輝人と?」
コクコクとヒナピリウルはこれに小さく首肯する。
「それは……」
動揺して希乃は答えられなかった。跡地を軽く見たあとは届け先の常連客と顔会わせを予定しているのだ。
言葉を窮した明確な反応にヒナピリウルは大きく息を一つ吐いた。
「やっぱり、会うん、だね……」
「……たぶんだけど、その人ルルのことを知らないと思うよ」
観念して希乃は否定せず説得させるために答えたが、ヒナピリウルの瞳はより一層黒く悲哀に満ちている。
さらにヒナピリウルは続けた。
「……そして、還されるんだ」
「うん?」
増す緊張感でもよく考えずに希乃は純粋に聞き返した。
「どういうこと? 帰されるって白森財閥にってこと?」
「え?」
「え、そういうことじゃないの?」
急に話が噛み合わなくなって希乃は眉をひそめる。一方の思い込みだったらしいヒナピリウルも目を丸くさせて希乃を見ている。
「白森財閥じゃなかったら、ルルの故郷ってことしかないけど、そういうこと?」
「それは……」
ヒナピリウルの歯切れの悪い反応に希乃は半分混乱していた。
あとは何が残っているのか、希乃の少ない他エリアの知識では導き出すことはできない。
あまりの気まずさに希乃は時間を確認するためと称してスマホを取り出す。
「もう戻ろう、仕事に戻らないとだし、帰すなんてこと詩ノ崎さんはしたりしないよ」
ここで一旦話を切り上げないと最後の配達に支障が出てしまう。
けどもちろん、ヒナピリウルの足は動かない。疑いたくはないがこのまま走って逃げられる可能性もある。
持っているスマホを見て希乃はヒナピリウルに提案した。
「そんなに不安なら、直接聞いてみる?」
「ちょくせつ、ってどうやって」
「電話だよ、これを使って……」
希乃が持っていたスマホを見せようとヒナピリウルに近づけたその瞬間、希乃の手から跳ねて宙に舞う。
同時に希乃の手にも衝撃が走った。
「い゛っ!」
「!!」
不意の衝撃に希乃は右手を抱えてしゃがみ込んだ。
スマホを握っていたはずの希乃には何が起こったのか理解が追いつかない。それはギョッとしたヒナピリウルも同じだ。
「いっっっっったーーーー!!!! 何……」
涙ぐんだ目で転がった方向に視線を合わせたが、アーケードの入り口にあるものはもうスマホではなかった。
画面の液晶は白い弾痕を残して、ガラスが土埃の歩道にキラキラと散らばっている。本体がくの字にひしゃげてしまっては、修理をしても使い物にならないだろう。
ただこれは天倉の借り物、どうなっているか確かめる必要が希乃にはあった。
右手の痺れが感覚を消す中、希乃はスマホだったものを拾い上げようとアーケードに向かって立ち上がったところで、ウィンドブレーカーの裾を引っ張られた。
「どうしたの、ルル?」
呑気に振り返るとヒナピリウルは身を寄せている。
そして今怯えている原因はヒナピリウルが見つめる先だ。
道路に停車した白のワンボックスからワラワラと降りてきたレインコートの集団が、強烈なきな臭さを放っていた。




