1-13 配達という名の散歩
「もう……つかれた」
「大丈夫、じゃあなさそうだね」
希乃の腕にがっしりしがみついているヒナピリウルは、砂洋駅に降りて五分も経たずにギブアップした。
肉体的な体力ではない、人疲れによるものだ。
天倉の最寄り駅から乗った電車、都市部に向かう乗客の多さでヒナピリウルは顔を引きつらせ、目的地で降りれば比にならない人混みに顔を青くした。
人の多さに慣れていないせいで目的の一つだったエリア3の見学をする余裕もない。
希乃はヒナピリウルがくっついて歩きにくそうにしながらも、人混みから逃げるように駅を出る。
だが待っていたのはコンクリートから照り返す春の陽気ではなくなった月曜正午の熱気。季候に合わせた服装をもってしても二人の肌にじんわり汗を滲ませる。
数多の荷物を詰めたリュックで背中に気持ち悪さを覚え始めた希乃は、いつもの車での配達より苦しいものになることを覚悟した。
「どこか一休みする?」
「……いや、それよりも……、ここから、はなれたい」
「そっか、そしたら早く抜けないとね」
そんな天倉に売られている古着のあり合わせを着るヒナピリウルだが、黒髪の頭には汚れ一つない真っ白なキャップを被っている。
意外なことに絶対汚すなという脅迫付きでマーネから貸してくれた。
しかし、怖い顔で迫られて半泣きにされたというのに、日除けの効果は思っていたよりも薄く、起こるかもわからない目印としての役割しかないのはヒナピリウルにとって踏んだり蹴ったりの結果だ。
ヒナピリウルが気になるであろうものをスルーして先に人混みを抜けるために熱せられた横断歩道の信号を待った。向こう岸の歩道に渡れば駅前の広場よりマシな人口密度にはなる。
最悪どこか人気が少ないところ、例えば公園で一休みすることも考慮しなければならないが、希乃はそうウカウカしていられなかった。
「これ帰るときになったらこれじゃ済まないかも」
人を避けながら腕にかけた天倉のウィンドブレーカーのポケットから仕事用のスマホを取り出し、配達ルートと一緒に周辺の建物名称がおびただしく表示される。
オフィスビルと大学、デパートにビジネスホテル。周辺に人が集まるものばかりが点在するこの駅は、これでもまだ本領は発揮していない。人波は夕方にかけて大きくなり真昼のものより超えるのだ。
配達予定時刻とはぶつからないようだが、遅くなる可能性は当然ある。
果たしてこれに出くわしたヒナピリウルは正気を保てるだろうか。
「これは早く終わらせて早く帰らないとね。ルルはキツくなったらすぐに言ってね」
ヒナピリウルは首を縦にゆっくり振る。
無言の返事を受けて希乃は、液晶画面に映った配達ルートを見ながら離れないようヒナピリウルの手をつないで青になった信号を足早に進んだ。
「時間はと……うん、大丈夫」
スマホの時計と照らし合わせれば、今のところ五分遅れている程度で大きな支障はない。
リュックの中身は順調に減らされて、残るは飛びっ切りの大物、一升瓶のみとなった。
「よく頑張ったよ、ほんと」
「……うん、たかかった」
また希乃の腕にしがみついているヒナピリウルの顔色は真っ青を飛び越して、真っ白になっていた。人混みの次はそびえ立つタワーマンションの高さを登るのが初体験だったのだ。
最初は入るのを拒否していたが、最終的にぶるぶると震えながらも一緒に配達を終えて誇らしいまである。
外に出て日差しを浴びるとヒナピリウルの顔色は落ち着いていった。
「……あとはどこ、なの?」
「あとはね……」
希乃の頭の中で最後のお客の顔と目的が浮かんだ。
「一件だけだよ! うん、やったね!」
「え……う、うん」
気取られないように言葉を強めてしまい、ヒナピリウルは困惑した顔で頷く。
「けど、どうやって行こうかな」
スマホに映っているルートは希乃にはあまり好ましくなかった。
最後の目的地は駅前広場の裏側、つまり人混みの中、駅を突切っる必要がある道順だ。
いずれは駅に入って帰らなければならないが、せっかく治りかけているこの状態でヒナピリウルをまた悪化させることは避けたかった。
(別のルート……の方がいいよね、見学もあんまりできてないみたいだし)
リュックの中身が半分なくなったところでヒナピリウルがようやくキョロキョロと見回し始めたのだ。心に余裕ができるまでかかった時間の分もゆっくり見させてあげたい。
もう一度スマホの地図を見た。人通りが少なくて、到着時間が大きく変わらず、見所がありそうなところ……、希乃はそのルートに当たりをつけて歩き始めた。
「どこに、むかうの?」
「ちょっと寄り道しながら行こうかなって。折角来たんだからもうちょっとゆっくり見たいでしょ?」
駅に行くルートとは真逆に進めば並ぶビル群から抜け出せる。
見えてくるのは都市に延びる河川だ。河川敷はランニングや犬の散歩をしている人がいるほど手入れされ、夏には名前を使って花火大会をやるくらいには知名度がある。
希乃とヒナピリウルはその河川に沿うようにして延びる歩道を、風景を楽しめる緩いスピードで歩を進めた。
何か食べ物でもあればな、とお日柄が良いせいで呑気なことを希乃は思わず考えてしまう。そんな中、ヒナピリウルは流れる河川ではなく反対の並ぶお店を指をさした。
「あそこ、なに、あるの?」
車が度々行き交う道路を挟んで見れば、細めのコーンに乗ったソフトクリームのオブジェを入り口の傍に立ててあるアイスクリーム屋だった。
「あれはアイス屋さんだね、冷たいお菓子を売ってるとこ」
アイスの存在を知らないヒナピリウルが口を半分開けてキョトンとした。
「たべられるの? あれが」
「うん、口当たりが良くてすごく程よく甘いよ」
「くちあたり……ってやわらかいって、こと、だよね……。あれが、やわらかい」
想像しているのかヒナピリウルがジッと考え込む。
「どうやって、たべるの」
「口でそのままかぶりつく人もいるけど、私はスプーンで食べるかな」
「じかん、かかりそう」
「冷たいからね、けど三分もほっといったら溶けちゃうよ」
「とけるの!?」
妙なところで食いついてきたヒナピリウルに希乃は体を少し退いた。
「アイスだからね、今日みたいな暑い日は溶けるのすぐだし。けど皆大体はその前に食べきれるからそんなに心配することじゃないよ」
「ふええ」
ヒナピリウルは聞いたことのない悲鳴を上げる。
そこへソフトクリームのオブジェを立てている店の中へ希乃と同い年くらいの女子高生二人が入っていった。希乃はどんな味があるのか、店内が見えるガラスの角に目立つように張られたメニュー表を眺める。
「王道のバニラにチョコ、場所によって味も違ってくるんだよね。ここには……うわ、カレー味があるの、ちょっと食べてみたいかも」
「そ、そんなに、たべれないよ」
「種類が多いだけで量はそこまでじゃないからルルでも食べられるよ、甘いの好きでしょ?」
「むり、だよ」
ヒナピリルウが店内ではなく件の置物を指をさした。
「あんなに、おおきいの、たべきれ、ないよ!」
二人の間が河川のせせらぎで埋まる。
当惑と必死さを混じらせた訴えだが、している勘違いは可愛らしく思えて、希乃のぽかんとしていた口元がついついほころんだ。
「……ふふ、ちがうよ、あのでっかいのが出るわけじゃなくてもうちょっと小っちゃいの……、ほらあれ」
ちょうど二人に見えたのは少し前に入ったお客がコーンに乗っかったアイスを持って、暑い外へ出てきたところだった。
色味もあり、オブジェと比べればヒナピリウルでも食べきれるミニサイズだ。
「ね、そんなに大きくないでしょ?」
目撃したヒナピリウルが「あれが」と間違えた羞恥心より好奇心が勝る。目は釘付けになり、持っていた二人が左折して街中へ戻るところまで見送った。
「……ちょっと、たべてみ、たい」
「ふふっ、でもごめんね、今は一応仕事中だから、天倉に帰ったら買ってあげる」
「そっか……」
興味を持ってくれたヒナピリウルに微笑みながら希乃は約束する。ヒナピリウルの再開した歩みがさっきよりもゆっくりだが、今は財布を持っていないのだからしょうがない。
引きずっていたヒナピリウルだったが、何かに気がついて新しいものに指をさした。
「あのびるは……、いろが、おかしい?」
興味が移ったヒナピリウルが言った遠目に見えるビルは周りの建物より頭一つ目立っていた。
そして確かに、さっきのお店よりも色が汚くくすんでいる。
「あれは誰も使われてないやつだからね」
「……人が、いないの?」
「そうだね、あそこだけじゃなくてそこ一帯には人がいない……と思う」
「それ、だったら……、ちょっといってみたい、かも」
「うーーーん、時間はあるけど……」
予想外の要望に希乃は少し困った顔をした。
辛気くさい無人の廃ビルに入ることは危ないからとは考えていない。それよりも懸念しているのは仕事の配達が廃ビルまで行けばどれくらい遅れるか。あそこは完全にルートから離れている。
詩ノ崎は仕事と見学が狙いでも、仕事に支障がでない程度、という範疇があるはずだ。いくら最後のお客が希乃に対しては怒らない常連客とはいえ、あまりに遅ければ職務怠慢と言えよう。
だからヒナピリウルのささやかな願いをこれも断るしかなかった。
「中に入るのはちょっと無……」
理、と言い切る前にはヒナピリウルは察して諦めた暗い表情をしていた。
その表情で希乃はまた思い出してしまった。倉庫のときにヒナピリウルを傷つけてしまったときの罪悪感を。
ここでヒナピリウルを断ってしまうのは簡単であったが、希乃は口にするのをためらう。
そして、思わず訊ねてしまったのだった。
「けど、もう少し近くまで行けるけど……行ってみる?」




