1-12 仮釈放
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シトシトと降り出した雨の中、希乃は非番であるのにも関わらず今日も天倉に来ていた。
天倉の店長兼家主の詩ノ崎からは、いつでも遊びに来てもいいと了承はされているが、流石に手ぶらということはできない。いつもお菓子か簡単な手料理を作って持っていく。
今日は野菜たっぷりのマカロニポテトサラダ。天倉の住人の舌にあわせて味は濃く、栄養に偏りがないようにニンジンとキュウリ、コーンが入っている。
皆喜んで食べてくれるから反応が楽しみではあったが、今日は勝手が違った。
「「…………」」
今、天倉のリビングには希乃とヒナピリウルの二人だけ。
希乃は昨日の倉庫でのことを気にしていた。昨日に奥本がやって来たことで有耶無耶になり、中途半端に時間が経ってしまったのだ。
会話は希乃が入ってきたときの挨拶だけで長くは続かず、モヤモヤな心の内では食卓テーブルに広げた春休みの宿題も進められない。
動かしていたシャープペンシルを止めてまた横目にヒナピリウルを見た。
『現在こちらの美術館では九〇点もの作品を展示しており……』
「…………おぉ」
映っているのは特別展示を告知している美術館。ソファーの上に置かれた画集ではなく画面越しの絵画に夢中のようだった。
何も言わなくて大丈夫だろうかとヤキモキしながら、希乃はまた一つ糖分補給のために買ってきた一口チョコの包装を開けた。
「ののじゃん、おつ~」
エプロン姿のマーネがスマホを持ってニット帽を外して希乃の対面の椅子に座る。
何も知らないマーネが入ってきてくれて希乃は胸を撫で下ろした。
「お疲れ様です、休憩ですか?」
マーネは隠していた尻尾と一緒に軽く伸びをしてから我が物顔で希乃のチョコを一粒、口に放った。
「まあね、カイが先に休憩入っていいてね~、ついてるわー」
「今日も量がおかしかったですもんね」
「あーね、雨も降ってきたし場所も遠かったしでマジ洒落にならないわー」
仕事には配達用に段ボールに詰める包装が含まれている。全て手作業で詰めなければならない。昨日はその発注量が特に多く、危うく品切れが出るくらいだった。
「あと特に時間かかってね、めちゃくちゃカイが客と話すんだもん」
「へぇ……詩ノ崎さんが」
「何話してんだかねー、けどカイが話しかけたら客が困惑してたのマジうけたわ」
マーネはスマホをいじりながらケタケタと笑う。
希乃には詩ノ崎がお客と話すところなんて、失礼ではあるものの想像がつかなかった。
希乃自身は異人によく話しかけられて喜んでコミュニケーションするが、詩ノ崎は淡々と仕事する人だから余計に違和感が際立つ。
「あの……」
心当たりを探っていた希乃に、横から声をかけてきて少し体をびくつかせる。
ソファーから恥ずかしがるように出す色が良くなりつつある肌と黒い目。伸びきった前髪も相まってホラーチックにヒナピリウルがこちらを覗いていた。
「ど、どうしたの?」
「いや、その……」
「希乃、ルルもちょっといいか?」
ヒナピリウルが続きを言おうとしたところで、詩ノ崎がリビングに入って来ていた。
その表情は苦々しく、内容はまだ分からないが良くない案件であることは希乃には確信できた。
「明日の配達なんだがな、歩きで行ってもらってもいいか?」
「……え、歩き、ですか?」
今時配達を自転車で届けることはあれど、歩きだけで行うのは初めて聞いた。
いつもは運転手の詩ノ崎、配達量が多ければもう一人を助手席に乗せて回るのだ。希乃が天倉に勤めて一年は経とうとしているが、車以外で配達することはなかった。
詩ノ崎が残り本数が少ない煙草の箱を食卓テーブルに出して言いにくそうに告げる。
「いや、実は言うと車が入り用でちょっとな。ただ明日は量が少なくて軽いものばっかりだから、配達用リュックで充分回れるはずだ」
「え、天倉に配達用のリュックなんてあるですか?」
「うわっなっつ! 希乃が来る前に車修理出すことがあったんだけどさ、そんとき使ってたんよ。というかあたしが使ってた」
マーネがスマホから目を離して良き思い出かのように懐かしむ。代わり詩ノ崎に表情がなくなった。
「そりゃそうだろ、車を壊した本人なんだからな」
痛ましい事件だったんだ、シーンを想像するまでもない。
けど、そんなものを奥底から引っ張り出すほど大事な用事はなにか。聞こうとしたが、マーネが図らずも半笑いして代弁してくれた。
「けどさ、そのリュックとかいうやつ使うハメになるとか。どんだけうちって追い詰められてんのさ」
「……悪かったな。さっきオーナーから電話きたんだよ。なんならマーネ、お前が会議に行っても……」
「……! い、嫌だ!それにあたしに移動手段ないからそんな遠いとこ行けないしー、カイゴシュウショウサマー」
マーネが全力で首を横に振る。
オーナーがいるお店は車を使って一時間半はかかる、納得の理由だ。
「これは、しょうがないですね」
「……本当に助かる。あと、チョコもらってもいいか?」
「どうぞ」
許可をもらった詩ノ崎は眉間を叩きながら一粒つまむ。それに乗じて何も言わずマーネももう一粒。
「あ、あの……」
いつの間にかヒナピリウルが詩ノ崎の横に移動していた。一緒に名前を呼ばれていたと思い出して希乃が脱線した話を戻した。
「そういえばルルにも何かあるんですか?」
「ああ、ルルも希乃と一緒に行って欲しいんだ」
希乃とマーネは目をむく中、初めて出かける事を許されたヒナピリウルは嬉しそうのなのか、困惑しているのか、三人の顔色をそれぞれ窺って継ぎ足されるように変化している。
「このまま一週間天倉にいても窮屈だろうからな、少しは太陽の光も浴びねぇと」
「一応脱走しかけた前科持ちでしょ、そいつ」
「いや、んなこともうしねぇよ、ルルは」
「マジで言ってる?」
マーネは胡乱げに詩ノ崎の影にいるヒナピリウルを見る。
希乃も懸念しているのはそこだ。ヒナピリウルは人に対して怖がるにも関わらず、知らないものに対しての好奇心は旺盛。目を離している間に狭い室内でも動き回り遂には昨日倉庫で見失ってしまったのだ。
もしこれが倉庫でなく、広く見通しが悪い場所なら見つけられなくなり、最悪一昨日みたいに警察のお世話になり得る。
最悪な想像をかき消すため希乃は詩ノ崎に訊ねた。
「配達場所ってどこですか? 歩きだから近所……ていうわけじゃないですよね」
「確か砂洋駅付近だったな」
「砂洋駅、ですか……、まさか“跡地”まで?」
「いや、そこまでは行かねぇ。本当に砂洋駅付近だけだ。配達兼ルルのエリア3見学と言ったところだな」
「……はぁ」
腑に落ちず曖昧な返事をする希乃は良いとも悪いとも採れない配達先に腕を組んだ。
「大変になるだろうけど、新規のお客さんはいないからそこまで身構える必要はねぇよ。配達先のリストはカルネが携帯に送るから確認しといてくれ」
「……わかりました」
そう言い残すと詩ノ崎は煙草を持ってお昼の休憩も入れず下の階の業務へ戻っていった。扉が閉まるとヒナピリウルがぽつりと呟く。
「……たいへんな、ことになった」
「それなー、はしゃぎすぎて迷子ならなきゃ良いけどね」
ヒナピリウルをジッと見ながら言うマーネだが、希乃はネガティブな考えを強引に転換させる。
「でも、良かったんじゃないですか? 街の案内も楽しそうですよ、ね?」
観光案内に近くとも仕事は仕事。線引きを大事にしなければと肝に銘じながら、チョコの包装をといて口に放り込む。
咀嚼中、そこにジッと目を離さないヒナピリウルの視線があることに気がついた。
「もしかしてルルもチョコが欲しいの?」
ガサゴソと袋から一つ包装をといて手のひらに乗っける。甘い香りがする一口チョコにはアルファベットのAがスタンプされていた。
しかし、食いつくと思っていたチョコにヒナピリウルは中々乗らない。
「そう、じゃなく、て………………、そんなに、たべてるけど、いいのかなって」
希乃はヒナピリウルの視線の延長線にあるものを見た。テーブルに積まれた空の大袋が五袋も、そして手を付けている六袋目も半分は食べていてすでに軽くなっている。
予想外で余計な気遣いで希乃から湧き出る恥ずかしさは少し多い。
「あーーーー、良いの良いの。甘いもの別腹だし」
羞恥心で頬を染めながら、希乃はまた一つヒナピリウルに渡してた溶けかけのチョコをためらいながら口に運んだ。
翌朝、希乃が天倉に着くと仕事用のスマホには地図と配達先のリストが送られてきた。配達ルートから到着時間まで細かく記されて目安とするには十分過ぎる。
しかし、希乃の懸念は解消されていない。
一つは、詩ノ崎のお墨付きとはいえ迷子になりやすいヒナピリウルを連れて行くこと。
そしてリストによって新たに生まれた、配達の順番だ。
「何で最後がここなんですか?」
希乃はヒナピリウルがいないタイミング、朝の業務でリストを元に保管庫から商品を包装しながら詩ノ崎に聞いた。
希乃とヒナピリウルが配達に行く前に、詩ノ崎は会議で抜けることになるため、疑問をぶつけるにはここしかなかった。
「そうだな……」
座り込んでいた詩ノ崎が作業に手を止めて鉄扉を少し開けると、廊下を覗いて何か探るようにから再び閉める。
希乃はコソコソしている詩ノ崎に眉をひそめる。
「あまり聞かれたくないからな」
詩ノ崎がそう言い訳するとまた作業に戻った。淡々と仕事をこなすところを見るにいつも通りの彼だ。
「今のところルルの変わったところはないか?」
気になる話の切り出し方に希乃は少しだけ間を置く。
「……はい今のところは」
「そうか……、一昨日のルルが不機嫌になったと聞いたときは少しびびったが、大丈夫みたいだな」
薄れていた罪悪感が蘇り、配達前なのに希乃はまた憂鬱になる。
「すみません……」
「ああ、すまん。謝らないでくれ、雇用主の俺も知らなかったんだ」
詩ノ崎がこう言っても、希乃にはあまり慰めになっていない。
そして詩ノ崎は続けてボソリと聞こえない声量で呟いた。
「ただ少し厄介かもしれないがな」
「……何がですか」
「いやこっちの話だ……。ちなみに配達の場所本当に知らないか?」
露骨に逸らされたが、そこに突っ込む気は失せている。希乃は天井を見上げて、もう一度リストの最後に書かれた住所と名前を思い起こす。
配達場所が花屋なのは知っているが、やはり名簿に載る偽名には心当たりがない。
「いや、特には……。あそこって誰か働いてましたっけ」
「行ったりしないのか?」
「配達以外で駅の裏に行くような用事ってあんまり……、中で買い物はするんですけどね」
希乃の回答に、詩ノ崎はうなり声を上げながら天を仰いだ。
「店に行って顔出してないのか、そりゃ泣かれるわけだ」
「そんな大げさな……、あっ」
泣かれる、それだけで希乃はハッとした。
いつもは天倉に直接来る異人であるのと、本名と偽名が繋がらず自然と候補から外していたのだ。
「……聞いといて良かったです」
「あいつはルルと同郷だからな。嫌がるだろうが顔合わせくらいはやっておかねぇと」
つまり昨日言っていた仕事の配達とヒナピリウルの散策を合わせれば、合計三つあるわけだ。
しかし、彼女の現状にそぐわず首を傾げる。
「でもルルってここに一週間しかいないんですよね、あまり意味がないんじゃないですか」
「万が一生活する上で同郷の知り合いがいたら心強いだろうよ、この依頼の後に白森財閥がやってくれるとは限らんだろうからな」
「そんな放り出すみたいなことあります?」
ヒナピリウルは小柄な見た目と得意ではないしゃべりからまだ幼いと希乃は感じた。まだ自立もしていない子どもを外に放り出すようなこと、ましてやあの白森香織から想像がつかなかった。
だが、希乃よりも白森財閥との付き合いが長い詩ノ崎は言い切る。
「白森財閥が許可だした異人には放任だ。問題を起こしそうな奴はそもそも入れさせてもらえねぇしな」
ということはヒナピリウルには害はないと、依頼主は判断しているということだ。
希乃は心の中でまた次の疑問が湧いてくる。
ならなんで、うちに預けたんだろうか?
ヒナピリウルを天倉で一週間近く預かることしか依頼の全容を知らない希乃には、香織と詩ノ崎の思惑を測ることができなかった。
詩ノ崎が最後の配達物、曇りガラスの一升瓶にバーコードを貼り付け希乃がリュックに詰める。これで準備は完了だ。
「そんじゃ会議行ってくる。くれぐれも気をつけてな」
詩ノ崎は希乃の業務の終わりを見届けると厳重に閉ざされた鉄扉を開けた。




