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ノノノ越界奇譚  作者: 雨枝蒼
【グローリア編】
10/56

1-10 普通の常連客

「マーネさん」


「おかえりー……」


 表情が固まっているマーネの言いたいことは重々わかっている。希乃とヒナピリウルの空気が最悪なまま店内のカウンターに戻ってきたのだ。

 溝が深まってしまい若干涙目になっている希乃に、マーネは手招きしてヒナピリウルやお客に聞こえないよう小声で話しかける。


「なに、なに、どうしてこうなってんの?」


「話題を間違ってしまって……」


 かいつまんで説明するとマーネがヒナピリウルに視線を寄せる。希乃もそれに釣られて顔色を窺う。壁際で寄って俯いたヒナピリウルからは誰も話しかけるなと、近づけさせない不可視の棘があるようだ。

 マーネはヒナピリウルには見えない角度で顔を顰めた。だから嫌だったとぼやきがひしひしと伝わってくる。

 それでも希乃はマーネに助けを求めた。


「……どうしましょう、マーネさん」


「えーあたしに言われてもさー……、チータラでもあげたら?」


「勤務中ですよ、一応」


「でもあたしあの空気でいるのはちょっとなー、客も気づかれると居づらくならね?」


「そうなんですけど……」


 小さな事で悩む希乃は、ここは店主の詩ノ崎にも相談しよう試みたが。


「詩ノ崎さんいないんですけど」


「また電話、これあたしとしてはサボり確定と同じ」


「仕事の電話とかじゃないですか?」


 希乃が倉庫にいる間は誰も来なかった。保管庫は暇さえあれば入るようなところではないし店内にもいないとなると、会議室にいるとしか思えなかった。


「お昼もやってましたよね?」


「やってたやってた。まあ、あたしにはかんけーないし、後でサボり魔って言ってやらないと」


 マーネが子どもっぽいことを言っていると正面出入り口、磨りガラス越しに見える影が濃くなり、ドアベルの音が入店を知らせた。


「いらっしゃいま……」


「……」


 希乃は反射的に反応したにも関わらず言葉を止め、マーネは口をへの字にしている。

 それもそのはず、入店してきたのは天倉では常連であり要注意人物だった。


「やあやあやあ、お疲れさま!!」


 ほっそりした体つきに眼鏡をかけた男が手を振って満面の笑みで真っ直ぐレジにやってくると、馴れ馴れしくマーネと希乃がいるカウンターに肘をついた。


「やっと店に休憩をもらえたものだから、来ちゃったよ!」


 なりふり構わず大声で入店してきた男はお客から好奇な目で注目を集めている。希乃は営業スマイルを崩していないが、レジに立つマーネはお客とは思わないで応対し始めた。


「あたし二度と来んなって言わなかった?」


「詩ノ崎さんが手短に済むならって言ってたよ」


「ほんとですか?」


「……知らないわよ、こいつの聞き間違いでしょ」


 目を逸らしたマーネに、希乃は半眼で見つめると男は声高々に抗議する。


「そんなこと言わないでくれよ! マーネさん朝、その場にいたじゃないか!」


「……」


 すぐにマーネの嘘は露見したが、無言のまま取り合わなかった。

 どうしてもマーネはやって来た自己主張が強い彼が気にくわないようだ。


「む?」


 男がかけている黒縁眼鏡の奥で希乃とマーネの後ろ、壁にもたれ掛かるヒナピリウルに目がついた。

 不機嫌だったヒナピリウルは不躾な視線に気づくと途端に出ていた近づき難いオーラが薄まり、話しかけやすくなる。


「この子は?」


「……新人よ」


 マーネが歯切れ悪く返事をすると、男は「ふむ」と黒いシャツの上に羽織っているカーディガンの皺を伸ばして、さっきより一段階明るい笑顔をヒナピリウルに向けた。


「初めまして、僕は奥本飛翔(おくもとつばさ)、奥本飛翔だ! よろしく!」


「「…………」」


「え、あの……」


 希乃とマーネは慣れて何も言わないが、虫の居所が悪かったヒナピリウルは一転して完全に戸惑っている。

 後ろに下がろうにもすでに壁際で靴の低いかかとがコツンとぶつかった。


「お名前聞いても?」


「あ、えと、ひな……」


 ヒナピリウルの「ひ」を言った瞬間、マーネが右手でヒナピリウルの口を塞いだ。


「バカっ、本名さらせないから呼び名付けたでしょうがっ」


 マーネがヒナピリウルにしか聞こえないよう耳打ちする。希乃がドキッとしつつも店内のお客とレジにいる奥本にも頭を下げた。


「ごめんなさい、奥本さん。実は最近入ってきたばかりで」


「そのようだね」


 それを見ていた奥本は動じず、はははと軽快に笑う。彼も知っている側の人間なのは、天倉の従業員には周知の事実だ。

 なにせ奥本飛翔は現役の大学生ではあるが家族が営むお店に店員として異人を雇っている。財団からの斡旋で、雇用している内の一人は副店長として勤めてもう長いらしい。

 希乃が知った当時は異人がこんな身近に、と愕然としたものだ。

 端から見ればそんな風には見えない迷惑なお客の奥本が店内の人に聞こえる大きめな声で再度聞き直す。


「すまない、聞き漏らしたから名前もう一度聞いても?」


 おそらく、今いるお客に不自然に思われないようにする奥本なりの配慮だ。

 ヒナピリウルがマーネの腕をポンポンと軽く叩くと口を押えていた手はすぐに引っ込められた。


「……ルル、です」


「ルルさんね、この奥本飛翔! 奥本飛翔! 奥本飛翔をよろしくね!」


 飛翔が二度ならず三度名乗る。

 声に当てられたヒナピリウルはさらに壁に張りついた。


「おい、何怖がらせてんの、あんた」


 マーネがヒナピリウルの視界に奥本がいないように前を遮った。

 すると奥本はマーネを見る眼光が鋭くなる。


「あんたではない! 奥本飛翔だ!」


「知ってるわ! 一々大声で名前を言うんじゃないっつーの! お店に迷惑でしょうが!」


「自分のアピールは大事なことだぞ、いついかなるときも宣伝は大事だからな」


「それは宣伝じゃなくて悪目立ちって言うの知らない???」


 選挙カーのように何度も連呼することにマーネは腹を立てて奥本につっかかっていく。店内のお客はまたレジカウンターに視線が集まり出した、それも好奇から転じて怪訝な目だ。

 希乃が二人のいざこざをこれ以上激しくさせないために横から無理矢理に話の続きを伺った。


「あの……、ところで奥本さんのご用件って何ですか?」


「そうだった」


 奥本は居住まいを正すかのように眼鏡を指でかけ直した。


当理(とうり)さんには先日のお礼をしたくてね」


「お礼? のの何やったの?」


「先日だったら、たぶんコーヒーショップのお手伝いのことかと」


「それだけではない。当理さんには宣伝もしてくださったおかげで、詳しい数字は言えないが売り上げ前年より上がってね。特に当理さんが通う高校生が多くなったんだ。こっちで雇いたいくらいだよ」


「ふぅーん」


 仰々しく希乃の手柄を話している奥本にはマーネはあまりピンとは来ていない表情だった。


「マーネさんは行ったことないんですか?」


「一回だけ友達とね、でもこいつの店なんて普通のきっさ……」


「こいつと呼ぶんじゃない!」


「あーもう、わかったって」


 マーネが話を途中でやめて、カウンターに片肘をついた。もう面倒くさい奴を相手にするのが疲れたようで一息つく。

 ただ聞いている限り、希乃からしてみれば終わっているものばかりだった。


「お礼ってなんですか? お給料ならもらってますし、宣伝とかは友達を誘っただけなので大したことは……」


「だが、うちがお世話になったのは確かだ。おかげで車を買えたしな。どうかな、一緒にドライブでも」


「ドライブ、ですか……」


 またかと、困った表情をしながら笑った。

 奥本飛翔のヘルプとして先日は手伝ったが、ドライブではないにしてもお茶をしないかと休憩中によく口説かれていた。

 その度に断っていたがこれもお決まりのことだろう。


「奥本さん、お誘いは嬉しいんですけど今はアルバイト中ですし、しばらく天倉のお仕事で忙しそうなので」


「ほう、そうか」


 希乃がやんわりとしたお断りに奥本は納得したかのように見えたが、


「なら、夜はどうかな? ここの閉店は八時だっただから、閉店作業でも九時くらいに出て一時間くらいの夜のドライブでも楽しいだろ」


「いや、あの……」


静関(せいせき)公園の桜があと少しで見頃だからね、夜桜なんてものも乙じゃないか、それにあそこ近くにはな……」


 全く引き下がらないどころか蕩々と自分のドライブのルートを語り出し、カウンターから身を乗り出して希乃に近づく。

 倉庫でのヒナピリウルほどではないが、希乃は奥本のどうしても行きたいという圧にたじろいだ。

 これに静観していたマーネが口を挟む。


「はい、すとーっぷ。それ以上ののに近づいたらカイにチクって出禁にする」


「……それは失礼」


 マーネが真っ当な警告をやる気がない口調で言うと、奥本はあっさり言うことを聞いた。

 他エリア産の品を仕入れている身として、やはり出禁になるのは不味いらしい。

 その口調のまま、マーネは希乃の肩にポンと軽く手を置く。


「ののも嫌ならズバってはっきり断らないと、こい……オクモトみたいな気持ち悪いナルシストを調子乗らしたらロクなことにならないよ」


「別に、そうは思わないんですけど……」


 自分にも注意が入った希乃は反省してまた苦笑いをするが、自信を持っていた表情の奥本が「むむ」と微かに気色ばんだ。


「気持ちの悪いとは侵害だな」


「事実じゃん」


「少なくとも一人はそう思っていないようだぞ」


 奥本が顎をしゃくった先はヒナピリウルだった。さっきの奥本の話に希乃はあまり興味がなかったが、エリア3の世界に対して無知の彼女には興味をそそるものがあるというのは、倉庫のやりとりで合点がいく。

 そして、興味を持ったならと奥本のターゲットが移った。


「なら、どうだろう。ルルさんがよろしければ一緒にドライブでも……」


「人垂らしね、ほんと。ダメに決まってっしょ」


「でも、こっちに来て日が浅いのだろ? 地球(きんじょ)に何があるか散策するくらいバチが当たるまい」


「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかが問題なのよ」


「なぜ僕じゃダメなんだ? 誰が案内しようと変わらないだろ」


 奥本は本気でわからない様子で細く整った眉毛が釣り上がる。

 言い争いを眺めるしかないヒナピリウルはおろおろしている。そしてあろうことか、奥本は関係者以外立ち入り禁止であるカウンターに乗り込み、


「それに、マーネさんには関係のないことだ。ルルさんが良ければいいのだから」


 自然な動作で跪いて手を差し出した。さながら姫様にダンスを申し込む王子様だ。

 マーネにはときめかず心底気持ち悪そうに「うへぇ」と舌を出して呻く。


 これは止めるべきなのか、希乃は動向に目を離せないでいると、なぜかヒナピリウルと視線がぶつかった。

 首を傾げる、さっきの不躾な質問にまだ怒っているとも思っていたが、どちらかと言うと顔色を窺っているといった感じが希乃の中でしっくりくる。

 しかし、なぜ自分なのか。理由がわからないでいると向けられる視線は増えていた。誘う奥本も、悠々だったマーネも、遠巻きに見ていたお客も、佇んでいた希乃の方を注視している。


「え、どうしたんですか?」


 見られて困惑する希乃。

 けれど、よく見ると視線は自分の頭の天辺よりさらに上、つまりはバックヤードに続く廊下の奥…………。希乃はギョッと目を見開き固まった。


「……うちの従業員にナンパとは良い度胸だな、飛翔」


「し、詩ノ崎さん……」


 詩ノ崎がバックヤードの廊下に腕を組んで仁王立ちしていた。希乃のすぐ後ろで放たれる威圧は奥本の調子の良い威勢を軽く吹っ飛ばす。


 このあと奥本飛翔は要注意人物から出入禁止人物となった。


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