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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アンドロイドは胡椒の夢を見ない

作者: 彗星無視

 私は気づけば胡椒になっていた。

 おしゃれで小さな瓶詰めの胡椒。大きな窓から明るい日の差す、気の利いたシステムキッチンの一隅に置かれたブラックペッパー。

 一粒ではなく、群体で私だ。私は瓶の中でぎゅうぎゅう詰めになりながらも、神聖なキッチンの誇りある一軍調味料としてシンクに置かれたラックの上で佇んでいた。


 どれくらいそうしていただろう。長い間ではない気がする。

 大きな人影がどこからともなくキッチンの前に現れたと思うと、そのキッチンで卵を焼き始めた。

 人影は見慣れた人物であり、瓶いっぱいの胡椒となってしまった私からすれば彼女は巨人になっていた。

 じゅうじゅうと蛋白質の焼ける音。こんがりとしたいい匂い。

 今や瓶詰めになってしまった私にも五感はあり、それらを感じることができた。


 やがて出番がやってきた。

 彼女は端整な顔の表情を少しも変えることなく、ブラックぺッパーの瓶を手に取り、皿に盛りつけた目玉焼きにあろうことか私をふりかけはじめたのだ。

 あろうことか、と言っても、それが胡椒の正しい使い方だと言われてしまえばそれまでだが。

 ともあれ群体であった私は散り散りになり、私の一部は白と黄の大地へと放り出されることとなった。


「——」


 それが彼女の好みなのか、半熟玉子の表面はぷにっとしていて私——あるいは私たち——は柔らかく受け止められる。しかし息をつく間もなく、大地は巨大な銀の剣によって断ち切られていく。

 熱に包まれながら視線を上げると、彼女はナイフとフォークを使い、淀みない所作で目玉焼きを切り分け、どろっとした黄身を含む私のたっぷり乗せられた部分を口へ運ぼうとしていた。

 食べられてしまう。そう思うと、途端に恐ろしさのようなものが存在しない胸に湧き出てくる。けれど胡椒になった私はどうすることもできず、白身のぷにぷにに手も足も出せないまま彼女の艶めかしく赤い口腔へと収められ、唾液と混ざりあいながら乱れなく整列する歯たちに噛み砕かれていく——


「そういう夢を見てた。たった今」

「長い。長いです、めぐり。哨戒中の居眠りに対しての弁解がいつ始まるのかと待っていたのに、ただの荒唐無稽な夢の話で終わってしまいました」


——そんな今しがたの夢について語り終えると、彼女は相変わらずの無表情のまま、けれど声音に少し落胆の色をにじませた。

 そう、すべては夢。

 うららかな陽射し差し込む穏やかなキッチンの風景など、どこにもない。嘘と同じ、宇宙の闇だ。


「だけどいい夢だったよ。イルに食べられるのは」

「……目玉焼きを食べたという相手はワタシだったのですね。それに食べられておいて、いい夢のはずがないでしょう。縁起も悪いです!」

「そうでもないって。目が覚めてみれば、食べられる瞬間はなんだか幸せだったようにも思うんだよね。なんだろうなあ、不思議だよ」

「そうですか。でしたら来世は食卓に並ぶ豚さんになれればいいですね」

「あはは。来世になるころには人間さまが豚にありつけられるかわかったもんじゃないよ」


 私が笑いながらそう返すと、イルは「それはそうですね」と残念がる素振りもなく言った。

 夢のキッチンから現実に引き戻された私がいるのは、コロニーとその外の境界にあたるエリアの、廃墟になったオフィスビルの七階だった。

 なにも置かれていないがらんどうの一室で、私は硬い床に座りこみ、壁にもたれかかっている。すぐそばにはいつでも使える状態にした、私の獲物がある。

 ついさっきまでこの状態でうとうとと昼寝をしてしまっていた。連日の疲れが出ているのは明らかで、だからこそイルもすぐに起こすことはせず、ある程度そのままにして休息を取らせたのだろう。私の相棒は気遣いのできる女だ。


「それでね、夢から目が覚めた瞬間、私は思ったんだ。これは本当に夢だったのか? って」

「妙なことを言いますね」

「夢で胡椒になった。そういう認識が本当に正しい保証はどこにもないんじゃないかって思う」

「少し興味を引かれます。もったいぶらず、核心を話してください」

「せっかちだなあ。要するに、夢で胡椒になったんじゃなく、胡椒が夢を見て私に——小町こまちめぐりになったんじゃないかって。そういう話だよ、私が言いたいのは」

「……? 胡椒という非生物が意識を持てたのは夢の中だからこそなのでは?」

「——。えっと……まあ、それは。そうかも……しんないけど」


 論破された。

 よく考えたら胡椒が夢を見るとか意味不明だ。調味料風情が。


「期待して損をしました。ワタシの好奇心を返してください」

「ごめんて。でも、胡椒だって腹の底ではなにかを考えているかもしれないじゃない」

「その腹がないでしょうに」

「単なる例えってやつだよ。ほら、私たちがわからないだけで、物言わぬ木や空にかかる雲だってなにかを思ってるかもしれないじゃない」

「む……それはなんだか面白い考えです、正しいかどうかは別として。興味を引かれます」


 ヒトの脳とて肉塊だ。今やシリコンチップの上にさえ確固たる意識は宿るのだから、ほかのものが意識を持っていても不思議はない。

 食卓の胡椒にだって、食べられることに対する悲哀や、料理の一助となる自負が……ないか。流石に。あったあったで普通に怖いな。


「ま、胡椒のかかった目玉焼きなんて子どものころでしか食べたことないし。夢の中とはいえ、久しぶりにご馳走が見られてよかったかな。食べたのは私じゃなくてイルだったけど」

「現実のワタシは食べられませんよ。胡椒なんて食べたら故障してしまいます」


 まったく表情を変えないまま言うので、危うく駄洒落に気付かないところだった。

 イルはロボットだ。ドーサイルと呼ばれる人型アンドロイドで、だからそれとすぐわかるように髪と瞳は派手な浅葱色をしている。

 綺麗なひとを見て、まるで人形のようだなんて形容することがあるが、イルはまさしくそれだ。すらりとしたスタイルや完璧に配置された目鼻立ちには、隙のない人造的な美が精緻に宿っている。


「あは。人型ロボなのに胡椒ペッパーで故障しちゃうんだ」

「……あんな旧いヒューマノイドといっしょにしないでください。ワタシはもっと先進的な存在です」

「そっか?」

「なんなら胡椒を食べて故障するというのはあくまで冗談です。別にその程度で壊れたりしませんから。ワタシは頑丈ですっ、あなたたち人間よりもよっぽどに。力だってずっと上なんですから」

「わかったって」


 常に増して抑揚のない喋りで、早口にまくし立てられる。それをいなすと、彼女は少し、付き合いの長い私にしかわからないくらいに少しだけムッとした。

 かわいかった。


「とはいえ、故障することは確定事項のようなものなのですが」

「はぁ。そーいう話する? 悲しくなるじゃん」

「ですがどうしようもないことです。あなただっていつかは死ぬ。同じことですよ、ワタシもいつか暴走して、オフェンダーになってしまうのですから」


 暴走機械群——オフェンダー。いつか、イルはその人類に仇なすガラクタどもの仲間入りをする。

 原因は不明。だが避けられないことだ。

 十数年前まで、世界はもっと安定していて、人間は色んなところで住んでいた。私の記憶はもう長い年月に晒され薄れてしまっているが、幼いころはどこも栄えており、このビルの外のように荒廃してはいなかったはずだ。


 繁栄を支えたのは、円熟した人類の技術。主にロボット工学だ。

 そしてならば、急激な人類の衰退をもたらしたのもまたロボットたちだった。

 ある日、機械たちが暴走した。技術の粋を集めたアンドロイドたちは、なぜか一切の命令や原則を無視して人間に危害を加え始めたのだ。

 そしてロボットのオフェンダー化はそれからも、前触れなく、そして例外なく起きた。

 昨日まで従順に土木作業に勤しんでいたロボットが、いきなり人間の頭蓋を握り砕く。昨日まで工場で金属加工を担っていたロボットが、突然管理職の人間を惨殺する。昨日まで観光客に道案内をしていたガイド用のロボットが、観光客を崖に誘導して突き落とす。


 そういうことが、何度も何度も起きていた。

 繰り返すが原因は不明だった。仮説はいくつか上がっているそうだが、教養のない私にはどれもよくわからない。

 どんなロボットもいつかは人間を裏切る。それだけは事実だ。

 だが皮肉なのは、イカれたガラクタどものせいで生活圏を大きく狭められた残存人類たちがオフェンダーに対抗するには、同じ機械の手を頼るしかないことだった。


 いずれ暴走するリスクを孕んでいようとも、人々はドーサイルと呼ぶ人間に隷属する人型アンドロイドに頼りながら、時折オフェンダーたちとの衝突を繰り返す。

 かつてより大きく減少してしまった、ヒトの領地を守るために。

 そうしてなんとか、人々はコロニーを形成して生活圏を保っているのだ。

 だからイルもいつかは故障する。オフェンダーになり、暴走して、私のことなんてわからなくなってしまう。それは今日かもしれないし明日かもしれないし、一年後かもしれないし十年後かもしれない。


「ワタシは眠らないので夢なんて見ませんが。もしもオフェンダーになった後も意識というものがあるのであれば、めぐりのようなことを思うのかもしれませんね」

「私のような?」

「オフェンダーになったワタシからすれば、あなたとこうして過ごす時間のすべては夢のようなものでしょう。……ああでも、ドーサイルとしてのワタシは夢を見ないので、オフェンダーになった自分は夢ではない。故障をして、初めてワタシは夢を見られる」

「楽しみみたいな口調で言わないでよ。イルが暴走しちゃったら、真っ先に襲われるのは近くにいる私じゃんか」

「その時はめぐりがワタシを壊してください」


 イルはガラスのない窓から、眼下に広がる街の残骸を眺めながら淡々と言う。


「個人的な希望ですが、ワタシがオフェンダーになった時はめぐりに破壊されたいと考えています」

「——」


 知らなかった。イルがそんなことを思っていたなんて。

 オフェンダーになった時の話など、普段しない。半ばタブーのような扱いだ、それは。

 しかし彼女の願いを叶えるのは難しかった。私は出来ることならば、最期はイルに殺されてしまいたいと思っている。


「ですが少なくとも、今日のところは仕事をこなす必要がありそうです」


 窓の外を促すイル。その所作で私は察した。


「数は?」

「いち」

「はぐれか。なら、サクッとやっちゃいましょうかね」


 休憩は終わりだ。私は立ち上がり、傍らにある獲物を両手で拾う。巨大で重い、イルほどではないにしろ信用を置いている、私のもう一人の相棒。

 それは黒く、長い銃身を備えた一種の狙撃銃だった。

 それも車両の外装さえ難なくぶち抜く、大口径の徹甲弾を備えた対物ライフルだ。

 人間相手に使えばいともたやすく木っ端みじんにできる程度にはオーバーパワーな代物。ただそれも、相手が人型であっても人間より余程に頑丈なマシンたちなのだから必要な火力なのだった。


「よっこらせっと」


 窓の手前に配置した机にライフルのバイポッドを置き、外へ銃口を向ける。

 私が狙撃手スナイパー。そしてイルが観測手スポッター。これが私たちの役割だ。


「場所は」

「距離1230。二時の方向、倒壊したビルのそば。十字路の歩道をゆっくり歩いている。気付かれた様子はない」

「この距離じゃあ……って言い切れないのが怖いところだあね」

「無駄口。右から風速8。影響は微小、対象直進中」


 イルはなにか手に持つわけでもなく、窓のそばに佇むのみ。

 それで十分だった。彼女の眼球は人間のそれとは違う。スポッティングスコープなど必要なく、彼方の標的までの距離を測り、風を読むことができる。

 半面不器用で、繊細な作業が苦手なところが好きだ。


「撃つ」

「どうぞ」


 細く息を吐き、引き金をゆっくりと絞る。

 ダンッ、と重い銃声が響き渡り、びりびりとした反動の衝撃が身体を貫く。

 命中を確信するこの瞬間がなによりも心地いい。スポッターである彼女と私が共同で行う、完璧な狙撃。


「命中。……破壊に成功」


 対象を排除し、緊張が緩む。

 二人で顔を見合わせ、達成感を共有する。

 もう何年になるだろう。人の住むコロニーへ近づく暴走機械を、こうして排除するのが私たちの仕事だった。

 イルも出会ったころに比べればずいぶんと話しやすくなった。表情に乏しいのは相変わらずだが、機微に柔らかさが出ているように思う。その変化が無性に嬉しい。

 人類と機械の闘争になど興味はない。どちらの行く末もどうだっていい。世界が荒廃して、毎日ろくなものを食べられなくたって構わない。

 ただ今は、いずれ終わる、彼女の夢が愛おしい。


「——めぐり。あなた」

「うん?」


 地上七階とはいえ、外から銃身が見えているままにしておくのはよくない。傷をつけてしまわないよう注意を払いながら銃を床へ下ろそうとしていると、ふとイルが私の名前を呼んだ。

 振り返るとイルはすぐそばにいて、鮮やかな青緑の大きな瞳が私の顔を覗き込んでいる。どきっとする。

 どうかしたのか、と声を出す間もなく。

 イルの細い手が私の顔に伸ばされた。


「ああ——なんだ」


 その瞳を見て、私は気づく。


「今日だったんだ。残念なような、嬉しいようぁ」


 最後は言葉にならなかった。

 私より色白で、しなやかな手。それでも人よりずっと力強い手だ。それが優しく頬を撫でたかと思えば、直後、私の喉に強く食い込んだ。

 オフェンダー。ああ、こんなにも突然だなんて思いもしなかった。

 でも、仕事だけはきっちりと終えてから故障するのはイルらしい。そう思うと笑いたくなったが、口から漏れ出るのはうめき声だけだった。


「が——、ぁッ」


 喉を締める、なんて生温いものではない。首の骨ごとへし折るつもりらしい。

 いいよ。私の願いはそれで叶う。

 けれど相棒だから、あなたの願いも叶えないと。私は文字通り最後の力を振り絞って、床へ下ろすはずだったもう一人の相棒を両手で斜めに支える。

 銃身の先を、下からなんとか彼女のきれいな顔へと向けた。銃身が長すぎてやりづらい。だがその苦労もどのあれ続くまい。私はなんとか、右手の親指を引き金にかける。


「ぐぅ、ぅぅ——」

「————」


 みしみしと手が食い込む。力がさらに強くなる。

 視界がかすむ。頸椎を砕かれるまでもう幾ばくもないだろう。

 なんとか目を凝らす。ぼやけた視界が少しだけ鮮明クリアになる。

 正気を失っても彼女の顔はとても美しく、それを間近に死ねるのはこれ以上ない幸福だった。

 みしり。首を締める手が決定的なラインを越えて、私の根幹を握り砕く。

 ダンッ。重い銃声が轟いて、反動で私の手から対物ライフルが派手に滑り落ちる。


 身体の中と身体の外で重なる二つの音が私の終焉で、それっきり私の知覚を刺激するものはなくなった。目も見えなければ音も聞こえず、上も下も右も左もわからないので、自分がどういう状態にあるのかすらもおぼつかない。

 思考だけが生きていて、それも消える直前の灯火だと直感で理解した。

 どうなったのだろう。私が、ではない。

 彼女がだ。私の撃った弾丸は、きちんと彼女を壊してやれたのだろうか?

 わからない。加えて言えば、自信も五分五分といったところ。なにせあまりに無理な姿勢で撃った。言うまでもなくあんな距離であんな構え方をして撃つような代物ではないのだ。


 考える力が急速に消える。すべてが闇色に沈んでいく。

 意識が溶ける中、願うのはひとつだけ。結果がどう転んでいようとも、彼女の夢見がどうか、よいものでありますように——

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