7,釈放
刑期が始まって一年と少ししか経ってないのに、あたしの仮釈放が決まった。
スザンヌさんが言うには、未成年の場合、刑期は手に職をつけるための研修期間の意味がある。そしてあたしは、前職の経験からして、ここでの製パン研修はもはや必要ないという判断ではないかということだった。
でもそれは表向きの理由で、本当は色々と面倒を起こすから、やっかい払いされたのかもしれない。
私物をまとめ、お世話になった人、迷惑をかけた人たちにあいさつに回った。それにかこつけて、ずっと会ってなかったカタリーナさんに会いに行けたのは、うれしかった。
カタリーナさんは相変わらず、いや以前よりも美しかった。最近、刑務所内の小さな教会で、日曜日ごとに歌を歌っているらしい。噂は次第に刑務所中に広がり、教会に行く人が増えたとか増えないとかいう話だった。
「仮釈放になるんですって? 残念ね。いえ、あなたのためには良いことなのよね。 がんばってちょうだい。あなたの幸せを祈っているわ」
あたしの両手を胸に抱いて、まつ毛の長い大きい瞳でそんなことを言う。女のあたしでも頭がくらくらした。
「カタリーナさんが将来歌手になったら、絶対聞きに行きますから」
と言うと、
「そうね。将来はどうなるか分からないけど、歌はやめないことに決めたの。何があっても、どこかで歌は続けるわ。パン屋さんで、発酵促進用に雇ってもらうのもいいわね」
ふふふと笑う。
こんな美人で才能のある人が、なぜ刑務所に入ることになったのだろう。
スザンヌさんは、
「あんたはここにいるような人じゃなかったね。私は最初っからそう思ってた。外に出ても、元気でがんばりなよ」
と言ってくれた。
最後にテレーザさんにあいさつをしに、厨房に寄った。
テレーザさんはあたしを見ると、
「とうとう別れだね」
と言う。
泣きそうになるのをかろうじて我慢した。
「大変ご迷惑をおかけしました。あたしは孤児院出身だし、親方も頑固者だったから、色々と常識が欠けてるんだと思います。すみませんでした」
「そんなことはないわ。いや、あるかもだけど。でも、ヨハン・ウェブナー親方の考えはある意味正しいし、これからもあなたを守ると思う。大切にしたらいいわ」
親方の考えが、あたしを守る? 意味がよく分からなかった。
「ところであなた、これからどうするの?」
テレーザさんがたずねた。
「親方の店に行ってみようと思います。また雇ってくれるかどうか分かりませんが」
と答えると、書類ばさみから紙を取り出し、あたしにくれた。
「これは私の知り合いの親方のパン工房なんだけど。ここに行ってみない? もちろんウェブナー親方の店に戻ってもいいんだけど。
この国にはたくさんの種類のパンがあるから、いろんなところに行って、違う土地の季節や習慣を知るのもいいと思うの」
見ると、ここから西に五百キロメートル離れた、国で二番目の大都市の住所が書いてある。
「はあ。あたしのような前科のある女の子が行ってもいいのでしょうか」
「なまじ家族のつながりがないあなたは、かえって自由に旅ができるわ。信頼できる店で修業して、『親方』(マイスター)の資格が取れるといいわね」
「女性でも、とれるでしょうか」
「これからはきっと女性でも親方になれて、開業できるようになると思う。できなくてもパン作りは続けてね。
今日は身元引受人の方が迎えに来られるそうだから、その人とも相談してみて。あなたが幸せになれることを祈っているわ」
裏門の守衛さんが、巨大な門の端についてる、鉄板を枠にリベットでとめた、少人数出入り用の扉の鍵を開けてくれた。
身元引受人って誰だろう。ウェブナー親方かな? 親方はあたしを許してくれているのかなあ。忙しさにまぎれて、手紙も書いてなかった。
でも、テレーザさんが紹介してくれた、違う土地のパン工房に行ってみたい気持ちもあった。
振り返って、製パン科や厨房のある棟を探す。しかし、高さ三十メートルの刑務所の壁にさえぎられ、建物をかいま見ることもできなかった。
壁には、巨人の体を支える足のように、一定の間隔で柱がついている。アントン・クレーべルさんは、その足の、くるぶしに当たる部分に寄りかかっていた。
彼はあたしを見つけると、黒いホンブルグ帽を取って、軽く振って、あいさつした。
★☆☆
「ねえみんな、賭けない? アントンのやつが隠し持っているのは花束か。それともいきなり、ダイヤモンドとかの指輪を差し出して、振られるか」
「いくらなんでも、いきなり指輪はないでしょう。花束とかお菓子とかりんごとか、そんなところじゃない?」
「りんごはちょっとあれだけど……。まあねえ。いくらアントン・クレーべルが直球カミソリ頭でも、そこまでしないんじゃないかな」
「しかも振られること前提になってるし☆」
「何なのみんな。指輪にかけるやつはいないの? それじゃあ賭けが成立しないじゃないのよう」
「いや別に賭けなくてもいいでしょう。それともなあに、そんなにアントンのことが気になるの?」
「えっ! ヴぁ、馬鹿なこと言うんじゃないよ! そんなわけないでしょっ?!」
【終】
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