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6,なぜおいしいパンを作ってはいけないのか

 「そうやって、昼休みに抜け出して、予定以外の場所を占拠して、大騒ぎをするのは、ええとええと何だったかしら」

テレーザさんは何かを思い出そうと、壁の上の方を見つめる。

「そう、『騒乱準備罪』に当たるのよ」


 あたしはもちろん、そんなことは知らなかった。

「そんな法律があるんですか」

「法律というより、刑務所内の規定よ」

とスザンヌさんがささやく。


 「あなた、知ってるんだったら、アドリアーナを止めてくれたらいいのに」

テレーザさんの怒りがスザンヌさんに向かう。


 「はい。でも、パンの発酵促進のためで、悪いことではないと思ったので。

 カタリーナ・ヴィアドラさんを呼んだ時、止めたらよかったのかもしれませんが。彼女の歌のうまさも私の想像を超えていました。あんな大騒ぎになると思わなかったのです」

神妙な顔で言う。


 「パンの発酵と歌のうまさと、どういう関係があるの?」

テレーザさんに問われ、親方が発酵促進のため、雨の日は自分で歌っていたという話をした。

「あ~。そういえばこないだも、発酵パンかごを窓際に移したいとか言ってたわねえ。困ったわねえ」

テレーザさんは額を両手でまさぐりながら、うつむく。



 「今回は、悪意はなかったということだから、管理部に報告はしないでおくわ。でも、ここは刑務所なのだから。くれぐれも予定にない行動は慎んでほしいの」

「はあい」

「わかりました」


 スザンヌさんと二人、このあと三十六回『ごめんなさいもうしません』を繰り返し、一次発酵させた生地をローフ型に押し込む作業に戻った。



★☆☆



数日後、今度はテレーザさんから 直接呼び出しを受けた。

何だろう、また怒られる??



 昼食を早めに切り上げて、料理長室をたずねる。

厨房には、バターで炒めた玉ねぎの香りが漂っている。挽きたての黒胡椒の、炭っぽい匂いも混じっている。今晩のメニューは、オニオンスープかな。



 テレーザさんは、あたしにも椅子をすすめ、こう切り出した。

「実はね、最近、この刑務所のパンがおいしくなりすぎてるという苦情が来ているの」

「ええっ?! パンがおいしいといけないんですか?」


 「そうなの。 食事がおいしすぎると、また戻って来たくて罪をおかす人が増えるからね。刑務所の食事は、まずくないといけないの。我々一般から雇われる料理長でも、おいしくしすぎて辞めさせられる人もあるのよ」

「そうなんですか……」

そういえば似た話を聞いた気がする。どこでだっただろうか。



 「ねえ、こう考えることはできないかしら」

テレーザさんが言葉を続けた。

「あなたがパンをおいしくしようとがんばると、みんながそれを食べたくなって、刑務所に戻ってくる。だから、みんなが罪を犯さないよう、再びここに戻って来られないよう、パンをまずくする。どう?」



 もちろんテレーザさんはあたしのため、また刑務所全体のことを考えて言ってくれている。それはわかる。

 でも、あたしの頭の中には、「親方のパン」があった。

 限られた条件、予算、材料で工夫して、親方のパンに近いものを作る。それ以外は考えられなかった。


 例えばチーズとか服とか靴なら、適当なものを作れるかもしれない。でも、パンに関しては。



 「ごめんなさい。どう考えても、わざとまずいパンを作ることはできません」

「ええっ、でも」

「製パン科ではなく、どこか他の、理容科か縫製科に移してもらうことはできないでしょうか」

「えっ?」

「あたしはものすごく不器用だから。他の科なら、一生懸命やってもぶざまな出来になると思います。だから、お願いします」



 「ふううん。あなたを製パンから引き離すことはできないのねえ」

テレーザさんは、麻の紐で編まれた椅子の背当てに体を預けた。


 「でも、パンがおいしいままで、刑務所に戻ってくる人が増えても困るし。これは私だけでは判断できない。管理部に稟議書をあげるから、待っていてちょうだい」



 そこで話は終わった。あたしはパン工場で、ブレーツェルの腕を伸ばして、くるっと結ぶ作業に戻った。



★☆☆



 一週間後、テレーザさんからまた呼び出しがあった。

「会議の結果が出たわ。あなたは製パン科にいていいそうよ」

そう言われても。はいそうですかとすぐには言えない。



 「でも。あたしは結局、どこにいても、パンをできるかぎりおいしく作ろうとすると思うんです。それは構わないんでしょうか?」

「そこは我々厨房が、料理を今よりまずくすることで釣り合いを取ることになったわ。

でも、まずくするのって難しいわよね。あなたの言うとおり、おいしくするより難しいかもしれない」


 眉間に薄くだけど、しわが寄っている。テレーザさんも、刑務所の規則に納得できないことがあったのだろうか。



 「テレーザさんも、料理はおいしい方がいいと思うほうですか」

とたずねてみた。

「少しの工夫でおいしくなるのなら、そうしたいわ。みんなが食べるものだものね。私もあなたも、刑務所には向いてないのかもしれないわね」

テレーザさんはほほえむ。



 「じゃあじゃあ、パンは今よりおいしくしてもいいんですね?!」

あたしは両手で膝をつかんだ。原料を高価なものに変えなくても、今よりもっとおいしいパンは作れる。キャラウェイ、フェンネル、コリアンダーシードはこの厨房にもあるだろうし。じゃがいもをゆでてつぶして入れたっていい。


 「そうね、少しならね。予算は今のままで。あと昼休みに人を集めて、リサイタルを開くのもなしで。この刑務所の規律のなかでお願いするわ」

料理長は釘を刺すことも忘れない。


 「じゃあ、レーズンとくるみを入れてもいいですか」

「レーズンはダメ。絶対」

「え~、何でですか?」

「私が、レーズンがきらいだから」

と言って、テレーザさんはくすりと笑った。



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