4,刑務所の製パン科
判決はすぐ下った。刑期は三年で、あたしは刑務所の製パン科に配属されることになった。
入った部屋も製パン科専用の八人部屋。部屋長のスザンヌさんは、製パン科のまとめ役も兼任されていた。
領置物や事務手続きについての簡単な説明の後、スザンヌさんは私を、刑務所内の「製パン工場」に連れて行った。
受刑者と係員合わせて約三百人分のパンを、毎朝昼焼く。それが製パン科の「実習」なのだ。
工場の広さは五百×三百メートルくらい、壁には十五センチ角の白いタイルが貼られている。床も同じく、白のリノリウム貼り。黒板、流し台、鉄製の戦車のような四角い大きな窯、焼きあがったパンを置くための簡単な棚が並び、中央には大理石の貼られた広い作業台がある。
大理石は白地に薄い茶色の模様。そっと触ってみると、ひんやりとして、パンの粗熱をよくとってくれそうだった。
あたしは、ガスの窯が珍しかった。外開きの扉を開けて中をのぞき、天板を引き出したりしていたところ、ダブルの打ち合わせの白衣とコック帽をつけた、三十代ぐらいの女性がやってきた。
スザンヌさんが急に姿勢を正して、その人に呼びかける。
「テレーザさん、本日、噂のアドリアーナが到着しました。 今、荷ほどきもそこそこに 、場内を案内しているところです」
刑務所では、軍隊のような受け答えをしないといけないらしい。
「アドリアーナ、こちらはテレーザ・マインさん。看守ではなく、料理長をしている方よ。我々製パン科は、お世話になることが多いから、ごあいさつしてね」
と紹介されたので、
「アドリアーナ・オーデルです。よろしくお願いします」
と言って、礼をした。
確かにこの人は、看守とは目が違っていた。黒目の部分が大きく穏やかで、失礼な例えかもしれないが、子牛のようだった。そして、どことなく悲しげな感じもあった。
テレーザさんはその目で、あたしをじっと見た。
「聞いていたよりお若いようね。いくつなの」
「十六歳です」
「ヨハン・ウェブナー親方の店から来たのよね。するとパン作りの基本は習得済みと思っていいのかしら?」
「あたしは、見習いでして。フラムクーヘンとか菓子パンしか焼かせてもらえてないんです」
「そうなの」
テレーザさんは、書類ばさみから予定表を出して、あたしに言う。
「この中で、作り方のわからないパンがあるかしら?」
朝食は、カイザーゼンメル、ブレーツェルなどの小さいパン類。
昼・夜は、コミスブロートなどの日持ちのする固いパン。
クリスマス、新年、復活祭には、シュトーレン、乾燥洋梨のパン、ノイヤースブレーツェル、うさぎの形のパンなど、特別な物を作る予定のようだ。
「季節のパンはだいたい、親方の店と同じです。他も、作ったことはあります」
「そう?」
テレーザさんはふっと息をついた。
「あと、製パン科は、他の科と仕事の時間割が違うのよ。朝五時起床になるけれど、問題ないわよね?」
と聞かれたので、
「問題ないです」
と答えた。
さっそく次の日の朝から、即戦力として働くことになった。
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スザンヌさんが言うには、製パン科は他より労働時間が長いため、刑期を早く終えて出所したい受刑者に人気があるのだそうだ。前職の経験があるとはいえ、ここに最初に配属されたあなたは運がいいわね、と言われた。
しかし、刑務所の製パン科は、親方の店とは違っていた。
まず、大量のパンを短時間で焼かないといけない。
材料を混ぜる、こねる、一次発酵、またこねて二次発酵。整形、窯入れ。
総勢十五人の科員が三組にわかれて、ひたすら流れ作業する。
親方のパンみたいに、凝った切れ目などつけてはいられない。焼成時間も、プンパーニッケルみたいに、長くかかるものは作れない。
なにより、材料が違う。親方の店のような高級品の粉、塩ではなく、一番下より少しましなものしか仕入れてもらえない。
最初の半年ぐらいは、流れに合わせて、遅れないように作業をこなすのが精一杯だった。しかし慣れてくると、ここを工夫すれば、もっとおいしいパンが作れるのに、と思うことが多くなった。
外側の皮は固く、中はしっとり。見た目よりずっと重くて、かむと穀物の味がお腹の下まで落ちてくる、親方のパン。あれと同じとはいかないまでも、できるだけ近いものにしたかった。