2,美少女窃盗団(仮)
孤児院に行くと、ちょうど姉御も来ていた。
先に厨房に顔を出して、お店の売れ残りのパンを、かごごとシスターに渡す。
シスターはあたしの顔、というかパンを見るなり、普段より一オクターブ高い声で、
「まあ、アドリアーナさん! いつもありがとう。ウェブナーさんのパンはおいしいから、みんな楽しみにしているのよ。院長も日曜日の夜にお宅のパンがないと、悲しそうになさっているの。口には出さないけれど」
とおっしゃる。
「とんでもないです。うちの親方は、売れ残りのパンを安く処分するのが嫌いなんです。でも、捨てるのはあまりにもったいなくて。ここに持って来させてもらって、ありがたいぐらいなんです」
「そうお? いつもいつも本当にありがとう。親方によろしくお伝えくださいね」
シスターの感謝の言葉は大仰だと思う。あたしはこの孤児院出身なのだから、遠慮しないでもらってくださればよいのだ。
しかし、確かにうちの店のパンは絶品だ。捨てるなんてとんでもない。親方がパン作りにかける完璧主義もわかるけど。
戦争は終わったばかりだが、世の中には飢えた人、貧しい人がたくさんいるのだから。
☆★☆
姉御に声をかけ、孤児院の裏手にまわる。
板張りの物置のような小屋が、かろうじて立っている。そこの床の、奥から三段目の石のいくつかをどけると、板作りの簡単なはしごが出てくる。 それを降りると、地下水路に出る。ウィーンほど大規模ではないが、わが街にも地下水路があるのだ。
水路の両側には作業員用の歩道がある。湿気とカビと苔の匂いの混じった歩道を進むと、数百メートルごとに、十数人が集まれる広場が作ってある。我々美少女窃盗団(仮)は、そこを会合の場所にしていた。
「で、話って何」
姉御は腕組みをし、片方の膝を曲げ、石の壁に靴底をあてて寄りかかる。
「ちょっと困ったことがあって……どうしたらいいかわからないの」
「何?」
実は、今朝、店のお客に、市場まで尾行されていたことを話す。と、姉御は鼻にたまった空気をフンと噴き出した。
「なんでまた。あんたを尾行してどうすんのさ」
「でも、明らかに『あれ、いなくなっちゃった。どこ行ったんだろう』みたいな顔して、キョロキョロしてたの。もしかしたらあたしたちの裏の仕事がバレたのかと思って」
「まさか。あんた何かドジをふんだのかい?」
「いいえ。そんなはずはないと思うけど」
「おかしいねえ。あたいたちの偽装は完璧なはず。でも、あんたのことだから、気がつかないところで何かやらかしているのかもね」
姉御は、編み上げの短靴の先で、石のつなぎ目に生えてる苔をつっつきながら、何か考えていた。
「ここでごちゃごちゃ考えていてもしょうがない。一度その男を実際に見てみようじゃないか。案外、あんたに惚れてるだけかもしれないしね」
姉御はあたしをからかう。
「まさかあ」
「いやあ。百聞は一見にしかずってこともある。その男はまだ市場にいるかな?」
「もういないんじゃないかなあ。でもその人、毎日閉店間際に店に来るから、その時張っていれば、会えると思う」
「何それ、五時ごろ? ふーん。じゃあ仕事の都合をつけて、あんたの店で張ることにしよっか」
「ごめんなさい」
「いいのよ。あんたの店のパンは極上だし。それにどんな色男が来るか、楽しみだし♪」
姉御ったら、すっかり浮かれ気分だ。このあと数ヶ月は、なにかとこの件でからかわれそう。面倒なことになった。
☆★☆
次の日の午後、姉御は店にやってきた。
あっという間に店になじんで、パンの名前と値段も覚えてしまう。暗算も早い。
「ちょっとアドリアーナ。ブレーツェルが残り少なくなってきたから、追加があったら取ってきて」
とあたしに指示する。 どっちが先輩の店員かわからない。
あたしは紙に書かないと計算ができないし、客の顔もなかなか覚えられない。本当に、パンを焼くしかとりえがないのだ。
彼は、その日も閉店間際に店にやってきた。
「あっ、来た来た。あの人ですよ」
と姉御にささやいて、あたしが応対する。
いつものように、売れ残っていたパンを数個買う。
「今日はまだくるみのパンが余ってますよ? お買いになりませんか?」
とすすめると、
「あっ、そう。じゃあ、それもください」
唇のはしをあげて、いつもの笑顔で言う。でもなんとなく元気がない。というか、上の空という感じだ。
お買い上げのパンを紙袋に入れて、
「いつもありがとうございます」
と、言いながら渡した。
彼が店を出たとたん、姉御があたしの手首をつかんで、裏口までぐいぐい引っ張っていった。顔から血の気が引いている。
裏庭に出て、周囲を見回し、誰もいないのを確認してから、あたしにささやく。
「ちょっとあんた! あれは……アントン・クレーベルじゃないか?!」
あの人そういう名前なのか。
「有名な人なんですか?」
「有名って……この町の警察では並ぶもののない切れ者だよ。『カミソリ』とか『死神』とかいうあだ名がついてるんだから」
ええ~?! 嘘! 全然そういう風に見えないんだけど。
「本当ですか?! でも、警察の人の匂いがしないんですけど」
と、あたしが言うと、
「ああ、そうだね」
姉御は唇のはしから息を細く出す。
「切れ者にしては、尾行が下手すぎるんですが」
と押してたずねると、
「アントン・クレーベルは殺人課で、あたい達みたいな窃盗犯は管轄じゃないんだ。だから下手なんじゃないかな」
と教えてくれた。
嘘、嘘。あんな人の良さそうな、もっさりした人が警察? しかもカミソリだとかの二つ名持ち?!
「ええーーーーーっつ」
私は頭をかかえて、しゃがみこんだ。
「あたし、警察の人に、パンをおまけしてあげちゃった」
「何それ? あんたアントン・クレーベルに何をしたの?」
「アントンさんはいつも閉店間際に来るから、欲しいパンが売り切れていることが多いの。
それにいっつもぼろぼろの靴を履いてるし。かわいそうになっちゃって。
一度、売れ残りのパンをおまけにあげたことがあるの。
それから、くるみのパンが好きだっていうから、親方に数を増やしてくれるよう頼んだの」
「あはぁ……」
姉御は額に片手を当て、空を仰ぎながら、後ろの板塀に寄りかかった。
「こりゃあ、だめだ 。たとえきっかけがアレだとしても、相手はアントン・クレーベル。あたいらでは太刀打ちできない」
突然、積んである薪の山を、拳でばあんと叩く。あたしは驚いて姉御の顔を見あげた。
「これはあたいの手には負えない。みんなと相談しないと。今夜は至急、幹部会議だ」
「え、えっ?! なに。会議? あたしは出席しなくていいんですか?」
と聞くと、
「あんたは来なくていい。心配しなくても 、悪いようにはならないから。安心して待っていればいい」
帰り際、姉御はあたしを、まったく知らない人を見るような眼で見た。そして、店の制服のエプロンをはずして、帰っていった。
☆★☆
地下水路の広場には、すでに美少女窃盗団の主な面々が集まっていた。
あたしがその輪に加わったのを確認して、姉御が口を開く。
「皆さん、本日はアドリアーナのために集まってくれてありがとう。さっそくだけど、アドリアーナの処遇について発表するよ?」
あたしの顔を見る。軽くうなずくと、姉御は何か書いた紙を見ながら続けた。
「アドリアーナには自首してもらう。我々美少女窃盗団は本日をもって解散する。以上だ」
ええーーーーーっつ?!
あたしが自首するのはいいとしても、窃盗団そのものが解散する必要はない気がするんだけど。
「ええっ、でもでも。皆さんはそれでいいんですか?」
みんなの顔をひとわたり見回す。
「あたしはいいよ、どうせそろそろ潮時だったんだ」
「私も。やりたくてやってたわけじゃないし」
「そうそう。だいたい、全然『美少女』じゃなかったしね☆」
「うるさいなあ。あんた以外は全員美少女だっつうの」
…… みんないろんなことを言ってる。だけど、窃盗団の解散そのものには異議はないらしい。ほとんどの人はやりたくてやってたわけじゃないみたいだ。
「アドリアーナはどうなの? 自首するの嫌じゃないの?」
幹部の誰かがあたしにたずねる。
「それは嫌です。だけど、警察の人にパンをあげて、目をつけられちゃったのはあたし自身ですから。責任を取らないといけないんだろうと思ってました」
「アドリアーナは賢いねえ」
その人は目を細めて、複雑なほほえみを浮かべる。
そこへ姉御が、
「まあね。この子はそもそもこういうことには向いてなかったよ。本当にお人よしだし、とろいし、一度に一つのことしかできないし ……」
かばっているのかけなしているのかわからないことを言う。最後ぐらいはほめて欲しいな、と思っていると、目から涙がじわっとあふれてきた。
「ここに今まで盗んだ品のリストがある。 売却したルートも分かる範囲で書いてある。これを警察に渡しな。まだ未成年だし、ただの見張り役だったんだし。そう厳しい罰は受けなくて済むと思う」
姉御は紙をあたしに手渡すと、 肩をぽんぽんとたたいて、一歩下がった。
それからは、みんなが順番にあたしのそばに来て、肩を抱いたり、背中をたたいたり、鼻先を指でつぶして豚っ鼻にしたりしながら、別れを惜しんだ。
「あんたんところのパンは超おいしかったよ。もう食べられなくなるのは本当に残念。元気でやるんだよ」
「そうだねえ。でも、アドリアーナが幸せになるためだから。パンが食べられなくなるくらい我慢しなくっちゃ」
「私はあんたが羨ましいよ。でも、これも『天の配剤』ってやつなんだろうね。あんたの幸せを心から祈ってるよ!」
「あたしにもいい男が現れないかな~」
「無理無理☆」
「何で無理なのよ?! あんたさっきからあたしに喧嘩売ってるでしょ?」
地下水路を出て孤児院に戻ると、すでにアントンさんが来ていた。姉御は本当に仕事に隙がない。
あたしがハンカチを握りしめ、目のふちを赤くして鼻をぐずぐず言わせてるのを見て、彼は何か言いたげに口を開けては閉じ、している。
あたしは涙をぬぐって、贓品のリストを手渡し、
「よろしくお願いします」
と言った。