こうして私はジジイに引き取られた①
リーフプラウ王国の、王都のはずれの下町。そこにあるパン屋“黒猫のしっぽ亭”で私は生まれ育った。
二階建てのこぢんまりした家で、一階がパン屋で、二階に家族三人で暮らしていた。
しっぽ亭はお母さんの実家で、お父さんはお婿さん。お母さんの丸パンに惚れ込んで、居ついたらしい。押しかけ女房の男版だって、近所の人が笑っていたのを覚えてる。
女だてらに男より男らしいとか、目つきが悪いとか、カッコいいとか、とにかく女に向ける形容詞じゃないことをさんざん言われてたお母さんが線の細い美男子を捕まえたってんで、当時はそりゃあ話題になったらしい。
女の子は父親に似るとかいう迷信に期待していた周囲を盛大に裏切って、髪と目の色以外は母親似の娘が生まれたのは、結婚して三年目のこと。
どこぞの言葉で“盗む”という意味の(我ながらなんちゅー名前だ)ニムと名付けられた娘は風邪ひとつひかずにスクスク育ち、やがて近所じゃ知らないやつがいないくらいの有名人になった。
「女のくせに」とか「嫁の貰い手がないぞ」とか言ってくるやつに「女が男より弱いって誰が決めた?」とか「お母さんに嫁が来たんだから大丈夫でしょ」とか言い返してるうちに悪童認定されてただけなんだけどなー。
幼い頃、私の一日はたいていお母さんの怒鳴り声から始まってた。
「いつまで遊んでるの!早く焼かないとみんなの朝飯に間に合わないだろ!」
「だって、きっともっと美味しくなりそうなんだ」
「だってじゃないよ!朝飯の時間は待っちゃくれないんだよ!」
まだ外が暗いうち、一階にあるパン屋から聞こえるのは、いつまでたってもパンを焼きたがらないお父さんを叱るお母さんの声だった。
私はそれを合図にして起き、夜が明けるかどうかの時間に共同の井戸まで水を汲みに行く。
店先の掃き掃除が終わったら朝ご飯だ。
朝は力の付くものを食べるのが我が家流。前日の残りのスープに焼き立てのパン。ベーコンに卵に果物。
たまに余ったパンで作ったラスクが付いた。お母さんの魔法のレシピで作ったラスクは本当に美味しくて、私はいつも半分残しておやつにしてた。
「あったかいご飯はいいねぇ。焼き立てのパンの匂いは幸せの匂いだ」
お父さんは、食事のたびにそう言ってパンを拝んでた。顔は綺麗だけど、変人っていうか、変態だったんだよなぁ……。
七つか八つの頃から私は近くにある色街に出入りしてたから、色んな変態を見てたけどお父さんは断トツで変態だった。なにせ、パンに向かって「大きくなぁれ」「美味しくなぁれ」と呪いをかけてたんだから。
「みんなー、来たよー」
「あらぁ、ニム。いらっしゃい」
「今日は配達?ゆっくりして行けるの?」
しっぽ亭のある通りから一本外れた通りは、色街に繋がっている。そこにある高級娼館ガーデニアは、しっぽ亭の上客だった。
店主が気前のいい人で、いつもおやつをくれたから、ガーデニアへの配達は私の担当だった。
……決して意外と嫉妬深いお母さんがお父さんを色街に近づけたがらなかったとかではない。
一番売れっ妓のリリアンは見習のシシィとメリーを教えていて、とても面倒見がいい。少しおっとりしていてドジなところもあるけど、それもリリアン曰く「男を手玉に取るための罠よ」だそう。違いがわからん。
二番人気のルリは、“女王様”という特殊技能の持ち主で、女王様の勉強をするイロハと、女王様に可愛がられる“奴隷”の勉強をするアヤハのふたりの見習いを抱えている。遠い異国から来た、とても雰囲気のある美女だ。
他にも何人か親しくしてくれたお姉さんたちはいたけど、みんなとってもいい人。私に女が上手く立ち回るための色んなことを教えてくれた。主に色仕掛けとかだったけど。
「井戸端会議って、結構色んな情報拾えるのよ?女性の情報網ってバカにできないんだから」
「そうそ、ここだって色んな情報が手に入るのよ?ニムには必要ないだろうけど、お貴族様の口外できない趣味とか……ね」
「ここも女性の情報網のひとつってこと?」
「平たく言えばそうなるね。ま、お貴族様の弱みを握ろうと思わないなら必要ないさ」
「そうねぇ。ニム、いつかあなたがここにあるような情報を必要としないことを祈ってるわ」
リリアンとルリの言葉に、当時の私は首をかしげるだけだった。だって、本当にその時は意味わかんなかったし。
でも、今思えば、お姉さんたちはお父さんの出自を知っていたんだろう。だから、その先に起きることも予測していたのかもしれない。特に、リリアンは占いで客をもてなすことがあったから。
けど、私自身は予想もしていなかった。まさか、ある日配達から帰ったら家が無くなってるだなんて。
火、というのはあっという間に全部を奪ってしまう。消火が終わって水浸しになった家と、黒焦げになった両親を見て、私は確信した。あいつはヤバい。
「パン窯が暴発したって」「どうしてまた?」「付け火って聞いたよ」「怖いねぇ……巡回兵はなにしてんだい」と、聞こえてくる情報を拾い上げて、私はこれからの身の振り方を考えた。
よく考えると達観してたな、十一歳の私。
ともかくお父さんは身寄りがないって言ってたし、農業に目覚めたおじいちゃんとおばあちゃんは王都から遠く離れた農村に行ってしまった。知らせが行くまで一週間、迎えに来てくれるまでだいたい二週間はみておかなきゃいけない。
年寄りだからもっとかかるかも。その間どこで待つかが問題だ。
家は焼けた。
近所の家も結構被害を被ってるっぽいから、あんまり厄介にはなれそうもない。葬儀の手配もしなくちゃいけないし、ここはやっぱり教会が無難か。
創世神リレナと女神の寵を賜った聖女マリエンヌを祀る女神教は、リーフプラウ王国の国教だ。
王都にもあちこちに教会が建っていて、中には身寄りが無くなった子供や年寄りを一時的に預かってくれる施設もある。
幸いお父さんが敬虔な信者で、礼拝の日は欠かさず家族で通っていたから、近所の教会の神父様とは顔見知り。人がいい神父様ならきっと良くしてくれるだろう。
よし、行き先は決まったし、さっそく行動に移すか。
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