#91 それぞれが進む道
いつもの時間に、自然と目が覚める。
顔を洗い、手早く着替えを済ませた俺は教官の私室へと向かう。
朝起きて、教官と共に朝食をとり、珈琲を飲んでから教室へと向かう。
この訓練所で生活を始めた俺の――それがいつもの日常だった。
思い返せば、色々なことがあった気がする。
リーネとの最悪な出会いから始まり、ルエルが俺の許嫁だと宣言した。
教練の途中に遭遇したコカトリスと翼竜との一件でリーネを勘違いさせてしまい、遠くの都市に出現した幻獣――鳳凰の影響で、カルディア周辺に多くの危険指定種が現れるようになった。
周辺地域の調査という任務で、一緒になったミレリナさんの豊富な知識に助けられたことも今や昔のことに思える。
そう言えば……今ごろ玉藻前はどうしてるんだろうか。流石にもう傷は癒えていると思うが……。
また高森林に顔でも出してみようか。うん、それが良い。きっと玉藻前も喜んでくれるだろう。模擬戦の特訓に付き合ってもらった時も『暇だ』なんて言ってたからな。
ふふふ。奴の荒ぶる尻尾が目に浮かぶようだ。
…………。
と、訓練所でのこれまでの生活を思い出していたら、教官の私室に到着した。
扉を数回ノックすると――「どうぞ」と中から聞こえてきたのは勿論ユエル教官の声だ。
扉を開き、部屋へと足を踏み入れる。
部屋の奥の、立派な机に腰を落ち着けている教官は既に完璧に身支度を整えている。
朝から『教官』としての仕事をこなしていたのか、机に広げられた数々の書類に、何やら記入していたらしい。
しかし俺の顔を確認すると、彼女はその手の動きをピタリと止め、持っていたペンをコトリと机に置いた。
そして、微笑みを浮かべた顔を上げて――
「おはようシファ。ご飯出来てるから座って待ってなさい」
そう口にするのだ。
いつもと変わらない、俺の訓練所での生活が……今日も始まろうとしている。
――だが、このいつもと変わらない日常は、明日はもう来ない。今日で終わるのだ。
何故なら――
俺達は今日で、カルディア訓練所を出所する。
~
「おはようっ! シファくん!」
「あぁ、おはようミレリナさん」
朝食を済ませ教室までやって来ると、ミレリナさんが元気に挨拶をしてくれる。
ある日から、俺よりも早くに教室に来るようになったミレリナさんは、やはり今日も一番最初だったようだ。
少し小柄で、大人しそうな印象の女の娘。
紫色の髪と瞳が特徴的で、その小さな体に秘めている魔力量は……ハッキリ言って見当もつかない。
『はわわわ』と、慌てた時の彼女の反応は、見ていて飽きることはない。
出会った当初、消極的だったこの娘だが、今となってはすっかり俺達と馴染めていると思う。
その証拠に――
「シファくん、私達もうすぐ冒険者になるんだね」
「あぁ、長かったようで……あっという間だったな」
彼女は、俺に敬語を使わなくなった。
そうこうしている内に、教室に新たな訓練生がやって来る。
「おはよう、ふたりとも」
「ああ、おはようリーネ」
「おはようございます、リーネちゃんっ」
赤い花の髪飾りで、茶髪をお洒落にまとめ上げる女性――リーネ。
出会った当初こそ色々……そう、本当に色々あったが既に過去のこと。お互いにもう気にしていない。
ミレリナさんとリーネも、普通に接することの出来る程度には仲良くなっている。
模擬戦で見せられた詠唱魔法をきっかけに、リーネを含む訓練生達の、ミレリナさんに対する印象がガラッと変わったのだ。
「や、やめてっ! 髪がボサボサになっちゃいますっ」
「ふんっ、相変わらず可愛いわねアンタ。それにしても、アンタのどこにあれだけの魔力が入ってるんだか……」
ミレリナさんの頭を撫で回したかと思えば、ジト目である一点を見据えるリーネ。
「はわわわわっ」
ササッと、ミレリナさんは両手で胸元を隠した。
「おはよう。リーネさん? あまりミレリナをいじめないでくれる?」
それはもう綺麗な、空色の長い髪を靡かせながら登場した女性――ルエル。
俺が、この訓練所で過ごしてきた今日までの約1年間で、最も同じ時間を過ごした訓練生が、このルエルだ。
俺達は、互いの姉同士が認めた――一応は許嫁関係にある。
その積極的な態度から、ルエルは俺へ好意を抱いてくれているのだろうと思えるが……実は、彼女の口から直接、好意を表す言葉は聞いたことがない。
それはそうと――
「はあ? 別にいじめてないし。アンタには関係ないでしょ?」
「関係あるわよ。私とミレリナは親友だしね」
ことあるごとに視線をぶつけては火花を散らす2人。
ルエルとリーネは、やはり今日も仲が悪い。
――やれやれ。と、そんな2人を見て、俺とミレリナさんは互いに苦笑する。
「ちーっす!」
「おっはー!」
「ういー」
そして……レーグやツキミ、そしてロキと、続々と訓練生が集まりだす。
次第に、教室は騒がしくなっていった。
~
時間丁度に、教官はやって来る。やはり、いつもと変わらない。
ただ、いつもと違うことと言えば――
ユエル教官の後に続くようにして、支部長コノエの姿があることだ。
――何故支部長が? などと言う疑問を口にする者はいない。
既に席についていた俺達を、教官は軽く見回してから口を開いた。
「……おはよう。これから貴方達一人ひとりに、重要な書類を配布するから、しっかり目を通すこと」
それだけ口にすると、教官は自ら……席に座る訓練生の所まで足を運び、用紙を配っていく。
俺も、手渡されたその用紙に視線を落とす。
『冒険者登録用紙』と、大きく記されていた。
小さな文字がギッシリと埋め尽くされた用紙だ。
俺は入念に、内容を頭に入れる。
冒険者としての義務と権利。そしてルール。
得られる報酬と、死の危険。
"初"級から始まり、"絶"級に至るまでの過程など……びっしりと事細かに記されている。
一番最後に――
『以上の内容に同意し、"冒険者"となることを望むなら、名前を記入してください』
という言葉が目に入ってきた。
「お疲れ様。訓練所での教練は、もうおしまいよ。貴方達はその同意書を支部長に提出することで……冒険者となる」
本当に、終わったんだ。
渡されたこの同意書と、教官の今の言葉を聞いて……改めて実感する。
「そして訓練所での1年の教練は、"初"級冒険者としての3年間に相当するわ。貴方達は既に、次に実施される"中"級昇格試験に参加する権利を持っている」
俺達はただ、黙って教官の言葉に耳を傾けていた。
「おめでとう。貴方達は見事に、訓練所での1年の教練をやり切った。選んで……冒険者になるのか、ならないのかを。もし、冒険者になりたくないのなら、その同意書は白紙のまま私に返してくれれば良いわ」
俺は既に自分の名前を記入している。
「冒険者になる者だけ、その同意書に名前を記入して私に提出してちょうだい。まとめて、私が支部長に提出するから」
そして、教官はひとりずつ……訓練生の名前を呼んでいく。
呼ばれた訓練生は席を立ち、教官へ同意書を手渡していく。その紙が白紙であるのかどうかは、座っている俺達には分からない。
同意書を受け取った教官は――「お疲れ様。これからも頑張るのよ」と訓練生と握手を交わす。
しばらくして。
「シファ・アライオン」
名前を呼ばれ、席を立ち、教官の所まで歩く。
俺の名が記入された同意書を手渡した。
「ふふ。お疲れ様、これからも頑張ってね」
しっかりと、俺は教官の手を握り返したのだが――
握手をした手で『何か』が再び手渡された。
なんだ?
そう思いながら席に戻り、手の中を確認してみると――なるほど。
一本線の刻まれたバッジ。
これは、"初"級冒険者であることの証だ。
おそらく、名前を記入した同意書と交換で、コレが手渡されているのだろう。
全員から同意書を回収し終えると、その束はそのまま横に立っていた支部長へと手渡された。
支部長コノエは一言
「うむ。確かに受け取った」
それだけ言って教室を後にしたのだった。
幼女の背中を見送った教官は、再び俺達へと視線を向け、話し出す。
「今日から貴方達は"冒険者"となる。訓練生ではなく、私と同じ"冒険者"よ。少なくとも、これから貴方達が見る景色は、これまでとは少しだけ違う筈」
相変わらず、いつもの調子を崩さずに凛とした態度で話す教官は、やはり流石だ。
「いつか、貴方達と一緒に依頼を遂行する日が来るのを、楽しみにしているわ」
"超"級冒険者である教官と、一緒に仕事をするときは果たしていつなのかは分からないが、何故か確信できる。
その時は必ず訪れると。
俺が目指すのは姉の背中。そしてその隣であり、前だ。
俺は――"絶"級冒険者を目指す。
「今、この瞬間をもって、貴方達の訓練所の出所を認めるわっ」
高らかに、そう宣言する教官。
誰からでもなく、俺達は全員その場で立ち上がり、静かに頭を下げた。
1年間、俺達の面倒を見てくれた教官への感謝を込めて、深々と。
そして、再び頭を上げた時には既に、教官の姿はそこにはなかった。
流石の教官も、少しばかり恥ずかしかったのかも知れない。
~
教練が終わった。
訓練生だった皆も、それぞれ教室を去り、冒険者として街へと向かって行った。
教室には、数人しか残っていない。
「さてと、じゃあなシファ。俺達もそろそろ行くわ」
ピーン! と、教官から貰ったバッジを指で弾いて見せるロキ。
その両隣にはレーグとツキミが立っている。
「俺達3人、しばらくは固定パーティーとして冒険者をやっていくつもりだ。また機会があったら、そんときはよろしく頼むわ」
「あぁ。ツキミもレーグも元気でな」
軽い別れの挨拶。
3人は笑いながら教室を出て行った。
カルディアを拠点にして冒険者をやっていくという話だし、そのうち再会することもあるだろう。
「じゃっ、私も行こっかな」
「リーネ。お前はこれからどうするんだ?」
見た所、誰かとパーティーを組む様子でも無さそうだが……。
「私は"単独"よ。もっと強くなって、姉さんに追い付くの」
コイツらしいと言えば、コイツらしいな。
しかし"単独"か……仲間を連れずに様々な依頼をこなすとなると、それだけ危険が付きまとう。そんな事はわざわざ言わなくても分かっているだろう……。
あのセイラの妹のリーネだ。俺がとやかく言うこともないか。
「シファ。私が強くなったら、もう一度だけ戦ってくれない?」
「あぁ、喜んで。けどな、その時は俺も今よりも強くなってるぞきっと。それでも良いのか?」
「のぞむところよっ! 勝って、アンタを惚れさせてやる――って! 別にそんなつもりで言ったんじゃないんだからねっ!」
……えぇ。
「ふんっ!」と、教室を出ていくリーネの背中を、俺は唖然として見つめていた。
教室には、俺とルエル。そしてミレリナさんだけが残される。
「あの、シファくん」
ミレリナさんが、声を上げる。
「私……シファくんとルエルちゃんには本当に感謝してる」
大きな瞳をうるわせながら、話し出す。
「本当に感謝してもし切れないって思ってる。今の私がいるのは絶対……2人のおかげだって」
俺とルエルは、黙ってミレリナさんの話を聴いていた。
てっきり俺達3人、これから一緒に冒険者をやっていくんだと勝手に思ったいたが、どうやらそうでも無いらしい。
当然だ。
ミレリナさんにも、俺と同じように目標があるんだから。
「私……もっと詠唱魔法を知りたいの。だから、私はお姉ちゃんと一緒に冒険者をすることに決めた。だけど――」
探るような表情で、続きを口にした。
「私がもっと詠唱魔法を扱えるようになった時は、改めて……また3人で一緒になりたいって思うの! 駄目……でしょうか?」
泣きそうになりながら、最後は敬語になってしまった。
俺とルエルは、思わず顔を見合わさる。
俺達の答は勿論――
「こちらこそ、よろしくお願いするよ!」
「えぇ、その時はよろしくね、ミレリナ」
ミレリナさんは満天の笑顔を見せてくれた。
~
ミレリナさんも去った教室。
残されたのは俺とルエルだけなのだが……。
「それじゃ、私は先に帰ってるから」
「は? え?」
そそくさと帰り支度を始めるルエルに、焦る俺。
いや、流石にルエルは……俺と一緒だろ? って言うか、いつか約束しただろ、固定編成を組むって。
「ふふ。何慌ててんのよ、分かってるわよ、私は貴方と一緒よ。でも、貴方はまだ訓練所でやることがあるでしょ?」
「あ――」
「私が気付かないとでも思った? また明日、冒険者組合で待ち合わせましょ」
それだけ言い残して、ルエルは教室を出ていってしまう。
ひとり残された俺は、大きくため息を吐く。
どうやらルエルは、俺が訓練所で教官と生活をしていたことに気付いていたようだ。
恐ろしいやつ。
とにかく、俺も向かうとしよう。
俺は、この訓練所での生活で、返し切れない程の恩をくれた人に……しっかりと礼を言わなければいけないんだ。
――俺は、ユエル教官の私室へと、足を向けた。




