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#145 《少女の覚悟》

 

 傾いた夕日がトウロウ高地を照らす中、一体の翼竜が空からまっすぐに降りてくる。その姿はまさに、これから狩りを行う翼竜の姿だ。

 血走った瞳が捉えているのは、二本の長槍を地面に突き立てて身構える男。この男も、空からやって来る竜種の姿をしっかりと視界に捉えていた。

 速度を落とすことなく、やがて翼竜は男に肉薄する。大きく口を開け獲物を捕食しようと喰らいつくが、横から大きな衝撃を受け吹き飛んでしまう。


「ハッ! 馬鹿正直に突っ込んでくる翼竜なんざ雑魚も同然だなぁ!」


 右足についた汚れを手で払い落としながら男が笑う。

 地面に突き立てた長槍を軸に、翼竜が肉薄する一瞬に見事に動きを合わせて回し蹴りを叩き込んだのだ。


「フィリス、さっさと息の根を止めてやれ」


「はい。兄さん」


 男――兄のガレスに言われて、妹のフィリスはゆっくりと倒れ伏した翼竜へと歩み寄る。

 翼竜は、ガレスの蹴りと岩肌に叩きつけられた衝撃で体が痺れてしまったのか、立ち上がることが出来ない。

 そんな翼竜に、フィリスは収納魔法で取り出した巨大な斧を容赦なく叩きつけた。一切の迷いなく振り下ろされた斧により、翼竜はその場で絶命したのだった。


「素材を回収したいトコだが、そんなことも言ってられねぇな。さっさと先へ進むぞ」


「はい。予想以上に竜種の数が多いです」


「夜までに進める所まで進むぞ。フィリス、姉ちゃんの状態はどうだ?」


 ガレスが周囲の警戒を行う中、フィリスは岩陰に隠れるようにして体を休める女性の様子を確認する。


「ローゼさん。もう少し頑張れますか?」


 今三人がいる場所は、比較的開けた場所のため見通しが良く、竜種からも発見されやすい。

 狂暴化しているとは言え、夜闇の中での竜種との戦闘は極力避けたいとガレスとフィリスは考えていた。


「……勿論だよ。進もう」


「……はい」


 時折胸を押さえて苦しそうな表情を見せるローゼ。

 そんな彼女の体を支えつつ、二人は先を進むことにした。

 狂暴性の増した竜種は、獲物の動きに敏感に反応する。知性が欠けたこともあり、獲物と認識した物に対して躊躇いなく向かってくるため、その面では厄介とも言える。


「ちょっと兄さん! あまり変な所は触らないでくださいよ!?」


「はぁっ!? んなこと分かってるよ! ってか触らねーよ!」


 あの"絶"級冒険者なのだからと、もっと逞しく鬼人のような容姿を想像していたが、実際にこうして会ってみると……戦乙女はその呼び名の通り、誰がどう見ても麗しき美女であり乙女だった。

 体は女性特有の丸い線。出る所はしっかりと出て、引き締まるべき所はキュッと細い。そんな全身は、美しい彼女の魅力を何倍にも押し上げているようだ。

 触れた肌は、他の女性と変わらず柔らかい。自分と何ら変わることのない女性だということに、フィリスは少しばかり驚いたのだった。


「私のことは気にしないでいいから……」


 少し照れながら、弱々しい声で戦乙女が答えた。


「いや触らねーよ!」


 大人ひとりの体重を支えるのは少し辛いが、若い女性の体。積極的にフィリスがローゼの体重を支えて、兄のガレスが補助に回る形で少しづつ三人は歩いていく。

 周囲の気配に細心の注意を払いながら、時に足を止めて身を隠しながら安全な場所を目指していく。


 そうして、いくらか進んだ所でガレスが口を開いた。


「で? あの不気味な黒い竜種は、お前さんが勝てない程の相手だったってことか?」


「……」


 兄のガレスからの質問だったが、フィリスも気になっていたことだ。

 状況から考えて、戦乙女が空を飛んでいたあの不気味な黒い竜種と戦っていたことは明白。本人の反応を見ても間違いのないことだろう。否定の言葉も無ければ、特に隠している訳でもなく、認めたと判断して良い。

 しかし問題はソコではない。戦乙女の今の状態を見れば、誰もが思う――戦乙女は負けたのだと。

 アレは、"絶"級最強と言われている冒険者が勝てない竜種なのかどうか、ガレスもフィリスもその点だけはハッキリとさせておきたかったのだ。


 戦乙女――ローゼは、瞳を一瞬地面に落としたかと思えば、苦笑いと共に口を開いた。


「勝てない相手……か」


 重たい体を支えられ、ゆっくりと足を運びながら続きを口にする。


「ううん。勝てない相手じゃないよ。今回は負けちゃったけど、勝てない相手じゃない。少し休ませてもらえれば、次は絶対に討伐して見せ――」


 ローゼが言葉を最後まで言い切る前に、突然口元を手で押さえた。


「ッ! ――ゲボッ! ゴホッ、ゴホッ!?」


「!? ローゼさん!?」


 突然、辛そうに咳込んでしまう。

 口元を押さえた指の隙間から僅かに血が滲んでいるのが見えた。


「兄さん、早く休める所へ」


「あぁ。仕方がねぇな」


 本当なら、完全に暗くなる前にもう少し進んでおきたい所だったが、ローゼの身体を案じて断念することにした。

 近くにあった岩場の陰に身を隠し、今夜はこの場所で過ごすことに決めた。

 幸いにも岩と背の高い木が、上手い具合に三人の姿を隠してくれているようで、ココなら下手なことさえしなければ竜種に見つかることも無さそうだった。


「暫くは俺が見張っておく。フィリス、戦乙女の姉ちゃんを診てやれ」


「はい」


 周囲から死角になっているとは言え、絶対に安全とは言えない。

 兄のガレスが周囲の警戒のために、見張りを引き受けた。

 ガレスの足音が少しだけ遠ざかった所で、フィリスはローゼをその場に寝かせる。

 自身が羽織っていたローブを折りたたみ、頭が辛くならないように枕代わりに使用した。


「ゲホッ! ご、ごめんね……みっともない所見せちゃってるね……」


「いえ……」


 ローゼの綺麗な髪が地面に広がり、汚れてしまうのが心苦しく感じるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 フィリスは、何かを決心したかのように声を出す。


「失礼します」


 一言そう断ってからローゼの胸へと手を伸ばす。


「……!」


 服の上からでも分かる豊かな胸の感触と、心臓の鼓動が伝わってくる。


「たしかに魔力欠乏の症状ではありましたが、おかしいと思ったんです」


 魔力欠乏は、至ったその瞬間こそが苦痛のピークであり、暫くすれば少しずつではあるが症状は和らいでいく筈。

 ところがローゼにその傾向は見られない。と言うよりも、少しずつ悪化しているようにさえ見えてしまう。

 そして、ココまでの道中で見せた胸を苦しそうに押さえる仕草から、何か変だと感じていた。


「…………」


 フィリスの手には、胸の感触とはまた違う異物感があった。そしてなにより――常識では考えられない程の心臓の鼓動の早さだ。


「拝見しても?」


 フィリスの問いに、ローゼは苦笑いを浮かべながら頷いた。

 フィリスは、ローゼの上着を少しだけ脱がし、胸元のあたりをはだけさせた。


「なっ……こ、これは」


 ソコにあったのは、まるでローゼの肉体に寄生しているかのような蕾だ。

 左の胸を覆うように浮かびあがり、脈打っているように見えた。そして、ローゼの心臓はその蕾に養分を与えているために忙しく鼓動しているようにさえ感じる。あまりにも不気味……だというのに、蕾は眩しい赤色の光を放ち、とてつもなく美しい。


「ほ、本当はね……私の魔力を吸って育つ蕾なんだけど、魔力が足りないと血を吸い始めるんだって」


「つまり、魔力欠乏に陥ったせいで……今はローゼさんの血を吸っているということですか?」


 魔力欠乏でありながら、更に血まで吸われている状態という訳だ。それならば、今のローゼのこの状況にも納得と言える。


「これは、取り除けないのですか?」


 人間に寄生する類の状態異常は他にも存在する。

 それこそ、この蕾と同じように魔力を吸う物もだ。

 勿論、治療薬は存在する。"絶"級冒険者のローゼが知らない筈もない。


「『血晶華』って言うらしいよ、コレ」


 フィリスは、狩人として生きていくために必要な知識は手に入れてきた。

 状態異常や呪いの類の物も、並の狩人や冒険者よりかは詳しい自信がある。

 そんなフィリスでさえ、目の前のローゼの身体に宿る物については見たことがない物だ。だが、『血晶華』という名前を聞いて、ピンと来る物はあった。


「『血晶華』……吸血鬼が育て、愛でるとされる華。愛する者の血を養分に育てて、最後は自らの力の糧にすると言われている伝説の、いえ……呪いの華ですか」


 もし、コレが本当に『血晶華』だと言うのなら、この世に存在する吸血鬼という種族に分類する魔物はただ一人。

 吸血姫――ルシエラによって施された呪いということになる。

 魔神種の呪い。

 とても治療薬などでは治せそうにない。


「貴女は、そのような状態であの竜種と戦っていた訳ですか」


 なんともまぁ無茶をするものだ。

 この姉にしてあの弟だなと、少しだけ呆れながら、はだけさせてしまったローゼの上着を直す。


「とにかく今は休んでください。また元気になったら、詳しい話を聞かせてください」


「うん。ありがと」


 額に滲む汗を拭き取ると、少しは楽になったのかローゼは目を閉じた。

 ローゼが眠ったことを確認したフィリスも、傍らで少し休む。兄のガレスと交代で周囲を警戒し、朝を待つことにしたのだ。


 ◇◇◇


 日の出と共に三人は再び行動を再開することにした。

 一晩休んだにもかかわらず、ローゼの体調は相変わらず良くなっていない。

 少しでも早く『血晶華』について詳しい知識を持っている人物に診てもらうしかないだろう。魔物や魔獣についての知識が豊富なのは冒険者であり、であれば現状は、イナリの冒険者ギルドの支部長である紅葉(もみじ)以外に思い当たる人物がいなかった。


 しかし、夜が明けてみると状況は一変していた。


「んだよ……こりゃぁ」

「……」


 魔境化だった。


 明らかに歪な雰囲気に包まれているトウロウ高地。

 魔境化独特の状況へと変貌してしまっていた。

 空気が重く、息苦しささえ感じる。そんな異常な雰囲気に、狩人の二人の足取りは重くなってしまう。

 しかし、変わってしまったことはソレだけでは無い。


「で、でも……アレだけあった竜種の気配がありません」


 トウロウ高地に数多く感じられた竜種の気配が、パッと消え失せてしまっていた。


「あ、あぁ……何がどうなってんだ」

「と、とにかく進むしかありません。竜種の気配がなくなったのなら、今のうちに進むべきです」


 結局のところ進むしかない。

 魔境化がいつまで続くのか分からない以上、この場に留まり続けることは出来なかった。


 身を隠していた岩陰から、三人は一歩を踏み出す。

 魔境へと足を踏み入れたのだ。


「ま、待って……二人とも」


 力無く発せられたローゼの声が聞こえた時には既に、遅かった。


「$#####$%%$#$$@!!!!!!!」


「「ッ!?」」


 バキバキバキィ――と。

 周囲の木々を薙ぎ倒しながら、耳を突き破りそうな咆哮と共にどこからやって来たのか――三人の目の前に巨大な黒い物体が姿を現す。


 昨日、遠目に空を飛んでいるのを見た二人だが、目の前に現れた生物は更に一回り大きく感じてしまう。

 こんな巨大な存在が近くに存在していたことにどうして気が付かなかったのか。

 フィリスはともかく、兄のガレスは危険察知能力が人一倍高い。にもかかわらず、こうまで接近されるまで気付かなかったのは――この『魔境化』が原因だと、二人はようやく気付いた。

『魔境化』は、人間の感覚を狂わせる。

 そして、魔物や魔獣の感覚は鋭くなる。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


 フィリスは、心臓が握り潰されそうな感覚に襲われる。意図せず呼吸が早くなり、立ち眩みにも似た目の前が真っ暗になったかのような感覚。

 原因は魔境化ではなく、目の前に現れた異常な竜種。

 ギョロリとこちらを見つめる八つの瞳と、押し潰されてしまいそうな程に巨大な四つの翼を持つ竜だ。


「ここ、こんなの……」


 無理。死ぬ。


 命を諦めざるを得ないような絶望感。


 これまで見てきたどの魔物や魔獣とも違う存在。


 フィリスは、自分の身体を支えて立つことが難しくなってしまった。

 膝から、その場で崩れ落ちてしまいそうになるが――


「フィリス!! 走れ!!」


「ッ!」


 兄の激昂により、何とか踏みとどまる。

 そして考えるよりも早く身体が反応し、足を動かしていた。


 逃げないと死ぬ。


 それがたったひとつの事実だった。


 兄のガレスは、どこからともなく取り出した小瓶を八つ目の竜種に向かって二つ投げつける。


 ――パリィン! と二回、瓶が割れた音が聞こえると、中に封じられていた物が放たれる。

 ボウッと勢いよく、青い炎が辺りを埋め尽くす。

 狐火を封じた『蒼炎瓶』だ。試供品としてイナリの冒険者組合から貰っていた物。

 狩人である彼等が、冒険者組合から魔道具(アイテム)の試供品を提供されたのは、戦乙女の弟である冒険者との縁あってのことだった。

 結果は、冒険者組合のお墨付きではあるが……この竜種に通用するかどうかは全くもって分からない。

 せめて、目眩ましにでもなれば。

 そんな希望を抱いて投げつけただけに過ぎなかった。


「フィリス! 先に行け! 後で追い付く!」


 狐火である青い炎はどうやら目眩まし以上の働きをしてくれているようだ。

 八つ目の竜種に負傷(ダメージ)を与えるまでは至っていないが、高く延びた炎が動きを鈍らせていた。

 そのことを確認したガレスは、持っていたもう一つの蒼炎瓶を取り出して、フィリスに声を飛ばす。


「ローゼさん、しっかり掴まってください」


「わ、私は大丈夫だから……置いていって」


「……」


 フィリスは、ローゼの言葉を無視して体を背負う。


「勘違いしないで下さい」


 ローゼを背負った所で、ようやく言葉を返す。


「貴女を助けるのは、貴女のためではありません。コレは私達のためにやっていることです」


 そう言った所で、走り出す。

 女性とは言え、大人を一人背負っていてはあまり速度は出ない。体力面と今の状況を考えれば、話をしている余裕など無いが、それでも言っておかなければいけないような気がした。


「私達は狩人です。私達は、私達のためにしか危険は犯しません」


 ソレだけ言った後は、ただ前を見つめて走る。

 後ろでは、今もまだ燃え続ける青い炎の音と、八つ目の竜種と思える咆哮が耳に届いてくる。

 少しでも集中を欠けば、また魔境化の雰囲気に呑まれそうになる。そうならないためにもフィリスは、ただトウロウ高地から逃げ延びることだけを考える。


「フィリス!」


 そこでようやく、兄のガレスが追いついてくる。


「兄さん! あの竜種は」


「すぐ追ってくる! とにかく走れ! 林の中を行くぞ!」


 少しでも自分達の姿を隠すため、見通しの悪い道を選ぶ。


 チラリとフィリスが背後を確認すると、兄の言う通り八つ目の竜種が追ってきているのが見えた。

 どうやら、狐火を振り払って追ってきているようだが、八つ目の竜種の大きな翼には未だに青い炎が纏わりついていた。

 そのおかげか、八つ目の竜種の動きは若干鈍くなっているように見えた。

 しかし、このままではその内追いつかれてしまうのは明白だ。


「兄さん、ローゼさんを」

「あぁ」


 フィリスは、ローゼを兄へ渡す。

 身体の小さい自分が背負うより、兄が背負ったほうが良い。という理由も勿論あるが、本当の理由は別にある。


「あ? おい、フィリス!?」


「兄さんはローゼさんを連れて先に!」


「あぁ!? 馬鹿言ってんじゃねぇ、ありゃ無理だ! わかってんだろ!?」


「分かってます! このままでは追いつかれて全滅です!」


「ぐっ――」


 ガレスは何も言い返せない。

 フィリスの言う通り、このままだと確実に三人とも逃げ切れずに全滅してしまう。


「大丈夫です」


 八つ目の竜種を睨みつけながら右手を伸ばした先に浮かび上がる大きな収納魔法陣。

 ゆっくりと巨大な斧が取り出され、ズシンと地面に突き立てられた。


「一撃食らわせて、私もすぐに追いつきますよ」


 兄のガレスの頭の片隅にあった、可能性。

 逃げ延びられる可能性があるとすればやはり、フィリスの圧倒的な攻撃力に頼るしかなかい。

 分かってはいたことではある。しかし、妹を大切に思う気持ちが、その可能性を無視してしまっていたのだ。


「後でぜっったいに追いついてこい! いいな!? 絶対だぞ!」


 兄の言葉を背中に聴きながら、足音が遠ざかっていくのが分かった。

 コチラに向かってくる八つ目の竜種にしっかりと視線を固定し、大きく息を吐く。


 足を開き、踏ん張る。

 大斧をしっかりと両手で握り、構えた。


「大丈夫」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「――私はもう」


「――#$$%%%##$@@!!!!」


 八つ目の竜種から、叫び声と共に咆哮(ブレス)が放たれる。

 咆哮による轟音に掻き消されながらも――


「『幻竜王(バハムート)』を自在に操れる!!」


 負けずと叫び、勢い良く――幻竜王の大斧を振り抜いた。

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