#143 《氷雪姫の任務》
上質な鉱石を素材として用いて造られた広い机。どの角度から見ても表面に僅かな光沢が見られるのは、この机が職人によって加工された物なのだと分かる。
広い机には、大量の書面が丁寧に並べられている。
その机に腰掛けていた女性が、手近な一枚を手にとって視線を走らせる。
「変わらず各地で竜種の異常行動は見られつつも、やはりコレといった決定的な情報はありませんね」
冒険者や王国騎士団からの情報がまとめられた報告書を見ながらそう話す。
そして白金色の髪を耳にかけ直しながら、傍らに立つ女性へと視線の向きを変えた。
「はい。どの場所の竜種も、狂暴化した竜種の共食いが発生し、中には上位種も存在していますが……それだけです」
姿勢を崩さず、そう答えた。
彼女の言葉に、やはりと言ったようにため息をこぼす白金色の髪の女性は――グライシャ・エーデルヴァイス。このグランゼリア王国第一王女だ。
上位の冒険者と王国騎士に、各地で発生している竜種の異常行動の調査を自ら依頼し、進捗が芳しくないことに頭を悩ませる。
「コレでほぼ全ての場所の報告書が出揃いましたか……あとは」
「イナリ方面――アラシ山とトウロウ高地での調査報告書が、まだ届いていません」
グライシャの言葉に続けて話す。
彼女こそ、王国騎士において全権を担う総団長。クレア――イクシードである。そして、今回の竜種の調査任務においても総指揮を任されている。
各地の調査に向かった冒険者と王国騎士から続々と報告書が送られてくる中で、未だイナリ方面の報告書が届いていない。
「イナリ方面……トウロウ高地を越えた先にあるアラシ山の上空に謎の黒い竜種の目撃情報が、最近になって挙がってきております」
イナリ方面の報告書がまだ届いていない理由として、その謎の黒い竜種が関係しているのではないかとクレアは考える。
冒険者と王国騎士達の担当する地区を決めた時点では無かった情報だ。ローゼの我儘を聞き入れて、彼女の担当する地区をイナリへと変更することになったが、結果的には正解だったようだ。
「黒い竜種の調査に、少し時間がかかってしまっているのかも知れません。ですが問題はないでしょう」
何故なら、イナリの調査を行っているのがあの戦乙女――ローゼ・アライオンなのだから。
寧ろ、今日か明日にでも、なんてことない顔して『調査終わったよ! 狂暴化していた竜種は全部討伐しといたから! 報告書なんていらないでしょ?』とかなんとか言いながら帰ってきそうでもある。
さぞロンデルは、ローゼのマイペースっぷりに振り回されているのだろうと、共にイナリに向かった部下のことは少しだけ心配になる。
「あら? どうかしたのクレア? 顔が少しニヤけているわよ?」
「っ!? 失礼しました……」
思わず顔に出てしまっていたようで、グライシャ王女にからかわれてしまう。
「どうやら、クレアはあの、ローゼという方を凄く信頼しているのですね」
「はい。性格は少し厄介な所がありますが、彼女の実力は間違いなく大陸一でしょう」
「そうですか。貴女がそこまで信頼する御方が私の依頼を引き受けて下さって、本当に頼もしい限りですね」
グライシャ王女が、その宝石のような瞳を細めて微笑む。
白金色の滑らかな髪と相まって、まるで天使がソコに座っているのかと錯覚してしまいそうだ。
「ところで……」
しかし時折、グライシャ王女の表情に陰が落ちる時がある。いや、実際には違う。変わらず、グライシャ王女の表情は美しく綺麗な物だが、まるで獣が獲物を見つけた時のような……不気味な雰囲気を放つ時がある。
そして今も一瞬、そんな怪しい気配を放ってしまっている。だが、グライシャ王女が次の言葉を続けた時には、いつもの美しい声と表情に戻っている。
「そのローゼさんには、愛する家族がいらっしゃるそうですね? 弟さん……でしたか? 同じく冒険者をやっているとか」
クレアは、王国騎士となってすぐに、その実力をグライシャ王女に認められた。そして王女の側近という名誉ある立場を賜り、王国騎士団総団長という地位に就きながらも、彼女の傍らで仕え続けて来た。
だからこそ知っている、グライシャ王女は、欲しいと望んた物は必ず手に入れないと気が済まない御方なのだと。自分が、そうされたように。
グライシャ王女は、誰もが羨む美貌を持ちながら、底知れぬ欲を持っている。
「シファ・アライオンですね。初級冒険者です。近く、中級昇格試験がありますのでもしかしたら、この王都を訪れるかも知れません」
「あら、そうですか。ソレは是非とも一度お会いしてみたいものです」
クレアはジッとグライシャ王女の表情を盗み見る。
いつものように、太陽のような笑顔がソコにはあった。
「お望みなら、コチラで手配しておきます」
「そうね。お願いしようかしら」
などと、戦乙女ローゼとその弟の話で少し盛り上がってしまっていた時だった。ふいに、部屋の外でドタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。
自然と、グライシャ王女とクレアの意識は部屋のドアへと向けられた。
――コン、コン、コン。
慌ただしい気配はやはり二人を訪ねて来た物らしく、部屋のドアが叩かれた。
「く、クレア様! 騎士団第二所属、ケーリヤです」
グライシャ王女は、クレアへ向けて静かに頷いて見せた。
「入りなさい」
主の許可を確認してから、部屋へと招き入れる。
ガチャリ! と少しだけ慌ただしくドアが開かれた。
「失礼します!」
「グライシャ王女もおられるというのに慌ただしいわね。何の用?」
「も、申し訳ありません殿下! 火急の要件のためどうか御容赦を!」
そう言いながら、部屋を訪れた王国騎士ケーリヤはその場で跪く。
「私のことは気にしないで。それより、クレアに用があったのでしょう? さぁ、どうぞ?」
グライシャ王女の言葉を聞いて、王国騎士ケーリヤは立ち上がる。
そして徐に、何かを慎重に取り出した。
「クレア様……王城前にてコレが……」
そう言いながら差し出された両手の上には、僅かな輝きを残した氷で形作られた鳥が置かれている。
ただ、片方の翼の半分程が失われてしまっていた。
「なっ!?」
思わず、驚きの声が上がる。
王国騎士が差し出してきた物は、間違いなく――氷雪姫の羽。
クレアは、魔力を込めて創り出した氷雪姫の宝石を今回の竜種調査に向かった全ての王国騎士に持たせている。ソレを利用することで、本人の魔力量や技量によって多少の個人差はあれクレアの魔法の一部を使用することが出来る。
使うも使わないも本人達の意思に任せてはいるが、間違いなく助けになる物に違いはない。
そしてこの氷雪姫の羽は、緊急時など予測不可能な事態に陥ってしまった場合に、宝石を鳥へと変化させて主であるクレアへと返し、非常事態を知らせる為の万が一の形態だ。
ソレが今、クレアの目の前にやって来ている。
ところどころ傷んでしまった鳥の姿を察するに、ここまで飛び立って来る過程で魔物や魔獣に襲われてしまったのだろう。
「この羽はどこから……」
王国騎士の手から、鳥を受け取る。
「ソチラには、イナリへと向かった騎士ロンデルの魔力が込められています」
「ッ!!」
騎士の言葉と同時に、氷雪姫の羽からロンデルの魔力が流れ込み、ロンデルが見た物の情報が共有された。
トウロウ高地。謎の黒い竜種。そしてその黒い竜種を捕食した八つ目の竜種。魔境化。
ローゼが応援を要請し、ロンデルを逃がすため一人で八つ目の竜種と戦っていること。
(あの竜種はいったい。いや、それよりも……あのロゼが応援を要請したっていうの!?)
氷雪姫の羽から流れ込んだ情報に間違いはない。しかし、納得出来ない点もある。
"絶"級冒険者、戦乙女ローゼの焦りようだ。
彼女なら、たとえ魔神種が相手だとしても上手く立ち回って見せるだろう。それだけ、絶級最強と言われる戦乙女の実力は高い。
(いや、今はそんなこと考えている時では無いわね。事実、あのロゼが応援を求めているのだから)
戦乙女ですら対処が難しい、予想外な事態に直面してしまったと考えた。
「たしか、レイナは今王都に戻って来ていたわね。すぐに呼んでちょうだい。あとは――」
そこまで言った所で口が止まる。
現在、クレアが動かせる人材の中から、ローゼの応援へ向かわせる者を思い浮かべる。
今回の調査任務の指揮をクレアが執っているため、参加している冒険者も動かすことも出来るが、いち早くイナリへと駆けつけることが可能かつ、ローゼの助けになる程の実力者でなければならない。そうなると、適任となる者は限りなく少ない。いや、というよりも――
(いったい、誰を向かわせれば……)
ローゼが助けを求めているだけでも異常事態なのだ。
そんな場所に向かわせて、ローゼを助けることが出来る者など、少なくとも今すぐ動かせる者の中にはいない。
「ッ……」
誰の名を出すことも出来ずに歯噛みする。
「――クレア」
そんなクレアの葛藤を知ってか知らずか、黙って話を聞いていたグライシャ王女が口を開いた。
「クレア。貴女が行けば良いでしょう?」
「は? いや、しかし私は……」
「察するに、あの戦乙女ローゼさんが助けを求めている様子。何があったのかは分からないですが、ローゼさんが苦戦するほどの場所に向かわせられる者など……そう多くない。あなたはそう思っているのでしょう?」
柔らかな微笑みをクレアへと向けるグライシャ王女。しかし、宝石のような赤い瞳は、クレアの心を見透かしているかのように妖しく光る。
「私が思うに、今ローゼさんを助けることが出来るのはあなたしかいないと思うのだけれど」
「私は、王都を離れる訳にはいきません」
王国騎士団総団長として、王女の側近として、クレアにはグライシャ王女の護衛と王都の守護と言う大切な任務がある。そのため、いつ何時も王都を離れる訳にはいかない。それこそまさに、王命でもない限りは。
「相変わらず固い頭をしているわね。少しの間くらい大丈夫よ」
「しかし……」
「だったら、出来るだけ早く帰ってきてくださいな。その間は、レイナさんに付いていてもらいます」
更に、グライシャ王女は続ける。
柔らかな微笑みを消し、鋭い眼差しでクレアを射抜きながら話す。
「これは命令ですよ? クレア。ロンデルの救援に応え、すぐにトウロウ高地へと向かいなさい。そしてローゼさんを手助けなさい」
一瞬、ハッとした表情を浮かべたクレアだが、すぐにその場で跪く。
「グライシャ第一王女の命に、従います」
クレアにとって、グライシャ王女の言葉は絶対だ。
ソレを理解した上でのグライシャ王女の命令だった。
『余計なことなど考えずに、大切な友人を手伝えに行け』
王女に、そう言われているような気がした。
「心より感謝いたします」
グライシャ王女が微笑みながら頷いたことを確認してクレアは立ち上がり、部屋を後にした。
氷雪姫の羽を持ってきた騎士ケーリヤも、クレアの後に続いた。
掃除の行き届いた王城の廊下を歩きながら、クレアは親友でもあるローゼの顔を思い浮かべる。
(ロゼ。いったいどうしたと言うの? あなたが助けを求めるなんて……)
「私はすぐに出るわ。レイナにはグライシャ様の護衛につくように伝えてちょうだい。それから――」
自分が不在になった後のことをレイナ任せるため、引き継ぐべきことを傍らを歩く騎士ケーリヤに伝えた。
「はっ!」
騎士ケーリヤの返事を背後に聞きながら、クレアはひとり先へと歩いていった。




