#141 《戦乙女の竜種調査 伍》
(息が……苦しい。これは……魔境化?)
黒い竜種がゆっくりと近付いてくる。怪しく光る八つの目が、岩陰に隠れているローゼを見透かしているようで不気味だ。
黒い竜種が迫って来たせいで、次第に周囲の空気が重くのしかかって来るかのようにまとわりつく。
この竜種が周囲へ放っている魔力は、付近一帯を魔境へと変えていた。
そして魔境化という現象は、ローゼの持つ血晶華の呪いの力を強くする。
(く、苦しい……ロンデルは――)
熱くなる胸を押さえながら、近くの岩陰に自分と同じように身を隠すロンデルの姿を確認する。
「ッッッッッ………」
異常な気配を放つ竜種と、魔境と化してしまったこの場の空気に圧されてしまったのか、ロンデルは自らの体を抱きしめ蹲り、ガタガタと震えてしまっていた。
(ロンデル……)
完全に周りが見えなくなってしまっている。自分が今何をすべきなのかも、ローゼが何を言ったとしても耳には入らないだろう。
だが、ロンデルを責めることは出来ない。それ程までに、この竜種は異常なのだ。
かつて存在した幻竜王とはまた違う存在感が、この竜種にはある。
次第に、異質な竜種の気配が近くなる。
岩の陰に隠れる形でなんとか身を潜めているが、これ以上接近されるとローゼ達が発見されてしまうのは明白だ。
「……っ」
ローゼは思考を巡らせる。
トウロウ高知の調査はまだ終わっていないが、この竜種は明らかに危険。竜種の狂暴化という現象にも関係しているのは明白に思えた。
(この竜種はコイツだけなの? 他の場所は?)
考えてしまうことはあまりにも多い。
狂暴化した竜種の目撃情報はこの場所に限った話でもなく、他の場所の状況は分からない。
ただひとつ分かっているのは、この竜種と出会ってしまった以上トウロウ高地の危険度は上がってしまったと言える。
ローゼとしては、こんな異常な竜種はこの一体だけだと思いたい所だ。
そして、この竜種を討伐出来る見込みがないなら、せめて情報だけでもクレアへ知らせる必要があった。つまり、全滅だけはあってはならない。
ローゼは魔力薬を取り出し、一気に飲み干す。
(お願い……なんとか耐えてよね私の魔力!)
そして勢いよく岩の陰から飛び出し、竜種の目の前へと立ち塞がる。
歪な八つの目がギョロリとローゼを捉える。
禍々しく、不気味。そして巨大な翼を目の前で広げられると、黒い表皮と相まって目の前が真っ暗になったように錯覚するほどだ。
これまで数々の強敵を打倒して来たローゼが、ヒヤリと悪寒を感じてしまう。決して、血晶華の呪のせいで全力を出せないという現状に不安を感じているという理由だけではない。
ロンデルと協力して、なんとか二人でこの場から撤退をと考えていたが、その考えはすぐさま捨て去った。
「ロンデルッ!!」
すぐソコの岩陰に隠れ、体を震わせているロンデルの名を呼ぶ。
距離から考えて確実に声は届いた筈だが、やはりロンデルの耳には入っていないようだ。ガタガタと震えてしまっている。
「ロンデルッッ!! しっかりしろ!!」
「ッ!?」
これでもかと声を大きくして叫んだ。
すると、ようやくローゼの声が聞こえたのか、ハッと顔を上げる。
ロンデルの存在がこの竜種に知られる結果となってしまったが、あのままの状態にしておくことの方が問題のため仕方がない。
「ロンデル! 貴方はクレアに応援を要請して、イナリの冒険者組合に今日のことを報告しに帰って!」
「なっ!?」
王国騎士のロンデルにとって、ローゼの言葉はとても受け入れ難い物だ。
「ば、馬鹿なっ! こ、こんな危険な竜種を前に、私だけ逃げろと言うのか! 有り得んっ!」
声を荒げ、必死に強がっているが、ロンデルの足腰は既にこの場から離れたいと訴えている。
そんな姿を見て、ローゼは少しだけロンデルのことを見直した。
「ちゃんと今の状況を考えて。私がコイツの相手をしている内に、貴方はイナリまで撤退するの」
「ぐっ……し、しかし――ッ!?」
ソコでようやく、ロンデルは目の前の竜種の姿をまじまじと視界に収める。
あまりにも巨大で、不気味。周囲の景色が少し歪んで見えるのは、この竜種の体から漏れ出た魔力の影響であり、魔境と化した場所などでよく見られる現象だ。
「この竜種は危険だっ! いくら"絶"級の冒険者だからと言っても、一人で相手をするべきではない!」
そんな時だった。
ロンデルの声に反応してなのか、八つ目の竜種がその長く太い尾を横薙ぎに振り払う。
途中に存在した、たった今までロンデルが身を隠していた岩を砕きながら、二人へと迫る。
咄嗟に、ローゼが身を投げ出す。
ロンデルと話しながらも、竜種への警戒を怠らなかった結果が幸いした。普段よりも数段劣る超速収納だが、なんとか間に合った。
ロンデルを庇う形で、竜種が叩き付けるようにして放った尾を大剣で受け止めた。
「――グッ!!」
大剣を隔てているにもかかわらず、大きな衝撃がローゼの体を襲った。一瞬、フラリと体勢を崩してしまうがなんとか踏みとどまる。
「早く行って! コイツは討伐出来ないし、私達を逃がすつもりもない! わかるでしょっ!?」
「ば、馬鹿な……こんなことが」
へなへなと、頼りない足取りでロンデルは少しずつ後ずさる。
ロンデル自身、ローゼの言うことが事実だと理解しているが、王国騎士団の部隊長という立場とプライドが邪魔をして動くことができない。
「別に気にしないで良いよ。私だって隙を見つけて逃げるんだから。それに――」
二人の問答などお構いなしに、八つ目の竜種が再び巨大な尾を横薙ぎに振り払ってくる。
ローゼはそれを大剣で勢いよく弾き返す。
尾と大剣がぶつかり合う音と共に、周囲に衝撃波が迸る。
「――ッ! 私のこと舐めてない? これでも"絶"級最強って言われてるんだよね」
八つ目の竜種への警戒は怠らないまま、視線だけをロンデルへと送る。
相手が得体の知れない怪物だとしても、自分一人残されたとしても、お前に心配される程弱くないと、そう示した。
「……っ」
冒険者は、魔物や魔獣に対しての戦闘経験や知識が豊富だ。そんな冒険者の頂点に君臨するのが"絶"級の冒険者なのだと、ロンデルは改めて思い出す。
「……分かった。貴様の言葉に従おう」
まだ何か言いたそうな素振りを見せたが、結局なにも言わずに背中を向けた。
「気をつけろ」
それだけ言い残し、ロンデルは走り去っていった。
「……ふぅ」
改めて、目の前の竜種に向き直る。
「……」
どの竜種よりも巨大な体つきだ。大きく広げた四つの翼が、存在感をより大きくしてしまっている。
そして極めつけは、この妖しく光る八つの瞳だ。
全ての竜種の特徴はローゼの頭の中に入っているが、どれだけ過去の記憶を呼び起こしても、こんな特徴を持つ竜種は出てこない。
とりあえずは、この竜種は新たな種と決め付ける他なかった。
可能ならば、今この場で討伐しておきたい。というのがローゼの本音だが、現状においてソレは不可能だと断言することが出来た。
(腕が……)
先のこの竜種の攻撃を大剣で受けた時の衝撃が、未だローゼの腕に残ってしまっている。
たったこれだけのことでも、今の自分が置かれている状況が理解できてしまう。
(とにかく、コイツの情報を出来るだけ持ち帰ろう)
魔境化という現象を僅かでも引き起こしてしまっているこの竜種は、少なくとも危険指定レベルは25に迫る程だと分かる。
ならば、"絶"級冒険者を含んだ編成で討伐に挑む必要がある。その際に、少しでもこの竜種の情報が有るか無いかで、討伐の難易度は大きく変わってくる。
「#####Χ#Χ#Χ##ΧΧΧ#Χ」
竜種がコチラを睨みつけ威嚇してくる中で、ローゼは自分の仕事を全うすることに決めた。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、心を落ち着かせて呟く。
「『精霊を導く大いなる風神――シヴァよ、我が左手に加護の剣を』」
先の竜種の攻撃を大剣で無理して弾いたことで、竜種がローゼを警戒している。
もう二度と無いかも知れないこの隙に、簡単な詠唱と共に収納魔法を使用する。
呪いによって魔力が制限されてしまっている現状で、最適解と思える剣を取り出した。収納魔法陣から僅かな風が吹き出て、ローゼの左手に集まるようにして形づくられていく。
やがて集まった風は、剣を形成した。
澄んだ空のような青色を基調として、随所にキメ細かな装飾が施されたやや小振りな片手剣。持ち手には、色鮮やかなタッセルがゆらゆらと風に揺れている。
そして右手には、腰に差していた白石桜の長剣を握りしめた。
左手に握った片手剣から生み出される心地良い風が、ローゼを包み込み、右手に持った長剣には鋭い風が纏った。
短い詠唱によって取り出した片手剣ではあったが、それでも多量の魔力を消費したことで疲労感に襲われる。しかしソレ以上の恩恵をこの片手剣はもたらしてくれる。
竜種はまだ動かない。
不気味な八つの目で、ローゼを睨みつけているだけだ。
(様子見のつもり? だったら――)
「ッ!!」
先手必勝。
体を包む風が勢いを強くすると共に、ローゼは地面を蹴る。そして足先に風が集まり、何も無いはずの空中を再び蹴りながら進む。
瞬く間に距離を詰めたローゼは、竜種の眼前へと迫った。
「――ッ!」
敵が目の前に迫って来たと言うのに、八つ目の竜種は動かない。
不気味に思ったローゼは、左手に握った片手剣の力を利用し空中で動きを変える。
風神の風は、ローゼの動きに新たな力を加えた。
八つ目の竜種の目の前に迫っていたローゼだが、風の力を借り、勢いをそのままに背後へと回り込んだ。
(これならっ!!)
狙いを定めたのはガラ空きの首だ。
八つの目の死角。
風神の風を利用した予測のつかない動きで背後へと回り込んだ。およそ、この動きについて来れる者などいない。本調子ではないローゼの動きを、風神の加護が後押しする。
両手に握った長剣と片手剣を、力いっぱいに振り抜いた。
風神の風を纏った二つの剣撃。
討伐には至らなくとも、八つ目の竜種にある程度の傷を与えることが出来る筈。そう確信した。
――しかし。
「くっ!?」
ローゼの両手に伝わって来た感触は、相手に傷を負わせたと思える物ではなかった。
二本の剣は何かに激突して――止まってしまった。
そして同時に、ローゼの全身に感じる爆発的な風。
瞬時に理解した。
この風は、今まさに剣に纏わせていた風神の風なのだと。その風が、何かに激突したと共に弾け、剣に纏うだけの力を無くし霧散してしまったのだと。
「これは、魔力の障壁!? いや、そんな物じゃ……」
攻撃が、相手の魔力や魔法的な障壁を突破出来ずに直前で阻まれるということは稀にある。だが、今の現象はローゼにとって初めての経験だった。
風神の風を纏わせた剣による攻撃なら、この八つ目の竜種にも通用すると確信していた。
それが、避けられたという訳でもなく阻まれた。しかも、纏わせていた風が跡形もなく霧散してしまったのだ。
予想もしていなかった出来事に直面し、一瞬の判断が遅れた。
「――ッ!?」
背後から迫る巨大な尾に、寸前な所で気付くが間に合わない。
避けることは叶わず、咄嗟に両手の剣を交差させ受け止めようと試みた。
「ッグ――」
激しい音と共に、ローゼの全身を襲う衝撃。
たまらず、空中へと投げ出されてしまった。
意識が飛びそうな中でなんとか片手剣の加護を使用すると、風神の風がローゼを優しく包み込む。
風を纏い、風を足場とすることで地面への落下は免れた。
(ほんとになんなの? コイツ)
十分な距離を取り様子を見ると、八つ目の竜種は静かにその場に留まったままだ。
時折、コチラを威嚇するような声をあげてはいるが、動く気配はない。不気味に並ぶ八つの瞳がローゼをギョロリと睨みつけている。
(まるで、私のことを観察しているみたい……)
警戒しているのか、はたまた獲物を確実に仕留めるために観察しているのかはローゼにも分からなかった。
ただひとつ分かったことは、これ以上この竜種と戦闘を続けることは非常に危険ということだ。
血晶華の呪いによって、何もしなくても魔力を失い続ける現状での戦闘も、そろそろ限界に思えた。
(逃げるだけの魔力も残しておかないと駄目だもんね)
そう思いながら、最後の魔力薬を手に取った。
「――」
未だコチラを観察し続ける八つ目の竜種から、決して目を離した訳では無い。
あの竜種から安全な距離を保てるように、今だって警戒を続けていた。
だと言うのに、いつの間にか八つ目の竜種はローゼの目の前にまで迫っていた。
その巨体からは予想もつかない程の反応速度と俊敏性。おそらく、背中に生えたとてつもなく大きな四枚の翼が、ソレを可能にしているのだろう。
警戒は怠ってはいなかったが、十分な距離を保っていたことで僅かに油断してしまっていたことをローゼは後悔する。
既に八つ目の竜種は、今にもローゼを食いちぎろうと巨大な口腔を晒していた。
必死に身をよじる。
風神の風の助けもあり、なんとか回避することには成功するが――持っていた手からスルリと魔力薬がこぼれ落ちた。
「――ッ! このっ」
体勢を立て直しながら手を伸ばすが届かない。
魔力薬は真っ逆さまに落ちていく。
そんなローゼの状況などお構いなしに、八つ目の竜種は動く。
頭上へと飛び立ち、空中で留まったかと思えば大きな翼を目一杯に広げた。
「――これは」
するとローゼの全方位を囲む形で、無数の魔法陣が出現していた。
直感的にその場から離れることを選択したローゼだが、それよりも速く――魔法陣は光り出し、竜の咆哮にも似た魔力の塊が勢いよく飛び出した。
「くっ!」
すぐさま両手の剣を構える。
風神の風を剣と体に纏い、魔法陣から放たれた魔力の塊を弾く。
だが、周囲の無数に出現した魔法陣から放たれる魔力の塊もまた、いったいどれだけの数があるのかは分からない。
その全てを弾く。
「っ!!」
両手の剣を休みなく振るい、弾き続ける。
ひとつひとつの魔力の塊は重く、衝撃で腕の感覚がわからなくなりそうだった。
前後左右、背後と絶え間なくやって来る攻撃。必死に脱出する隙間を探すが、見つからない。
やがで、全ての攻撃を弾くことが難しくなり、体を動かし躱す。
(……っ!! このままじゃ本当にまずい。魔力が――)
超速収納ならまだしも、今の収納魔法ではこの数と速度の攻撃に対応することは不可能。
このままではすぐに魔力が尽きて、本当に終わってしまうと確信した。
未だ続く魔法陣からの砲撃を躱して、弾きながら、ローゼは覚悟を決める。
「っぐ!! このぉぉおおおっ! 調子に乗るなぁっ!!」
背後からの襲い来る魔力の塊を回避せず、敢えて受けた。
重い衝撃を背中に受けたかと思えば、焼けるような痛みが全身を襲った。
激痛に顔を歪めるが、しっかりと八つ目の竜種を視界に捉えていた。
続けて、前方の魔法陣から連続で放たれた魔力の塊を――一つ、二つ、三つ、四つ、五つと両手の剣で見事に弾いて見せた。
そして、その弾かれた魔力の塊は、真っ直ぐと八つ目の竜種めがけて進む。
結果、弾き返された魔力の塊は全て直撃し、激しい轟音が続けざまに空に響いた。八つ目の竜種は魔力の爆発にのまれる。
「はぁっ! はぁっ、はぁっ」
ローゼを取り囲むように出現していた魔法陣は、全て消失していた。
つまりは、一定のダメージを八つ目の竜種に与えることには成功し、ある程度動きを止めることが出来るだろうと考えられた。
だが、ローゼにもこれ以上戦闘を続ける力は残っていない。
攻撃を受けた背中の服は破れ、風に晒されるだけで肌を刺すような痛みが走る。
「と、とにかく……ここを離れないと」
ロンデルが逃げる時間は十分に稼いだと判断したローゼは、すぐに撤退を開始する。
魔力爆発により、八つ目の竜種の視界が塞がれている今の内に身を隠す必要があった。
幸い、まだ逃げるだけの魔力は残っていた。片手剣の風を纏い、空中を足場として跳躍する。
この片手剣の加護の風が無ければ、背中に受けた攻撃は致命傷になっていた可能性もある。ローゼは風神――シヴァに心の中で感謝の言葉を呟いた。
そんなローゼの背中を、凶暴な突風が襲う。
「ッ!?」
慌てて振り向く。
見てみると、八つ目の竜種がまた大きな翼を広げている。
ローゼが跳ね返した魔力の塊による爆発を、翼によって吹き飛ばしたのだと分かる。背中に受けた突風はその時の物だと。
更に注目すべきは、八つ目の竜種の口腔集まる魔力。
「ぶ、咆哮……」
大した負傷を受けていないという事実も驚異的だが、絶望的なのはローゼが振り向いた今、既に咆哮が放たれてしまったということだ。
「し……風神の風よっ!!」
左手に握る片手剣に呼びかける。
もう一度、更に協力な風の加護を得ようと。そんなローゼの願いに……風神は応える。
より一層、強力な風がローゼの身に宿る。魔力は限りなくゼロに近付く。
だが確実に、加護の力はローゼの身を護り、そして身体能力を飛躍的に上昇させる。
そんなローゼを、八つ目の竜種の不気味な瞳がギョロリと睨み付ける。
すると――バシュンと言ったような、風が霧散するような乾いた音が周囲に鳴り響く。
「え――?」
何が起こったのか?
一瞬、理解が出来なかった。だが、すぐに気付く。
全身が重く、ダルさが戻る。
「か、風が……」
身に纏っていた風神の加護の風が跡形も無く消えたのだ。
消えたのではない、掻き消された。
八つ目の竜種に睨みつけられた瞬間、消えてしまった。
身に纏う風と、足場としていた風が消えたことにより、ローゼは真っ逆さまに落ち始める。
同時に、目の前に迫る八つ目の竜種が放った咆哮。
足場を無くしたローゼに躱す術はない。
「……っ!」
受けるという選択肢しか残されていないローゼは、落下したまま両手の剣を構える。
迫り来る咆哮をまともに受ければ無事で済まないことは明白だが、無防備に受ける訳にもいかない。
咆哮が直撃すると同時に、目一杯両手の剣を振り抜く。
「んああ゛ぁぁっ!」
声にならない声が自然と飛び出ていた。
こんな声、いつぶりに出したのかと内心で苦笑してしまう。弟に聞かれていないのが不幸中の幸いだなと、笑ってしまいそうでもあった。
――バキバキバキィ!! と、二本の剣が砕ける音が最後に聞こえ、落下する浮遊感に包まれながらローゼの視界は暗くなった。
◇◇◇
「はっ、はっ、はっ、はっ」
ロンデルはひたすらに走る。
背後では、戦闘が始まってしまったのか激しい轟音が絶え間なく耳に届いていた。
決して振り返ることはしない。いや、出来なかった。
王国騎士団のひとつの部隊長を任せられている自分が、一時の任務という限定的な物と言えど、仲間を囮に逃げているのだから。
恐ろしくて振り返れる訳が無い。振り返れば、罪悪感に呑み込まれてしまい、足が止まってしまうだろう。
そしてまた、地響きが鳴り響く。
「くそっ! 邪魔を」
ロンデルの目の前に、新たな翼竜が降り立っていた。
もう何度目なのか分からない。
あの八つ目の竜種と出会い、こうして逃げ始めてから続けざまに竜種と遭遇してしまっている。
魔境化は魔物や魔獣を呼び寄せる。この翼竜も、魔境化による影響でこの場にやって来た可能性がある。
つまり、この翼竜をやり過ごすことは出来ない。もしやり過ごせば、次にこの翼竜が向かう所は魔境化の中心、八つ目の竜種の下だ。きっとローゼにとって邪魔な存在となってしまうのだろう。
だが、ゆっくりと討伐している余裕もない。
一刻も早く、王国騎士団総団長であるクレアに応援を要請しなくてはならないからだ。
狂暴化してしまっている翼竜は、愚直にロンデルを捕食しようと飛びかかってくる。
難なく回避し、長剣で翼と足を斬りつけ行動力を削いでから、胸に一撃を叩き込む。
息の根を止めた確認をすることなく、再びロンデルは走り出した。
そうした戦闘を数度こなし、ようやく身を隠せそうな場所を見つけることが出来た。
岩場の隙間に、洞窟のような空間が形成されている。ここなら、空を飛ぶ竜種からも見つかることはなさそうだった。
洞窟の中に入り座り込む。
休息を取っている時間など一秒も無いと、ロンデルは大切に仕舞っていた宝石を取り出し、地面に丁寧に置いた。
――氷雪姫の宝石だ。
「氷雪姫の羽よ、主の下へと飛び立ち、我が言葉を届けよ」
そう呟くと、綺麗な宝石だった物はゆっくりと形を変え、純白の鳥の姿へと変わる。そして翼を広げて、空へと飛び立っていった。
「これで……」
ひとまず、ホッと胸を撫で下ろす。
氷雪姫の宝石を伝言を持たせて主の下へと返す。
こうすることで、持ち主のクレアには全ての情報が共有される。必ず、何かしらの対応を取ってくれる筈だ。
しかし、鳥の姿となった瞬間の氷雪姫の宝石は無防備であり、脆い。少しでも衝撃が加えられると、いとも容易く砕けてしまう。この方法で宝石をクレアへと返すには、安全の確保が最低条件だった。
氷雪姫の鳥が、無事飛び立ったことを確認したロンデルはすぐさま行動を再開した。
宝石が無くなってしまった以上、クレアの魔法を使うことが出来ない。
翼竜程度の竜種なら問題はないが、ソレ以上の竜種との遭遇は出来るだけ避けたい。
ロンデルは慎重にイナリへの道を進んでいった




