#110 イナリ社
山岳都市イナリは大きな街だ。俺のよく知るカルディアよりも一回りは大きいように思える。イナリ山を囲むように扇状に栄えている街は、背後のイナリ山の巨大さもあってか物凄い存在感を放っている。
俺たちは、冒険者組合イナリ支部を出た後……宿屋を探しているところにバッタリと出会した音無さんに薦められた『風鈴亭』という宿を確保した。
そして夜になるのを待ってから、俺たちはイナリ山へと向かった訳だが……。
「え、嘘……ここ通るのか?」
「仕方あるまい、この道が一番近道なのじゃ。魔物が蔓延る険しい山道をこの暗い中で登るよりかはマシじゃ」
大通りから脇道へと入ったかと思えば、ぐるぐると歩かされ……そして目の前にはとても歩けそうには見えない獣道。
「……ルエル、大丈夫か?」
まぁ、俺は昔……姉との特訓で色んな所を連れ回された経験がある。中にはもっと酷い道もあったりしたから平気だが、ルエルは少し心配だな。
「勿論平気よ。いちいちそんな事を気にしていたら冒険者なんて務まらないでしょ。それに玉藻前が選んだ道なら間違い無いだろうし」
「ま、そりゃそーだよな。じゃ行くか」
「うむ。ついてくるのじゃ」
しっかりと姿を現した玉藻前がズイッと奥へと進んで行く。
◇◇◇
夜の暗闇のせいもあり、山の中は薄気味悪い。勿論人気など無く、あるのは魔物の気配だ。以前のカルディア高森林で見かけた死霊系統の魔物が徘徊しているのが見える……が、どうやら襲ってくる気配は無い。
玉藻前はと言うと、一切の迷い無く道なき山道を進んで行く。時に右へと進路を変更したかと思えば、左へと進んで行ったりする。
ぐるぐると意味もなく山道を歩いているように思ったりもしたが、玉藻前の様子から察するに何か意味があるようだ。
俺達は、前を歩く玉藻前についていくだけだ。
そして暫くして――
「この道を行く」
生い茂る草木をかき分けて一歩踏み出すと、見たこともない景色が広がっていた。
「なんだ……コレ」
「すごい……」
さっきまでの山道とは一変して、整った山道が延びていた。
しかし、決してただの山道とは違うことが分かる。
「『千本鳥居坂』と言う」
山道に連なる形で、朱色の構造物が数え切れない程に建ち並んでいた。
月明かりに照らされた朱色の構造物がとても幻想的で言葉が出てこない。まるで違う世界にやって来たような錯覚に陥ってしまいそうだ。
「我が中から呼び込む以外では、イナリ社への道はココしかないのじゃよ」
そしてどうやら、この坂道へとやって来るにも決められた道順があるらしい。さっきまでの玉藻前の訳の分からない動きが、その道順だったのだろう。
なるほど……これは簡単には見つけられない訳だ。
「では、行くとしよう」
千本鳥居坂に足を踏み入れる。
この朱色の構造物、『鳥居』と呼ばれる物らしい。無数に建ち並ぶ鳥居の中を歩くと、いよいよ異世界にやって来たような気分だ。僅かな隙間から差し込む月の明かりが、余計に異世界感を際立たせている。
そしてまた……鳥居の中を歩く玉藻前の後ろ姿が神秘的なのなんの。
カルディア高森林で月光を浴びていた玉藻前の姿にも、そう言えば目を奪われていたことを思い出す。どうやら彼女には月明かりが良く似合うらしい。あの細くて綺麗な絹糸のような髪のせいだろうか。
「玉藻前。この坂道からじゃないと、イナリ社へはたどり着けないと言うことなの?」
「うむ。幻術を利用した結界のような物じゃ。この道からでなければイナリ社へはたどり着けぬようになっておる」
その結界というのも全て玉藻前の力によるものだというから、目の前の神秘的な女性が危険指定レベル18の妖獣なのだと改めて実感してしまう。
周りには俺達以外に人の気配は無い。玉藻前は多くの尻尾をふりふりさせながら坂道を上がっていく。この場所に帰って来られたのがよほど嬉しかったんだろう。彼女の尻尾を見ていたら、それが充分に伝わってくる。
「綺麗……」
坂道を上がること暫く、ルエルの呟きにつられて視線を横に移す。
「おお……すげぇ」
どうやら、今の俺達の場所はイナリ山のかなり高い位置にあたるようだ。
遠くに、夜のイナリの街の景色を見ることが出来る。
カルディアも大きな街だったけど、イナリも負けずと大きい。この景色を見ることが出来たのも冒険者になったおかげ。そして、これからももっと色々な物が見られると思うと楽しみで仕方がない。
冒険者になって良かったと、つくづく思った。
◇◇◇
坂道を上がり切ると、広い空間に出た。
敷石により整えられた広場。その奥に聳えるひとつの建物が俺達の視線を引き付ける。
「うむ。やはりイナリ社は無事のようじゃ。鳳凰の聖火は、我の結界を越えてイナリ社を焼くことは出来なかったようじゃ」
改めて、ホッと玉藻前が胸を撫で下ろす。
「我が家なのじゃよ!」
上品な朱色を基調とした立派な建物。
一人で住むには少しばかり広すぎる気もしないでもない。
玉藻前に連れられて、イナリ社の中へと入ることにした。
どうやら木造らしく、僅かに木の香りを鼻に感じることが出来る。
社の中は以外にも生活感のある空間になっていて、本当に玉藻前はここに住んでいたことが分かる。
一室へと案内された俺達は、そこで玉藻前と対面する形で柔らかな質感の物の上に腰を下ろす。冒険者組合のソファとはまた違った座り心地、座布団という物らしい。
「此の度は、我のイナリ社への護衛……誠に感謝する」
深々と頭を下げる玉藻前。
サラサラと、綺麗な髪が床へ垂れる。
「気にしないでくれ。冒険者としての依頼だからな」
「ま、そうよね」
そう。これは姉からの俺達への指名依頼だ。言うならば冒険者としての仕事なのだ。
「うむ。では依頼達成の報酬を支払わなければならぬな」
本来なら、依頼報酬は組合を経由して依頼人から支払われるのだが、今回の依頼に限っては玉藻前が代理となって直接支払われることになっている。そういった依頼毎の特例については、時々の依頼書の備考欄にしっかり明記される。
今回の場合は、双方の話し合いの下で納得する形で玉藻前が報酬を支払う。などといったなんとも曖昧な文言が書かれていた。
「いやまぁ、今更玉藻前からお金を貰うのもなんか変な気分だしなぁ……別に良いけど。なぁ?」
確かに依頼という形で玉藻前をここまで連れて来たが、正直に言えば一言頼まれれば護衛でも何でもしてやった。と言うか、イナリを見てみたかったというのも大きな理由の一つだったのに、更に玉藻前から報酬まで貰うのは……少しばかり気が引けるなぁ、と思ったのだが……。
「シファ。私達は冒険者として依頼を受けたのよ。大森林から出発するときも、それはお互い承知していた筈よ。なら……報酬はしっかり受け取っておくべきよ」
「んー、いや……でもなぁ」
「シファ、なにもお金だけが報酬という訳ではないのよ? 今回の私達の依頼書にも、お金で支払うなんてことは一言も書かれていなかったわ」
「え?」
思わず玉藻前の方へと向き直る。
すると彼女も初めからそのつもりだったのか、軽く頷いて見せた。
「うむ。実は、我には金銭の持ち合わせが無いのじゃ。無論、全く無いという訳ではないのだが……とても報酬と呼べる程の額を用意することが出来ぬ」
「まぁ、暫く森暮らしだったもんな。そりゃ貧乏にもなるよな」
「……べ、別に貧乏という訳ではない! こほん、まぁそんな訳なので、今回の報酬は別の形で支払わせてもらいたいと思っておる」
別の形か……お金以外の報酬の形とは、いったいどんな形なのか想像もつかない。便利魔導具とかだろうか? チラリと、部屋の周囲に視線を巡らせてもそれっぽい物が置かれているようには見えない。イナリ社の秘宝とか言う物があるくらいだし、他にも色々な魔導具が隠してあるのだろうか?
「そういうことなら俺はそれで良いぞ。でも本当に気にしなくていいからな。な、ルエル?」
玉藻前の感謝の気持ちは痛い程に伝わってくる。それだけで報酬としては充分なのだ。なら、後は形だけの報酬でもなんでも良い。
「ええ。私も構わないわ」
「おお! そうか! して、お主らはこの後どうするつもりなのじゃ? 暫くイナリに滞在したりはしないのか?」
後ろの尻尾がソワソワと動いている。見た目が成長しても感情が全部尻尾に伝わってしまうことを止められないらしい。
しかしこの後か……姉からの指名依頼はこれで無事に完了した訳だけど、言われてみればその後の予定なんて全く考えてなかったな。
「ふふ。せっかくだし、数日はイナリに滞在しても良いんじゃない? イナリは大きい街だし、色々と珍しい物も見れると思うわよ?」
玉藻前の尻尾を見てクスリと笑いながら、ルエルがそう提案してくる。
「だな! 実は色々と見て回ってみたかったんだよな」
それに、今は依頼書を発行していないと言っていたイナリの冒険者組合だけど、魔物や魔獣の討伐報酬の対応はやっているという話だ。暫くのあいだ、この街で冒険者として活動してみるのも良いかも知れない。
「おお! で、ではお主らへの報酬は少しだけ考えさせてくれ! きっとお主らが満足するものを選んで見せるのでな!」
「い、いや……別にそこまで悩んでもらわなくても構わないんだが。適当で良いぞ」
ブオンブオンと動きの激しくなった尻尾が妙に気になる。
「だ、駄目じゃ。ちゃんと選んでからお主らに渡すのでな。数日のうちには必ず選んでおくので、それまで待っておいて欲しい」
「そ、そうか? まぁ良いけど」
「うむ! あ、あとこの街にいるあいだ、たまにで良いのでイナリ山に足を運んで欲しいのじゃ」
「ま、そうだな。たまに様子見に来るよ」
「えぇ。玉藻前ひとりだと、なんだか心配だしね」
「おぉ! では今日この後はどうするのじゃ!? お主らさえ良ければ、イナリ社で寝泊まりしても構わぬぞ!?」
「いや、宿も取ってあるし、そこまで気を使ってくれる必要はないよ。玉藻前もゆっくり休んでくれ」
「そ……そうか? う、うむ。そうじゃな」
心なしか、玉藻前の尻尾の力が抜けていったような気がする。
寂しいんだろうな……イナリに滞在しているあいだは、なるべく頻繁に顔を出すようにしよう。
「それじゃぁ玉藻前をイナリ社まで連れて行く任務は本当にこれで完了だな! 俺達は山を降りるとするか」
スックと立ち上がり、改めて部屋を見回してみる。
俺の家やカルディアで見たどの建物とも少し違った趣きのある内装をしている。木の香りが心地よくて、落ち着けそうな雰囲気だ。
「じゃぁ、またな」
「シファ、ルエル。本当に感謝する。お主らへの報酬が決まり次第、我から連絡させてもらう」
背中を向けた俺達に、玉藻前は床に手を付けながら深々と頭を下げていた。
見えているあいだ、ずっと頭を下げたままの玉藻前に苦笑いしながら、俺達はイナリ社を後にする。
暫くまっすぐ歩けば、周囲の景色はいつの間にか何の変哲もない山の中の物へと変わっていた。




