#104 開門
宿酒場――蓮華亭で一夜を過ごした。
玉藻前には姿を隠してもらっていたため、今回も二人部屋を一室借りている。部屋に入ってしまえば玉藻前は姿を現すので、三人で二人部屋を利用している形だ。
部屋に備え付けられている二つのベッドはルエルと玉藻前に使ってもらい、俺は手頃な床で適当に寝ていたのだが――
瞼に感じる暖かな陽射しで、目を覚ました。
どうやら朝らしい。
まだ上がり切らない瞼の隙間から、陽の射す方へと視線を動かすと……窓の前に一人の女性が立っていることに気付く。カーテンを少しだけ開けて、外の景色を眺めているようだ。
銀色の絹糸のような髪が日光を反射させて、更に美しさが増しているように見えた。
高森林で月光に照らされた幼い姿の玉藻前も幻想的だったが、大人びた姿となった今の彼女も神秘的だ。
立ち上がり、俺も窓の方へと歩み寄る。
この部屋は蓮華亭の三階。窓からは、山岳都市イナリの景色がよく見える。
玉藻前は、ここからイナリの街……いや、イナリ山を眺めていたらしい。
「我は帰って来た。イナリへ」
未だ視線は窓の外へ向けたままの彼女だが、すぐ後ろに立つ俺の存在に気が付いているようだ。
「……だな。あれがイナリか、壮観だな」
周囲の山よりも一際大きいイナリ山。その麓に栄えた大都市もそうだが……何よりもイナリ山の存在感が凄まじい。
もし、あの山を本気で探索しようと思ったら、いったいどれだけの日数を要するのか見当もつかない。
「お主に命を救われ……姉にイナリを救われ、こうしてお主に連れられて帰って来られた。本当に、お主ら姉弟には頭が上がらぬよ」
こちらを振り返った玉藻前と目が合う。
いつもの可愛らしい雰囲気とは少し違い、どこか色っぽい雰囲気を漂わせているように感じる。
「我はいったい、お主に何を返せば良いのだろうか……」
「え、えっと……」
ズイッと一歩、大きく距離を詰められる。
身構える。と言うのとは少し違うが、ほんの少しだけ体が固まってしまった。
「い、いや前にも言ったけど『玉藻前が高森林で体を休めてる』と組合に報告したのは俺なんだよ。だから、あの時冒険者が高森林を訪れたのは俺のせいと言うか……つまり、そんなに気にしてもらっても困ると言うか……」
「我はそうは思わぬ。どちらにせよ、我があの森で体を休めていたことは人間に知られていたであろう? 偶然ソレを知ったのがお主だっただけのこと。お主も……もしあの時に我と出会っていなければ、わざわざ助けに来ることも無かった。違うか?」
確かに……。
あの時、もし俺達が高森林の調査を担当していなかったとしたら、遅からず玉藻前は他の人間に存在を知られていただろう。
その時は、俺の知らない所で……俺の知らない内に玉藻前は討伐されていたのかも。仮に知ったとしても、見たこともない玉藻前を、わざわざ教練を放棄して助けに行ったとも思えない。
「な? お主だったからこそ、我は再びイナリへと帰って来られたのだと思う」
更に一歩、玉藻前が距離を詰める。
妙な雰囲気に、俺は思わず――ゴクリと喉を鳴らした。
「我がお主に返せる物は少ない。果たして……我の持つ物が、救われた命に見合う物なのかどうか……」
そう言いながら、逸らした視線を下に向けた玉藻前は、俺の手を取った。
ゆっくりと、自分の胸の位置まで持ち上げる。
そして――
「コホン」
背後から聞こえた咳払いに、思わず肩をビクつかせてしまう。
「おはよう。気持ちの良い朝だけど、私の存在を忘れて二人だけの世界に入るのは止めて欲しいわね」
起こしてしまったのか、それとも起きていたのか分からないが、少し呆れたような口調のルエル。その表情は分からない。
玉藻前が未だに俺の手と、そして視線をガッチリと掴んで放さない。
しかし――
「勿論、お主の存在を忘れるなど有り得ぬ。お主も我を救ってくれた。そしてこうして、シファと共に我をここまで連れて来てくれたのだから」
僅かに微笑んでから、視線を俺の背後のルエルに向けてそう言った。
「そうだぞ? 俺とお前は固定パーティー。寧ろ訓練生の時からセットみたいなもんだろ――って」
妙な雰囲気からようやく解放されて、ルエルの方を振り向くが――
「――? どうしたの?」
固まる俺に、ルエルがキョトンと首を傾げている。
どうやら気がついていないらしい。
「ルエル……お前、すっごい寝癖だぞ」
「ひっ――」
そっか、これまでは基本的にルエルの方が起きるのが早かったからな。いつもバッチリに整えられていた身なりは……そういうことか。となるとコイツ、いつもこんな早くに起きてるのか。
「ちょ、ちょっと……見ないでっ、お願いっ」
慌てたように、ペタペタと自分の頭を押さえ付けている。
いつも冷静なルエルとは思えない慌てっぷり。見開いた涼しげな青い瞳とは対照的に、顔が真っ赤だ。
それにしても、どんな寝方をすればそうなるのやら……ちょっと想像がつかない。
「やれやれじゃ。寝癖程度、ゆっくり直せば良いのに。まだ時間はあるぞ?」
「な?」
確かにまだ早朝だ。イナリへ向かうのはもう少し後。
呆れたような玉藻前の言葉に、俺は相づちを打った。
「そ、そういう問題じゃないからっ!」
ドタバタと、ルエルは部屋の奥へと引っ込んでいった。
◇◇◇
山岳都市イナリは、巨大なイナリ山の麓に栄えた大都市だ。
イナリ山を背に、広範囲に渡って様々な建造物が建ち並んでいる。
正門から伸びる一本の大通りが、真っ直ぐとイナリ山まで続き、街の北側にある上門と南側にある下門からそれぞれ伸びる上通りと下通りが、その大通りへと合流している。
大通りを境に『上区』と『下区』と呼ばれ、上通りと下通りを境に、『右上区』『左下区』と言った具合に区別されている。
……と、玉藻前が教えてくれた。
南のカルディアからやって来た俺達は、下門からイナリへと入ることになる。
正午前――準備を済ませた俺達は、その門が見える所で待機している。
周囲には、そこの門が開かれるのを待っている者が、俺達以外にも多く存在している。冒険者か……狩人だろう。
先日遭遇した赤い髪の兄妹の姿もある。どうやら、向こうは俺達に気付いていないようだ。
「そろそろね」
すぐ隣のルエルが呟いた。
視線を、門の方へと移動させると――
「――開門っ!」という声と共に
――グググ……と、重量感ある分厚い門が開かれていく。
開け放たれた門へと流れていく人に混じって、俺達も続いた。
イナリへと、足を踏み入れた。そんな俺の目に飛び込んで来たのは、カルディアとはまた違う街並み。
真っ直ぐと奥まで続く道の脇に立つ、鮮やかな桃色の葉に覆われた木々が……イナリと言う街を彩っている。
「…………」
見たこともない景色に、思わず足が止まった。




