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4.理由

 食堂は眺めの良い場所にある。

 海の様子を見つめることが出来るその場所は、ひとりきりで食事をするにはちょっぴり寂しくなってしまう広さだった。

 わたしはいつもここで城主さまとお夕飯を食べる。朝や昼はその日の気分でご飯を抜いてしまうことも多いけれど、お夕飯だけは必ず一緒に食べることになっていた。

 城主さまに抱っこされながら階段を登っていくさり気ない瞬間も幸せの一幕で、そこから明るい食堂に入るまでの景色の移ろいが大好きだ。


 けれど、それよりもさらに好きなのが毎日のお夕飯。

 食卓にはいつも城主さまお手製の美味しそうな料理が並んでいる。猫の身体に合わせたおいしい料理は、一口食べただけでこの世に生まれてきた喜びを感じてしまうほど。

 ちなみに、ご飯の時も、わたしは人間らしさを忘れたりはしない。猫の手で食器を掴むのはとても大変だけれど、城主さまが作った料理をこぼしたりすることもなく食べることは、わたしの誇りでもあった。

 間違っても、器に顔をくっつけて、舌で削りながら食べるなんて、はしたない真似はしないのだ。


 食前、食後の喉を潤すのは城主さまが作ったお酒である。城主さまの目の色と同じように赤みがかった褐色のお酒で、飲むとすっと身体に沁み渡っていく。

 お酒とはいっても酔っ払ったりはしないし、具合が悪くなったりもしない。ただ、これまで以上に目がぱちくりと開いて、頭が冴えるだけだ。


「そろそろ始めましょうか」


 そう言って、城主さまは先ほど飲んだものと同じお酒を金の大きな皿に注いだ。

 なみなみと注がれたお酒によって、金のお皿が赤く染まっていく。注ぎ終えると揺れが静まるのを待ってから、城主さまはゆっくりと水面を見つめた。

 濁りのない赤い水面に城主さまのお顔が映っている。わたしも一緒に覗くと、水面に浮かぶ城主さまが目を細めた。


「よく見ておきなさい」


 そう言って、城主さまは人差し指で水面にそっと触れた。

 揺らぎが生まれ、水面の景色も歪んでいく。そうして歪んだ景色の向こうで、何か別の光景が浮かんできた。

 船だ。強風と荒波の中、帆掛け船が前へ進もうとしている。稲妻の光るなかで、必死に船にしがみついているのは数名の男たちだった。賊なのだろうか。そういう恰好をしていた。

 賊と言えば、”彼女”も同じ。きっと何かしらのやむを得ない事情があって、ちんけな船で遠出をするしかなかったのだろう。

 わたしはふと目を逸らし、外を見つめた。波は荒れていない。雷なんてなっていない。ならば、この光景は過去だろうか、未来だろうか。


「今映っているのは、これから数日の間に起こるとされる出来事よ」

「……ということは、未来なのですね」

「ええ。近い未来、島周辺で起こる出来事。どうやらまたしても誰かがこの島の近くで海神の供物となってしまうようね」


 そう言って、城主さまは再び赤い水面に指を付ける。すると途端に、未来の景色は見えなくなってしまった。

 わたしはそっと城主さまのお顔を見上げて、訊ねてみた。


「また奴隷が増えるのですか?」

「いいえ、今回は増えないわ」

「それもまた、占いで分かる事なのですか?」


 不思議に思って訊ねると、城主さまは怪しい笑みを浮かべた。


「奴隷が増えるかどうかはね、船が沈むかどうかが分かる時に決まるの。あの船には私好みの人物はいなかった。だから、介入はしない。気の毒だけれど、本来はそれが自然な事なのよ」

「介入……?」


 首を傾げると、城主さまは眉を動かした。


「そういえば、お前にはまだ教えていなかったわね」


 そう言って、城主さまはお酒を一口で飲み切ってしまうと、先程の皿にそっと指を付けた。途端に穏やかな海の景色が広がる。水色の空を海鳥たちと共に飛んでいるのは、城主さまの魔法で怪物の姿になった奴隷であった。

 獅子と鷲と馬の混ざったような容姿のその者は、かつて大国で奴隷剣士として数々の猛獣と戦い、人気を博していたという人間の男だった。自由を求めて逃げ出して、広い海へと渡ったが最後。難破して城主さまの奴隷となった。

 わたしがここに来た時にはすでに、この姿をしていた。自由に飛び回る力を与えられてはいるが、そのまま島の外へ逃げ出したりはしない。忠実な城主さまの下僕のひとりとしてここに暮らしていた。


「お前も知っての通り、この島の周辺では我が魔法で姿を変えた者が多い。初めは人間のまま養うつもりであっても、色々と事情が変わって姿を変えざるを得なくなる。彼の場合は、暴力と不服従がその理由だった。そして、抑えきれぬ冒険心もまた一つ。彼は島の暮らしに飽きると旅立ちたがったけれど、どんな理由があろうとそれを許すことは出来なかったの。だから、その姿と忠誠と引き換えに自由に飛び回る能力だけは授けたの。他の者達も、似たようなものよ」

「そういえば、城主さまは一度手に入れた奴隷たちを手放そうとはしませんね」


 わたしはそれを独占欲の一種だと思っていた。

 けれど、どうやらその事情はわたしや他の奴隷たちが思ってきたよりも根深いものがあったらしい。


「一度は情を交わした相手。たとえ飽きようとも手放すことなんて出来ない。何故なら、この島にたどり着くという事は、帰る場所がないということだもの」

「帰る場所がない……」


 その言葉がいつもより重く圧し掛かってきた。

 記憶の彼方で、わたしの過去の片鱗が見えそうになる。しかし、見えないのなら無理に見ようとしない方がいい。帰れないと分かっているのに、帰りたくなってしまうかもしれないから。

 城主さまは両目を閉じながら、小さく囁いた。


「ここはね、私だけの場所なの。魔法で守りを固めているから、誰の侵略も受けたりしない。私の許しがなくてはたどり着くことのない場所なの。お前たちは特別に選んだ者たち。海で死ぬはずだった命の中から少し無理をして選んだ者たちなのよ」

「選んだ……。では、わたし達は偶然拾われたのではなく、最初からあなたの為にここへ来たの?」

「偶然拾ったというのは正しいけれど、島にたどり着くまではその通りよ。誰も彼も、本当は海で死ぬはずだった。そしてその運命からは、完全には逃れられない。私と共にこの島にいる間だけ、死の使いから身を隠していられるというだけなのよ」


 城主さまが瞼を開くと、赤みの強い褐色の目が現れる。その色を見つめていると、何だか寒気がしてきた。

 島に来る前の事を殆ど思い出せない。ただ、漂流するまでの間、とてつもない恐怖がわたしの命を脅かしたはずなのだ。

 思い出せないのならば、思い出さない方がいいのかもしれない。もしかしたら、私を置いて沈んでいった者たちの中には、かけがえのない家族や友人も含まれていたかもしれないのだから。


「わたしもまた……島を離れれば死んでしまうのでしょうか」


 恐る恐る問いかけると、城主さまは静かに頷いた。


「そうね。この島が見えなくなるほど離れてしまえば、何かしらの迎えがきて、お前を冥界の王の元へと連れ去っていくでしょうね。または、私が何かしらの理由でお前たちを残して死ぬことがあれば――」

「城主さま!」


 思わずわたしは大声をあげてしまった。

 尻尾の毛が逆立ち、鼓動が早くなる。


「いけません! そんな不吉な事をおっしゃっては――」

「不吉な話だとしても。いずれはそういう事もあるかもしれないわ。私の魔力を超えるものなんて、この世にはいくらでもある。そういう時、少なくともお前には知っておいて欲しい。私が命を落とせば、死の使いからお前たちを守るものはいなくなる。そのことは覚悟していて欲しいの」


 恐ろしい未来の話だ。

 永遠というものはないのならば、いつか必ずやってくるわたしたちの末路だ。それでも、わたしは静かに納得し、城主さまに向かって告げた。


「分かりました。把握しておきます。でも、覚悟する程のことじゃありません。だって、城主さまのいない世界なんて、無価値ですもの」

「それは嬉しい。けれど、猫。私を恨んだっていいのよ。お前の忠誠心は素晴らしい。元の姿の時から変わらない。少しは和らぐかしらと狙って、気ままだという猫の姿にしてみたのだけれど」

「当然です。だってこれは服従ではなく愛なのですもの。どんな姿になろうとも、城主さまを慕う心は変わりません」


 それは、嘘偽りのない本心である。

 記憶を辿れるだけ辿ってみても、わたしは初めから城主さまの虜だった。この島に来たのが城主さまの計らいだというならば、なんと幸せなことだろう。憧れの人に命を救われ、共に暮らすことが出来ているのだから。

 しかし、そんなわたしの心がどれだけ城主さまに伝わっているかは分からない。

 占いは万能ではないのだと城主さまはおっしゃった。確かに、そうなのだろう。だって、この愛による寂しさや苦しさの全てを城主さまが気づいていらっしゃるようには思えないのだもの。


 今もまた、そうだった。

 城主さまはにこりと笑ったけれど、その瞳の奥には寂しさが浮かんでいる。

 何故、そんな寂し気な色を浮かべるのかしら。疑問に思いつつも、わたしは黙って城主さまを見つめることしか出来なかった。とても、もどかしい。


「お前は優しい子ね」


 城主さまは静かにそう言って、溜息を吐いた。


「“あの女”もまた、その優しさにきっと救われているのでしょう」


 今も一人で鎖に繋がれている”彼女”のことと分かり、わたしは首を傾げた。


「そう……でしょうか?」


 すると、城主さまは笑みを深めた。その温かな手のひらが、わたしの耳元をくすぐる。ぴんと立った耳の後ろや額の上を優しく撫でられると、途端に幸福な気持ちに包まれた。

 だが、いつまでもその愛撫に現を抜かしていることは出来なかった。城主さまは何かお悩みを抱えているらしい。それが何なのか、わたしは知りたかった。


 心当たりがあるとすれば、“彼女”のことだろう。


 わたしの歌と踊りを褒めてくれる優しいところもあるのだが、城主さまにはなかなか懐いてくれない。盗賊として生きた誇りは人に懐かない狼のように高く、身体は許しても心は一切許していないらしい。

 城主さまに嫌われることを恐れていないこその態度だ。島を追い出されれば死ぬと教えられたとしても、彼女の振る舞いは変わらないだろう。むしろ、死んだ方がましだと逃げ出してしまう可能性だってある。

 無論、それは城主さまの心を傷つけることに違いなかった。だって、彼女はどんなに飽きた相手であっても服従させて、島周辺から出さないように命じているのだもの。


「城主さま。城主さまは“彼女”の何処を気に入られたのですか?」


 嫉妬に狂っていた頃にはどうしても聞けなかった質問が、この度は自然に飛び出した。

 話を深めて、どうにか”彼女”を城主さまに懐かせたいと思ったからだろう。ともすれば、誤解しているかもしれない。船を転覆させたのが城主さまだと疑い続ける奴隷はいくらでもいた。そして、城主さまもまたその誤解を無理に解こうとなさらない。それでは、懐く者も懐かないのではないか。

 しかし、これも城主さまの何かしらの考えがあってのことかもしれない。わたしはそう理解し、城主さまの返答を待った。

 城主さまはわたしをじっと見つめ、微笑みながら答えてくれた。


「綺麗だから」


 単純明快だが、城主さまらしい。


「それだけですか?」

「いいえ。ついでに言えば女だったから。手元に置くことを考えて、何かと都合がよさそうだと思って選んだの。盗賊だということは分かっていたけれど、まさかあんなにも野獣のような誇りを持っているとはね」


 気怠そうな様子の彼女を前に、わたしは顔色を窺いつつ訊ねてみた。


「やっぱり、彼女の過去も最初から知っていたのですね?」

「ええ。船に乗った仲間たちの様子で、すぐに分かったわ。気づくと同時に、あの女の過去も占った。どうやら多くの命を奪ってきたようね。弱い者を虐げ、略奪を繰り返す。あらゆる国で手配され、仲間共々賞金首となっていた。その武器は、海に捨ててきた古い短剣だけじゃない。女盗賊の脅威は怪物と同じ。その武器は言葉や仕草にもある。くれぐれも気をつけなさい」

「彼女も……歯向かうかもしれないとお考えなのですね?」

「そうよ」


 迷いのない答えに、わたしは暗い気持ちになった。

 冷静に考えれば、城主さまの言う通りかもしれない。

 相手はろくな生き方をしてこなかった。生きるためとはいっても、罪のない多くの人たちが彼女の犠牲になり、命を落としたり、酷い目に遭わされてきたかもしれないのだ。

 たとえ彼女との会話が楽しいと思っていたとしても、彼女側の心理を見通せない限り、信頼してしまうのは危なっかしいのだろう。


「近いうちに私に危害を加える者がいるとすれば、それはきっと牢獄から抜け出したあの女でしょうね。勿論、そうならないように鎖に繋いでいるのだけれど。いいこと、猫。退屈そうにしている奴隷を楽しませるのはいいけれど、言い包められないように気をつけなさい」

「……でも、城主さま。彼女は生を諦めているようです。姿が変わるのなら、過去を忘れたいといつも言っています。何もかも忘れて、城主さまをただ慕うだけの存在になりたいのだって」


 その嘆く姿はどうしても嘘を吐いているようには見えなかった。

 共に話す時間を楽しんでいるこちらが辛くなるくらい、切実なもののように思えたのだ。それでも、城主さまの表情は冷たいものだった。


「それこそが、女盗賊の武器でないとどうして言えるの?」

「そ、それは……」


 言葉に詰まるわたしを、城主さまはそっと抱き上げた。急に柔らかな膝の上に乗せられて、思わず喉を鳴らしてしまった。顎や耳の後ろは特に弱い。大好きな城主さまの愛撫についつい喜んでいると、呆れたようなため息が聞こえてきてはっとした。


「お前はここへ来た時から人懐こい。猫になる前も、なった後も、誰かの関心を求める心が強すぎる。そんなお前の心に付け入ることなんて、多くを騙してきた盗賊ならば容易いことのはず」

「わたしは……」


 耳も倒れるし、猫背にもなってしまう。

 城主さまの言うとおり、わたしは自分で思っている以上に騙されやすいところがある。城主さま一筋であると自覚しているけれど、これまでに囚われてきた奴隷たちとは嫉妬しつつもそれなりに仲良くなってきたものだった。

 中には、距離が近くなりすぎて拗れてしまった者もいた。男性ばかりだったから、いずれも男女ならではの拗れや暴力だった。しかし、相手が女性であったとしても、距離を間違えれば良くない拗れは生まれるだろう。


 それは反省すべきところだ。

 けれど、まだ何も起こっていない内から、歌って踊ることを自粛しようとはどうしても思えなかった。

 だってあの時間は、わたしにとってもかけがえのないものとなりつつあるのだから。


「しょうがない子ね」


 城主さまは項垂れるわたしを抱きしめながらそう言った。


「歌って踊るくらいは許してあげる。私はお前を信じているわ。どんな姿でいようとも、お前は私に愛を囁き、伴侶となるべき人。その意味を常に忘れないでいて欲しいの」


 優しい声が沁み込んでくる。

 深い愛の言葉に幸せを感じつつ、使命感染みたものが心の底に宿った。


 歌って踊ることもまた、城主さまの許しがあってこそ。

 それをしっかりと心得て、明日以降も”彼女”と向き合おう。


 そんな事を心に誓いながら、わたしはゴロゴロと喉を鳴らし続けた。

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