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エース戦記  作者: 瑞原螢
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ルーキー

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 ウルフトラップが、三人の青年を宿の我々の部屋に連れてきた。勿論、私には見覚えの無い三人だった。しかし、重要なのは見覚えが有るかどうかとか、名前を聞いた事が有るかどうかではなくて、強いかどうか、チームワークが出来るかどうかの方だ。私達――冒険者(と呼ばれる者達)――の仲間になる者としては、そっちの方が重要なのだから。


 私の名前はエース。勿論、本名ではない。仲間に呼ばれている渾名だ。本名を忘れたわけではないが、今、私達が居る所、今、私達がしている事にとって、本名などという物は殆ど何の意味も持たないのだから、敢えてそんな物を語る必要も無いだろう。性別は、一応、女だ。『一応』というのは、我々が敵として相手にするモンスター達にとって、人間の性別など、何の意味も持たないからだ。まぁ、人間相手になら、それが意味を持つ事もあるだろうが、私は、自分が女である事に引け目を感じたこともないし、逆に武器にした事も無い(しようとも思わない)ので、私にとっては、やはり意味の無い事なのだ。

 ウルフトラップは、私達四人パーティーの中の一人だ。勿論、彼の名も渾名だが、その名――狼の罠――の示す通り、すこぶる機敏で手先の器用な男で、パーティーの中ではいわゆるシーフと言われる役目を担っている。普段は口数が多く他愛の無い男に見えるが、その実、その腕が必要とされる場面では間違いなく役に立つ男だ。

 彼が連れてきた三人の青年は、リンクスの前に座らされた。リンクス――大山猫――もやはり渾名だが、私達のパーティーのリーダーだ。その端正な顔立ちに似合わぬほど鍛え上げられた大柄な体を持つ剣士だが、やはりその体に似合わぬほど繊細で研ぎ澄まされた感覚と指揮能力の持ち主だった。普段は物静かだが、いざ戦闘になれば、その長剣を振るう腕も確かだ。

 もう一人のパーティーメンバー、魔法使いのエルダーは、それまで何やら難しげな本を読んでいたが、話を聞こうとリンクスの側によってきた。エルダーはパーティーの中でも最も冷静な男だ。もっとも、冷静でない魔法使いなどいるのかどうか知らないのだが……。その落ち着き具合から、誰からともなくエルダー――兄さん――と呼ばれるようになったのだった。


 「頭数だけかも知れないけどな」

 ウルフトラップはそう前置きしながら、リンクスにその三人の青年を紹介し始めた。

 「こいつがアルフレッド。こいつがロベルト。それで、こいつが……、確か、ギルバートだったな。まぁ、腕は今一で実戦経験もないけれど、それなりの訓練は受けてたらしい。ここら辺じゃ、こいつら以上の面子は揃いそうも無いんでね。どうだ? リンクス」

 「構わないけどな。ただ、お前達にそれなりの覚悟があるかどうかっていう事だ。どうだ?」

 リンクスに聞かれて、青年のうちの一人、アルフレッドと紹介された男が答えた。

 「勿論です。それだけの覚悟が無ければ、わざわざ来たりはしません」

 「オーケー、アル。……ボブは?」

 次に、リンクスはロベルトに話し掛けた。

 「私もです。覚悟は出来ていますし、腕にも、それなりの自信があります」

 リンクスはロベルトの答えを聞いて、何故か少し間を置いてから、ギルバートにも聞いた。

 「……で、ギルはどうだ?」

 ギルバートは他の二人とは違って、少しばかりおとなしい口調で答えた。

 「正直言って……、少し怖いです。……でも、覚悟は出来ています」

 それを聞くと、リンクスは特に意味があるでもなく、軽くうなずいて、それから話を続けた。

 「始めに言っておくが、自分の身は自分で守る事だ。それが出来そうにないなら、我々のパーティーに入ろうなどとは思わない方がいい。探索中は各人がそれぞれ自分の役目をこなす。そして、モンスターとの戦闘になれば我々は協力して戦うが、勘違いするな。全員が自分の身を守るために協力して戦うだけだ。誰かに助けて貰おうなどとは思うな。万一、そんなことがあったとしても、それはたまたま運が良かっただけだ。自分と仲間の両方が危険だったら、まず自分の身の事を考える。それが我々のやり方だ。そして、それが我々が今まで生き抜いてきた方法だ。それが嫌なら、我々のパーティーには入れないが、それでも仲間になりたいのか?」

 リンクスが新しくパーティーに入ろうとするヤツに必ず言う決まり文句だ。私がそれを言われたのは、もう随分昔のような気がする。

 三人の男達は、リンクスの静かだが迫力のある口調に押されたのか静かにしていたのだが、話が終わると真剣な表情でそれぞれうなずいた。

 「まぁいい。今日のところは一旦帰るといい。もし明日になっても決心が変わらなければ、昼までに荷物をまとめて、またここに来てくれ」

 リンクスがそう言うと、男達はそれぞれ軽く会釈をしてから部屋を出ていった。

 「リンクス」

 エルダーが口を開いた。

 「本当に、頭数合わせかも知れませんよ」

 リンクスは苦笑した。

 「言うなよ。俺達だって、昔は単なる『無謀な冒険者もどき』だったんだから。自分の責任は自分が取ると約束出来さえすれば、俺達にはそいつらを仲間にするのを拒める理由は無いんだから。確かに、不必要に仲間の死体は見たくはないが……」

 「……そうですね。今までに私達が死んでいてもおかしくはないし、彼らが巧くやれないと限った訳でもないですし……」

 それが真実であり、それしか真実ではなかった。冒険者と呼ばれるものにとって、自分の責任を取るということは、自分の身は自分で守るという事であり、たとえ死ぬことになっても、その死に場所を自分で選べないことを後悔しないという事であった。



 翌日、昼より少し前にロベルトが、それより少し遅れてアルフレッドが再び私達の宿にやって来た。ギルバートは来ないのかと思ったのだが、真昼をちょっと過ぎた頃にやって来た。なんでも決心がなかなかつかず、そのために来るのが遅れたらしかった。しかし、リンクスはそのことには直接触れようとはしなかった。

 私達は全部で七人となり、宿の食堂で決して上等とは言えない昼食を摂りながら、今度の探索の計画について打合せすることとなった。


 今度私達が探索しようとする場所は、このアースラという町の外れ(といっても、この宿自体が外れにあるのだが)にある鉱山跡だった。なんでも、多種の希少金属が採れる鉱脈だったらしいが、跡といっても鉱脈が枯れてしまったわけではなかった。たまたま(かどうかは分からないが)、その鉱山を掘り進んだ坑道がトロルの地下都市の洞窟に通じてしまった……、という訳らしい。それでその鉱脈は廃坑にせざるを得なかったのだが、その鉱山はひどく大規模で入り口も複数有ったためにそう簡単に入り口を塞ぐことが出来ず、結果として、坑道はトロルの支配地域となり、また、トロルがそこから町へと出てきて暴れる事も有るそうだ。

 その間、領主は軍を使ってトロルを制圧しようとしたが、流石に、このちっぽけな町の領主の持つ程度の軍隊では埒が開かずに、色々策を考えた結果、この鉱山をいわゆる「冒険者」達に公開し、私掠を許す代わりにトロル退治をさせようという事にしたのだった。噂では、採掘されたものの、搬出できずに放置されている希少金属がまだ沢山有るという話だが、噂は噂だ。大体、トロルの支配地域になっている所に、そんなものが放置されているかどうか、怪しいものだ。かといって、全くの嘘だとも言い切れない。実際にトロルの襲撃に苦戦しながらもかなり鉱山の奥深くまで入り、そこそこの量の銀や白金の原石を持ち返ったパーティーがいるそうなのだ。他に、金などもまだ持ち出されずに有るというのだが……。

 本来なら大抵の探索は私達は四人だけで行うのだが、今回新しいパーティーメンバーを募ったのは、この鉱山の規模が非常に大きいという事にあった。鉱山の規模が大きいだけではなく、坑道の本道もかなり広いのだ。坑道が広いということは、それだけ同時に沢山のモンスター(あるいは、人間かも)から襲われる可能性が有るという事であるから、こちらのパーティーもある程度多い方が良いのだ。勿論、発見した宝を頭割りすれば、一人当たりの分け前は少なくなってしまうが……。

 でも、私達にとっては、それらのお宝の有無は、「後から付けられた理由」に過ぎないのであった。そんなものの有無は、実はどうでも良いのだ。少なくとも、私達四人が今まで「冒険者」と呼ばれるものをやってきたのは、戦う為だった。こう言うと、何とも乱暴に聞こえるかも知れないが、実際、戦いが好きなのだった。「冒険者」と言われる商売は、それを合法的に出来る、私達にとって都合の良いものだった。それは勿論、命懸けで、実際に命を落とした仲間も居たが、その危険を承知の上でも戦いを止められなかった。我々は間違いなく、「戦い」というもの、それも「真剣勝負」の持つ魔力に取り憑かれていた。


 「……で、お前達三人は、少なくとも初めのうちはあまり前には出ないようにしてくれ。実戦経験が無いうちは、前衛にいても危険なだけだからな」

 リンクスがそう言うと、アルフレッドは不満そうな顔をしながら言い返した。

 「しかし、俺達三人は剣士ですよ。剣士は前衛にいなくちゃ役に立たないでしょ?」

 私はあきれたはずみで口を開きそうになったが、それより先に、ウルフトラップが口を挿んでいた。

 「お前、分からないのか? リンクスは『実戦経験の無いヤツが前衛にいたって戦闘の邪魔だから下がってろ』って言ってんだよ。生意気なことを言ってるんじゃない! 死に急ぐのは勝手だけど、邪魔はするなってことだよ」

 知ってか知らずか言い方はキツかったが、リンクスの言おうとしてることは、まさにウルフトラップの言った通りだった。探索中の無駄な戦力の喪失は痛いし、それ以上に「ルーキー」が戦闘の邪魔になって我々が窮地に追込まれるのは困りものなのだ。

 アルフレッドは不満そうな顔のままだったが、それでも一応黙ってしまった。リンクスは、それに対してもやはり直接話題にせず、話を続けた。

 「今回探索する鉱山の坑道は、場所によっては七人でも十分に警戒できないほど広い場所もあるし、また、網の目状に入りくんでいるところもある。一人一人が、それも特に後方からの敵にも注意してそれぞれ任された場所の役目をきちんとこなさないと、それこそ命取りになるからくれぐれも注意してくれ」

 「……ということだ」と、ウルフトラップはリンクスの言葉を受けてかのように、三人のルーキー達の方へ顔を向けて言った。ギルバートは眉を八の字にして、難しいような、困ったような顔をしていたが、ロベルトは何やら不満そうな顔をし、アルフレッドは、それよりももう少し不満そうな顔をしていた。勿論、その件に関して彼らに何か不満が有ったとしても、我々はそれを受け付けるほど寛容ではないのだが。


 結局、その日の打ち合わせはそれ以外に大した事もなく終わり、アルフレッド達三人は我々と同じ宿に泊り、翌日に備える事にした。



 次の日の朝、我々七人は軽い(そして粗末な)朝食を摂ったあと、いよいよ出撃準備を整えていた。今回の探索目標である鉱山跡はこの宿から遠くないので、宿で装備を整えてからそのまま探索に行こうという事になっていたのだった。

 私がいくら女だという事を意識しないといっても、それでもやはり女(というか、他のパーティーメンバーにとっては異性)だという事は確かで、また、彼らが気を使ってくれているという事もあって、宿での私の部屋は彼らとは別だったので、私は気兼ね無く(と言っても、私の裸を見たい男がいるかどうかなど分からないが……)装備を整えてから彼らの部屋に行った。


 彼ら六人も、ほぼ装備は整っていた。新入りの三人は、剣と盾を除いては私と大差無い格好だった。三人とも鎖帷子の上に鞣し革製の兜や鎧などと木製の盾、左腰にはやや小さ目の段平という出で立ちだ。

 一方のリンクス達は、当然ながら、私の見慣れた姿だ。リンクスは金属製の重そうな(実際に、かなり重い)甲冑を身につけ、左腰には長剣を一振。しかし盾は持っていない。長剣を両手で扱うためだ。ウルフトラップとエルダーは共に鎖帷子の上に鞣し革製の兜や鎧、盾など、似たような格好だ。もっとも、ウルフトラップが右腰に差している短剣の代わりに、エルダーは杖を持っているのだが。知らない人が見たら、およそ魔法使いらしくないエルダーの格好だが、本人が言うには、なんでも彼は古代語魔法を使うので、出で立ちを気にする必要はないのだそうだ。そういったものを気にしなければいけないのは、精霊魔法や召喚魔法を使う魔法使いだけらしい。そんな訳で、身の安全を一番に考えた結果として、エルダーは魔法使いが良く着るようなローブ等は着ないのだそうだ。


 新入りの三人は部屋に入ってきた私の姿(というより、装備)を珍しそうに見ていたが、その中でも特に興味深そうに見ていたロベルトが私の方に近寄ってきた。そして、しゃがんで、私の左腰に差してある剣に顔を近付けながら質問した。

 「これ、サムライ・ソードですか? 凄いな。初めてですよ、本物を見るのは」

 「いえ……」

 私はその「よくある質問」に答えた。

 「似てるけど、ちょっと違うわ。これはニンジャ・ソードよ」

 「……そうなんですか。ちょっと見せて貰っていいですか?」

 「え? ああ」

 私がその剣とナイフ三本(右腰に差してある。その内一本は、少しばかり他の二本より長い)を差してある腰のベルトから剣を外してロベルトに渡すと、彼はそれを鞘から引き抜いて、再び興味深そうに眺め始めた。

 「見た目より重いけど……、でも、こんなに細くて薄い……。こんなに薄い剣で大丈夫なんですか?」

 これもよく聞く質問だったが、彼の質問ももっともだった。少なくとも私自身、これと同じ剣を使っている人間を今までに片手ほどの数も見ていないのだから。

 「普通の剣とは根本的に違うのよ。普通の剣は、相手を殴りつけ、打ち倒して、骨を叩き折るためのものでしょ? でもこの剣は、相手の心臓を突き刺したり、首を斬り落とすための物なの」

 そう、まさにそれこそ、私がエース――切り札――と呼ばれる理由だった。一撃のもとに相手を仕止める。それが私の役目であり、存在意義でもあった。

 「この薄い剣で、そんな槍や斧みたいなことが出来るんですか……」

 ロベルトの表情には、その見慣れない剣への畏敬の念が現れ始めていたが、さらに私に対して質問を続けてきた。

 「でもこの剣、高いんでしょう? 店でもそうそう見かけないし……」

 「そうね。これは遠い国から輸入されてるものらしいから、あまり手に入らないし高いわね。たまに安いものがあっても、まず間違いなく出来の悪い偽物ね。買わないで持っているものを鍛え直す事も出来るけど、それにしてもこれを打ち直せる鍛冶屋もそうざらにはいないから、どっちにしろ高く付くわね。……まぁ、私の稼ぎは、あらかたこの剣のために消えてるわよ」

 私は自嘲気味にそう言った。事実だった。でも勿論、私は後悔などしていない。富を得ることが私の冒険の目的ではないからだ。勿論、得られるものなら、得た方がいいに決まっているが……。

 ロベルトは剣を私に返すと、今度は私の左腕に装備してある金属製のリスト・シールドに興味を移したようだった。

 「これは……、リスト・シールド……いや、ヴァンブレイスですか?」

 「ん……。これはリスト・シールドよ」

 「こんな変わった形のリスト・シールド、初めて見ました。……一体、どこで売っていたんですか?」

 確かに変わった形のリスト・シールドだった。それは極端に幅が狭く、私の下腕を包むかのように曲面を形作っていたので、彼がヴァンブレイスと間違えたのも仕方の無い事だった。

 「これは……」

 私が説明しようとすると、ウルフトラップが口を挿んだ。

 「そんなリスト・シールドはどこにも売ってやしないよ。それはなぁ、エースが使い込んでいくうちに、欠けたのを直したり、自分で使いやすいように改造してそういう形になったんだよ」

 確かにその通りで、このリスト・シールドも最初はごく普通の形だった。だが、戦いの中で得た(多くの場合「苦い」)教訓によって、私はそれの形を変えていき、その結果として、今のこの奇妙な形になったのだった。

 「へえぇ……、そうだったんですか……」

 ウルフトラップの方を振り返って話を聞いていたロベルトは、再び私のリスト・シールドに視線を戻すと、独り言のようにそう呟いた。

 しかし恐らく私に限らず、少なからず実戦経験のある者にとっては、自分の装備を自分の使い易いように手を加えるというのは当然の事だろう。なにせ命を預ける物なのだから、少しでも使いにくいところがあったなら、それはその分だけ自分の命を余計に危険に晒す事に他ならないのだから。例えばリンクスが着ている金属製の甲冑も、彼の手によって色々と改良を加えられている。甲冑の継ぎ目や裏などには布や革が詰められたり張られたりしてあり、極力、金属製の甲冑特有の音を立てないようにしてあるのだ。これは勿論、敵に存在を覚られにくくするためだ。このように、自分の装備に手を入れるということは、私達にとっては、ごくありふれたことなのだ。――もっとも、スーツ・アーマーとか、オーダーメイドの武具を手に入れることの出来る金持ちの冒険者にとっては違うのかも知れないが……。

 しかし、ただ手を入れればいいという訳でもないのも確かだ。試しに何か改造したとしても、実戦で巧く役に立たなかったら、「それまで」になってしまうかも知れないのだ。ごく普通に店で売られている普及品だって、それらはそれなりの理由があってその形をしているのだ。それを理解しないでただ手を加えたりすれば、痛い目を見ることになるか、あるいは痛い思いさえせずに「それまで」になってしまうだろう。



 我々は宿を出て、そこからそう遠くない鉱山の入り口へと向かった。その途中で、ロベルトは何気ない口調で私に話し掛けてきた。

 「エースさんは剣士でしょ。なのに何故、リンクスさんみたいな金属性の鎧を着ないんですか? そりゃ、機敏さが落ちるからというのが理由の一つだろうとは思いますけど、エースさんぐらいなら着こなせるかと思うんですけど……」

 「ん……、それは……」

 私が答えようとすると、またもウルフトラップが口を挿んだ。

 「それはな、こう見えても、こいつは女だからだよ」

 私が苦笑しながら殴るふりをすると、ウルフトラップもそれを避けるふりをした。

 「え……? どういうことです?」

 「つまりだな……」

 ロベルトが全く意味が分からないというように聞き返すと、ウルフトラップが答えようとしたが、彼に解説ばかりされている私は少しばかり癪だったので、今度は私が口を挿んでウルフトラップから話題を取り上げた。

 「つまりね、リンクスみたいな頑丈な鎧を着ていると、敵の攻撃を受けてもそうそう体までは通らないし鎧も凹まないけど、その分、鎧に受ける衝撃は、そのまま体に伝わる衝撃になってしまうの。逆に私達が着ているような革の鎧だと、一回打撃を受けちゃうと凹んで使い物にならなくなっちゃうけど、その分、敵の攻撃を受けたときの衝撃は吸収して体を守ってくれるの。だから、私はリンクスほど体が頑丈じゃないから、こういう革製の鎧を着てるの」

 「へぇ、そういうものなんですか……」

 また、ロベルトは感心したようにそう呟いたが、続けて、そしてやはり何気ない口調でウルフトラップに話し掛けた。

 「ところで、何故このパーティーは、魔法使いが一人しかいないんですか?」

 ウルフトラップはさっきとはうって変わって一瞬ぎょっとしたような表情になり、次に怒ったような表情になりながら、ロベルトをエルダーから遠い位置になるように(結果として、私の居る所に近くなった)引きずっていき、小さい声で、しかし強い調子でロベルトに言った。

 「いいか、魔法使いっていうのは、精神力が俺達とは二桁も三桁も違うような人間なんだよ! そんな人間は何万人や何十万人に一人いるかどうかなんだ。こんな小さなパーティーに魔法使いがいること自体、凄く珍しいんだぞ。おまえがどんな御伽話を読んでその知識を仕入れたのかは知らないが、これ以上そのくだらない知識をひけらかすつもりなら、今すぐにでも、あるいはお望みならモンスターの真っ只中でも、ウチのパーティーから放り出しておいてきぼり喰わせてやるからな!」

 よほど彼にとって意外な反応が返ってきたのか、ロベルトは目を真ん丸くして聞いていたが、ウルフトラップが話し終わると、彼はすっかり静かになってしまった。エルダーはというと、恐らく少なくとも話の一部は聞こえていたはずだが、全く気に掛ける様子もなく、右手に持った(魔法使いが持っている物としては、多分ありきたりの)杖の新しいささくれでも気にしているようなそぶりをしていた。



 鉱山の入り口は、そう狭くは無かった。大人が両腕を広げて数人並べるほどの幅は有った。そして、その幅のまま抗道は奥へと繋がっているようだったが、ものの何歩も進まぬ内に視程が殆ど無いほど真っ暗になっていた。

 「ウム・オー・イル・ラー!」

 エルダーが私達にはあまりにも理解し難いその古代語の呪文を唱えると、一瞬周囲の空気が光り出したかのように見え、次の瞬間には抗道の中はパッと明るくなった。恐らく松明で照らすよりも遠くを見通せるほど周囲を明るくするそのライトの呪文は、私達にとっては貴重なものだった。視界を確保するために片手を松明に塞がれることは、それだけで、より自分たちの身を守りにくくすることなのだ。故にこの呪文、そしてこの呪文を唱えられるエルダーの存在は、私達にとって重要だった。そして勿論、エルダーの能力はこれだけでは決して無い。

 とはいえ、私達はそれぞれの荷物――背嚢であったり、あるいは腰にぶら下げていたり――の中に松明を持っていた。当然のことだが私達のそれぞれがそうであるように、エルダーもまた怪我をしたり死んでしまったりして、ライトの魔法を使えなくなる可能性を否定できないからだ。


 その抗道は、緩やかな下り坂になっていた。我々は、先頭にリンクス、その後ろは、私、エルダー、アルフレッド、ロベルト、ギルバート、ウルフトラップという順の、比較的お互いの距離を詰めた一列縦隊となり、抗道を進んでいった。そしてしばらく進むうちに、エルダーの持つ(実は、ウルフトラップの持ち物なのだが……)方位磁針の挙動がおかしくなりだした。どうやら、この鉱山には磁気を帯びた鉱石が多く含まれているためらしい。一本道ならばさほど問題にはならないが、ここは抗道なので中には多くの分かれ道がある。私達はそんな分岐点に来る度に、注意深く壁や床に目印を付け、また、通ってきた道のりを覚えるようにしていた。

 そうして進んで、三回ほど分岐点(それらでは、全て左側の道を選ぶようにしてきていた)を過ぎてしばらくした時の事だった。突然、先頭を進んでいたリンクスが立ち止まり、左手を上げた。私達は立ち止まってリンクスの挙動に注目した。と、私はリンクスの後ろ姿に闘気が漲るのを感じ、それより僅かに遅れて、私にも敵の気配を感じる事が出来た。「流石だ」と私は思った。この僅かな時間の差が、生死を分ける鍵になる事もある。パーティーのメンバーの命を預かる立場のリーダーとしては、このあたりの感覚はやはり「流石」なのだ。

 リンクスの左手は、人差し指だけを立てた状態で握られた。と、私達――エルダー以外――はそれぞれ自分の剣を鞘から引き抜いた。この時点で、リンクスは既に一つの選択を迫られていた。それは、先程エルダーが掛けたライトの魔法についてだ。ここはトロル達にとっては勢力圏内だが、外縁部なので灯りは設置されておらず本来は暗い場所なのだ。だが、エルダーの魔法は当然ながら未だに効力が続いていて、我々の周りはかなり明るい。このまま接近すれば、敵に我々の存在を知らせる事となる。逆に、ここでエルダーにダークネスの呪文を唱えさせて明かりを消してしまえば、我々が敵に奇襲を仕掛けるチャンスとなる。しかし、実線経験の無い新入り三人が、暗闇の中で混乱を起こさないとも限らない。

 リンクスは、このまま敵に遭遇する方を選んだ。エルダーに無駄に魔法を使わせたくないというのと、新入りの三人の混乱を防ぐためだった。その辺りは幅自体は入り口よりやや狭くなっているだけだが、緩く曲がりくねった抗道だった。そのため見通しが利かない割に隠れる場所が無いという、あまり有利な場所ではなかったが、大幅に後退して待ち伏せをするよりはマシだった。


 トロル四体と遭遇した。彼ら自身も松明を持っていたためかライトの魔法には余り気がついていなかったようで、我々の姿を見たときはかなり驚いた様子だったが、ほどなく彼らの前衛二体が松明を投げ捨てつつ棍棒を振りかざしながら襲いかかって来た。それから僅かに遅れて、後ろの二体も襲いかかって来た。

 こちらの剣士は全部で五人。だが、その内三人は実力も良く分からぬ新入りだ。だから、まずはリンクスと私でこの四体全てを食い止めなければいけないのは確かだった。最初の二体はリンクスの方に向かっていった。先に来た方の棍棒の一撃を避けたリンクスは、長剣を大きく払うように振ってそいつを後退させ、後から来た方のもう一体の棍棒を長剣で受け止めた。もう二体は回り込んでエルダー達の方へと襲いかかろうとしていたが、私がその間に立ちはだかった。

 暫くの間、そいつらは私とにらめっこをしていたが、やがて覚悟を決めたのか、その片方が大上段から棍棒を振り降ろしながら突進して来た。だが、私にとってはそいつの動きはお世辞にも機敏とは言えなかったので、余裕を持って右に動きながら体を開き、その突進をかわした。結果、そのトロルは殴るべき目標を失った棍棒の勢いに任せて完全に前のめりにバランスを崩していた。つまり、私の目の前にはトロルの無防備な後頭部と首があったのだ。勿論、私はその獲物を逃すことはしなかった。剣をそれ目掛けて振り下ろす。そんなに派手な手応えは無かったが、それはこのニンジャ・ソードを扱う場合には良い知らせなのだった。この剣は余りに薄くて切れ味が良いため、剣の軌道と刃の向きが一致して綺麗に獲物を斬り裂いた場合には、余り手応えが残らない場合があるのだ。この時もそうだった。バランスを崩したトロルはそのまま倒れ首筋から緑色の血が噴き出したかと思うと、その体から、首から上がゴトリと離れた。

挿絵(By みてみん)

 その様子を見て、もう片方は一瞬硬直していたが、それほど長い間を置かずに私に襲いかかってきた。さっきのヤツよりは多少機敏だったが、それでも私に見切れる程度の動きではあったので、私は振り下ろしてきた棍棒をくぐるように避けながら剣でトロルの胴を払った。と、軽い手応えを私の手に残し、トロルは血しぶきを上げながら新入り三人達の方へと突っ込むような格好で、前のめりに倒れた。

 「ヤツ、逃げるぞ!」

 ウルフトラップが叫んだ。見ると、リンクスに襲いかかっていた内の片方が逃げようとし、もう片方のトロルを倒したリンクスと、さっきまで私の後ろにいたエルダーが、それを追いかけようとして走り出した瞬間だった。今逃げられて援軍でも呼ばれたら、私達は大変な危機になってしまう。こいつが逃げるのだけは絶対に止めなければならない。

 「任せた!」

 ウルフトラップに向かって一言言うと、私も彼らに続いて走り出した。


 重装備のリンクスも、遅れて走り出した私も、なかなかトロルに追いつけないでいたが、やがて、リンクスの後ろ(私の前)を走っていたエルダーが立ち止まって右手に持った杖を前にかざしながら叫んだ。

 「リンクス!」

 すると、振り返ったリンクスはうなずきながら抗道の壁に貼り付くような格好になってエルダーの前を空けた。エルダーのかざした杖の先には、逃げて行こうとするトロルの姿が有った。

 「ウム・フル・イル!」

 エルダーが呪文を唱えると、そのかざした杖の先から、拳よりもやや小さい位の火球がまばゆい光と共に弾き出された。そして、真っすぐに逃げていくトロルの背中へと命中して爆発を起こした。

 実際の所、エルダーが撃ったファイヤー・ボールは小さいもので、これは、トロルの近くにいるリンクスに被害が出ないようにというのと、トロルの足さえ止めればリンクスが仕止めてくれるだろうという考えの元に撃たれた牽制用のものだった。壁に当たって爆発し、それによってトロルが驚いて足を止めれば良い程度の物だったのだが、実際には直撃したのだった。ともあれ、初期の目標は達成したのだった。トロルは倒れ、傷を負っていた。

 トロルが起き上がったときは、もう既に、すぐ近くにリンクスがいた。トロルは逃げられないと思ったのか、再び棍棒を振り上げて、その絶望的な反撃に出た。が、手負いのトロルはリンクスの敵ではなく、程なく、彼の剣の前に崩れ落ちた。


 「やったか?」

 丁度リンクスが仕止めた頃、ウルフトラップが私に追い付き、私に声を掛けた。が、新入りの三人の姿は見えなかった。

 「えぇ。……三人は?」

 「あぁ、トロルの死亡確認をさせてる。もうすぐ来るだろ」

 その言葉通り、間も無く三人も我々に合流した。

 「やりましたね!」

 アルフレッドが嬉しげに我々に声を掛けた。が、ウルフトラップはそれに答えずに、逆に質問を返した。

 「あっちのトロルはどうした?」

 「え? ……あ、死んでましたよ」

 アルフレッドは、声を掛けたことに対する返事が無かった事に対する不満が有ったのか、あるいは、いきなり質問を返された事に対して驚いたのか、一瞬だけ言葉を淀ませながら答えた。

 「そうか。なら、一段落だな」

 ウルフトラップが言いながらリンクスの方を振り返ると、リンクスがこくりとうなずきながら言った。

 「よし、先を急ごう」



 最初のトロルの襲撃を退け、私達はさらに坑道を奥へと進んでいった。が、相変わらず「お宝」の「お」の字も見えない状況だった。このまま進めば、より深くトロルの勢力圏内へと入っていく事になる。リンクスの頭の中では、それによる危険と、我々の戦力、お宝を入手できる可能性などを秤に掛け、撤退するタイミングを考えていた事だろう。

 しかしながら、思わぬ事でその計画が狂う事になるのだった。


 もう充分にトロルの勢力圏内深くに入っているのか、坑道の壁には灯りが設置され、トロルの気配もあらゆる所から感じられるようになっていた。

 それまでの坑道よりも少しばかり太く、三叉路になっている場所での事だった。突然その側道に隠れていた(恐らくは、待ち伏せしていた)三体のトロルが襲いかかって来た。先頭を歩いていたリンクスと、その後ろにいた私は、警戒していたこともあってトロル達の最初の一撃をかわした。そして、そのトロル達を牽制しながら、私とリンクスは何歩か下がって他のパーティーメンバーに近づいた。

 「しまった!」

 パーティーの最後方にいたウルフトラップが叫んだ。

 「囲まれてるぜ!」

 見ると、私達の後方、つまり、後方を振り返っていたウルフトラップの前方からもトロル三体が迫ってきていた。

 「いつの間に……」

 私が剣を握り直しながら呟くと、リンクスが言った。

 「エース、後ろを頼む」

 「わかったわ」

 私はパーティーの後方へと行き、ウルフトラップの右に並ぶようにしてトロルと対峙した。本来なら私の方がウルフトラップよりも前に出るべきなのだが、敵に囲まれてしまっている以上は、少なくとも何体かを彼に引き受けて貰う必要があるからだ。もっとも、新入りの戦力が確かならば、そんな必要も無いのだろうが……。


 ウルフトラップは腰にいくつか付けていたポーチの内の一つを外し、一瞬だけ新入り達の方を振り向いて、それを放り投げて言った。

 「小僧共、そいつを飲んでおけ!」

 アルフレッドは、危うくそれを受け取り損ないそうになったが、辛うじて落とさずに済んだ。

 そのポーチの中にはせいぜいコップ一杯分ぐらいの水しか入りそうにないような小さな三角フラスコが三本入っていた。そのフラスコに入っているのは、宿を出る前にエルダーがあらかじめ作っておいたシールド・ポーションなのだ。

 新入り三人は、言われた通りに、少々慌てながら、それぞれ一本のシールドポーションを飲み干した。これでいくらか、彼らの体の表面は硬くなり、敵の打撃によるダメージをある程度軽減できるはずだ。とは言っても、それは「ある程度」に過ぎない。完全にダメージを防げるわけではないし、「ある程度」防いでもなお、致死ダメージになることだってある。避けられるものは避けておくに越したことはない。


 正面のトロルはリンクスとエルダーで、後方は私とウルフトラップで抑えようという隊形になった。と、トロル達は一斉に襲いかかって来た。

 リンクスは長剣を振るい、エルダーはファイヤー・ボールの呪文を唱えてリンクスを援護していた。

 ウルフトラップはトロルの攻撃をかわしつつ、攻撃を返していた。すれ違うようにしながら確実に短剣をトロルに切りつけていたが、なにぶんにも短剣なので、相手を倒すまでには何度も何度も繰り返す必要があった。

 ウルフトラップと並んでいた私の所にも、まずは一体のトロルが攻撃してきた。その振り下ろす棍棒を避けるように右に体をかわすと、そのかわした先には、もう一体のトロルが棍棒を振りかぶっていた。体を左に開いて辛くもその棍棒をかわした私は、もう一度そのトロルが棍棒を振りかぶったところを狙った。体勢が不十分だったので右手一本で剣を突き出したのだが、それは軽い手応えと共に、今度は一撃必殺を狙ったために両手で棍棒を振り上げたのであろうそのトロルの左脇の下に突き刺さり、そのまま斬り裂いた。その左腕は肩からちぎれたが、手は棍棒を握ったままだったので、逆に棍棒からぶら下がっていた。その片腕付きの棍棒は力無く振り下ろされた(勿論、避けるのにも苦労はなかった)が、今度は本体の方が力無くなる番だった。両手に持ち直された私の剣はトロルの胴を斬り裂いた。そして続けざまに、膝から崩れ落ちる途中のトロルの首を撥ねた。

 丁度そうして私が一体のトロルを始末した瞬間、さっきのもう一体のトロルが、私に対して回り込むようにしてウルフトラップと私の間に空いた隙間から新入り達の方へと襲いかかろうとしていた。それは、本来なら問題は無いはずの出来事だった。私はすでに一体のトロルを倒しており、そのもう一体のトロルが新入り達の所へと襲いかかろうとするのを迎え討つのには十分間に合うはずだったからだ。

 しかし、そうではなかった。敵ではなく、味方の行動によって事態は悪化した。

 アルフレッドは段平を構えてトロルの前へと出てきた。

 「下がって!」

 私は叫んだが、アルフレッドは構わずに上段からトロルに斬りかかった。トロルはその段平をかざした棍棒で弾くと、次に横殴りに棍棒を振った。棍棒はアルフレッドの胴に直撃し、彼の体はそのまま飛ばされ、坑道の壁に激しく叩きつけられた。そして、その手から段平が落ち、体も力無くずり落ちた。

 「この……」

 私は小さく呟きながら、そのトロルに向かって踏み込み、剣を振り下ろした。トロルは私の方へと振り向いたところだったが、丁度その棍棒を持った右の手首に剣が当たった。剣は全く無慈悲に、その手首から先を棍棒もろとも撥ねた。そのトロルは自分の右手首が既に無くなっていることに気がつかなかったらしく、その腕を振り上げながら私に襲いかかってきたが、流石に無い棍棒に当たるようなことはなく、逆に私の剣がその胸を貫いた。

 私がそのトロルを倒してウルフトラップの方を見ると、彼が戦っていたトロルにとどめの一撃を与えるところだった。さらに振り返ると、バァン!と音がした。エルダーの放ったファイヤー・ボールが、彼らに襲いかかっていたトロル達の最後の一体(それ以外の二体は、既に彼らによって倒されていた)に直撃したのだった。よろけるトロルにリンクスの長剣が振り下ろされ、そのトロルは崩れ落ちた。


 私達はなんとか二度目のトロルの襲撃を乗り越えたようだった。が、全くの無傷という訳でも無かった。

 「駄目だ。死んでる」

 アルフレッドの様子を見ていたウルフトラップが言った。あれだけの直撃を受けたのだから、無理も無いだろう。しかし、冷酷だと思われるかも知れないが、私にはそれ以上の感情は起きてこなかった。私が仲間の死を目撃したのは、これが最初では無かったからだ(そして、最後でも無いのだが……)。

 次いで、全員でトロルの死亡確認をしていた時の事だった。

 「エース、ちょっと……」

 不意に、エルダーが私を呼んだ。彼が死亡確認をしているトロルのそばまで行くと、彼はそのトロルの胴を指差しながら言った。

 「この傷を見てください」

 見ると、そこには極めて鋭利な刃物で斬られたような傷があった。これは普通、私の使っているようなニンジャ・ソードや、サムライ・ソードでしか付けられないような傷なのだ。しかも、その傷はごく新しいものだった。しかしこいつは、今さっきリンクスとエルダーが倒したトロルで、私が斬った覚えはない。とすると……。

 「これは……? もしかして、さっきの……」

 私がそう言うと、エルダーは黙ったままうなずいた。つまりこのトロルは、さっき一回目に遭遇したトロルの内の一体なのだ。しかも、私が斬った二体の内、首を切り落とさなかった方、つまり、アルフレッド達にあとを任せた方だということになる。

 だとすれば、さっきの突然の待ち伏せで、いきなり囲まれて襲撃されたことも納得がいく。生き延びたトロルが先回りして、仲間を連れて来ていたのだろう。

 「あれが死んでなかったと……」

 私がとどめを刺さずに、逃げたトロルを追い始めてしまった事を後悔しながら呟いたのを聞いて、ウルフトラップは血相を変えて、ツカツカとロベルトとギルバートの方へと歩いていった。二人はアルフレッドが死んだ事に余程ショックを受けたのか、すっかり恐慌状態になり、しゃがみ込んでいたが、ウルフトラップはギルバートの襟を掴んで引きずり上げるようにして立たせて、面と向かって恐ろしい形相で怒鳴った。

挿絵(By みてみん)

 「お前ら、ちゃんと死亡確認はしたのかよ?!」

 ギルバートは、ウルフトラップの怒鳴り声で我に返って、それでも、おののきながら答えた。

 「え? ……えぇ、ちゃんと……」

 「それじゃぁ、こいつは何だ?! なんで、さっきのヤツがここに居るんだ?! こいつは死んでも生き返るってのか?!」

 「いえ……、あの……、……済みません……」

 「『済みません』? あぁ、確かに済まねぇだろうよ。死んだアルフレッドに良く謝っておくんだな。もっとも、アルフレッドも一緒に死亡確認したんだから、自業自得って訳か? えぇ?」

 ウルフトラップはそこまで一通り毒突くと、今度はリンクスの近くに行き、すっかり浮かない顔になって言った。

 「済まない。俺の監督不行き届きだ」

 「気にするな、済んだことだ。しょうがない」

 リンクスは顔色を変えずに答えた。いや、私には努めて顔色を変えないようにしているように見えた。

 「しかし……」

 それきり、振り向いてウルフトラップに背を向けて再出発の準備を続けようとしたリンクスに、さらに話をしようとしたウルフトラップだったが、その肩を後からエルダーの手が押さえた。振り向いたウルフトラップの目に向かって、エルダーの目は何事かを語り掛けていた。そして、私は言葉を掛けていた。

 「一番責任を感じているのは、リーダーであるリンクスなのよ。だから、あなたが自分を責めるような言葉を言えば言うほど、リンクスは辛い立場になってしまうのよ」

 視線を私の目に合わせてその言葉を聞いていたウルフトラップは、ゆっくりとその視線をエルダーに戻した。エルダーの首が小さく縦に振られて暫く後、ウルフトラップは小さく溜め息をついた。

 実際にヘマをやったのは新入りだったが、その新入りを新入りとして扱い切らずに、変に任せるような真似をしたのは私達四人だった。その点で、全員がヘマをやったと言えるのだが、私達がヘマをやったと思えば思うほど、責任感の強いリーダー――リンクス――は自分の責任だとして自分を責めることになってしまうのだった。だから、私達は努めて気にしていないように装おうとした訳だし、それが少なくともこの時点で取り得る最善の方法だった。



 アルフレッドの死体を担いで帰るなり、埋葬するなりしてやりたいのは山山だったのだが、トロル共の援軍が私達を倒そうと向かっていることがほぼ確実だと思われるこの状況では、それは時間が許さないことだった。一秒でも半秒でもこの坑道に長く留まる事は、それだけ私達の身を余計な危険に晒すことを意味していた。死んだ者より、生きている者の方が優先されるのだ。冷酷な言い方だが、それは事実でしかない。

 アルフレッドの装備の内、手早く回収でき、また、持って行ったとしても、これから遭遇し得る状況に対して邪魔にはならないと思われる物だけを残った六人で分けて持つと、私達はそこを後にして、坑道の入り口の方へと引き返すように、やや早足で進んでいった。

 一刻も早くこの坑道から出るべき状況ではあったが、かと言って、駆け足で入り口まで逃げ帰れば良いというものでもなかった。さっき、トロルに待ち伏せされて囲まれたことでも分かる通り、この坑道の構造からして、退路でも待ち伏せされていないとは限らないのだ。そんなわけで私達は、必要最低限の注意を払いながら、やや早足で出口を目指していた。

 幸い、入り口から数えて三つ目の分岐点までは、トロルに遭遇すること無く戻る事が出来た。あと二つの分岐点を過ぎれば、入り口まではすぐだ。

 が、その後は無事に過ぎてはくれなかった。


 「……来たか」

 前方にトロルの気配を感じとってリンクスがそう呟いたのは、次の分岐点に到達する少し手前の地点だった。その通り、やがて前方からはトロルの集団が現れた。一、二、……四体が向かってくる。しかし、走って跳びかかってくるでもなく、まるで、私達を行き止まりにでも追い詰めているかのように、じっくり、しかし威圧感を持って近付いて来た。

 しかしながら、こちらはじっくりと構えているわけには行かない状況だった。今の所は、後方からもトロルに囲まれている様子は無い。だが、トロルが後方から追って来ていないという保証も無い。だから、一刻も早くこのトロル達を突破して、坑道から出たい所なのだ。強硬突破しかない。しかし、一時的にここを抜けても、トロル達は追いかけてくるだろう。ということは、ヤツらを全部戦闘不能にする以外に抜ける方法は無いのだ。それ以外の結末が有るとすれば、それは、私達が全滅することだ。


 「おい! 後ろからトロルが来ないか、気を付けてろ!」

 ウルフトラップは、さっきみたいに包囲されるのはもう御免だとばかり、新入り達に警戒を促していた。

 リンクスが先頭で、エルダーがその後方やや右。ウルフトラップと私は、それぞれリンクスの左右に位置し、ギルバートとロベルトはさらにそのそれぞれ後方に位置して、トロルとの距離を詰めていった。と、突然トロル達は四体が縦一列になって、リンクスに向かって突進して来た。

 「んっ!」

 リンクスは尋常ではないと思われるその攻撃法に少々戸惑いながらも、先頭のトロルの棍棒を長剣で受け流した。が、そのすぐ後ろにいた二番目のトロルが向かって右側に跳び出ると、リンクスに向かって棍棒を振り下ろした。私はそのトロルの攻撃を受けとめようとしたが、その攻撃とほぼ同時に三番目のトロルがさらにその右側へと跳び出して、私に襲いかかって来た。結果として、私はその三番目のトロルの棍棒を受け流すことを余儀なくされ、二番目のトロルの棍棒はリンクスの右下腕に直撃した。

 ガインッ!

 「ぐっ……!」

 私からは見えなかったが、リンクスの顔は苦痛に歪んでいたことだろう。彼は体勢を崩して、二歩ばかり後退した。それに対してさらに襲いかかろうとした一番目のトロルに、エルダーの放ったファイヤー・ボールが命中し、爆煙を上げた。その爆煙を突っ切るようにして二番目のトロルが突進して来ようとしたが、リンクスはその姿が爆煙から現れる前に、左手一本で長剣をその方向へと突き出していた。姿を現したトロルは、その瞬間に自らの突進のために長剣に胸を串刺しにされ、力を失った。

 最後尾に居たトロルも、三番目のトロルよりさらに右に回り込むようにして向かって来た。それを見たウルフトラップは私の後ろを通るようにして私の右後方に出て、そのトロルを迎え討とうとした。が、リンクスが倒したトロルから長剣を引き抜く間に、ファイヤー・ボールを喰らってよろけていた最初のトロルが、リンクスの逆側から回り込むようにして、ウルフトラップの背後に襲いかかろうとしていた。さらに悪いことに、それに対して向き直ろうとしていたエルダーは、リンクスの剣が引き抜かれたために力無く手前に倒れたトロルの体に躓いて転んでしまったのだ。

 私は状況が分かっていたにも関わらず、その時点では私に襲いかかってきたトロルを抑えるので手一杯で、ウルフトラップの援護は出来なかった。ウルフトラップは自分が挟み討ちされそうになっているのに気が付き、右から回り込んで来たトロルに一撃を加えて一瞬怯ませると、逆から回り込んで来た方へと向き直り、襲いかかって来たそいつの下をくぐるようにして短剣を喰い込ませた。

 「ボブ! 避けろっ!」

 そのトロルにとどめの一撃を与えながら振り返ったウルフトラップは、さっきの一撃の怯みから立直ってロベルトに襲いかかろうとしているトロルの姿を認めて叫んだ。ロベルトは段平を構えてはいたが、完全に恐慌していた。いや、構えているというより、段平を前へと掲げていただけと言った方が良いかも知れなかった。

 私が辛うじて、自分が戦っていたトロルを押し返した瞬間、振り下ろされた棍棒はロベルトの右肩にまともに命中した。ロベルトの右腕は段平を握ったままちぎれ飛んだ。私は剣から右手を離し、その手でベルトの右腰の所に差してあるスローイング・ナイフの内の一本を抜き、次の一撃に移ろうとしているそのトロルに向かって投げた。狙いたがわず、それはトロルに刺さったが、それが致命傷になる事は無かった。トロルは一瞬怯んだものの、ロベルトに対する攻撃を止めようとはしなかった。そして、ロベルトは自分に何が起きたのか分かっていないように呆然とし、二、三歩、ふらふらとふらついていた。

 「ボブっ!」

 ウルフトラップはそのトロルを止めようとして向かって行ったが、いかに機敏な彼でも、それには間に合わなかった。トロルの次の一撃は、確実にロベルトの頭を捉えた。ロベルトの頭はその棍棒によって叩き割られ、砕け散り、やがて膝から崩れ落ちたその体は、前のめりに倒れた。

 「エース! 左っ!」

 リンクスの言葉に向き直ると押し返したトロルが再び大上段から棍棒を振り下ろして襲いかかって来る所だった。私は不十分な体勢で、それを剣で受け止めなければならなかった。ただ幸運だったのは、その一撃を受け止める瞬間に、右手を再び剣に添えるのが間に合った事だった。

 恐らく、片手で剣を持っていたならば、剣を弾き飛ばされ、私は素手でそのトロルと渡り合う必要があっただろう。しかし、両手で持っていたために、剣を弾き飛ばされないで済んだのだ。ただ、不十分な体勢で強烈な一撃を受け止めた事は確かで、それによる衝撃で私の体は跳ね飛ばされ、坑道の壁まで転がることになった。だが、これも私にとっては幸運だった。私は怪我をしなかったし、剣も手から離さなかった。それに何より、トロルとの距離が開いたので、そのトロルの次の攻撃が来る前に、私は立ち上がって迎撃体勢を整えられるだけの時間的な余裕を手に入れられたのだ。

 トロルはそのまま私の方へと突っ込んで来たが、私は剣を構え直してそれを待った。走り込みながら大上段から振り下ろされた棍棒を、私は剣で右下へと受け流した。そして、その棍棒が大きく流れる間に手首を返して剣の刃の向きを変え、そのままトロルの首を右から左上へと撥ねた。


 そのトロルの首が下に転がった音が、この回の戦闘終了の合図だった。ほぼ同時に、もう一体のトロル――ロベルトの頭を砕いた――をウルフトラップが倒したからだ。戦闘は終了し、我々は生き残っていたが、全員が生き残っていたわけではなかった。その点では、さっきの戦闘も今回の戦闘も、我々の勝利とは言い難かった。


 「分かってるでしょうが、自分の身の事を第一に考えなさい」

 ウルフトラップが倒したトロルに刺さったままだったスローイング・ナイフを回収しようとした私に、左足を引きずりながら近寄ってきたエルダーが言った。

 「分かってるわ。……分かってる」

 私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 ナイフを回収してからロベルトの死体を見たが、それはひどい状態だった。その頭は完全に砕かれ、内容物が周りに散乱していた。だが、それでもやはり、埋葬してやるだけの時間的な余裕は無かった。実は、我々の損害はロベルトの戦死だけではなく、その他の方が我々が生き延びられるかどうかに関してはより重要な点だった。


 「吐き気は?」

 リンクスの怪我の状態を見ながら、私は尋ねた。攻撃を受けた右下腕の甲冑を外して様子を見ると、すでに内出血でかなり腫れ上がっていたのだった。

 「……ちょっとな」

 「……ここ?」

 「つっ……!」

 私が直撃を受けたと思われる部分を押すと、リンクスは思わず声を上げた。大きな声では無かったが、彼の額にはドッと脂汗が吹き出た。我慢強いリンクスが声を上げる程なのだから、大丈夫とは言えない程度の怪我であることは間違い無かった。

 「折れてるわ。両手で長剣を振り回すのは無理ね」

 私は松明の内の一本を副木にして、怪我の応急処置用に持って来ていた細長い布切れでリンクスの下腕を固定した。そして、ギブス代わりに(実際になるかどうかは分からないが……)下腕部の甲冑を再び装着させた。そして、腕を吊るように布切れを巻き、それを首の後ろで結び止めた。

 「これを使って」

 「済まない……」

 リンクスは、私がベルトから外したスローイング・ナイフ――他より長い一本――を左手で受け取ると、悔しそうな表情で答えた。恐らく、リーダーとしての責任感がその表情を作らせたのだろう。

 「リーダーだからね。まだ、頑張って貰わないとね」

 私が笑みを浮かべながら言うと、彼は苦笑しながらうなずいた。

 その間、ウルフトラップもエルダーの怪我の応急処置をしていた。エルダーは転んだ時にひどく左の足首を挫いたらしい。ただ、ここでしなければならないのは、「応急治療」ではなく、「応急処置」なのだ。多少無理をしてでも、歩ける状態にすることが先決なのだ。ウルフトラップは、エルダーの左足首を固定出来るように、細長い布切れを幾重にも踝を中心にするようにきつく巻き付けて、締め付けるように縛った。これのお陰で、エルダーはなんとか歩けるようにはなった。多分、後でひどく腫れることになるのは間違い無いだろうが、そんな心配は、この坑道から出られた時にすれば良い事だった。

 ギルバートはひどく怯えているように見えた。目の前で、自分と同じ新入りが二人も死んだのだから、それは無理もないだろう。ただ不思議な事に、戦闘に遭遇する前や、アルフレッドが殺された直後に比べると、落ち着いているようにも見えるのだった。自分で不思議と言っておいて何だが、言葉には言い表せないものの、私にはそれが何故だか分かるような気もしていた。



 坑道の外へと急ぎたい気持ちとは裏腹に、私達はその足を速めることは出来なくなっていた。二人の負傷者がいるのだ。しかも、その内一人は足を怪我しているとなれば、いくら急ごうとしても限界がある。そうした実際の移動速度の問題に加えて、戦力の問題もあった。五人のパーティーで、その内の二人が怪我をしている。この戦力では、トロルの不意討ちを喰らったら、全滅する可能性もある。だから、それを警戒するためにも、余りに速い移動は好ましくないのだ。

 そんなこっちの事情には関係無く、いや、むしろ喜んでかも知れないが、トロル共の追手は私達に迫ってきていた。最後の分岐点を過ぎてしまえば、生還できる確率はグンと上がる。しかしやはり、この期に及んでも、そう簡単に事態は好転してはくれなかった。


 「来たぞ!」

 パーティーの最後尾を歩いていたウルフトラップが、その視界に、追ってくるトロル共の姿を捉えて叫んだ。一番前を歩いていた私は、その声にウルフトラップの隣へと下がった。

 「二体だな」

 ウルフトラップが、何時に無く真剣な表情で言った。

 「そうね。……私が先のをやるから、次のヤツを宜しくね。ただ、前の方が心配だけど……」

 前方を振り返りながら、私は言った。

 そう。分岐点は、もう目と鼻の先なのだ。かといって、私とウルフトラップのどちらかだけで後方から来る二体のトロルを抑えて、もう一人が前方の警戒をするというのも無茶な話だろう。

 すると、何時の間にか私達二人に近寄って来ていたリンクスが、作ったように平気そうに言った。

 「こっち側なら心配するな。怪我人込みでも、三人居ればなんとかなるだろう」

 「……アテにしてるわ」

 それが苦笑にならないように気を付けながら、私は笑みを返しながら答えた。リンクスは特に意味があるでも無く軽く左手を上げると振り返り、その手で、一旦、鞘に収めていた(私が貸した)スローイング・ナイフを抜いて、前へと戻っていった。


 私は少しばかり前に出てトロルを迎え討った。なるべく負傷している仲間にトロルを近付けたくなかったからだ。私が先に来たトロルと対峙すると、さっきの作戦の通り、向かって右に回り込んで来た後の方のトロルの前にウルフトラップが立ち塞がった。

 私と対峙したトロルは、私達を走って追って来たので呼吸が乱れていた。時間を置かない方が有利だと判断した私は、さらにその呼吸の乱れを利用することにした。そのトロルの肩は大きく上下していたが、それが最も低くなった瞬間――息を吐き切り、吸おうとする瞬間――を狙って、私は襲いかかった。上段に構えていた剣を右に倒しつつ、トロルの僅か左に向かって突進した。

 ドンッ!

 完全に呼吸を読まれていたそのトロルは、私の攻撃に対して一瞬硬直したままで、私がその脇をすれ違い、剣を前に振り抜くまで、十分な防御動作を取れなかった。腹を斬り裂かれてゆっくり前にバランスを崩そうとしているそのトロルの背後から、振り返った私は縦一文字に斬りつけた。それで、そのトロルは完全に絶命した。

 ウルフトラップは慎重に戦っていた。斬りつける事よりも、自分の後ろ――リンクス達の方――へと逃がさない事を優先して、トロルの正面に立ち塞がるようにして戦っていた。それは、ウルフトラップの得意な戦い方では無かったが、得意でないからといっても、出来ないという訳では無かった。それに、今はそれが必要で、彼はその正しい判断に基いて戦っているのだった。

 自分の持ち分であったトロルを倒した私は、ウルフトラップを援護しようとして、剣を構え直しつつそっちへと向き直った。しかし、それ以上の援護は必要無かった。私の動きを視界に捉えたそのトロルは、僅かながら動揺していたのだ。それがトロルの動きを淀ませた。ウルフトラップはその隙を見逃さず、正確にトロルの胸に短剣を突き立てていた。

 「クソッ……!」

 リンクスの声が響いたのは、ウルフトラップと私がそのトロルにとどめを刺した時だった。見ると、やはり分岐点の側からもトロルがやって来たらしく、二体のトロルがリンクスに襲いかかろうとしている所だった。さらにそれは、私達にとっては最悪のタイミングでの事でもあった。私とウルフトラップはリンクス達にトロルを近付けまいとして戦っていたために、彼らとの距離を空けていたのだった。これが裏目に出たのだ。私達はリンクス達を即座に援護できない位置に居たのだ。勿論、すぐにそっちへ向かって走り出したのだが、実際には、私達の剣がその決着を付けるような事は無かった。

 リンクスは、ほぼ同時に左右から二体のトロルに襲いかかられるような状況になっていた。しかし、それを見たエルダーは、左側のトロルに対して両腕で杖をかざして突進し、右上から振り下ろすようにして杖を打ちつけた。彼は足首を捻挫していたので、その突進の威力も杖の振り下ろしの威力も十分とは言えなかったが、それでも、体勢を崩しながらも体重を乗せた一撃はトロルに命中し、体を浴びせるような形でトロルと共に地面に倒れた。そして、トロルが起き上がるよりも早く、エルダーは杖の先をトロルの胸に押し当てたまま呪文を唱えた。

 「イー・フル・イル!」

 呪文を唱えた瞬間、大音響と共にそのトロルとエルダーを大きな爆発が包んだように見えた。一瞬の後、エルダーがその爆煙の中から姿を現した。彼は至近距離で渾身のファイヤー・ボールを放ち、トロルを粉々に吹き飛ばしたのだった。

 このエルダーの捨て身の攻撃のおかげで、リンクスの戦いにも勝ち目は出てきた。彼は振り下ろされた棍棒をぎりぎりでかわすと、スローイング・ナイフでトロルの顔面に向かって斬り付けた。利き腕のものでは無いその攻撃は、やはり十分な威力は無かったが、それでも、敵を怯ませるには十分だった。エルダーがもう一体のトロルを吹き飛ばしたその頃、体勢の崩れたそのトロルに向かって、リンクスは右下腕を庇うように、それでも、右肩で下から突き上げるようにして体当たりをした。リンクスはそのまま左膝をついたが、トロルは弾き飛ばされ、ギルバートの目の前に倒れた。

 「ギルッ!」

 「やれっ!」

 私とウルフトラップは、ほぼ同時に叫んだ。ギルバートはやはり、完全な恐慌状態だった。やるべき事は分かっているのだが、体が充分に動かないのだ。彼はまるでスロー・モーションのようにゆっくりと段平を両手で掲げた。口は大きく開かれているが、声は出していなかった。いや、出せなかったのだろう。倒れたトロルは起き上がろうとしたが、しかしそれよりも辛うじて、ギルバートがその段平を振り下ろす方が早かった。トロルの骨の砕ける鈍い音が、その戦闘の終了を告げた。

 そしてそれが、今回の探索における最後の戦闘だった。



 私達は、なんとか生きて坑道から脱出することが出来た。リンクスは右の下腕を骨折していたし、エルダーは左の足首を捻挫し、また、さっきトロルに対して至近距離でファイヤー・ボールを撃ったために、その爆風で軽い火傷もしていた。しかし、生きて出られたことには変わりは無かった。ただ、残念なのは、全員が生きて帰ってきた訳では無かったという事だ。仲間にも二人の戦死者が出たのだ。しかし、それもまた、冒険者の宿命でもあるのだ。

 二人の仲間が死に、手に入れたお宝は皆無。結果だけを見るなら、今回の探索は私達の完全な敗北だった。しかし、死んだ二人には悪いとは思うが、私達は生きて帰れた事を「勝利」としたい気分でもあった。

 日はもう傾き始めていたが、まだ眩しかった。私は大きく息を吸った。甘いような、苦いような、そんな匂いがするような気がした。



 あれから一月ほどが経った。私達はまだアースラの宿屋に居た。リンクスの回復には時間が必要だったので、その間、この街に留まる事にしたのだ。リーダー無しでは探索には出かけない。それが私達のやり方であり、不文律でもあった。もっとも、リーダー以外が欠けても同じかも知れなかったが。

 リンクスを除いたメンバーは、賞金首を捕まえたりして宿代や生活費を賄っていた。捻挫と火傷が治ったエルダーは、民家を回って薬を売っていたりもした。探索や請負仕事の無いときの冒険者など、大概はこんなものだ。


 「もういいんですか?」

 夕方、宿の二階の自分の部屋から、長剣を持って一階の食堂に降りて来たリンクスを見かけて、エルダーが声を掛けた。

 「いや、いいと言うほど良くはないんだが……。じっとしてても他の部分がなまるからな。無理が掛からない程度に体を動かさないとな」

 リンクスは何故だか照れ臭そうに言った。それでいて、体を動かせることが嬉しそうでもあった。私も何故だか、その様子を微笑んで見ていた。

 そこへ、ウルフトラップがまた、見慣れぬ青年を連れて来た。

 「新メンバー候補だ。キトン、話をしてやってくれ。俺は着替えてくる」

 「……あぁ、分かった」

 キトン――仔猫――と呼ばれた不精髭を生やした男が、青年の方へとやって来た。他でもない、ギルバートの事だった。そして「キトン」というのが、あの戦いの後で付いた彼の渾名だった。最初に会った頃に比べると、よくも一月ほどでここまで汚らしい格好になったなという感じだったが、それはそれで冒険者らしくなったという感じでもあった。

 キトンは青年を座らせ、そのテーブルを挟んだ向かい側に自分も座って話を始めた。

 「始めに言っておくが、自分の身は自分で守る事だ。それが出来そうにないなら、我々のパーティーに入ろうなどとは思わない方がいい。探索中は各人がそれぞれ……」

 キトンがその青年に言っている例の決まり文句を、隣のテーブルの席に座っていた私は、妙に心地良く聞いていた。そして、昼間の賞金首狩りの疲れのせいか浅い眠りに落ちていった。


End of Story "Rookie" from "Record of Ace".


***************************************


Aftermath:


 エースはこの後に(違うパーティーによるものも含めて)数回、この鉱山へと探索に入ったとされている。さらにそれより後、アースラの街とトロル達の間で和平協定が結ばれたが、その時にエースは彼らに「ホウダム」(この地方のトロルの言葉で「鎌鼬」の意)と呼ばれて恐れられていた事が判明した。


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