初恋
文化祭で発行した文芸誌に載せた作品です(*´˘`*)
「エリーゼのために」という曲を知っているだろうか。私にはやけに耳に慣れた曲だ。隣の家に住んでいた幼なじみが、毎日のように弾いていた曲だったから。母親譲りの西欧風の彫りが深い顔立ちをしており、モダンな洋館に住んでいて、ピアノでシューマンやらバッハやら弾くくせに、弁当のおかずは決まってしめさばで、おやつはぼたもち以外受け付けないという、変てこなとこがある奴だった。
まあでも。会わなくなって数年経った今でも、『エリーゼのために』を口ずさむことができること、ずっと昔の話の筈なのに彼のことを考えると胸がずきりと痛むこと、ピアノを弾いている時のあの真剣と、いつもは無表情なのに時折見せる笑顔が忘れられないこと、その全てが彼への想いを証明していた。
逃げたのは私なのに。
桜咲く高校時代、私は彼のことが好きだったのだ、たしかに。でも悲しきかな、私は平凡を地で行くような女で、彼は学校の人気者だった。幼なじみとはいえまるで世界が違った。いつの間にか彼のことを名前で呼ばず苗字に君付けで呼ぶようになったのも、そのせいだ。
そしてある夏の日、どうやらコンタクトが合ってなかったらしい私の目は、充血してしまった。医師の指示で、眼帯をつけて学校に行けば、聞こえてくるのは女子たち(今思えば、多分彼女たちは彼のことが好きだったのだろう)のあからさまな嘲笑。
ーー海賊みたい。
そしてクラスの覇権を握る彼女らに合わせた男子たちの下卑た笑い声、毎日が地獄だった。彼があの男子たちと一緒とは到底思わないけれど、彼に笑われたら一生立ち直れない気がした。
クラスでのことを知った彼の、心配げなメールにもこたえたくなかった。あなたにだけは哀れまれたくない。あなたにだけは同情されたくない。通学路で偶然会った時の彼の声も、全て全て無視して、全部から逃げていた。
ちょうどその頃読モをしていた斎藤美弥と、彼との間で『付き合っている』という噂が流れていたのも関係していたのかもしれない。
そんな時、大手商社に務める父の転勤が決まった。
彼は来ていた。その日は部活の試合があった筈なのに。
それでも彼と向き合うことができなくて、顔を背けて目さえ合わさずに、車に飛び乗った。
ーー結実。
彼の悲しげな声を、脳内から消そうとして。消えるはずがないのに。
臆病だった私もいい大人だ。きっと彼のことはいずれ時間が思い出に変えてくれるだろう。そんなことをつらつらと思いながら、退屈な日曜日の午後を過ごす。そう思っていたのに、夕方突然に2匹のしめさばが届いた。
ーー逢いに行く。
一通の手紙と共に。彼の少し癖のある筆跡を忘れるはずがない。
私の住むアパートの住所を教えたのは、実はやきもきしていたらしい親友だということは、後日判明した。彼女には感謝するが、息子に私は二人のキューピッドなのよーーとことあるごとに聞かせまくるのは恥ずかしいからやめてほしい。
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