掌
それから3日経ち、瞬の悩みである他者から葵とのあれこれという質問の波はほぼ終息していた。終息しただけではなく、色々と聞いてきた何人かは瞬を見つけると「この前は変な事聞いて悪かったな」と謝罪して立ち去るという事が多かった。
追い立てられなくなってホッとしている部分と何故急に?という疑問で瞬は小首を傾げながら[未解学研究部]の部室である図書室内の書籍倉庫のドアを開けた。
部室には泉を除く3人が座っていて、葵は余裕の表情で本を読んでいる。瞬が席につくとすぐに部室のドアが勢い良く開け放たれた。
『瞬ちゃん!?澤口先輩の生き別れた弟って本当っ!?』
泉が飛び込んで来たと同時に瞬にとって寝耳に水な言葉を投げ掛けた。
「ぇ?…ん?…えぇ!?どうして急に!?」
瞬がパニックになり掛けたと同時にに葵が本を閉じた。そのパタンと閉じる音は瞬だけではなく、部室全体へ静けさをもたらした。そして泉に視線で着席するよう促し、さも当然かのように話し出す。
『思ったよりも早かったわね。さて、北川君?貴方の悩みは解決出来たのかしら?』
葵の発する緊張感に冷静さを取り戻した瞬は葵の問い掛けを頭の中で噛み砕く。
「は、はい。今朝くらいからもう根掘り葉掘り聞かれる事もなくなりました。…逆に謝られる事が増えましたけど」
それを聞いた葵は満足そうに周囲を見回した。
『これで私は結果を出したわけだけれど、どう?協力してもらえるのかしら?』
そんな葵に堪らず拓が食って掛かる。
「おい、澤口。結果はわかったけどよ、俺らはその前の過程が知りてぇんだ。何をした?何でそこの1年がお前の生き別れた弟になってんだよ」
聞きたいことは皆同じで全員が葵の言葉を待った。
『何もしていないわ。クラスメイトに北川君とどうゆう関係か聞かれたから『何の関係もない。当日図書室に来た人に聞いてみたら?』と答えただけ』
本当に何もしていない葵にそれでは納得できない拓はイラ立ちを隠せない。
「それで何で生き別れた弟になるんだよ。お前なら何でこうなったかわかってんだろ!?」
「まぁ、落ち着いて」
ヒートアップする拓を奏輔が制した。
「澤口君、僕の推測を話してもいいかな?」
葵は特に言葉を発する事なく頷いた。それを確認した奏輔は全員の顔を見回す。
「澤口君は間違いなくこの学校では有名人だ。それはあの日図書室へ集まった人数からも分かるだろう。その澤口君が選ぶパートナーという存在に興味を持つ者も多い。おそらく図書室から出た後も外で聞き耳を立てていた者が北川君が選ばれた事を広めたんだろう。
そして、北川君に注目が集まるのは当然の事だ。北川君には悪いけど、君の性格上校内で目立つのは避けたいはず。僕にもそのくらいは分かる。
だからこそ分かるんだが、澤口君…君はこうなる事を北川君を選んだ段階で気付いていたよね?
さて、本題に入ろうか。確証のないあやふやな人の噂と言うのは伝われば伝わるほど原型を留めていられないんだ。伝える人の数だけ推測や憶測が混ざる。数人程度ならそれほどでもないだろうが、今言った通り澤口君は有名人だ。この奇乃高規模の人数で伝われば尾ビレどころでは済まないよね。だから澤口君はその無秩序な噂へ少しだけ手を加えた。図書室にまだ他の生徒がいる時に君は言ったね。
『どこかで会った事があったかしら』と。
クラスメイトに北川君との関係を聞かれた時に澤口君自身がそれを口にしてしまうと確証のある噂になってしまうからね。それでは結局北川君の悩みは解決できない。澤口君に聞いてみろと言われたクラスメイトは『どこかで会った事があったかしら』という言葉を図書室へ来ていた生徒から聞いた時、不思議に思ったはずだ。
何故、この程度の言葉を澤口君は自ら口にしなかったのか。澤口君は噂に指向性を付けて、ある程度の着地点を決める為にした事だが、他人はそうは取らないし取れない。澤口君にあれこれ聞いてくるような噂好きが行きつく結論は簡単さ。澤口君はどこかで会ったかもしれないという思いを隠したがっていると。それは恋人として隠したいのではないかと初めは考えたかもしれないが小柄な北川君を見て、その結論には至らなかった。私情の次に可能性が高いのは家庭の事情だ。北川君は僕から見ても弟の様な幼さを感じるし、澤口君が言いたがらなかったのがいい証拠だと、生き別れた弟という噂に変化したんじゃないだろうか?澤口君は幼馴染くらいの着地点を考えていたかもしれないけどね。
つまり、澤口君の操作と北川君の容姿が相まった結果というのが僕の推測なんだが、どうだろう?」
奏輔の演説のような推測が終わり、部室内に静寂が訪れた。奏輔の推測はそれだけ辻褄が合っていて説得力もあったからだ。拓はそれで納得したような顔をし、瞬と泉は奏輔の的を射たような推測に素直に驚いた。葵はと言えば、パチパチと小さく拍手をしつつ立ち上がる。
『素晴らしい。さすが生徒会長、としか言いようがありませんね。たったあれだけの情報でここまでたどり着くなんて、本当に部に勧誘しておいて良かったわ。
ただ…1つだけ惜しいミスがあります』
その発言は先程とは違う意味での静寂をもたらした。
『ご存知の通り、我が校の図書室は広大と言ってもいいほどです。その図書室の奥にあるこの部室の前での話し声が図書室の外に漏れると思いますか?』
奏輔がその問いに答えた。
「確かに厳しいかもしれないが、どこかに隠れていた可能性も捨てきれないと思うが…でなければ僕たちの誰かが北川君が選ばれた情報を流したという事に…まさか!?」
葵は微笑む。
『そう、北川君の情報を流したのは私ですよ。会長は私が噂に指向性を持たせてある程度結果を操作したとおっしゃいましたが、正確に言えば自作自演自己完結させたという所でしょうか』
「はぁ!?」
拓はすっとんきょうな声を上げ、泉は口に手を当て、瞬は拓の大声にビクついていた。奏輔はこめかみに手を当て、顔を歪ませた。
「わかった。つまり全て君の掌の上だったという訳だね。悩みを解決するというのも初めから北川君がこうなる事をわかっていて、その時点で既に手を打っていたのか。だから君は“もう自分に出来ることはない”と言ったんだね。それほど僕達に同意書を書かせたかったと?」
葵は他の誰でもなく瞬の目をジッと見つめて語り出す。
『私は…知ってほしかっただけ。何の超常現象も環境の変化もなく、人間のたった一言でも物事は思わぬ結果を招く事、些細な事で物事は大きく動く事、自分が思う以上に未来は簡単に変えられる事を。だから恐れないで。人外な存在も範疇外の現象も等しく変えられる現実の延長線上にあるの』
真剣に語る葵を目にした4人は1人また1人と同意書へサインしていく。
書き終えた同意書が葵の元へ集まり、葵はどこか満足そうに鞄へしまいこむ。
その様子に未だ完全に納得していない拓が葵へ疑問を投げ掛けた。
「澤口、で結局この部はこれからどうすんだよ。都市伝説やら超常現象やら心霊現象なんて調べりゃ山ほど出てくるぞ?全部やる気じゃねぇよな?」
拓のその一言に葵は部が発足以来初めて満面の笑みを浮かべた。
『もちろん、テーマ事に研究をするわ。部の最初の活動だからインパクトの大きいものから行きましょうか』
葵の様子に奏輔は冷や汗を拭う。
「澤口君、そのテーマはもう決まっているんだろう?」
葵は全員の顔を見た後、何でもないかのように言い放った。
『えぇ。今回のテーマは[タイムトラベル]よ』
「はぁぁぁ!?」
この日、2度目の拓の叫びが木霊した。