俺の召喚獣がこんなに可愛いわけがない
「あんた誰?」
闇の中から、コツコツと、小さな足音が聞こえて来て。
やがて姿を現した、八歳程の少女が発した第二声が、それだった。
その言葉は、明らかに僕に向けられている。
ニートさんでもなく、ヒッキーさんでもなく、この僕に。
「い、いや、それはこっちのセリフ何だけど……」
大体、訊ねて来たのはそっちじゃないか。
それなのに。あんた誰、はないでしょ。
赤い髪の少女は、口元に可愛らしく手を当て、うーんと考え込んで、
「なんか、呼ばれた気がした」
「呼んだ?」
「うん」
「僕が」
「……たぶん」
自信ないんか~い。
でも僕には覚えがない。
彼女の言っている意味がわからなければ、彼女自身にも見覚えがない。
さらに言えば僕は今日――いや、日付が変わってもう昨日か?――この世界に来たばかりだ。
どうやったって、彼女を呼べる道理がない。その技術もない。知識もね。
つまり、ありえない、と。
「おい、新入り、誰だよ、その子……」
「ちっ……けっこー可愛いじゃないか……ちっ」
ニートさんとヒッキーさんが口を挟んでくる。
僕は首をかしげるほかない。
「――さあ、誰でしょ」
この少女が一体だれなのか。
それはまぁ、気にならないわけではないけれど。
だけど――それよりも、もっと気になることを、この子は言ってなかった?
思い起こす。
第一声、その姿も見せぬ内に、彼女は確か、こう言った。
「んー、それならなんとかなるかも」
忘れたとは言わせない。確かに彼女はそう言ったんだ。
それは僕の発言に対してだ。
自分では意識してなかったけど、口に出して呟いていた。
召喚獣がいなければ、所長と召喚裁判をすることができない、的なことを。
少女の言葉は、だからそれに対する返答であるハズで。
と、ゆうことは……この子には召喚獣の当てがある?
そのことについて直接少女に聞いてみる。
すると少女、自信満々の笑みを浮かべて見せて、
「あるよ。心当たり。とびっきり良質なのが、ね」
言うなり少女、「離れて」とイキナリの指示。
戸惑っているこちらに対し、再度言葉を飛ばす。
檻の中の僕たち三人は、この少女は一体何者なんだろう、そもそもなんでこの監獄の中、檻の外を自由に出歩いているんだろうか、とかぼんやり思いながらも――
素直に檻から離れた。
「もっと。火傷してもしらないんだから」
さらに下がる。
「もっと、もっと、奥まで」
指示に従いつづけ。
やがて、トイレの壺があるライン――すなわち、壁際まで下がったところで
――炎が爆ぜた。
視界がオレンジに染まる。
圧倒的な光量、そして熱量。
少女の立てた人さし指から生まれた炎が、一瞬にして、僕たち罪人を閉じ込めている鉄の檻を、飴細工のようにドロッドロに溶かしていた。
その余波が、熱風となって僕たちに降りかかる。
けれど、彼女の指示に従っていたおかげで大したことはない。
せいぜい、線香花火を手の甲に落された程度の熱さだ。
……うん、けっこー熱い。
そんでもって少女のさも得意げな一言。
「ま、こゆこと」
ニートさんが目をぱちくりさせながら言う。
「あ、あんた、召喚獣か……」
話の流れで言えば、つまりそゆこと。
この少女が一体どこの誰なのか。
それは知る由もないし、今はそんなことを追及する気も、そもそもない。
大事なのは今、僕には召喚獣が必要で。
でもってこの目の前にどや顔でたたずむ謎の少女は召喚獣だってこと。
少女は僕よりも背が低いんだけど、なのにどこか見下すように僕を睥睨して、
「契約してやるわよ、あんたと」
その言葉を受けてヒッキーさんが前に出る。
「ちっ……しょ、しょうがねぇな……」
「お前じゃねーよ」
一蹴された。
代わりにニートさんが髪を整えながら前に出る。
「じゃあ俺が」
「お前でもねーし」
つまり僕か。
第三の男である僕がこの子と契約するのか。
なんで僕なのかは良くわかんないけど、この状況ではいたって好都合。
断る理由はないわけで。
「契約って、どうやるの?」
そんなことも知らないのか、とばかりに呆れ顔を少女は覗かせて、
「手、出して」
言いながら、小さな手を差し出してくる。
言われるままに彼女に向けて右手を差し出す僕。
すると――
「痛っ」
鋭い痛みが僕の親指の腹に走る。
見ると血が滲んでいた。
何を思ってか、少女が僕の親指を噛んだのだ。
「な、何するンだよ」
「何って、契約」
つんっ、とおすまし顔で少女。
さっと少女が右手を掲げるとそこに。
一枚の紙が現れていた。
ファンタジーでおなじみの、羊皮紙、とかゆーやつだろうか。
彼女はそれを僕に差し出してきて、僕は月明かりを頼りにそれを読む。
そこに書かれている文字。
明らかに日本語ではないのだけれど。
でも、なぜか読める。不思議発見!
まぁ、いい。それはそーゆうもんだと僕は理解。
書かれている内容は大したもんじゃあない。
余計な部分をはしょり、平たく言えば、利害関係が一致する限り、甲は乙に協力し、また乙も甲に力を貸す、ってことだ。
「それに対した強制力はないわ。要はその契約が、召喚裁判を行うにあたり絶対に必要ってこと。利害関係が成立しなくなれば、いつでも、どちらからでも、契約を破棄できる」
「それはつまり、キミに、僕と契約するメリットがあるってことかな?」
さあ、と少女、小首をかしげる。
「よくわかんないけど……なんか、こうしなきゃ、いけない気がするから」
うーん、どうもこの子の反応は曖昧だなぁ。
この子自身、自らの行動原理が良く理解出来てないみたい。
となれば、他人である僕がこれ以上それについて追及することはナンセンスなことこの上ない。
とにかく現時点において両者に大事なことは、互いが互いを必要としているってこと。
僕は脱獄……つーか、堂々とこの監獄を正門から出て行くタメに、どうしたって召喚獣は必要だし。
少女にしても、何かよくわからない事情で、僕の力にならなければならない?
……的な状況に置かれている、らしい。
つまり、だ。断る理由はないってこと。
これが罠である可能性も、まぁ、ないわけではないけれど。
ただ、トイレが壺、ってゆう史上最悪な状況を鑑みれば、これが仮に罠だとしても、ここから抜け出すことが出来るのなら、まぁ、いくらかマシだろうさ。
「いいよ。契約しよう。どうすれば?」
「右下に楕円形の枠があるでしょう? そこに指を押し付けて」
血判ってわけか。
オッケー、問題ない。
すでに血は流れてる。少女に噛まれて。
本来だったら渋る僕も、すでに血が出ている以上、躊躇う理由はない。
ぺったんこ。
親指を、羊皮紙の楕円の枠に押し付ける。
すると、ぽむっ、という音と同時に煙が上がり、一瞬にして契約書は僕の目の前から消え失せていた。
「契約完了、と。じゃ、行きましょ」
少女が言う。
どこへ、と問うのも野暮だ。
もちろん、監獄所長のところだ。
確かカンゴック、とか言ったか。
にしても……少女が僕に血を出させるために口に含んだ親指は、おしっこしたときアレを握って洗ってないんだけど……
ま、いっか。
黙ってるのも優しさだよね。