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里帰り その三

 お手伝いさんの案内で仏間に入ると、明らかに仕出し注文した料理たちがテーブルいっぱいに並べられていた。かつては季節に一度ほど食べていた割烹寿司屋の握りの盛り合わせ、祝い事のたびに特別注文していた洋食レストランのオードブルセットの他に、百貨店の惣菜売り場で買ったらしきお高めのサラダなど三人分とは思えぬ量の多さに根田は一瞬怯む。

「他にお客様でも来るんですか?」

「今回は私たち三人だけよ」

 多すぎません? そう言いそうになるが、兄のためと準備したであろう母の気持ちに水を差すのもどうかと思い言葉を飲み込んだ。

「平日の昼間だと時間が取れませんよね?」

「えぇ、だから先週末にお経は上げて頂いたの」

「当日は家族三人で静かに順を偲ぼうと思って」

 父も仏間に入っていの一番に上座に着いた。母は父の隣に、根田は母の向かいに座り、生前父の前に座っていた兄の席は空けておく。それを見てから部屋の端に控えていたお手伝いの女性二人が三人の食事を取り分けたのだが、今では全てのことを自身でするようになっているせいか違和しか感じない。

「ありがとうございます」

 至れり尽くせりのもてなしに礼を言うと若い方のお手伝いさんの肩がびくっと震える。

「い、いえとんでもございません」

 彼女たちはお給料をもらってこの仕事をしているのは分かっていたが、家事の大変さを体感しているので感謝の気持ちを伝えるだけのつもりだった。

「何を言ってるんだ?」

 父にとってはこの光景が日常なので根田の言葉に怪訝な表情を浮かべている。お手伝いさんの反応を見ても余計なひと言だったかも知れないとモヤモヤした気持ちが残る。

「そうよ、お仕事でなさっているんだから」

 子供の頃からお手伝いさんが付いている環境下で育っている母も意外だと言わんばかりにホホホと笑う。彼女はひと通りの花嫁修業をしたらしいのだが、自身の身嗜みを優先して家事をすることは滅多に無い。その間に取皿に料理を盛り付けたお手伝いさんが失礼しますと一礼して部屋を出て行くと、二人の気配が消えたのを見計らったように母が口を開いた。

「急にそんなことを言い出すからびっくりするじゃない」

「えっ? 飲食店の方にひと声掛けるのと同じ感覚だったんですけど」

「労働の対価は支払っているんだ、その時点で対等な関係なんだから必要無いだろ」

「そうよ悌ちゃん、あなたはそれを受け取る資格があるの」

 そういう感覚? 思えば根田自身も子供の頃はそれが当たり前で感謝の気持ちなど持ったことが無かった。学校でも真っ黒な高級車で送り迎えをしてもらう同級生もちらほらと見掛け、自身の環境が当たり前でなかったと思い知ったのはそれこそ箱館で生活を始めてからだった。

「でもどうして急に? 何かあったのか?」

 父は握り寿司を満足げに食べている。母はひと口で食べるには大き過ぎると特別注文した半分サイズの握り寿司をお上品に口に入れていた。

「まさかとは思うけど、今はお手伝いさんがいないの?」

「いませんよ、皆自分のことは自分でしています」

「まぁ、なんてこと……」

 まるで出先でとんでもない目に遭っているのではとでも言いたげに、母は憐れんだ視線を向けている。

「大丈夫です。時々は協力し合ってますしやってみると案外奥が深くて楽しいんです」

「けどそんなことに時間を割くのは体力の浪費だろ?」

「確かに大変な時もありますが、ボクには向いていると思います」

「いけないわ悌ちゃん、お手伝いさんを一人……二人派遣しましょ。ペンションの皆様だってその方が良いに決まっているわよ」

「待ってください! そこまでしなくていいですから!」

 食事の手を止めて脇に置いているケータイの操作を始める母を慌てて止める。

「一人暮らししてる訳ではないので心配しないでください」

「只でさえ遠く離れているのに一人暮らしだなんてとんでもない! 悌ちゃんにまで何かあったらお母さんどうしたらいいのっ!」

 感情的になる母にちょっとした圧迫感を覚える。神童とまで言われてきた兄を失ったショックは大きかったと考えられるが、順ほど構われなかった根田に恐怖心が湧き上がった。お兄ちゃんもこんな気持ちでいたのかな? 小さい頃は自身以上に目を掛けられていた兄を羨ましく感じたが、この視線を慢性的に注がれ続くのもなぁふと思う。

「大丈夫ですよ、今のところ一人暮らしする予定は無いですから」

「それでもやっぱり親としては心配だわ、お父さんからも何か仰って」

「うむ、また頼んでみるか」

 その言葉に根田は耳を疑う。これが何を意味するのかが瞬時に察知できたからだ。

「えっ? 『三年待つ』って約束では?」

「三年なんて長すぎるわ、最近連絡くれないじゃない」

 週に一度は電話してますよね? そう言いそうになるが今ここで言い返すとヒステリックになりかねないと敢えて黙ることにする。

「悌、ペンションで働いて何年になる?」

 父は腕組みを外して根田の顔を見る。

「一年と少しです」

「雑務も多いと聞くが宿泊施設だと掃除もあるだろ? 不衛生ではないのか?」

「手袋、エプロン、マスクは付けますしアルコール消毒液も常備してますので問題というほどでも」

「でもあなたのやる仕事ではないと思うの、お掃除は専門職の方に任せるべきだわ」

 大型ホテルであれば部屋数も多いのでアメニティ担当は必要だが、たった八部屋の小さなペンションではコストがかかり過ぎる……とお嬢様育ちでほとんど社会に出たことの無い母に言っても理解してもらえないだろうと徐々に諦めの気持ちが顔を出す。

「定期的に清掃業者さんは入って頂いています、そこはオーナーも気にしてますので」

 とかわす返答をしたが全く通用しなかった。

「こっちに帰ってきなさいよ、悌ちゃんは頭を使うお仕事の方が似合っているわ」

「辞めるつもりはありません、今の仕事にやりがいを感じていますので」

「そんなの若い今のうちだけよ、絶対に後悔するわ」

「そうなった時に路線変更します」

 根田は一刻も早く箱館に戻りたくなった。

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